紫式部 源氏物語 葵 16 與謝野晶子訳
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問題文
(「おんまなごもここにいられるのだから、こんごこのやしきへおたちよりになることも)
「御愛子もここにいられるのだから、今後この邸へお立ち寄りになることも
(けっしてないわけではないとわたくしどもはみずからなぐさめておりますが、)
決してないわけではないと私どもはみずから慰めておりますが、
(たんじゅんなおんなたちは、きょうかぎりこのいえはあなたさまのこきょうにだけなってしまうのだと)
単純な女たちは、今日限りこの家はあなた様の故郷にだけなってしまうのだと
(ひかんしておりまして、せいしのわかれをしたときよりも、ときどきおいでのせつ)
悲観しておりまして、生死の別れをした時よりも、時々おいでの節
(ごようをほうしさせていただきましたこうふくがうしなわれたように)
御用を奉仕させていただきました幸福が失われたように
(おわかれをかなしがっておりますのももっともにおもわれます。)
お別れを悲しがっておりますのももっともに思われます。
(ながくずっときてくださるようなことはございませんでしたが、)
長くずっと来てくださるようなことはございませんでしたが、
(そのころわたくしはいつかはこうでないさいわいがわたくしのいえへまわってくるものとしんじたり、)
そのころ私はいつかはこうでない幸いが私の家へまわって来るものと信じたり、
(そのはんたいなさびしさをおもってみたりしたものですが、とにかくきょうのゆうがたほど)
その反対な寂しさを思ってみたりしたものですが、とにかく今日の夕方ほど
(さびしいことはございません」 とだいじんはいってもまたなくのである。)
寂しいことはございません」 と大臣は言ってもまた泣くのである。
(「つまらないそんたくをしてかなしがるにょうぼうたちですね。ただいまのおことばのように、)
「つまらない忖度をして悲しがる女房たちですね。ただ今のお言葉のように、
(わたくしはどんなこともじぶんのしんらいするつまはゆるしてくれるものと)
私はどんなことも自分の信頼する妻は許してくれるものと
(のんきにおもっておりまして、わがままにそとをあそびまわりまして)
暢気に思っておりまして、わがままに外を遊びまわりまして
(ごぶさたをするようなこともありましたが、もうわたくしをかばってくれるつまが)
御無沙汰をするようなこともありましたが、もう私をかばってくれる妻が
(いなくなったのですからわたくしはのんきなこころなどをもっていられるわけもありません。)
いなくなったのですから私は暢気な心などを持っていられるわけもありません。
(すぐにまたごほうもんをしましょう」 といって、でていくげんじをみおくったあとで、)
すぐにまた御訪問をしましょう」 と言って、出て行く源氏を見送ったあとで、
(だいじんはきょうまでげんじのすんでいたざしき、かつてはむすめふうふのくらしたところへ)
大臣は今日まで源氏の住んでいた座敷、かつては娘夫婦の暮らした所へ
(はいっていった。もののおきどころも、してあるしつないのそうしょくも、いぜんとなにひとつ)
はいって行った。物の置き所も、してある室内の装飾も、以前と何一つ
(かわっていないが、はなはだしくくうきょなものにおもわれた。ちょうだいのまえにはすずりなどが)
変わっていないが、はなはだしく空虚なものに思われた。帳台の前には硯などが
(でていて、むだがきをしたかみなどもあった。なみだをしいてはらって、)
出ていて、むだ書きをした紙などもあった。涙をしいて払って、
(めをみはるようにしてだいじんはそれをとってよんでいた。)
目をみはるようにして大臣はそれを取って読んでいた。
(わかいにょうぼうたちはかなしんでいながらもおかしがった。)
若い女房たちは悲しんでいながらもおかしがった。
(ふるいしいかがたくさんかかれてある。そうしょもある、かいしょもある。 「じょうずなじだ」)
古い詩歌がたくさん書かれてある。草書もある、楷書もある。 「上手な字だ」
(たんそくをしたあとで、だいじんはじっとくうかんをながめてものおもわしいふうをしていた。)
歎息をしたあとで、大臣はじっと空間をながめて物思わしいふうをしていた。
(げんじがむこでなくなったことがろうだいじんにはおしんでもおしんでも)
源氏が婿でなくなったことが老大臣には惜しんでも惜しんでも
(たりなくおもわれるらしい。「きう きんたれとともにせん」というしのくのかかれたよこに、 )
足りなく思われるらしい。「旧枕故衾誰与供」という詩の句の書かれた横に、
(なきたまぞいとどかなしきねしとこのあくがれがたきこころならいに )
亡き魂ぞいとど悲しき寝し床のあくがれがたき心ならひに
(とかいてある。「えんあうかはらにひえてさうくわおもし」とかいたところにはこうかかれてある。 )
と書いてある。「鴛鴦瓦冷霜花重」と書いた所にはこう書かれてある。
(きみなくてちりつもりぬるとこなつのつゆうちはらいいくよいぬらん )
君なくて塵積もりぬる床なつの露うち払ひいく夜寝ぬらん
(ここにはいつかにわからおらせてげんじがみやさまへおくったのとおなじときのものらしい)
ここにはいつか庭から折らせて源氏が宮様へ贈ったのと同じ時の物らしい
(なでしこのはなのかれたのがはさまれていた。だいじんはみやにそれらをおみせした。)
撫子の花の枯れたのがはさまれていた。大臣は宮にそれらをお見せした。
(「わたくしがこれほどかわいいこどもというものがあるだろうかとおもうほど)
「私がこれほどかわいい子供というものがあるだろうかと思うほど
(かわいかったこは、わたくしとながくおやこのえんをつづけていくことのできない)
かわいかった子は、私と長く親子の縁を続けて行くことのできない
(いんねんのこだったかとおもうと、かえってなまじいおやこでありえたことが)
因縁の子だったかと思うと、かえってなまじい親子でありえたことが
(うらめしいと、こんなふうにしいておもってわすれようとするのですが、)
恨めしいと、こんなふうにしいて思って忘れようとするのですが、
(ひがたつにしたがってたえられなくこいしくなるのをどうすればいいかと)
日がたつにしたがって堪えられなく恋しくなるのをどうすればいいかと
(こまっている。それにたいしょうさんがたにんになっておしまいになることが)
困っている。それに大将さんが他人になっておしまいになることが
(どうしてもかなしくてならない。いちにちふつかとなかがあき、またずっと)
どうしても悲しくてならない。一日二日と中があき、またずっと
(おいでにならないひのあったりしたときでさえも、わたくしはあのかたに)
おいでにならない日のあったりした時でさえも、私はあの方に
(おめにかかれないことでむねがいたかったのです。もうたいしょうを)
お目にかかれないことで胸が痛かったのです。もう大将を
(いっかのひととみられなくなって、どうしてわたくしはいきていられるか」)
一家の人と見られなくなって、どうして私は生きていられるか」
(とうとうこえをおしまずにだいじんはなきだしたのである。へやにいたすこしねんぱいな)
とうとう声を惜しまずに大臣は泣き出したのである。部屋にいた少し年配な
(にょうぼうたちがみなどうじにこえをはなってないた。このゆうがたのいえのなかのこうけいは)
女房たちが皆同時に声を放って泣いた。この夕方の家の中の光景は
(さむけがするほどかなしいものであった。わかいにょうぼうたちはあちらこちらに)
寒気がするほど悲しいものであった。若い女房たちはあちらこちらに
(かたまって、それはまたじしんたちのかなしみをかたりあっていた。)
かたまって、それはまた自身たちの悲しみを語り合っていた。
(「とのさまがおっしゃいますようにして、わかぎみにおつかえして、わたくしはそれを)
「殿様がおっしゃいますようにして、若君にお仕えして、私はそれを
(かなしいなぐさめにしようとおもっていますけれど、あまりにおかたみは)
悲しい慰めにしようと思っていますけれど、あまりにお形見は
(ちいさいこうしさまですわね」 というものもあった。)
小さい公子様ですわね」 と言う者もあった。
(「しばらくじっかへいっていて、またくるつもりです」 こんなふうに)
「しばらく実家へ行っていて、また来るつもりです」 こんなふうに
(きぼうしているものもあった。じぶんらどうしのわかれもそうとうにしんこくになごりおしがった。)
希望している者もあった。自分らどうしの別れも相当に深刻に名残惜しがった。