有島武郎 或る女⑩

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1 布ちゃん 5506 A 5.7 95.7% 1149.3 6625 296 91 2024/03/08

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問題文

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(でんわはあるぎんこうのじゅうやくをしているしんぞくがいいかげんなこうじつをつくってただもって)

電話はある銀行の重役をしている親族がいいかげんな口実を作って只持って

(いってしまった。ちちのしょさいどうぐやこっとうひんはぞうしょといっしょにせりうりをされたが、)

行ってしまった。父の書斎道具や骨董品は蔵書と一緒に糶売りをされたが、

(うりあげだいはとうとうようこのてにははいらなかった。すまいはすまいで)

売り上げ代はとうとう葉子の手にははいらなかった。住居(すまい)は住居で

(ようこのようこうごには、りょうしんのしごなにかにじんりょくしたというしんるいのなにがしが、にそくさんもんで)

葉子の洋行後には、両親の死後何かに尽力したという親類の某が、二束三文で

(ゆずりうけることにしんぞくかいぎできまってしまった。すこしばかりあるかぶけんとじしょとは)

譲り受ける事に親族会議で決まってしまった。少しばかりある株券と地所とは

(あいことさだよとのきょういくひにあてるめいぎでなにがしそれがしがほかんすることになった。そんなかって)

愛子と貞世との教育費にあてる名儀で某々が保管する事になった。そんな勝手

(ほうだいなまねをされるのをようこはみむきもしないでだまっていた。もしようこがすなおな)

放題なまねをされるのを葉子は見向きもしないで黙っていた。もし葉子が素直な

(おんなだったら、かえってくいのこしというほどのいさんはあてがわれていたにちがい)

女だったら、かえって食い残しというほどの遺産はあてがわれていたに違い

(ない。しかししんぞくかいぎではようこをてにおえないおんなだとして、よそによめいって)

ない。しかし親族会議では葉子を手におえない女だとして、他所に嫁入って

(いくのをいいことに、いさんのことにはいっさいかんけいさせないそうだんをしたくらいは)

行くのをいい事に、遺産の事にはいっさい関係させない相談をしたくらいは

(ようこはとうにかんづいていた。じぶんのざいさんとなればなるべきものをいちぶぶんだけ)

葉子はとうに感づいていた。自分の財産となればなるべきものを一部分だけ

(あてがわれて、だまってひっこんでいるようこではなかった。それかといって)

あてがわれて、黙って引っ込んでいる葉子ではなかった。それかといって

(ちょうじょではあるが、おんなのみとしてぜんざいさんにたいするようきゅうをすることのむえきなのも)

長女ではあるが、女の身として全財産に対する要求をする事の無益なのも

(しっていた。で「いぬにやるつもりでいよう」とほぞをかためてかかったのだった。)

知っていた。で「犬にやるつもりでいよう」と臍を堅めてかかったのだった。

(いま、あとにのこったものはなにがある。きりまわしよくみかけをはでにしている)

今、あとに残ったものは何がある。切り回しよく見かけを派手にしている

(わりあいに、ふそくがちなさんにんのしまいのいるいしょどうぐがすこしばかりあるだけだ。それを)

割合に、不足がちな三人の姉妹の衣類諸道具が少しばかりあるだけだ。それを

(おばはようしゃもなくそこまできりこんできているのだ。はくしのようなはかない)

叔母は容赦もなくそこまで切り込んで来ているのだ。白紙のようなはかない

(さびしさと、「はだかになるならきれいさっぱりはだかになってみせよう」というひの)

寂しさと、「裸になるならきれいさっぱり裸になって見せよう」という火の

(ようなはんこうしんとが、むちゃくちゃにようこのむねをひやしたりやいたりした。ようこは)

ような反抗心とが、むちゃくちゃに葉子の胸を冷やしたり焼いたりした。葉子は

(こんなこころもちになって、さきほどのてがみのつつみをかかえてたちあがりながら、)

こんな心持ちになって、先ほどの手紙の包みをかかえて立ち上がりながら、

など

(うつむいててざわりのいいきぬものをなでまわしているおばをみおろした。)

うつむいて手ざわりのいい絹物をなで回している叔母を見おろした。

(「それじゃわたしまだほかにようがありますししますからじょうをおろさずに)

「それじゃわたしまだほかに用がありますししますから錠をおろさずに

(おきますよ。ごゆっくりごらんなさいまし。そこにかためてあるのはわたしが)

おきますよ。ごゆっくり御覧なさいまし。そこにかためてあるのはわたしが

(もっていくんですし、ここにあるのはあいとさだにやるのですからべつになすって)

持って行くんですし、ここにあるのは愛と貞にやるのですから別になすって

(おいてください」といいすてて、ずんずんへやをでた。おうらいにはすなほこりがたつ)

おいてください」といい捨てて、ずんずん部屋を出た。往来には砂ほこりが立つ

(らしくかぜがふきはじめていた。にかいにあがってみると、ちちのしょさいであったじゅうろくじょうの)

らしく風が吹き始めていた。二階に上がって見ると、父の書斎であった十六畳の

(となりのろくじょうに、あいことさだよとがだきあってねむっていた。ようこはじぶんのねどこをてばやく)

隣の六畳に、愛子と貞世とが抱き合って眠っていた。葉子は自分の寝床を手早く

(たたみながらあいこをよびおこした。あいこはおどろいたようにおおきなうつくしいめをひらくと)

たたみながら愛子を呼び起こした。愛子は驚いたように大きな美しい目を開くと

(はんぶんむちゅうでとびおきた。ようこはいきなりげんじゅうなちょうしで、「あなたはあすから)

半分夢中で飛び起きた。葉子はいきなり厳重な調子で、「あなたはあすから

(わたしのかわりをしないじゃならないんですよ。あさねぼうなんぞしていてどう)

わたしの代わりをしないじゃならないんですよ。朝寝坊なんぞしていてどう

(するの。あなたがぐずぐずしているとさだちゃんがかわいそうですよ。はやく)

するの。あなたがぐずぐずしていると貞ちゃんがかわいそうですよ。早く

(みじまいをしてしたのおそうじでもなさいまし」とにらみつけた。あいこはひつじのように)

身じまいをして下のお掃除でもなさいまし」とにらみつけた。愛子は羊のように

(にゅうわなめをまばゆそうにして、あねをぬすみみながら、きものをきかえてしたにおりて)

柔和な目をまばゆそうにして、姉をぬすみ見ながら、着物を着かえて下に降りて

(いった。ようこはなんとなくしょうのあわないこのいもうとが、はしごだんをおりきったのをきき)

行った。葉子はなんとなく性の合わないこの妹が、階子段を降りきったのを聞き

(すまして、そっとさだよのほうにちかづいた。おもざしのようこによくにたじゅうさんの)

すまして、そっと貞世のほうに近づいた。面ざしの葉子によく似た十三の

(しょうじょは、あせじみたかおにはさげがみがねばりついて、ほおはねつでもあるようにじょうきして)

少女は、汗じみた顔には下げ髪がねばり付いて、頬は熱でもあるように上気して

(いる。それをみるとようこはこつにくのいとしさにおもわずほほえませられて、その)

いる。それを見ると葉子は骨肉のいとしさに思わずほほえませられて、その

(ねどこにいざりよって、そのどうじょをはがいにかるくだきすくめた。そしてしみじみと)

寝床にいざり寄って、その童女を羽がいに軽く抱きすくめた。そしてしみじみと

(そのねがおにながめいった。さだよのかるいこきゅうはかるくようこのむねにつたわってきた。)

その寝顔にながめ入った。貞世の軽い呼吸は軽く葉子の胸に伝わって来た。

(そのこきゅうがひとつつたわるたびに、ようこのこころはみょうにめいっていった。おなじはらをかりて)

その呼吸が一つ伝わるたびに、葉子の心は妙にめいって行った。同じ胎を借りて

(このよにうまれでたふたりのむねには、ひたときょうめいするふしぎなひびきがひそんでいた。)

この世に生まれ出た二人の胸には、ひたと共鳴する不思議な響きが潜んでいた。

(ようこはすいとられるようにそのひびきにこころをあつめていたが、はてはさびしい、ただ)

葉子は吸い取られるようにその響きに心を集めていたが、果ては寂しい、ただ

(さびしいなみだがほろほろととめどなくながれでるのだった。)

寂しい涙がほろほろととめどなく流れ出るのだった。

(いっかのりさんをしらぬかおで、おんなのみそらをただひとりべいこくのはてまでさすらって)

一家の離散を知らぬ顔で、女の身そらをただひとり米国の果てまでさすらって

(いくのをようこはかくべつなんともおもっていなかった。ふりわけがみのじぶんから、)

行くのを葉子は格別なんとも思っていなかった。振り分け髪の時分から、

(あくまでいじのつよいめはしのきくせいしつをおもうままにぞうちょうさして、ぐんぐんと)

飽くまで意地の強い目はしのきく性質を思うままに増長さして、ぐんぐんと

(よのなかをわきめもふらずおしとおしてにじゅうごになったいま、こんなときにふとかこを)

世の中をわき目もふらず押し通して二十五になった今、こんな時にふと過去を

(ふりかえってみると、いつのまにかあたりまえのおんなのせいかつをすりぬけて、たった)

振り返って見ると、いつのまにかあたりまえの女の生活をすりぬけて、たった

(ひとりみもしらぬのずえにたっているようなおもいをせずにはいられなかった。)

一人見も知らぬ野ずえに立っているような思いをせずにはいられなかった。

(じょがっこうやおんがくがっこうで、ようこのつよいこせいにひきつけられて、りそうのひとででもある)

女学校や音楽学校で、葉子の強い個性に引きつけられて、理想の人ででもある

(ようにちかよってきたしょうじょたちは、ようこにおどおどしいどうせいのこいをささげながら、)

ように近寄ってきた少女たちは、葉子におどおどしい同性の恋をささげながら、

(ようこにinspireされて、われしらずだいたんなほんぽうなふるまいをするように)

葉子にinspireされて、われ知らず大胆な奔放な振る舞いをするように

(なった。そのころ「こくみんぶんがく」や「ぶんがくかい」にはたあげをして、あたらしいしそううんどうを)

なった。そのころ「国民文学」や「文学界」に旗挙げをして、新しい思想運動を

(おこそうとしたけっきなろまんてぃっくなせいねんたちに、うたのこころをさずけたおんなのおおくは、)

興そうとした血気なロマンティックな青年たちに、歌の心を授けた女の多くは、

(おおかたようこからけつみゃくをひいたしょうじょらであった。りんりがくしゃや、きょういくかや、かていの)

おおかた葉子から血脈を引いた少女らであった。倫理学者や、教育家や、家庭の

(しゅけんしゃなどもそのころからさいぎのめをみはってしょうじょこくをかんししだした。ようこの)

主権者などもそのころから猜疑の目を見張って少女国を監視しだした。葉子の

(たかんなこころは、じぶんでもしらないかくめいてきともいうべきしょうどうのためにあてもなく)

多感な心は、自分でも知らない革命的ともいうべき衝動のためにあてもなく

(ゆらぎはじめた。ようこはたにんをわらいながら、そしてじぶんをさげすみながら、まっくらな)

揺ぎ始めた。葉子は他人を笑いながら、そして自分をさげすみながら、まっ暗な

(おおきなちからにひきずられて、ふしぎなみちにじかくなくまよいはいって、しまいには)

大きな力に引きずられて、不思議な道に自覚なく迷い入って、しまいには

(まっしぐらにはしりだした。だれもようこのいくみちのしるべをするひともなく、ほかの)

まっしぐらに走り出した。誰も葉子の行く道のしるべをする人もなく、他の

(ただしいみちをおしえてくれるひともなかった。たまたまおおきなこえでよびとめるひとがある)

正しい道を教えてくれる人もなかった。たまたま大きな声で呼び留める人がある

(かとおもえば、うらおもてのみえすいたぺてんにかけて、むかしのままのおんなであらせようと)

かと思えば、裏表の見えすいたぺてんにかけて、昔のままの女であらせようと

(するものばかりだった。ようこはそのころからどこかがいこくにうまれていれば)

するものばかりだった。葉子はそのころからどこか外国に生まれていれば

(よかったとおもうようになった。あのじゆうらしくみえるおんなのせいかつ、おとことたちならんで)

よかったと思うようになった。あの自由らしく見える女の生活、男と立ち並んで

(じぶんをたてていくことのできるおんなのせいかつ・・・ふるいりょうしんがじぶんのこころをさいなむ)

自分を立てて行く事のできる女の生活・・・古い良心が自分の心をさいなむ

(たびに、ようこはがいこくじんのりょうしんというものをみたくおもった。ようこはこころのおくそこで)

たびに、葉子は外国人の良心というものを見たく思った。葉子は心の奥底で

(ひそかにげいしゃをうらやみもした。にほんでおんながおんならしくいきているのはげいしゃだけ)

ひそかに芸者をうらやみもした。日本で女が女らしく生きているのは芸者だけ

(ではないかとさえおもった。こんなこころもちでとしをとっていくあいだにようこはもちろん)

ではないかとさえ思った。こんな心持ちで年を取って行く間に葉子はもちろん

(なんどもつまずいてころんだ。そしてひとりでひざのちりをはらわなければならな)

なんどもつまずいてころんだ。そしてひとりで膝の塵を払わなければならな

(かった。こんなせいかつをつづけてにじゅうごになったいま、ふといままであるいてきたみちを)

かった。こんな生活を続けて二十五になった今、ふと今まで歩いて来た道を

(ふりかえってみると、いっしょにようことはしっていたしょうじょたちは、とうのむかしにじんじょうな)

振り返って見ると、いっしょに葉子と走っていた少女たちは、とうの昔に尋常な

(おんなになりすましていて、ちいさくみえるほどとおくのほうから、あわれむような)

女になり済ましていて、小さく見えるほど遠くのほうから、あわれむような

(さげすむようなかおつきをして、ようこのすがたをながめていた。ようこはもときたみちに)

さげすむような顔つきをして、葉子の姿をながめていた。葉子はもと来た道に

(ひきかえすことはもうできなかった。できたところでひきかえそうとするきはみじんも)

引き返す事はもうできなかった。できたところで引き返そうとする気はみじんも

(なかった。「かってにするがいい」そうおもってようこはまたわけもなくふしぎなくらい)

なかった。「勝手にするがいい」そう思って葉子はまたわけもなく不思議な暗い

(ちからにひっぱられた。こういうはめになったいま、べいこくにいようがにほんにいようが)

力に引っぱられた。こういうはめになった今、米国にいようが日本にいようが

(すこしばかりのざいさんがあろうがなかろうが、そんなことはささいなはなしだった。きょうぐうでも)

少しばかりの財産があろうが無かろうが、そんな事は些細な話だった。境遇でも

(かわったらなにかおこるかもしれない。もとのままかもしれない。かってになれ。)

変わったら何か起こるかもしれない。元のままかもしれない。勝手になれ。

(ようこをこころのそこからうごかしそうなものはひとつもみぢかにはみあたらなかった。)

葉子を心の底から動かしそうなものは一つも身近には見当たらなかった。

(しかしひとつあった。ようこのなみだはただわけもなくほろほろとながれた。さだよはなにごとも)

しかし一つあった。葉子の涙はただわけもなくほろほろと流れた。貞世は何事も

(しらずにつみなくねむりつづけていた。おなじはらをかりてこのよにうまれでたふたりの)

知らずに罪なく眠りつづけていた。同じ胎を借りてこの世に生まれ出た二人の

(むねには、ひたときょうめいするふしぎなひびきがひそんでいた。ようこはすいとられるように)

胸には、ひたと共鳴する不思議な響きが潜んでいた。葉子は吸い取られるように

(そのひびきにこころをあつめていたが、このこもやがてはじぶんがとおってきたようなみちを)

その響きに心を集めていたが、この子もやがては自分が通って来たような道を

(あるくのかとおもうと、じぶんをあわれむともいもうとをあわれむともしれないせつないこころに)

歩くのかと思うと、自分をあわれむとも妹をあわれむとも知れない切ない心に

(さきだたれて、おもわずぎゅっとさだよをだきしめながらものをいおうとした。)

先だたれて、思わずぎゅっと貞世を抱きしめながら物をいおうとした。

(しかしなにをいいえようぞ。のどもふさがってしまっていた。さだよはだきしめられた)

しかし何をいい得ようぞ。喉もふさがってしまっていた。貞世は抱きしめられた

(のではじめておおきくめをひらいた。そしてしばらくのあいだ、なみだにぬれたあねのかおを)

ので始めて大きく目を開いた。そしてしばらくの間、涙にぬれた姉の顔を

(まじまじとながめていたが、やがてだまったままちいさいそででそのなみだをぬぐい)

まじまじとながめていたが、やがて黙ったまま小さい袖でその涙をぬぐい

(はじめた。ようこのなみだはあたらしくわきかえった。さだよはいたましそうにあねのなみだをぬぐい)

始めた。葉子の涙は新しくわき返った。貞世は痛ましそうに姉の涙をぬぐい

(つづけた。そしてしまいにはそのそでをじぶんのかおにおしあててなにかいいいい)

つづけた。そしてしまいにはその袖を自分の顔に押しあてて何か言い言い

(しゃくりあげながらなきだしてしまった。)

しゃくり上げながら泣き出してしまった。

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