夢野久作 瓶詰地獄②
関連タイピング
-
プレイ回数9.9万歌詞200打
-
プレイ回数125万歌詞かな1119打
-
プレイ回数24万長文786打
-
プレイ回数73万長文300秒
-
プレイ回数91歌詞かな240秒
-
プレイ回数392歌詞764打
-
プレイ回数4.6万長文かな316打
-
プレイ回数5.6万長文1159打
問題文
(だいにのびんのないよう)
◇第二の瓶の内容
(ああ。かくれたるにみたまうかみさまよ。)
ああ。隠微(かくれ)たるに鑒(み)たまう神様よ。
(このくるしみからすくわるるみちは、わたしがしぬよりほかに、)
この困難(くるしみ)から救わるる道は、私が死ぬよりほかに、
(どうしてもないのでございましょうか。)
どうしても無いので御座いましょうか。
(わたしたちが、かみさまのあしだいとよんでいる、あのたかいがけのうえにわたしがたった)
私たちが、神様の足凳(あしだい)と呼んでいる、あの高い崖の上に私がたった
(ひとりでのぼって、いつもに、さんびきのふかがあそびおよいでいる、あのそこなしの)
一人で登って、いつも二、三匹のフカが遊び泳いでいる、あの底なしの
(ふちのなかを、のぞいてみたことは、いままでになんどあったかわかりませぬ。そこから)
淵の中を、のぞいてみた事は、今までに何度あったかわかりませぬ。そこから
(いまにもみをなげようとおもったことも、いくたびであったかしれませぬ。けれども、)
今にも身を投げようと思ったことも、いく度であったか知れませぬ。けれども、
(そのたんびに、あのあわれなあやこのことをおもいだしては、)
そのたんびに、あの憐憫(あわれ)なアヤ子の事を思い出しては、
(たましいをほろぼすふかいためいきをしいしい、)
霊魂(たましい)を滅亡(ほろぼ)す深いため息をしいしい、
(いわのかどをおりてくるのでした。わたしがしにましたならば、あとから、)
岩の圭角(かど)を降りて来るのでした。私が死にましたならば、あとから、
(きっと、あやこもみをなげるであろうことが、わかりきっているからでした。)
きっと、アヤ子も身を投げるであろうことが、わかり切っているからでした。
(わたしと、あやこのふたりが、あのぼーとのうえで、つきそいのばあやふさいや、)
私と、アヤ子の二人が、あのボートの上で、附添いの乳母(ばあや)夫妻や、
(せんちょーさんや、うんてんしゅさんたちを、なみにさらわれたまま、)
センチョーサンや、ウンテンシュさん達を、波に浚(さら)われたまま、
(このちいさなはなれじまにながれついてから、もうなんねんになりましょうか。)
この小さな離れ島に漂(なが)れついてから、もう何年になりましょうか。
(このしまはねんじゅうなつのようで、くりすますもおしょうがつも、よくわかりませぬが、)
この島は年中夏のようで、クリスマスもお正月も、よくわかりませぬが、
(もうじゅうねんぐらいたっているようにおもいます。)
もう十年ぐらい経っているように思います。
(そのときに、わたしたちがもっていたものは、いっぽんのえんぴつと、ないふと、いっさつの)
その時に、私たちが持っていたものは、一本のエンピツと、ナイフと、一冊の
(のーとぶっくと、いっこのむしめがねと、みずをいれたさんぼんのびーるびんと、ちいさな)
ノートブックと、一個のムシメガネと、水を入れた三本のビール瓶と、小さな
(ばいぶるがいっさつと・・・それだけでした。)
新約聖書(バイブル)が一冊と・・・それだけでした。
(けれども、わたしたちはしあわせでした。)
けれども、私たちは幸福(しあわせ)でした。
(このちいさな、みどりいろにしげりさかえたしまのなかには、まれにいるおおきなありの)
この小さな、緑色に繫茂(しげ)り栄えた島の中には、稀に居る大きな蟻の
(ほかに、わたしたちをなやますとり、けもの、はうものはいっぴきも)
ほかに、私たちを憂患(なやま)す禽(とり)、獣、昆虫(はうもの)は一匹も
(いませんでした。そうして、そのとき、じゅういっさいであったわたしと、ななつになった)
居ませんでした。そうして、その時、十一歳であった私と、七ツになった
(ばかりのあやことふたりのために、あまるほどのゆたかなしょくもつが、)
ばかりのアヤ子と二人のために、余るほどの豊饒(ゆたか)な食物が、
(みちみちておりました。きゅうかんちょうだのおうむだの、えでしかみたことの)
みちみちておりました。キュウカンチョウだの鸚鵡だの、絵でしか見たことの
(ないごくらくちょうだの、みたこともきいたこともないはなやかなちょうだのが)
ないゴクラク鳥だの、見たことも聞いたこともない華麗(はなやか)な蝶だのが
(おりました。おいしいやしのみだの、ぱいなぷるだの、ばななだの、あかとむらさきの)
居りました。おいしいヤシの実だの、パイナプルだの、バナナだの、赤と紫の
(おおきなはなだの、かおりのいいくさだの、または、おおきい、ちいさいとりの)
大きな花だの、香気(かおり)のいい草だの、又は、大きい、小さい鳥の
(たまごだのが、いちねんじゅう、どこかにありました。とりやさかななぞは、ぼうきれでたたくと、)
卵だのが、一年中、どこかにありました。鳥や魚なぞは、棒切れでたたくと、
(なにほどでもとれました。)
何ほどでも取れました。
(わたしたちは、そんなものをあつめてくると、むしめがねで、てんぴをかれくさにとって、)
私たちは、そんなものを集めて来ると、ムシメガネで、天日を枯れ草に取って、
(ながれきにもやしつけて、やいてたべました。)
流れ木に燃やしつけて、焼いて喰べました。
(そのうちにしまのひがしにあるみさきといわのあいだから、きれいないずみがしおのひいたときだけわいて)
そのうちに島の東に在る岬と磐の間から、キレイな泉が潮の引いた時だけ湧いて
(いるのをみつけましたから、そのちかくのすなはまのいわのあいだに、こわれたぼーとで)
いるのを見附けましたから、その近くの砂浜の岩の間に、壊れたボートで
(こやをつくって、やわらかいかれくさをあつめて、あやことふたりでねられる)
小舎(こや)を作って、柔らかい枯れ草を集めて、アヤ子と二人で寝られる
(ようにしました。それからこやのすぐよこのいわのよこばらを、ぼーとのふるくぎでしかくに)
ようにしました。それから小舎のすぐ横の岩の横腹を、ボートの古釘で四角に
(ほって、ちいさなくらみたようなものをつくりました。しまいには、)
掘って、小さな倉庫(くら)みたようなものを作りました。しまいには、
(うわぎもしたぎも、あめや、かぜや、いわかどにやぶられてしまって、)
外衣(うわぎ)も裏衣(したぎ)も、雨や、風や、岩角に破られてしまって、
(ふたりともほんとのやばんじんのようにはだかになってしまいましたが、)
二人ともホントのヤバン人のように裸体(はだか)になってしまいましたが、
(それでもあさとばんには、きっとふたりで、あのかみさまのあしだいのがけにのぼって)
それでも朝と晩には、キット二人で、あの神様の足凳(あしだい)の崖に登って
(ばいぶるをよんで、おとうさまやおかあさまのためにおいのりをしました。)
聖書(バイブル)を読んで、お父様やお母様のためにお祈りをしました。
(わたしたちは、それから、おとうさまとおかあさまにおてがみをかいてたいせつなびーるびんのなかの)
私たちは、それから、お父様とお母様にお手紙を書いて大切なビール瓶の中の
(いっぽんにいれて、しっかりとやにでふうじて、ふたりでなんべんもなんべんも)
一本に入れて、シッカリと樹脂(やに)で封じて、二人で何遍も何遍も
(くちづけをしてからうみのなかになげこみました。そのびーるびんはこのしまの)
接吻(くちづけ)をしてから海の中に投げ込みました。そのビール瓶はこの島の
(まわりをめぐる、うしおのながれにつれられて、ずんずんと)
まわりを環(めぐ)る、潮(うしお)の流れに連れられて、ズンズンと
(わだなかとおくでていって、にどとこのしまにかえってきませんでした。)
海中(わだなか)遠く出て行って、二度とこの島に帰って来ませんでした。
(わたしたちはそれから、だれかがたすけにきてくださるめじるしになるように、)
私たちはそれから、誰かが助けに来て下さる目標(めじるし)になるように、
(かみさまのあしだいのいちばんたかいところへ、ながいぼうきれをたてて、)
神様の足凳(あしだい)の一番高い処へ、長い棒切れを樹(た)てて、
(いつもなにかしら、あおいこのはをつるしておくようにしました。)
いつも何かしら、青い木の葉を吊しておくようにしました。
(わたしたちはときどきいさかいをしました。けれどもすぐに)
私たちは時々争論(いさかい)をしました。けれどもすぐに
(なかなおりをして、がっこうごっこやなにかをするのでした。)
和平(なかなおり)をして、学校ゴッコや何かをするのでした。
(わたしはよくあやこをせいとにして、せいしょのことばや、じのかきかたをおしえてやりました。)
私はよくアヤ子を生徒にして、聖書の言葉や、字の書き方を教えてやりました。
(そうしてふたりとも、せいしょを、かみさまとも、おとうさまとも、おかあさまとも、せんせいとも)
そうして二人とも、聖書を、神様とも、お父様とも、お母様とも、先生とも
(おもって、むしめがねや、びーるびんよりもずっとたいせつにして、いわのあなのいちばんたかい)
思って、ムシメガネや、ビール瓶よりもズット大切にして、岩の穴の一番高い
(たなのうえにあげておきました。わたしたちは、ほんとにしあわせで、)
棚の上に上げておきました。私たちは、ホントに幸福(しあわせ)で、
(やすらかでした。このしまはてんごくのようでした。)
平安(やすらか)でした。この島は天国のようでした。