海野十三 蠅男③

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※➀に同じくです。


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問題文

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(ほむらはそのあしで、すぐさまきじんかんのまえにいった。)

帆村はその足で、すぐさま奇人館の前に行った。

(なるほど、それはじつにきみょうなたてものだった。よくびょういんのひょうほんしつにはいると、おおきな)

なるほど、それは実に奇妙な建物だった。よく病院の標本室に入ると、大きな

(さとうびんのようながらすきのなかに、あるこーるづけになって、しんぞうやはいぞうや、)

砂糖壜のような硝子器の中に、アルコール漬けになって、心臓や肺臓や、

(ときとするとしきゅうなどというぞうきが、すっかりしきさいというものをうしなって)

ときとすると子宮などという臓器が、すっかり色彩というものを失って

(しまって、どれをみてもただはいいろのかたまりでしかないというのがみられる。)

しまって、どれを見てもただ灰色の塊でしかないというのが見られる。

(このきじんかんはどこかそのあるこーるづけのぞうきににていた。)

この奇人館はどこかそのアルコール漬けの臓器に似ていた。

(はいいろのぶあついこんくりーとのへい、そのすぐうしろにせまって、ふくれあがったようなへきていで)

灰色の分厚いコンクリートの塀、そのすぐ後に迫って、膨れ上ったような壁体で

(ぐるりとかこんだはこのようなたてもの。ーーそれらはいくじゅうねんのさむさあつさにあって、)

グルリと囲んだ函のような建物。ーーそれらは幾十年の寒さ暑さに遭って、

(へきていのうえにはいなずまのようなひびがななめにながくはしり、あめにさんざんに)

壁体の上には稲妻のような罅(ひび)が斜めにながく走り、雨にさんざんに

(うたれては、いちめんにせかいちずのようなしみがべったりとつき、)

うたれては、一面に世界地図のような 汚斑(しみ)がべったりとつき、

(みるからにぞっとするようないんさんなていたくだった。)

見るからにゾッとするような陰惨な邸宅だった。

(それでもおうらいにめんしたところには、あかくさびてはいるがてっさくづくりのもんがあり、)

それでも往来に面したところには、赤く錆びてはいるが鉄柵づくりの門があり、

(それをとおしていしだんのうえに、おもいてつのとびらのはまったげんかんがみえていた。)

それをとおして石段の上に、重い鉄の扉のはまった玄関が見えていた。

(おおあすこになにかはりふだがしてある!)

「おおあすこに何か貼り札がしてある!」

(そのげんかんのとびらのはんどるに、ななめになってもじをかいたあつがみがかかっているのを)

その玄関の扉のハンドルに、斜めになって文字を書いた厚紙が懸っているのを

(ほむらはみた。なんとかいてあるのだろう。かれはこうせんのとおらないところにある)

帆村は見た。何と書いてあるのだろう。彼は光線のとおらないところにある

(けいじを、くしんしてよみとった。)

掲示を、苦心して読み取った。

(ーーとうぶんりょこうにつきほうもんをしゃぜつす。じゅういちがつさんじゅうにち、かもしたーー)

ーー当分旅行ニツキ訪問ヲ謝絶ス。十一月三十日、鴨下(かもした)ーー

(うん、かもしたーーというか。ここのしゅじんこうのなまえだな。そのしゅじんこうはりょこうに)

「ウン、鴨下ーーというか。ここの主人公の名前だな。その主人公は旅行に

(でかけたというけいじだ。なあんだ。なかはるすじゃないか)

出かけたという掲示だ。なアんだ。中は留守じゃないか」

など

(ほむらはちょっとがっかりした。だが、よくかんがえてみると、るすはるすでもそれは)

帆村はちょっとガッカリした。だが、よく考えてみると、留守は留守でもそれは

(じゅういちがつさんじゅうにちにでていったのだから、おとといのできごとだった。それだのに、ゆうべ)

十一月三十日に出て行ったのだから、一昨日の出来事だった。それだのに、昨夜

(からずっとこのほう、えんとつからけむりがでているというのはいったいどうしたことだろう?)

からずっとこの方、煙突から煙が出ているというのは一体どうしたことだろう?

(かもしたどくとるが、すとーぶのひをもやしつけていったのかしら。しかしそれなら)

「鴨下ドクトルが、ストーブの火を燃しつけていったのかしら。しかしそれなら

(おとといのよるもきのうのあさもひるまも、べつにけむりがでなかったのはどうしたわけだろう)

一昨日の夜も昨日の朝も昼間も、別に煙が出なかったのはどうしたわけだろう」

(とにかくむじんであるべきいえのえんとつから、もくもくとけむりがあがるというのは)

とにかく無人であるべき家の煙突から、モクモクと煙が上るというのは

(どうかんがえてもがてんがゆかないことだ。どうしても、なかにだれかいて、すとーぶに)

どう考えても合点がゆかないことだ。どうしても、中に誰か居て、ストーブに

(ひをつけたのでなければはなしがあわない。もしひとがいるとしたら、だれがいるの)

火を点けたのでなければ話が合わない。もし人が居るとしたら、誰が居るの

(だろう。かもしたどくとるがでていったあとに、いったいだれがのこっているというのだろう?)

だろう。鴨下ドクトルが出ていった後に、一体誰が残っているというのだろう?

(きじんかんのかいじを、なんととこうか。)

奇人館の怪事を、何と解こうか。

(ほむらがもんぜんにうでぐみをしてかんがえこんでいるときだった。ちょうどそこへ、まちのいへんを)

帆村が門前に腕組みをして考えこんでいるときだった。丁度そこへ、街の異変を

(ききこんだしょかつけいさつしょのけいかんたちがじてんしゃにのってかけつけてきた。)

聞きこんだ所轄警察署の警官たちが自転車にのって駈けつけてきた。

(さあ、はやいとこ、おまえはべるをおせ。なにべるがない。さがせさがせ。)

「さあ、早いとこ、お前はベルを押せ。なにベルがない。探せ探せ。

(どこかにあるはずやとしきのじゅんさぶちょうがおおわらわのごうれいぶりをみせた。)

どこかにある筈や」と指揮の巡査部長が大童の号令ぶりをみせた。

(ーーそれからべつに、おまえとおまえとで、このてつのもんをこえて、げんかんのとをたたいて)

「ーーそれから別に、お前とお前とで、この鉄の門を越えて、玄関の戸を叩いて

(みいこえのもとに、にめいのけいかんがいさましくてつのもんにいなごのようにとびついた。)

みい」声の下に、二名の警官が勇ましく鉄の門にいなごのように飛びついた。

(さあ、おまえらさんめい、うらぐちへまわれ、ひとりはれんらくやぜ)

「さあ、お前ら三名、裏口へ廻れ、一人は連絡やぜ」

(ぶかをしほうへちらばせると、じゅんさぶちょうはぼうしのあごひもをゆるめて、あごにかけた。)

部下を四方へ散らばせると、巡査部長は帽子の頤紐をゆるめて、頤に掛けた。

(そしてはなをくんくんならして、うわーっ、こらどうもならんくささや。)

そして鼻をクンクン鳴らして、「うわーッ、こらどうもならん臭さや。

(なにをしよったんやろ、きじんどくとるは・・・)

なにをしよったんやろ、奇人ドクトルは・・・」

(そのときほむらはよこあいからこえをかけた。)

その時帆村は横合いから声をかけた。

(おおこれはほむらはんだすな。まだおとまりでしたか。えらいところを)

「おおこれは帆村はんだすな。まだお泊りでしたか。えらいところを

(ごらんにいれますわ、はっはっはっ)

ごらんに入れますわ、ハッハッハッ」

(けんじのむらまつしにあんないされていったとき、しりあいになったすみよししょの)

検事の村松氏に案内されていったとき、知合いになった住吉署の

(おおかわじゅんさぶちょうであった。ほむらはじゃまにならぬように、そばについていた。)

大川巡査部長であった。帆村は邪魔にならぬように、傍についていた。

(うらぐちにまわったぶかのひとりがかえってきて、にかいのにしがわのよろいまどにかぎのかかっていない)

裏口に廻った部下の一人が帰ってきて、二階の西側の鎧窓に鍵のかかっていない

(ところがあって、そこからなかへはいれるとほうこくをした。おおかわはよろこんで、)

ところがあって、そこから中へ這入れると報告をした。大川は悦んで、

(よし、そこからはいれ、さんにんそとにのこして、のこりみなではいるんや。)

「よし、そこから這入れ、三人外に残して、残り皆で這入るんや。

(おれもはいったる)

俺も這入ったる」

(じゅんさぶちょうは、はいけんをひだりてでにぎって、うらぐちにとびこんでいった。)

巡査部長は、佩剣(はいけん)を左手で握って、裏口に飛びこんでいった。

(ほむらもそのままいっこうのあとにつづいていった。)

帆村もそのまま一行の後に続いていった。

(といをつたわって、やねにのぼり、ぐるりとかべづたいにまわってゆくと、)

樋を伝わって、屋根にのぼり、グルリと壁づたいに廻ってゆくと、

(なるほどよんしゃくほどうえによろいどのはいったまどがぽっかりあいていて、そこから)

なるほど四尺ほど上に鎧戸の入った窓がポッカリ明いていて、そこから

(ひとりのけいかんがひょいとかおをだした。)

一人の警官がヒョイと顔を出した。

(なかは、ひっそりかんとしてまっせ)

「中は、ひっそり閑としてまっせ」

(そうか。ーーゆだんはでけへんぞ。かーてんのかげかどこかにかくれていて、)

「そうか。ーー油断はでけへんぞ。カーテンの蔭かどこかに隠れていて、

(ばあというつもりかもしれへん。さあみんなはいった。さしあたりえんとつにつづいている)

ばアというつもりかもしれへん。さあ皆入った。さしあたり煙突に続いている

(だいどころとかすとーぶとかいうけんとうをたしかめてみい)

台所とかストーブとかいう見当を確かめてみい」

(ゆうかんなるじゅんさぶちょうは、せんとうにたって、くさりかかったよろいどをおして、)

勇敢なる巡査部長は、先頭に立って、腐りかかった鎧戸を押して、

(うすぐらいないぶにとびおりた。いっこうは、さいしょのけいかんをまどのところにはりばんに)

薄暗い内部にとび下りた。一行は、最初の警官を窓のところに張り番に

(のこして、そろそろとぜんしんをかいしした。)

残して、ソロソロと前進を開始した。

(ほむらもたんぜんのはしをたかだかとはしょって、うでまくりをし、いっこうのあとからついていった。)

帆村も丹前の端を高々と端折って、腕まくりをし、一行の後からついていった。

(たいへんまがりくねってかいだんやろうかがつづいていた。そとからみるようなかんたんな)

たいへん曲がりくねって階段や廊下がつづいていた。外から見るような簡単な

(こうぞうではない。だいしょういくつかのへやがあるが、ことごとくようまに)

構造ではない。大小いくつかの部屋があるが、悉(ことごと)く洋間に

(なっていて、にほんまらしいものはみあたらなかった。)

なっていて、日本間らしいものは見当たらなかった。

(いえのなかにはいると、ふしぎとあのへんなしゅうきはうすれた。そしてそれにかわって、)

家の中に入ると、不思議とあの変な臭気は薄れた。そしてそれに代わって、

(ひどくはなをつくのがしょうどくざいのくれぞーるせっけんえきのほうこうだった。)

ひどく鼻をつくのが消毒剤のクレゾール石鹸液の芳香だった。

(ここびょういんのふるてとちがうか)

「ここ病院の古手(ふるて)と違うか」

(あほぬかせ。ここのたいしょうが、なんでもようこうをながくしていたいしゃやいうはなしや)

「あほぬかせ。ここの大将が、なんでも洋行を永くしていた医者や云う話や」

(ああそうかそうか。それでかもしたどくとるちゅうのやな。こんなところに)

「ああそうかそうか。それで鴨下ドクトルちゅうのやな。こんなところに

(しんさつしつをつくっておいて、だれをみるのやろ)

診察室を作っておいて、誰を診るのやろ」

(こら、ちとしずかにせんか)

「コラ、ちと静かにせんか」

(じゅんさぶちょうのいっかつで、わかいけいかんたちはぐっとくちびるをつぐんだ。)

巡査部長の一喝で、若い警官たちはグッと唇を噤んだ。

(いくらあしおとをしのばせてもぎしぎしなるだいかいだんを、したにおりてゆくと、おもいがけ)

いくら足音を忍ばせてもギシギシ鳴る大階段を、下に下りてゆくと、思いがけ

(なくおおきいひろまにでた。すいっちをぱちんとおして、でんとうをつけてみる。)

なく大きい広間に出た。スイッチをパチンと押して、電灯をつけてみる。

(ああーーこれはしゅじんのかもしたどくとるのじまんのかざりでもあろうか、)

「ああーー」これは主人の鴨下ドクトルの自慢の飾りでもあろうか、

(いっせいきほどまえのちゅうおうどいつのめいがによくみるようなじみな、それでいて)

一世紀ほど前の中欧ドイツの名画によく見るような地味な、それでいて

(どことなくかんのうてきなへやかざりだ。たかいかべのうえにはだれともしれぬがぷろしあじん)

どことなく官能的な部屋飾りだ。高い壁の上には誰とも知れぬがプロシア人

(らしいがくしゃふうのじんぶつががさんまいほどかかっている。よこのほうのかべには、)

らしい学者風の人物画が三枚ほど懸っている。横の方の壁には、

(これもどいつもじでぎっしりとせつめいのつけてあるじんたいかいぼうずと、)

これもドイツ文字でギッシリと説明のつけてある人体解剖図と、

(こっかくおよびきんにくずのだいけいずとがいっついをなしてだらりとさがっている。)

骨骼及び筋肉図の大掲図とが一対をなしてダラリと下っている。

(いろがあせたけれど、くろのふちをとったきいろいじゅうたんが、どーんとゆかのうえに)

色が褪せたけれど、黒のふちをとった黄色い絨毯が、ドーンと床の上に

(ひろがっていた。そしてしたんににたもくざいでつくってあるおおきな)

拡がっていた。そして紫檀(したん)に似た木材で作ってある大きな

(かくてーぶるが、そのちゅうおうにおいてある。そのうえには、もとはもえるようなみどりいろ)

角テーブルが、その中央に置いてある。その上には、もとは燃えるような緑色

(だったらしいてーぶるがけがのっており、そのうえにはなんのつもりか、)

だったらしいテーブル掛けが載って居り、その上には何のつもりか、

(ふるいらんぷがただひとつおかれてあった。)

古い洋燈(ランプ)がただ一つ置かれてあった。

(しつないには、このほかに、きみょうなかざりのあるたかいいすがみっつ、ふかぶかとしたあんらくいすが)

室内には、この外に、奇妙な飾りのある高い椅子が三つ、深々とした安楽椅子が

(よっつ、それからながいすがひとつ、いずれもかべぎわにきちんとならんでいた。)

四つ、それから長椅子が一つ、いずれも壁ぎわにキチンと並んでいた。

(もうひとつ、かきおとしてはならないものがあった。それはこのへやにはむしろ)

もう一つ、書き落としてはならないものがあった。それはこの部屋にはむしろ

(ふにあいなほどのおおすとーぶだった。まわりはくろとあいとのはんもんも)

不似合いなほどの大暖炉(おおストーブ)だった。まわりは黒と藍との斑紋も

(うつくしいだいりせきにかこわれており、おおきなまんとるぴーすのうえには、)

うつくしい大理石に囲われて居り、大きなマントルピースの上には、

(おきどけいそのほかのざっぴんがならんでいた。しかもそのかしょうには、おおきな)

置時計その他の雑品が並んでいた。しかもその火床(かしょう)には、大きな

(せきたんがほうりこまれており、めらめらとあかいほのおをあげて、いまやさかんに)

石炭が抛(ほう)りこまれて居り、メラメラと赤い焔をあげて、今や盛んに

(もえているところだった。)

燃えているところだった。

(これやあ。えろうもやしたもんや。むんむんするわい)

「これやア。えろう燃やしたもんや。ムンムンするわい」

(とじゅんさぶちょうはすとーぶのほうにちかづいた。)

と巡査部長はストーブの方に近づいた。

(ほほう、こらおかしい。そばへよると、みょうなかぎがしよるーー)

「ほほう、こらおかしい。傍へよると、 妙な臭(かぎ)がしよるーー」

(えっ。ーーいちどうは、おどろいてすとーぶのそばにかけよった。)

「えッ。ーー」一同は、愕いてストーブの傍に駆けよった。

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