フランツ・カフカ 変身⑲

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(さん)

(Ⅲ)

(ぐれごーるがひとつきいじょうもくるしんだこのじゅうしょうはーーれいのりんごは、だれもそれを)

グレゴールがひと月以上も苦しんだこの重傷はーー例のリンゴは、だれもそれを

(あえてとりのぞこうとしなかったので、めにみえるきねんとしてにくのなかに)

あえて取り除こうとしなかったので、眼に見える記念として肉のなかに

(のこされたままになったーーちちおやにさえ、ぐれごーるはそのげんざいのかなしむべき、)

残されたままになったーー父親にさえ、グレゴールはその現在の悲しむべき、

(またいとわしいすがたにもかかわらず、かぞくのいちいんであって、そんなかれを)

またいとわしい姿にもかかわらず、家族の一員であって、そんな彼を

(かたきのようにあつかうべきではなくかれにたいしてはけんおをじっとのみこんで)

敵(かたき)のように扱うべきではなく彼に対しては嫌悪をじっとのみこんで

(がまんすること、ただがまんすることだけがかぞくのぎむのめいじるところなのだ、)

我慢すること、ただ我慢することだけが家族の義務の命じるところなのだ、

(ということを、おもいおこさせたらしかった。)

ということを、思い起こさせたらしかった。

(ところで、たといいまぐれごーるがそのきずのためにからだをうごかすことが)

ところで、たとい今グレゴールがその傷のために身体を動かすことが

(おそらくえいきゅうにできなくなってしまって、いまのところはへやのなかをよこぎって)

おそらく永久にできなくなってしまって、今のところは部屋のなかを横ぎって

(はいあるくためにまるでとしおいたしょうびょうへいのようにとてもながいじかんがかかると)

はい歩くためにまるで年老いた傷病兵のようにとても長い時間がかかると

(いってもーーたかいところをはいまわるなどということはとてもかんがえることが)

いってもーー高いところをはい廻るなどということはとても考えることが

(できなかったーー、じぶんのじょうたいがこんなふうにあっかしたかわりに、)

できなかったーー、自分の状態がこんなふうに悪化したかわりに、

(かれのかんがえによればつぎのてんでじゅうぶんにつぐなわれるのだ。つまり、かれが)

彼の考えによればつぎの点で十分につぐなわれるのだ。つまり、彼が

(ついいち、にじかんまえにはいつでもじっとみまもっていたいまのどあがあけられ、)

つい一、二時間前にはいつでもじっと見守っていた居間のドアが開けられ、

(そのためにかれはじぶんのへやのくらがりのなかによこたわったまま、いまのほうからは)

そのために彼は自分の部屋の暗がりのなかに横たわったまま、居間のほうからは

(すがたがみえず、じぶんのほうからはあかりをつけたてーぶるのまわりにあつまっている)

姿が見えず、自分のほうからは明りをつけたテーブルのまわりに集まっている

(かぞくぜんいんをみたり、またいわばこうにんされてかれらのはなしをいぜんとはまったく)

家族全員を見たり、またいわば公認されて彼らの話を以前とはまったく

(ちがったふうにきいたりしてもよいということになったのだった。)

ちがったふうに聞いたりしてもよいということになったのだった。

(むろん、きこえてくるのはもはやいぜんのようなにぎやかなかいわではなかった。)

むろん、聞こえてくるのはもはや以前のようなにぎやかな会話ではなかった。

など

(ぐれごーるはいぜんはちいさなほてるのへやで、つかれきってしめっぽいしんぐのなかに)

グレゴールは以前は小さなホテルの部屋で、疲れきってしめっぽい寝具のなかに

(からだをなげなければならないときには、いつもいくらかのかつぼうをもって)

身体を投げなければならないときには、いつもいくらかの渇望をもって

(そうしたかいわのことをかんがえたものだった。ところがいまでは、たいていは)

そうした会話のことを考えたものだった。ところが今では、たいていは

(ひどくしずかにおこなわれるだけだ。ちちおやはゆうしょくのあとすぐにかれのあんらくいすのなかで)

ひどく静かに行われるだけだ。父親は夕食のあとすぐに彼の安楽椅子のなかで

(ねむりこんでしまう。ははおやといもうととはたがいにいましめあってしずかにしている。)

眠りこんでしまう。母親と妹とはたがいにいましめ合って静かにしている。

(ははおやはあかりのしたにずっとからだをのりだしてりゅうこうひんをあつかうようひんてんのための)

母親は明りの下にずっと身体をのり出して流行品を扱う洋品店のための

(しゃれたしたぎるいをぬっている。うりばじょてんいんのちいをえたいもうとは、ばんにはそっきと)

しゃれた下着類をぬっている。売場女店員の地位を得た妹は、晩には速記と

(ふらんすごとのべんきょうをしている。おそらくあとになったらもっといいちいに)

フランス語との勉強をしている。おそらくあとになったらもっといい地位に

(ありつくためなのだろう。ときどきちちおやがめをさます。そして、じぶんが)

ありつくためなのだろう。ときどき父親が目をさます。そして、自分が

(ねむっていたことをしらないかのように、「こんばんもずいぶんながいことさいほうを)

眠っていたことを知らないかのように、「今晩もずいぶん長いこと裁縫を

(しているね!」といって、たちまちまたねむりこむ。すると、ははおやといもうととは)

しているね!」といって、たちまちまた眠りこむ。すると、母親と妹とは

(たがいにつかれたびしょうをかわす。)

たがいに疲れた微笑を交わす。

(ちちおやはいっしゅのごうじょうさで、いえでもじぶんのこづかいのせいふくをぬぐことをこばんでいた。)

父親は一種の強情さで、家でも自分の小使の制服を脱ぐことを拒んでいた。

(そして、ねまきはやくにたたずにいしょうかぎにぶらさがっているが、ちちおやはまるで)

そして、寝巻は役に立たずに衣裳かぎにぶら下がっているが、父親はまるで

(いつでもきんむのよういができているかのように、またいえでもうわやくのこえを)

いつでも勤務の用意ができているかのように、また家でも上役の声を

(まちかまえているかのように、すっかりせいふくをきたままでじぶんのせきで)

待ちかまえているかのように、すっかり制服を着たままで自分の席で

(うたたねしている。そのため、はじめからあたらしくはなかったこのせいふくは、)

うたた寝している。そのため、はじめから新しくはなかったこの制服は、

(ははおやといもうととがいくらていれをしてもせいけつさをうしなってしまった。ぐれごーるは)

母親と妹とがいくら手入れをしても清潔さを失ってしまった。グレゴールは

(しばしばひとばんじゅう、いつもみがかれているきんぼたんでひかってはいるが、)

しばしば一晩じゅう、いつも磨かれている金ボタンで光ってはいるが、

(いたるところにしみがあるこのせいふくをながめていた。そんなふくをきたまま、)

いたるところにしみがあるこの制服をながめていた。そんな服を着たまま、

(このろうじんはひどくきゅうくつに、しかしやすらかにねむっているのだった。)

この老人はひどく窮屈に、しかし安らかに眠っているのだった。

(とけいがじゅうじをうつやいなや、ははおやはひくいこえでちちおやをおこし、それから)

時計が十時を打つやいなや、母親は低い声で父親を起こし、それから

(べっどにいくようにせっとくしようとつとめる。というのは、ここでやるのは)

ベッドにいくように説得しようと努める。というのは、ここでやるのは

(ほんとうのねむりではなく、ろくじにつとめにいかなければならないちちおやには)

ほんとうの眠りではなく、六時に勤めにいかなければならない父親には

(ほんとうのねむりがぜひともひつようなのだ。しかし、こづかいになってから)

ほんとうの眠りがぜひとも必要なのだ。しかし、小使になってから

(かれにとりついてしまったごうじょうさで、いつでももっとながくてーぶるのそばに)

彼に取りついてしまった強情さで、いつでももっと長くテーブルのそばに

(いるのだといいはるのだが、そのくせきまってねむりこんでしまう。そのうえ、)

いるのだと言い張るのだが、そのくせきまって眠りこんでしまう。その上、

(おおぼねをおってやっとちちおやにいすとべっどとをこうかんさせることができるのだった。)

大骨を折ってやっと父親に椅子とベッドとを交換させることができるのだった。

(するとははおやといもうととがいくらみじかないましめのことばでせっついても、じゅうごふんぐらいは)

すると母親と妹とがいくら短ないましめの言葉でせっついても、十五分ぐらいは

(ゆっくりとあたまをふり、めをつぶったままで、たちあがろうとしない。ははおやは)

ゆっくりと頭を振り、眼をつぶったままで、立ち上がろうとしない。母親は

(ちちおやのそでをひっぱり、なだめるようなことばをかれのみみにささやき、いもうとは)

父親の袖を引っ張り、なだめるような言葉を彼の耳にささやき、妹は

(べんきょうをすててははをたすけようとするのだが、それもちちおやにはききめがない。)

勉強を捨てて母を助けようとするのだが、それも父親にはききめがない。

(かれはいよいよふかくいすにしずみこんでいく。おんなたちがかれのわきのしたにてをいれると)

彼はいよいよ深く椅子に沈みこんでいく。女たちが彼のわきの下に手を入れると

(やっと、めをあけ、ははおやといもうととをこもごもながめて、いつでもいうのだ。)

やっと、眼を開け、母親と妹とをこもごもながめて、いつでもいうのだ。

(「これがいっしょうさ。これがおれのばんねんのやすらぎさ」)

「これが一生さ。これがおれの晩年の安らぎさ」

(そして、ふたりのおんなにささえられて、まるでじぶんのからだがじぶんじしんにとって)

そして、二人の女に支えられて、まるで自分の身体が自分自身にとって

(さいだいのおもにでもあるかのようにものものしいようすでたちあがり、おんなたちに)

最大の重荷でもあるかのようにものものしい様子で立ち上がり、女たちに

(どあのところまでつれていってもらい、そこでもういいというあいずをし、)

ドアのところまでつれていってもらい、そこでもういいという合図をし、

(それからやっとこんどはじぶんであるいていく。いっぽう、ははおやははりしごとのどうぐを、)

それからやっと今度は自分で歩いていく。一方、母親は針仕事の道具を、

(いもうとはぺんをおおいそぎでなげだし、ちちおやのあとをおっていき、さらにちちおやの)

妹はペンを大急ぎで投げ出し、父親のあとを追っていき、さらに父親の

(せわをするのだ。)

世話をするのだ。

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フランツ・カフカ

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