フランツ・カフカ 変身㉓
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問題文
(かぞくのものはすっかりヴぁいおりんのえんそうにきをとられていた。)
家族の者はすっかりヴァイオリンの演奏に気を取られていた。
(それにはんして、げしゅくにんたちははじめはりょうてをぽけっとにつっこんで、)
それに反して、下宿人たちははじめは両手をポケットに突っこんで、
(いもうとのふめんだいのすぐちかくにせきをしめていた。あまりにちかいのでさんにんとも)
妹の譜面台のすぐ近くに席を占めていた。あまりに近いので三人とも
(がくふをのぞきこめるくらいだった。そんなことをやったら、いもうとのじゃまに)
楽譜をのぞきこめるくらいだった。そんなことをやったら、妹のじゃまに
(なったことだろう。ところが、やがてひくいこえではなしあいながら、あたまをたれたまま)
なったことだろう。ところが、やがて低い声で話し合いながら、頭を垂れたまま
(まどのほうへしりぞいていった。ちちおやがしんぱいそうにみまもるうちに、かれらは)
窓のほうへ退いていった。父親が心配そうに見守るうちに、彼らは
(そのまどぎわにとどまっていた。すばらしい、あるいはたのしい)
その窓ぎわにとどまっていた。すばらしい、あるいは楽しい
(ヴぁいおりんえんそうをきくつもりなのがしつぼうさせられ、えんそうぜんたいにあきあきして、)
ヴァイオリン演奏を聞くつもりなのが失望させられ、演奏全体にあきあきして、
(ただぎれいからがまんしておとなしくしているのだということは、じっさいみただけで)
ただ儀礼から我慢しておとなしくしているのだということは、実際見ただけで
(はっきりとわかることだった。ことに、さんにんがはなとくちとからはまきのけむりを)
はっきりとわかることだった。ことに、三人が鼻と口とから葉巻の煙を
(たかくふきだしているやりかたは、ひどくいらいらしているのだということを)
高く吹き出しているやりかたは、ひどくいらいらしているのだということを
(すいりょうさせた。しかし、いもうとはとてもうつくしくひいていた。かのじょのかおは)
推量させた。しかし、妹はとても美しく弾いていた。彼女の顔は
(すこしわきにかたむけられており、しせんはしらべるように、またかなしげにがくふのぎょうを)
少しわきに傾けられており、視線は調べるように、また悲しげに楽譜の行を
(おっている。ぐれごーるはさらにすこしばかりまえへはいだし、あたまをゆかに)
追っている。グレゴールはさらに少しばかり前へはい出し、頭を床に
(ぴったりつけて、できるならかのじょのしせんとぶつかってやろうとした。)
ぴったりつけて、できるなら彼女の視線とぶつかってやろうとした。
(おんがくにこんなにこころをうばわれていても、かれはどうぶつなのだろうか。かれには)
音楽にこんなに心を奪われていても、彼は動物なのだろうか。彼には
(あこがれていたみちのこころのかてへのみちがしめされているようにおもえた。)
あこがれていた未知の心の糧への道が示されているように思えた。
(いもうとのところまですすみでて、かのじょのすかーとをひっぱって、それによって)
妹のところまで進み出て、彼女のスカートを引っ張って、それによって
(ヴぁいおりんをもってじぶんのへやへきてもらいたいとほのめかそう、)
ヴァイオリンをもって自分の部屋へきてもらいたいとほのめかそう、
(とけっしんした。というのは、ここにいるだれひとりとして、)
と決心した。というのは、ここにいるだれ一人として、
(かれがしたいとおもっているほどかのじょのおんがくにこたえるものはいないのだ。かれはもう)
彼がしたいと思っているほど彼女の音楽に応える者はいないのだ。彼はもう
(いもうとをじぶんのへやからだしたくなかった。すくなくともじぶんがいきているあいだは、)
妹を自分の部屋から出したくなかった。少なくとも自分が生きているあいだは、
(だしたくなかった。かれのおそろしいすがたははじめてかれのやくにたつだろうとおもわれた。)
出したくなかった。彼の恐ろしい姿ははじめて彼の役に立つだろうと思われた。
(じぶんのへやのどのどあもどうじにみはっていて、しんにゅうしてくるものたちに)
自分の部屋のどのドアも同時に見張っていて、侵入してくる者たちに
(ほえついてやるつもりだ。だが、いもうとはしいられてではなく、じゆういしで)
ほえついてやるつもりだ。だが、妹はしいられてではなく、自由意思で
(じぶんのところにとどまらなければならない。そふぁのうえでかれのわきにすわり、)
自分のところにとどまらなければならない。ソファの上で彼のわきに坐り、
(みみをかれのほうにかたむけてくれるのだ。そこでかれはいもうとに、じぶんはいもうとをおんがくがっこうに)
耳を彼のほうに傾けてくれるのだ。そこで彼は妹に、自分は妹を音楽学校に
(いれることにはっきりこころをきめていたのであり、もしそのあいだに)
入れることにはっきり心をきめていたのであり、もしそのあいだに
(こんなじこがおこらなかったならば、きょねんのくりすますにーーくりすますは)
こんな事故が起こらなかったならば、去年のクリスマスにーークリスマスは
(やっぱりもうすぎてしまったのだろうかーーどんなはんたいもいにかいすることなく)
やっぱりもう過ぎてしまったのだろうかーーどんな反対も意に介することなく
(みんなにいっていたことだろう、とうちあけてやる。こうせつめいしてやれば、)
みんなにいっていたことだろう、と打ち明けてやる。こう説明してやれば、
(いもうとはかんどうのなみだでわっとなきだすことだろう。そこでぐれごーるは)
妹は感動の涙でわっと泣き出すことだろう。そこでグレゴールは
(かのじょのかたのところまでのびあがって、くびにせっぷんしてやるのだ。)
彼女の肩のところまでのび上がって、首に接吻してやるのだ。
(みせへいくようになってからは、いもうとはりぼんもからーもつけないで)
店へいくようになってからは、妹はリボンもカラーもつけないで
(くびをまるだしにしているのだった。)
首を丸出しにしているのだった。
(「ざむざさん!」と、まんなかのおとこがちちおやにむかってさけび、それいじょうは)
「ザムザさん!」と、まんなかの男が父親に向って叫び、それ以上は
(なにもいわずに、ひとさしゆびでゆっくりとぜんしんしてくるぐれごーるをさししめした。)
何もいわずに、人差指でゆっくりと前進してくるグレゴールをさし示した。
(ヴぁいおりんのおとがやみ、まんなかのげしゅくにんははじめはあたまをふってふたりのゆうじんに)
ヴァイオリンの音がやみ、まんなかの下宿人ははじめは頭を振って二人の友人に
(にやりとわらってみせたが、つぎにふたたびぐれごーるをみやった。ちちおやは、)
にやりと笑って見せたが、つぎにふたたびグレゴールを見やった。父親は、
(ぐれごーるをおいはらうかわりに、まずげしゅくにんたちをなだめることのほうが)
グレゴールを追い払うかわりに、まず下宿人たちをなだめることのほうが
(いっそうひつようだとかんがえているようであった。とはいっても、さんにんはぜんぜん)
いっそう必要だと考えているようであった。とはいっても、三人は全然
(こうふんなんかしていないし、ぐれごーるのほうがヴぁいおりんのえんそうよりも)
興奮なんかしていないし、グレゴールのほうがヴァイオリンの演奏よりも
(かれらをおもしろがらせているようにみえた。ちちおやはさんにんのほうにいそいでいき、)
彼らを面白がらせているように見えた。父親は三人のほうに急いでいき、
(りょううでをひろげてかれらのへやへおしもどそうとし、どうじに、じぶんのからだで)
両腕を拡げて彼らの部屋へ押しもどそうとし、同時に、自分の身体で
(ぐれごーるのすがたがみえなくなるようにしようとした。こんどはさんにんが)
グレゴールの姿が見えなくなるようにしようとした。今度は三人が
(ほんとうにすこしばかりきをわるくした。ちちおやのたいどにきをわるくしたのか、)
ほんとうに少しばかり気を悪くした。父親の態度に気を悪くしたのか、
(ぐれごーるのようなりんしつのじゅうにんがいるものとはしらなかったのに、)
グレゴールのような隣室の住人がいるものとは知らなかったのに、
(いまやっとそれがわかってきたことにきをわるくしたのか、それはもう)
今やっとそれがわかってきたことに気を悪くしたのか、それはもう
(なんともいえなかった。さんにんはちちおやにせつめいをもとめ、さんにんのほうでうでをふりあげ、)
なんともいえなかった。三人は父親に説明を求め、三人のほうで腕を振り上げ、
(おちつかなげにひげをひっぱり、ほんのゆっくりしたあゆみで)
落ち着かなげに髯を引っ張り、ほんのゆっくりした歩みで
(じぶんたちのへやのほうへしりぞいていった。そうしているあいだに、)
自分たちの部屋のほうへ退いていった。そうしているあいだに、
(とつぜんえんそうをやめてほうしんじょうたいでいたいもうとはやっとしょうきをとりもどし、)
突然演奏をやめて放心状態でいた妹はやっと正気を取りもどし、
(しばらくのあいだだらりとたれたりょうてにヴぁいおりんとゆみとをもって、)
しばらくのあいだだらりと垂れた両手にヴァイオリンと弓とをもって、
(まだえんそうしているかのようにがくふをながめつづけていたが、とつぜんみをおこすと、)
まだ演奏しているかのように楽譜をながめつづけていたが、突然身を起こすと、
(はげしいはいのかつどうをともなうこきゅうこんなんにおちいってまだじぶんのいすにすわっていたははおやの)
激しい肺の活動をともなう呼吸困難に陥ってまだ自分の椅子に坐っていた母親の
(ひざのうえにがっきをおき、りんしつへとかけこんでいった。さんにんのげしゅくにんたちは、)
膝の上に楽器を置き、隣室へとかけこんでいった。三人の下宿人たちは、
(ちちおやにおしまくられてすでにさっきよりははやいあしどりでそのへやへ)
父親に押しまくられてすでにさっきよりは早い足取りでその部屋へ
(ちかづいていた。いもうとがなれたてつきでべっどのふとんやまくらをたかくとばしながら)
近づいていた。妹が慣れた手つきでベッドのふとんや枕を高く飛ばしながら
(しんぐのよういをととのえるのがみえた。さんにんがへやへたどりつくよりもまえに、)
寝具の用意を整えるのが見えた。三人が部屋へたどりつくよりも前に、
(いもうとはべっどのよういをすませてしまい、ひらりとへやからぬけでていた。)
妹はベッドの用意をすませてしまい、ひらりと部屋から脱け出ていた。
(ちちおやはまたもやきままなしょうぶんにすっかりとらえられてしまったらしく、ともかく)
父親はまたもや気ままな性分にすっかりとらえられてしまったらしく、ともかく
(げしゅくにんにたいしてはらわなければならないはずのけいいをわすれてしまった。)
下宿人に対して払わなければならないはずの敬意を忘れてしまった。
(かれはさんにんをただおしまくっていたが、さいごにへやのどあのところで)
彼は三人をただ押しまくっていたが、最後に部屋のドアのところで
(まんなかのひとがあしをふみならしたので、ちちおやはやっととまった。)
まんなかの人が足を踏み鳴らしたので、父親はやっととまった。