江戸川乱歩 D坂①

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1 いっぱんじんA 4807 B 5.0 95.1% 609.2 3085 156 48 2024/11/17

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問題文

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((じょう)じじつ)

(上)事実

(それはくがつしょじゅんのあるむしあついばんのことであった。)

それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。

(わたしは、dざかのおおどおりのなかほどにある、はくばいけんという、いきつけのかふぇで、)

私は、D坂の大通りの中程にある、白梅軒という、行きつけのカフェで、

(ひやしこーひーをすすっていた。とうじわたしは、がっこうをでたばかりで、まだ)

冷しコーヒーを啜っていた。当時私は、学校を出たばかりで、まだ

(これというしょくぎょうもなく、げしゅくやにごろごろしてほんでもよんでいるか、)

これという職業もなく、下宿屋にゴロゴロして本でも読んでいるか、

(それにあきると、あてどもなくさんぽにでて、あまりひようのかからぬ)

それに飽きると、当てどもなく散歩に出て、あまり費用のかからぬ

(かふぇまわりをやるくらいが、まいにちのにっかだった。このはくばいけんというのは、)

カフェ廻りをやる位が、毎日の日課だった。この白梅軒というのは、

(げしゅくやからちかくもあり、どこへさんぽするにも、かならずそのまえをとおるようないちに)

下宿屋から近くもあり、どこへ散歩するにも、必ずその前を通る様な位置に

(あったので、したがっていちばんよくでいりしたわけであったが、わたしというおとこは)

あったので、したがって一番よく出入りした訳であったが、私という男は

(わるいくせで、かふぇにはいるとどうもながっちりになる。それも、がんらい)

悪い癖で、カフェに入るとどうも長尻(ながっちり)になる。それも、元来

(しょくよくのすくないほうなので、ひとつはのうちゅうのとぼしいせいもあってだが、)

食慾の少ない方なので、一つは嚢中の乏しいせいもあってだが、

(ようしょくひとさらちゅうもんするでなく、やすいこーひーをにはいもさんばいもおかわりして、)

洋食一皿注文するでなく、安いコーヒーを二杯も三杯もお代りして、

(いちじかんもにじかんもじっとしているのだ。そうかといって、べつだん、)

一時間も二時間もじっとしているのだ。そうかといって、別段、

(うえいとれすにおぼしめしがあったり、からかったりするわけではない。)

ウエイトレスに思召しがあったり、からかったりする訳ではない。

(まあ、げしゅくよりなんとなくはでで、いごこちがいいのだろう。)

まあ、下宿より何となく派手で、居心地がいいのだろう。

(わたしはそのばんも、れいによって、いっぱいのひやしこーひーをじゅっぷんもかかってのみながら、)

私はその晩も、例によって、一杯の冷しコーヒーを十分もかかって飲みながら、

(いつものおうらいにめんしたてーぶるにじんどって、ぼんやりまどのそとをながめていた。)

いつもの往来に面したテーブルに陣取って、ボンヤリ窓の外を眺めていた。

(さて、このはくばいけんのあるdざかというのは、いぜんきくにんぎょうのめいしょだったところで、)

さて、この白梅軒のあるD坂というのは、以前菊人形の名所だった所で、

(せまかったとおりが、しくかいせいでとりひろげられ、なんげんどうろとかいうおおどおりになって)

狭かった通りが、市区改正で取り拡げられ、何間道路とかいう大通りになって

(まもなくだから、まだおおどおりのりょうがわにところどころあきちなどもあって、)

間もなくだから、まだ大通りの両側に所々空き地などもあって、

など

(いまよりずっとさみしかったじぶんのはなしだ。)

今よりずっと淋しかった時分の話だ。

(おおどおりをこしてはくばいけんのちょうどまむこうに、いっけんのふるほんやがある。)

大通りを越して白梅軒の丁度真向うに、一軒の古本屋がある。

(じつはわたしは、さきほどから、そこのみせさきをながめていたのだ。)

実は私は、先程から、そこの店先を眺めていたのだ。

(みすぼらしいばすえのふるほんやで、べつだんながめるほどのけしきでもないのだが、)

みすぼらしい場末の古本屋で、別段眺める程の景色でもないのだが、

(わたしにはちょっととくべつのきょうみがあった。というのは、わたしがちかごろこのはくばいけんで)

私にはちょっと特別の興味があった。というのは、私が近頃この白梅軒で

(しりあいになったひとりのみょうなおとこがあって、なまえはあけちこごろうというのだが、)

知り合いになった一人の妙な男があって、名前は明智小五郎というのだが、

(はなしをしてみるといかにもかわりもので、それであたまがよさそうで、)

話をして見ると如何にも変り者で、それで頭がよさそうで、

(わたしのほれこんだことには、たんていしょうせつずきなのだが、そのおとこのおさななじみのおんなが)

私の惚れ込んだことには、探偵小説好きなのだが、その男の幼馴染の女が

(いまではこのふるほんやのにょうぼうになっているということを、このまえ、かれから)

今ではこの古本屋の女房になっているという事を、この前、彼から

(きいていたからだった。にさんどほんをかっておぼえているところによれば、)

聞いていたからだった。二三度本を買って覚えている所によれば、

(このふるほんやのさいくんというのが、なかなかのびじんで、どこがどういうではないが、)

この古本屋の細君というのが、なかなかの美人で、どこがどういうではないが、

(なんとなくかんのうてきにおとこをひきつけるようなところがあるのだ。かのじょはよるはいつでも)

何となく官能的に男を引きつける様な所があるのだ。彼女は夜はいつでも

(みせばんをしているのだから、こんばんもいるにちがいないと、みせじゅうを、といっても)

店番をしているのだから、今晩もいるに違いないと、店中を、といっても

(にけんはんまぐちのてぜまなみせだけれど、さがしてみたが、だれもいない。)

二間半間口の手狭な店だけれど、探して見たが、誰もいない。

(いずれそのうちにでてくるのだろうと、わたしはじっとめでまっていたものだ。)

いずれそのうちに出て来るのだろうと、私はじっと目で待っていたものだ。

(だが、にょうぼうはなかなかでてこない。で、いいかげんめんどうくさくなって、)

だが、女房はなかなか出て来ない。で、いい加減面倒臭くなって、

(となりのとけいやへめをうつそうとしているときであった。)

隣の時計屋へ目を移そうとしている時であった。

(わたしはふとみせとおくのまとのさかいにしめてあるしょうじのこうしどが)

私はふと店と奥の間との境に閉めてある障子の格子戸が

(ぴっしゃりとじるのをみつけた。--そのしょうじには、せんもんかのほうでは)

ピッシャリ閉じるのを見つけた。--その障子には、専門家の方では

(むそうとしょうするもので、ふつう、かみをはるべきちゅうおうのぶぶんが、こまかいたての)

無窓と称するもので、普通、紙をはるべき中央の部分が、こまかい縦の

(にじゅうのこうしになっていて、それがかいへいできるのだ--)

二重の格子になっていて、それが開閉出来るのだ--

(はてへんなこともあるものだ。ふるほんやなどというものは、)

ハテ変なこともあるものだ。古本屋などというものは、

(まんびきされやすいしょうばいだから、たといみせにばんをしていなくても、)

万引きされ易い商売だから、たとい店に番をしていなくても、

(おくにひとがいて、しょうじのすきまなどから、じっとみはっているものなのに、)

奥に人がいて、障子のすきまなどから、じっと見張っているものなのに、

(そのすきみのかしょをふさいでしまうとはおかしい、さむいじぶんならともかく、)

その隙見の箇所を塞いでしまうとはおかしい、寒い時分なら兎も角、

(くがつになったばかりのこんなむしあついばんだのに、だいいちあのしょうじが)

九月になったばかりのこんな蒸し暑い晩だのに、第一あの障子が

(しめきってあるのからへんだ。そんなふうにいろいろかんがえてみると、ふるほんやのおくのまに)

閉め切ってあるのから変だ。そんな風に色々考えて見ると、古本屋の奥の間に

(なにごとかありそうで、わたしはめをうつすきにはなれなかった。)

何事かありそうで、私は目を移す気にはなれなかった。

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