詩人 石垣りん ④
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問題文
(いしがきりんは「こうきょう」というしにじぶんのくうかんへのききゅうをあらわしている。)
石垣りんは「公共」という詩に自分の空間への希求を表している。
(かのじょはしょくばでもいえでもつねにおなじくうかんのなかにたにんといっしょにおり、)
彼女は職場でも家でも常に同じ空間の中に他人と一緒におり、
(たにんをいしきしていたので、じぶんひとりになれるくうかんをもつことができず、)
他人を意識していたので、自分一人になれる空間を持つことができず、
(じぶんひとりになれるくうかんをきたくするとちゅうのえきのべんじょにかんじとるのであった。)
自分一人になれる空間を帰宅する途中の駅の便所に感じ取るのであった。
(し「こうきょう」ただでゆける/ひとりになれる/のぞきがはたされる、となりのにんげんに)
詩「公共」タダでゆける/ひとりになれる/ノゾキが果される、トナリの人間に
(ふたんをかけることはない/となりのにんげんから/ようきゅうされることはない)
負担をかけることはない/トナリの人間から/要求されることはない
(わたしのしゅちょうはしめたいちまいのどあ。しょくばと/かていと/どちらもが)
私の主張は閉めた一枚のドア。職場と/家庭と/どちらもが
(あたえることと/うばうことをする、そういうやまとやまのあいだにはさまった)
与えることと/奪うことをする、そういうヤマとヤマの間にはさまった
(たにまのような/おあしすのような/ひろばのような/さいじょうのような/さいていのような)
谷間のような/オアシスのような/広場のような/最上のような/最低のような
(ばしょ。つとめのかえり/きっさてんでいっぱいのこーひーをのみおえると)
場所。つとめの帰り/喫茶店で一杯のコーヒーを飲み終えると
(そのあしでごくしぜんにゆく/とあるしんちくえきの/ひかくてきせいけつなてあらいじょ)
その足でごく自然にゆく/とある新築駅の/比較的清潔な手洗所
(もちもののすべてをたなにあげ/わたしはいのちのあたたかさをむきだしにする。)
持ち物のすべてを棚に上げ/私はいのちのあたたかさをむき出しにする。
(さんじゅうねんはたらいて/いつからかそこにあんらくをみつけた。いしがきりん(りょう))
三十年働いて/いつからかそこに安楽をみつけた。石垣りん(了)
(また、「わたしはせまいいえにすんでおりまして、じぶんのへやもなくて、なにがほしい、)
また、「私は狭い家に住んでおりまして、自分の部屋もなくて、何が欲しい、
(といわれたらじぶんのへやがひとつほしい。さんじゅうごねんはたらいていますから(50さい))
と言われたら自分の部屋が一つ欲しい。三十五年働いていますから(50歳)
(たいしょくきんをかりれば、ひとへやぐらいのものはかえるかもしれない」とのべる)
退職金を借りれば、一部屋ぐらいのものは買えるかもしれない」と述べる
(りんはながいあいだはたらいてけいざいてきにじりつしていながらもかぞくをやしなわなければならない)
りんは長い間働いて経済的に自立していながらも家族を養わなければならない
(じょうきょうによって、じぶんのりょういき(てりとりー)をもつことができなかった。)
状況によって、自分の領域(テリトリー)を持つことができなかった。
(じぶんのりょういきをもつとは、こじんとしてのあいでんてぃてぃ(じぶんとはなにものなのか))
自分の領域を持つとは、個人としてのアイデンティティ(自分とは何者なのか)
(をたもつということをいみする。こじんとしてのあいでんてぃてぃをたんてきにあらわすのは)
を保つということを意味する。個人としてのアイデンティティを端的に表すのは
(せいとなからなるじぶんのなまえである。ところがじょせいがせいとなのなまえでよばれるのは)
姓と名からなる自分の名前である。ところが女性が姓と名の名前で呼ばれるのは
(「ひょうさつ」だいさんれん「びょういんへにゅういんしたら/びょうしつのなふだにはいしがきりんさまと)
「表札」第三連「病院へ入院したら/病室の名札には石垣りん様と
(さまがついた」とあるように、びょうきになったばあいや、だいよんれん、「りょかんにとまっても)
様が付いた」とあるように、病気になった場合や、第四連、「旅館に泊まっても
(へやのそとになまえはでないが/やがてやきばのおけにはいると/とじたとびらのうえに)
部屋の外に名前は出ないが/やがて焼場の鑵にはいると/とじた扉の上に
(いしがきりんどのとふだがさがるだろう/そのときわたしがこばめるか?」とあるように、)
石垣りん殿と札が下がるだろう/そのとき私がこばめるか?」とあるように、
(しへのたびだちのばめんすなわちいたいをかそうされるというふこうのときにしかない。)
死への旅立ちの場面すなわち遺体を火葬されるという不幸の時にしかない。
(おなじにちじょうからはなれたばしょへのたびだちでも、たのしみをもくてきとしたりょこうでしゅくはくする)
同じ日常から離れた場所への旅立ちでも、楽しみを目的とした旅行で宿泊する
(りょかんではぷらいばしーをほごするためにひょうさつはかけられないのである。)
旅館ではプライバシーを保護するために表札はかけられないのである。
(だいごれんでは、「さまも/どのも/ついてはいけない、じぶんのすむところには)
第五連では、「様も/殿も/付いてはいけない、自分の住む所には
(じぶんのてでひょうさつをかけるにかぎる。せいしんのありばしょも)
自分の手で表札をかけるに限る。精神の在り場所も
(はたからひょうさつをかけられてはならない」とあるが、さまやどのは、たしゃによって)
ハタから表札をかけられてはならない」とあるが、様や殿は、他者によって
(つけられるけいしょうのことである。さくしゃはたにんになづけられることによって、じぶんの)
つけられる敬称のことである。作者は他人に名づけられることによって、自分の
(あいでんてぃてぃがしんがいされることをきょひする。「ひょうさつ」にはいっぱんてきにちちやおっとの)
アイデンティティが侵害されることを拒否する。「表札」には一般的に父や夫の
(かめいがかかれるが、じょせいはちちやおっとにいぞんするのではなく、たにんにおしつけられる)
家名が書かれるが、女性は父や夫に依存するのではなく、他人に押し付けられる
(のではなく、いえのしばりからはなれていえでをし、じぶんのあゆみたいみちをじぶんであゆみ、)
のではなく、家の縛りから離れて家出をし、自分の歩みたい道を自分で歩み、
(ひとりでいきていけるようにならなければならないことをつよくせんげんしている。)
一人で生きていけるようにならなければならないことを強く宣言している。
(かのじょは「しょうがっこうのころ、いえをはなれてこどもだけのせかい、こどもだけでつくったいっけんの)
彼女は「小学校の頃、家を離れて子供だけの世界、子供だけでつくった一軒の
(あたらしいいえがほしい」また、「にほんじんのだいたすうがいだいているいえのいしきからかいほうされ)
新しい家が欲しい」また、「日本人の大多数が抱いている家の意識から解放され
(いちど、いえをでてみたら」とおもっていたようである。かのじょはじゅうよんさいからはたらきはじめた)
一度、家を出てみたら」と思っていたようである。彼女は十四歳から働き始めた
(が、だいにじせかいたいせんちゅうにいえがやかれてしまっていらい、にじゅうだいからはほんかくてきにいっか)
が、第二次世界大戦中に家が焼かれてしまって以来、二十代からは本格的に一家
(のけいざいをささえるようになる。それにたいするおもいをかたっている。「いつのまにか)
の経済を支えるようになる。それに対する思いを語っている。「いつのまにか
(わたしはいっかのけいざいのだいこくばしらになっていた。じぶんからのぞんでいえのやくにたちたいとねがい)
私は一家の経済の大黒柱になっていた。自分から望んで家の役に立ちたいと願い
(ながら、それがひくにひけないたちばになるとこんどはいえというものがやりきれない)
ながら、それが引くに引けない立場になると今度は家というものがやりきれない
(ほどおもくかんじられ」「わたしがわたしにむかってでるにでられないいえをでろといってみた」)
ほど重く感じられ」「私が私に向って出るに出られない家を出ろといってみた」
(じこじつげんのたっせい。さいごのだいろくれんでは、「せいしんのありばしょも/はたからひょうさつを)
自己実現の達成。最後の第六連では、「精神の在り場所も/ハタから表札を
(かけられてはならない/いしがきりん/それでよい」といいきりかたがきやけいしょうなしの)
かけられてはならない/石垣りん/それでよい」と言い切り肩書きや敬称なしの
(どくじせいをもっているひとりのじんぶつでありつづけたいということをあらわしている。)
独自性を持っている一人の人物であり続けたいということを表している。
(にちじょうせいかつにかかわるひょうさつをとおしてせいしんのもんだいまではってんさせ、たしゃからひょうさつを)
日常生活に関わる表札を通して精神の問題まで発展させ、他者から表札を
(かけられてはいけない。つまり、ちちのむすめやおっとのつまとしておとこにいぞんするのではなく)
かけられてはいけない。つまり、父の娘や夫の妻として男に依存するのではなく
(せいしんもじりつし、じぶんじしんのちからでよのなかをいきていこうとせんげんしている。)
精神も自立し、自分自身の力で世の中を生きていこうと宣言している。