魯迅 故郷その2
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問題文
(このときわたしのあたまのなかにひとつのいろあせたこうけいがひらめきだした。)
この時わたしの頭の中に一つの色褪せた光景が閃き出した。
(はなだいろのおおぞらにかかるつきはまんまるのこがねいろであった。)
深藍色の大空にかかる月はまんまるの黄金色であった。
(したはうみべのすなじにつくられたすいかばたけで、)
下は海辺の砂地に作られた西瓜畑で、
(はてしもなきあおみどりのなかにじゅういちにさいのしょうねんがぽつりとひとりたっている。)
果てしもなき碧緑の中に十一二歳の少年がぽつりと一人立っている。
(えりにはぎんのわをかけ、)
項には銀の輪を掛け、
(てにはこうてつのさすぼうをにぎって)
手には鋼鉄の叉棒を握って
(いっぴきのもぐらにむかってちからまかせにつきさすと、)
一疋の土竜に向って力任せに突き刺すと、
(もぐらはみをひねってかれのまたぐらをくぐってにげだす。)
土竜は身をひねって彼の跨を潜くぐって逃げ出す。
(このしょうねんがじゅうどであった。)
この少年が閏土であった。
(わたしがかれをしったのはじゅういくつかのとしであったが、わかれていまはさんじゅうねんにもなる。)
わたしが彼を知ったのは十幾つかの歳であったが、別れて今は三十年にもなる。
(あのじぶんはちちもざいせいしてかじのつごうもよく、)
あの時分は父も在世して家事の都合もよく、
(わたしはひとりのぼっちゃまであった。)
わたしは一人の坊ッちゃまであった。
(そのとしはちょうどさんじゅうなんねんめにいちどまわってくるわがやのたいさいのとしにあたり、)
その年はちょうど三十何年目に一度廻って来る我が家の大祭の年に当たり、
(まつりはていちょうをきわめ、しょうがつじゅうかかげられたえいぞうのまえにはおおくのそなえものをなし、)
祭は丁重を極め、正月中掲げられた影像の前には多くの供え物をなし、
(さいきのせんたくがやかましくおこなわれ、)
祭器の選択が八釜しく行われ、
(さんけいにんがざっとうするのでどろぼうのようじんをしなければならぬ。)
参詣人が雑沓するので泥棒の用心をしなければならぬ。
(わがやにはまんゆえがひとりきりだからてがまわりかね、)
我が家には忙月が一人きりだから手が廻りかね、
(さいきのみはりばんにせがれをよびたいともうしでたのでちちはこれをゆるした。)
祭器の見張番に倅をよびたいと申出たので父はこれを許した。
(このむらのこさくにんはみっつにわかれている。いちねんけいやくのものをちゃんねんといい、)
この村の小作人は三つに分れている。一年契約の者を長年といい、
(ひやといのものをこうとわんこんという。)
日雇いの者を短という。
(じぶんでとちをもちせっきどきやかりいれどきに)
自分で土地を持ち節期時や刈入時に
(りんじにひとのいえにいってしごとをするものをまんゆえという)
臨時に人の家に行って仕事をする者を忙月という
(わたしはじゅうどがくるときいてひじょうにうれしくおもった。)
わたしは閏土が来ると聞いて非常に嬉しく思った。
(というのはわたしはまえからじゅうどのなまえをききおよんでいるし、)
というのはわたしは前から閏土の名前を聞き及んでいるし、
(としごろもわたしとおつかつだし、)
年頃もわたしとおつかつだし、
(うるうづきうまれでごぎょうのつちがかけているから)
閏月生れで五行の土が欠けているから
(じゅうどとなづけたわけもしっていた。)
閏土と名づけたわけも知っていた。
(かれはしかけわなでことりをとることがじょうずだ。)
彼は仕掛罠で小鳥を取ることが上手だ。
(わたしはひびにしんねんのくるのをまちかねた。しんねんがくるとじゅうどもくるのだ。)
わたしは日々に新年の来るのを待ちかねた。新年が来ると閏土も来るのだ。
(まもなくねんまつになり、あるひのこと、はははわたしをよんで)
まもなく年末になり、ある日の事、母はわたしを呼んで
(「じゅうどがきたよ」とつげた。わたしはかけだしていってみると、)
「閏土が来たよ」と告げた。わたしは馳け出して行ってみると、
(かれはすいじべやにいた。むらさきいろのまるがお!)
彼は炊事部屋にいた。紫色の丸顔!
(あたまにちいさなすきらしゃぼうをかぶり、)
頭に小さな漉羅紗帽をかぶり、
(えりにきらきらしたぎんのくびわをかけている。)
項にキラキラした銀の頸輪を掛ている。
(これをみてもかれのちちおやがいかにかれをあいしているかがわかる。)
これを見ても彼の父親がいかに彼を愛しているかが解る。
(かれのしきょをおそれてしんぶつにがんをかけ、くびにわをかけ、)
彼の死去を恐れて神仏に願を掛け、頸に輪を掛け、
(かれをひごしているのである。)
彼を庇護しているのである。
(かれはひとをみてたいそうはにかんだが、わたしにたいしてとくべつだった。)
彼は人を見て大層はにかんだが、わたしに対して特別だった。
(だれもいないときによくはなしをして、)
誰もいない時に良く話をして、
(はんにちたたぬうちにわれわれはすっかりなかよしになった。)
半日経たぬうちに我々はすっかり仲よしになった。
(われわれはそのとき、なにかしらんいろんなことをはなしたが、)
われわれはその時、何か知らんいろんな事を話したが、
(ただおぼえているのは、じゅうどがひじょうにはしゃいで、)
ただ覚えているのは、閏土が非常にハシャいで、
(まだみたことのないいろいろなものをまちへきてはじめてみたとのはなしだった。)
まだ見たことのないいろいろな物を街へ来て初めて見たとの話だった。
(つぎのひわたしはかれにとりをつかまえてくれとたのんだ。)
次の日わたしは彼に鳥をつかまえてくれと頼んだ。
(「それはできません。おおゆきがふればいいのですがね。)
「それは出来ません。大雪が降ればいいのですがね。
(わたしどものすなぢのうえにゆきがふると、)
わたしどもの沙地の上に雪が降ると、
(わたしはゆきをかきだしてちいさなひとつのあきちをつくり、)
わたしは雪を掻き出して小さな一つの空地を作り、
(みじかいぼうでおおきなわなをささえ、こごめをまきちらしておきます。)
短い棒で大きな罠を支え、小米を撒きちらしておきます。
(ことりがくいにきたとき、)
小鳥が食いに来た時、
(わたしはとおくのほうでぼうのうえにしばってあるなわをひくと、)
わたしは遠くの方で棒の上に縛ってある縄を引くと、
(ことりはわなのしたへはいってしまいます。なんでもみなとれますよ。)
小鳥は罠の下へ入ってしまいます。何でも皆獲れますよ。
(いねどり、つのどり、しゃこ、あいせ」)
稲鶏、角鶏、鴣鳥、藍背」
(そこでわたしはゆきのふるのをまちかねた。じゅうどはまたつぎのようなはなしもした。)
そこでわたしは雪の降るのを待ちかねた。閏土はまた次のような話もした。
(「いまはさむくていけませんが、)
「今は寒くていけませんが、
(なつになったらわたしのところへいらっしゃい。)
夏になったらわたしの所へいらっしゃい。
(わたしどもはひるまうみべにかいがらとりにいきます。)
わたしどもは昼間海辺に貝殻取に行きます。
(あかいのやあおいのや、おにがみておそれるのや、)
赤いのや青いのや、鬼が見て恐れるのや、
(かんのんさまのてもあります。)
観音様の手もあります。
(ばんにはおとうさんといっしょにすいかのみはりにいきますから、あなたもいらっしゃい」)
晩にはお父さんと一緒に西瓜の見張りに行きますから、あなたもいらっしゃい」
(「どろぼうのみはりをするのかえ」)
「泥棒の見張をするのかえ」