森鴎外 大塩平八郎その11

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(おんなこどもがおらぬばかりではない。やしきはちかごろきゅうにさっぷうけいになっている。)

女子供がおらぬばかりでは無い。屋敷は近頃急に殺風景になっている。

(それはかねてもんじんのせきにいるひょうごにしでまちのしばやちょうだゆう、)

それはかねて門人の籍にいる兵庫西出町の柴屋長太夫、

(そのほかえんこのあるしょうにんからかっておさめさせ、)

そのほか縁故のある商人から買って納めさせ、

(またはがくせいからじゅぎょうりょうのかわりにふけいからぶつのうさせたしょせきが、)

または学生から授業料の代わりに父兄から物納させた書籍が、

(いぜんはげんかんからこうどう、しょさいにかけて、にさんだんにつんだほんばこのなかにあったのに、)

以前は玄関から講堂、書斎に掛けて、二三段に積んだ本箱の中にあったのに、

(こんげつにはいってからそれをことごとくはこびださせ、)

今月に入ってからそれを悉く運び出させ、

(どぞうにあったいっさいきょうなどもそれにくわえて、)

土蔵にあった一切経などもそれに加えて、

(しょてんかわちやきへい、どうしんじろう、)

書店河内屋喜兵衛、同新次郎、

(どうきいちべい、どうもへえのよにんのてでぎんにかえさせ、)

同記一兵衛、同茂兵衛の四人の手で銀に換えさせ、

(ききんつづきのためにくらしにこまるじんみんにほどこすのだといって、)

飢饉続きのために暮らしに困る人民に施すのだといって、

(あんどうじちょうごちょうめのほんやかいしょで、)

安堂寺町五丁目の本屋会所で、

(しんるいやもんかせいにえんこのあるおよそさんじゅうさんちょうそんのものいちまんけんに、)

親類や門下生に縁故のあるおよそ三十三町村のもの一万軒に、

(いっけんいっしゅのわりをもってくばった。)

一軒一朱の割を以って配った。

(しっそないえのゆいいつのそうしょくになっていたしょせきがなくなったので、)

質素な家の唯一の装飾になっていた書籍が無くなったので、

(いえはがらんとしてしまった。)

家はがらんとしてしまった。

(いまひとつこのいえのがいぼうがきずつけられているりゆうは、)

今一つこの家の外貌が傷つけられている理由は、

(しょくにんをいれてへいきだんやくをせいぞうさせているからである。)

職人を入れて兵器弾薬を製造させているからである。

(まちよりきはぶげいをもってほうこうしているうえに、)

町与力は武芸を以って奉公している上に、

(いんきょへいはちろうはたまつくりぐみよりきしばたかんべえのもんじんで、さぶりりゅうのやりをつかう。)

隠居平八郎は玉造組与力柴田勘兵衛の門人で、佐分利流の槍を使う。

(とうしゅかくのすけはどうしんふじしげまごさぶろうのもんじんで、)

当主格之助は同心藤重孫三郎の門人で、

など

(なかじまりゅうのおおづつをうつ。)

中島流の大筒を打つ。

(なかにもほうじゅつかはおおづつをもたくわえかやくもせいぞうするならわしではあるが、)

中にも砲術家は大筒をも貯え火薬も製造する習しではあるが、

(このいえではそれがかくべつにさかんになっている。)

この家ではそれが格別に盛んになっている。

(きょねんくがつのことであった。へいはちろうはかくのすけのしふじしげのせがれりょうざえもん、)

去年九月の事であった。平八郎は格之助の師藤重の倅良左衛門、

(まごつちたろうのりょうにんをよんで、ことしのはる、)

孫槌太郎の両人を呼んで、今年の春、

(さかいしちどうがはまでかくのすけにちょううちをさせるそうだんをした。)

堺七堂が浜で格之助に丁打ちをさせる相談をした。

(それからへいはちろう、かくのすけのへやのふきんにとじまりをして、)

それから平八郎、格之助の部屋の附近に戸締りをして、

(じゅくせいをつかってかやくをせいぞうしている。)

塾生を使って火薬を製造している。

(ぼうひや、ほうろくだまをつくらせる。)

棒火矢、炮碌玉を作らせる。

(しょくにんをいれると、こうじつをもうけてふたたびそとへださない。)

職人を入れると、口実を設けて再び外へ出さない。

(ひやのざいもくをひききったてんまきたこばたちょうのだいくさくべえなどがそれである。)

火矢の材木を挽き切った天満北木幡町の大工作兵衛などがそれである。

(こういうせいぞうはさくばんまでつづけられていた。)

こういう製造は昨晩まで続けられていた。

(おおづつはひとからかいとったひゃくめづつがいっちょう、)

大筒は人から買い取った百目筒が一挺、

(ひとからかりいれてかえさずにあるひゃくめづつがにちょう、)

人から借り入れて返さずにある百目筒が二挺、

(もんじんもりぐちむらのひゃくしょうけんしちしょうしらいこうえもんが)

門人守口村の百姓兼質商白井孝右衛門が

(どぞうのそばのまつのきをきってつくったきづつがにちょうある。)

土蔵の側の松の木を伐って作った木筒が二挺ある。

(ほうしゃはいしをはこぶだいだといってつくらせた。)

砲車は石を運ぶ台だと云って作らせた。

(ようするにこのはんとしばかりのあいだに、)

要するにこの半年ばかりの間に、

(げんしょうようようのちがしだいにけんそうとざっとうとをつねとするこうじょうになっていたのである。)

絃誦洋々の地が次第に喧噪と雑踏とを常とする工場になっていたのである。

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