魯迅 故郷その5

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(「わすれたの?しゅっせするとめのくらいまでたかくなるというが、ほんとうだね」)

「忘れたの? 出世すると眼の位まで高くなるというが、本当だね」

(「いえ、けっしてそんなことはありません、わたし」)

「いえ、決してそんなことはありません、わたし」

(わたしはあわててたちあがった。)

わたしは慌てて立ち上がった。

(「そんならじんちゃん、おまえさんにいうがね。)

「そんなら迅ちゃん、お前さんに言うがね。

(おまえはおかねもちになったんだから、ひっこしだってなかなかごたいそうだ。)

お前はお金持になったんだから、引越しだってなかなか御大層だ。

(こんながらくたどうぐなんかいるもんかね。)

こんな我楽多道具なんか要るもんかね。

(わたしにゆずっておくれよ、わたしどもびんぼうにんこそつかいみちがあるわよ」)

わたしに譲っておくれよ、わたしども貧乏人こそ使い道があるわよ」

(「わたしはけっしてかねもちではありません。)

「わたしは決して金持ではありません。

(こんなものでもうったらなにかのたしになるかとおもって」)

こんなものでも売ったら何かの足しになるかと思って」

(「おやおやおまえはけっこうなおやくめもすてたというはなしじゃないか。)

「おやおやお前は結構なお役目も捨てたという話じゃないか。

(それでもおかねもちじゃないの?おまえはいまさんにんのおめかけさんがあって、)

それでもお金持じゃないの? お前は今三人のお妾さんがあって、

(そとにでるときにははちにんかつぎのかごにのって、それでもおかねもちじゃないの?)

外に出る時には八人担ぎの駕籠に乗って、それでもお金持じゃないの?

(ほほなんとおっしゃろうが、わたしをだますことはできないよ」)

ホホ何とおっしゃろうが、私を騙すことは出来ないよ」

(わたしははなしのしようがなくなってくちをつぐんでたっていると)

わたしは話のしようがなくなって口を噤んで立っていると

(「まったくね、おかねがあればあるほどちりっばひとつだすのはいやだ。)

「全くね、お金があればあるほど塵ッ葉一つ出すのはいやだ。

(ちりっばひとつださなければますますおかねがたまるわけだ」)

塵ッ葉一つ出さなければますますお金が溜るわけだ」

(こんぱすはむっとしてみをひるがえし、ぶつぶついいながらでていったが、)

コンパスはむっとして身を翻し、ぶつぶつ言いながら出て行ったが、

(なお、いきがけのだちんにははのてぶくろをいっそう、)

なお、行きがけの駄賃に母の手袋を一双、

(すばやくかっぱらってずぼんのこしにねじこんでたちさった。)

素早く掻っ払ってズボンの腰に捻じ込んで立ち去った。

(そのあとできんじょのほんけやしんせきのひとたちがわたしをたずねてきたので、)

そのあとで近所の本家や親戚の人達がわたしを訪ねて来たので、

など

(わたしはそれにおうたいしながらひまをみてにもつをまとめ、)

わたしはそれに応対しながら暇を見て荷物をまとめ、

(こんなことでさんよっかもすごした。)

こんなことで三四日も過ごした。

(ひじょうにさむいひのごご、わたしはひるめしをすましておちゃをのんでいると、)

非常に寒い日の午後、わたしは昼飯を済ましてお茶を飲んでいると、

(そとからひとがはいってきた。みるとおもわずしらずおどろいた。)

外から人が入って来た。見ると思わず知らず驚いた。

(このひとはほかでもないじゅうどであった。)

この人はほかでもない閏土であった。

(わたしはひとめみてそれとしったが、それはきおくのうえのじゅうどではなかった。)

わたしは一目見てそれと知ったが、それは記憶の上の閏土ではなかった。

(みのたけはいちばいものびて、むらさきいろのまるがおはすでにへんじてどんよりときばみ、)

身の丈は一倍も伸びて、紫色の丸顔はすでに変じてどんよりと黄ばみ、

(ひたいにはみぞのようなふかじわができていた。)

額には溝のような深皺が出来ていた。

(めもとはかれのちちおやそっくりでじばれがしていたが、)

目許は彼の父親ソックリで地腫れがしていたが、

(これはわたしもしっている。)

これはわたしも知っている。

(うみべちほうのひゃくしょうはねんじゅうしおかぜにふかれているので)

海辺地方の百姓は年じゅう汐風に吹かれているので

(みながみなこんなふうになるのである。)

皆が皆こんな風になるのである。

(かれのあたまのうえにはやぶれたすきらしゃぼうがひとつ、)

彼の頭の上には破れた漉羅紗帽が一つ、

(からだのうえにはごくうすいわたいれがいちまい、そのきこなしがいかにもみすぼらしく、)

身体の上にはごく薄い棉入れが一枚、その着こなしがいかにも見すぼらしく、

(てにかみづつみとながぎせるをもっていたが、)

手に紙包と長煙管を持っていたが、

(そのてもわたしのおぼえていたあかくまるい、ふっくらしたものではなく、)

その手もわたしの覚えていた赤く丸い、ふっくらしたものではなく、

(あらっぽくざらざらしてまつかわのようなさけめがあった。)

荒っぽくざらざらして松皮のような裂け目があった。

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