『或る精神異常者』ルヴェルモーリス1
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ふうな | 4423 | C+ | 4.6 | 96.0% | 728.0 | 3358 | 138 | 55 | 2024/10/23 |
2 | BE | 3986 | D++ | 4.3 | 92.1% | 776.7 | 3384 | 288 | 55 | 2024/10/17 |
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問題文
(かれはいじわるでもなく、といってざんにんこくはくなおとこでもなかった。)
彼は意地悪でもなく、といって残忍酷薄な男でもなかった。
(ただひじょうにかわったしゅみをもっていたというだけのことだ。)
ただ非常に変わった趣味を持っていたというだけのことだ。
(しかしそのしゅみもたいていやりつくしてしまって、)
しかしその趣味もたいていやりつくしてしまって、
(いまでは、それにもいきいきするほどきょうみをかんじないようになったのである。)
今では、それにもいきいきするほど興味を感じないようになったのである。
(かれはたびたびげきじょうへでかけた。けれど、それはえんぎをかんしょうしたり、)
彼は度々劇場へでかけた。けれど、それは演技を観賞したり、
(おぺらぐらすでけんぶつせきをみまわしたりするのがもくてきではなくて、)
オペラグラスで見物席を見回したりするのが目的ではなくて、
(そうしてたびたびいっているうちに、とつぜんにげきじょうのかさいというような)
そうして度々行っているうちに、突然に劇場の火災というような
(めずらしいじけんにでくわすかもしれないという、いっしゅのきたいからであった。)
めずらしい事件にでくわすかもしれないという、一種の期待からであった。
(また、ぬいえへでかけては、いろいろなみせものごやを)
また、ヌイエへでかけては、いろいろな見世物小屋を
(かたっぱしからあさりあるいたが、それもあるとっぱつてきなさいなん、)
片っ端からあさり歩いたが、それもある突発的な災難、
(たとえば、もうじゅうつかいがもうじゅうにかみつかれるというような)
例えば、猛獣使いが猛獣に噛みつかれるというような
(ちんじをきたいしてのことであった。いちじき、とうぎゅうけんぶつにねっちゅうしたことも)
珍事を期待してのことであった。一時期、闘牛見物に熱中したことも
(あったが、じきにあきてしまった。うしを「とさつ」するあのほうほうが)
あったが、じきに飽きてしまった。牛を「と殺」するあの方法が
(あまりにきそくただしく、あまりにしぜんにみえるのがきにいらなかった。)
あまりに規則正しく、あまりに自然に見えるのが気に入らなかった。
(それにふしょうしたうしのくもんをみるのも、いやであった。)
それに負傷した牛の苦悶を見るのも、嫌であった。
(かれがこころからあこがれたのは、おもいがけないときにとつぜんわきおこるさんじ、)
彼が心から憧れたのは、思いがけないときに突然わきおこる惨事、
(あるいはなにかめずらしいじけんからしょうじるかいかん、そしてかげきなしそう)
あるいはなにか珍しい事件から生じる快感、そして過激な思想
(そのものであった。じっさい、おぺらこみっくざがやけたばんに、)
そのものであった。実際、オペラコミック座が焼けた晩に、
(かれはぐうぜんそこへかんげきにいっていて、あのことばにできないだいこんざつのなかから)
彼は偶然そこへ観劇に行っていて、あの言葉にできない大混雑の中から
(ふしぎにもけがひとつせずに、にげだしたのであった。)
不思議にもケガひとつせずに、逃げだしたのであった。
(それから、ゆうめいなもうじゅうつかいのふれっどがらいおんにくいころされたときは、)
それから、有名な猛獣使いのフレッドがライオンに食い殺されたときは、
(おりのすぐそばで、はっきりとそのさんげきをみていたのだ。)
檻のすぐそばで、はっきりとその惨劇を見ていたのだ。
(ところが、それいらいかれはしばいやどうぶつのみせものに、ぜんぜんきょうみをもたなくなった。)
ところが、それ以来彼は芝居や動物の見世物に、全然興味を持たなくなった。
(もとからそんなものにばかりねっちゅうしていたかれがきゅうにれいたんになったのを、)
元からそんなものにばかり熱中していた彼が急に冷淡になったのを、
(ともだちがふしぎにおもってそのわけをたずねると、かれはこんなふうにこたえた。)
友だちが不思議に思ってそのわけを尋ねると、彼はこんな風に答えた。
(「あんなところには、もうぼくのみるものはなくなったよ。)
「あんな所には、もう僕の見るものは無くなったよ。
(まったくきょうみがないね。ぼくはみんながあっというようなものをみたいんだ」)
まったく興味がないね。僕はみんながアッというようなものを見たいんだ」
(しばいとみせものという、ふたつのどうらく。しかもじゅうねんもかよいつめて)
芝居と見世物という、二つの道楽。しかも十年も通い詰めて
(やっとよくぼうをみたしたが、そのたのしみをうしなってからというものは、)
やっと欲望を満たしたが、その楽しみを失ってからというものは、
(かれはせいしんてきにもにくたいてきにもひどくすいじゃくしてしまって、)
彼は精神的にも肉体的にもひどく衰弱してしまって、
(そののちすうかげつかん、めったにがいしゅつしなかった。)
そののち数カ月間、滅多に外出しなかった。
(ところがあるひ、ぱりのまちに、なんどもすられているきれいなぽすたーが)
ところがある日、パリの街に、何度も刷られている綺麗なポスターが
(はりだされた。そのぽすたーは、くっきりとこいあおいろをはいけいにして、)
はりだされた。そのポスターは、くっきりと濃い青色を背景にして、
(ひとりのじてんしゃのりをめだつようにしたものであったが、)
一人の自転車乗りを目立つようにしたものであったが、
(まずいっぽんのきどうがしたへむかってうねうねといくえにもまがりくねって、)
まず一本の軌道が下へ向かってうねうねと幾重にも曲がりくねって、
(さいごのほうはりぼんをたれたように、すいちょくにじめんへおちていた。)
最後のほうはリボンをたれたように、垂直に地面へ落ちていた。
(そしてそのきどうのちょうじょうには、じてんしゃのりがいままさにかけだそうとして)
そしてその軌道の頂上には、自転車乗りが今まさに駆けだそうとして
(あいずをまっているのだが、きどうがとてもたかいので、そのじてんしゃのりは、)
合図を待っているのだが、軌道がとても高いので、その自転車乗りは、
(ぽっちりとうったひとつのてんほどにしかみえなかった。)
ぽっちりと打ったひとつの点ほどにしか見えなかった。
(このぽすたーは、じてんしゃきょくげいだんのこうこくだったのである。)
このポスターは、自転車曲芸団の広告だったのである。
(そのひのかくしんぶんは、このきわどい「はなれわざ」のきじをかかげて)
その日の各新聞は、この際どい「はなれわざ」の記事をかかげて
(きばつなぽすたーのせつめいをしてくれていたが、それによると、このきょくげいしは、)
奇抜なポスターの説明をしてくれていたが、それによると、この曲芸師は、
(そのふくざつにいりくんだきどうを、ひじょうなほどかいそくりょくでかぜのごとく)
その複雑に入り組んだ軌道を、非常なほど快速力で風のごとく
(のりまわしてさいごにじめんへとぶのだが、かれはだいたんにも、そのきけんきわまる)
乗りまわして最後に地面へ跳ぶのだが、彼は大胆にも、その危険きわまる
(きょくのりのさいちゅうに、じてんしゃのうえでさかだちをするということであった。)
曲乗りの最中に、自転車の上で逆立ちをするということであった。
(きょくげいしはしんぶんきしゃをしょうたいしたさいに、きどうとじてんしゃとをじっさいのばでしらべさせて、)
曲芸師は新聞記者を招待した際に、軌道と自転車とを実際の場で調べさせて、
(たねもしかけもないことをしょうめいした。そしてじぶんの「はなれわざ」は、)
種もしかけもないことを証明した。そして自分の「はなれわざ」は、
(きょくどにせいかくなけいさんによるものであって、)
極度に正確な計算によるものであって、
(せいしんしゅうちゅうさようがかんぜんになっているかぎり、まんがいちにもしっぱいするしんぱいはないと)
精神集中作用が完全になっている限り、万が一にも失敗する心配はないと
(だんげんしたそうだ。しかし、かりにもにんげんのせいめいがせいしんしゅうちゅうひとつで)
断言したそうだ。しかし、仮にも人間の生命が精神集中ひとつで
(たもたれているばあい、それはずいぶんふあんていなおれまがったくぎに、)
保たれている場合、それはずいぶん不安定な折れ曲がった釘に、
(かかっているようなものでもあるのだ。さてこのはりだされたぽすたーを)
かかっているようなものでもあるのだ。さてこの貼りだされたポスターを
(みると、そのせいしんいじょうしゃはすこしげんきがかいふくしてきた。)
見ると、その精神異常者は少し元気が回復してきた。
(かれはそこになんらかのあたらしいしげきが、じぶんをまっているにちがいないという)
彼はそこになんらかの新しい刺激が、自分を待っているに違いないという
(かくしんをもって、「いまにみろ」とともだちにこうげんもした。)
確信を持って、「今に見ろ」と友だちに公言もした。