夜長姫と耳男4

1999(平成11)年1月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第四九巻第六号」
1952(昭和27)年6月1日発行
初出:「新潮 第四九巻第六号」
1952(昭和27)年6月1日発行
入力:砂場清隆
校正:田中敬三
2006年2月21日作成
青空文庫作成ファイル
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問題文
(おれにごろくにちおくれてあおがさがついた。)
オレに五六日おくれて青ガサが着いた。
(またごろくにちおくれて、ふるかまのかわりにせがれのちいさがまがとうちゃくした。)
また五六日おくれて、フル釜の代りに倅の小釜が到着した。
(それをみるとあおがさはしっしょうしていった。)
それを見ると青ガサは失笑して云った。
(「うまみみのししょうだけかとおもったら、ふるかまもか。)
「馬耳の師匠だけかと思ったら、フル釜もか。
(このあおがさにかてぬとみたのはしゅしょうなことだが、)
この青ガサに勝てぬと見たのは殊勝なことだが、
(みがわりのふたりのこものがきのどくだ」)
身代りの二人の小者が気の毒だ」
(ひめがおれをうまにみたててから、)
ヒメがオレを馬に見立ててから、
(ひとびとはおれをうまみみとよぶようになっていた。)
人々はオレをウマミミとよぶようになっていた。
(おれはあおがさのこうまんがにくいとおもったが、だまっていた。)
オレは青ガサの高慢が憎いと思ったが、だまっていた。
(おれのはらはきまっていたのだ。)
オレの肚はきまっていたのだ。
(ここをしにばしょとかくごをきめていっしんふらんにしごとにせいをうちこむだけだ。)
ここを死場所と覚悟をきめて一心不乱に仕事に精をうちこむだけだ。
(ちいさがまはおれのななつあにだった。)
チイサ釜はオレの七ツ兄だった。
(かれのちちのふるかまもびょうきとしょうしてせがれをかわりにさしむけたが、)
彼の父のフル釜も病気と称して倅を代りに差し向けたが、
(とりざたではけびょうであったといわれていた。)
取沙汰では仮病であったと云われていた。
(ししゃのあなまろがいちばんおそくかれをむかえにでかけたので)
使者のアナマロが一番おそく彼を迎えにでかけたので
(はらをたてたのだそうだ。)
腹を立てたのだそうだ。
(しかし、ちいさがまがちちにおとらぬたくみであるということは)
しかし、チイサ釜が父に劣らぬタクミであるということは
(すでにひょうばんがあったから、)
すでに評判があったから、
(おれのばあいのようにいがいなみがわりではなかったのである。)
オレの場合のように意外な身代りではなかったのである。
(ちいさがまはうでによほどのおぼえがあるのか、)
チイサ釜は腕によほどの覚えがあるのか、
(あおがさのこうまんをまゆのけのひとすじすらもうごかすことなくききながした。)
青ガサの高慢を眉の毛の一筋すらも動かすことなく聞きながした。
(そして、あおがさにも、またおれにも、おなじようにていちょうにあいさつした。)
そして、青ガサにも、またオレにも、同じように鄭重に挨拶した。
(ひどくおちついたやつだとおもってうすきみがわるかったが、)
ひどく落附いた奴だと思って薄気味がわるかったが、
(そのあとだんだんみていると、)
その後だんだん見ていると、
(やつはおはよう、こんちは、こんばんは、などのあいさついがいには)
奴はオハヨウ、コンチハ、コンバンハ、などの挨拶以外には
(ひとにはなしかけないことがわかった。)
人に話しかけないことが分った。
(おれがきがついたとおなじことを、あおがさもきがついた。)
オレが気がついたと同じことを、青ガサも気がついた。
(そしてかれはちいさがまにいった。)
そして彼はチイサ釜に云った。
(「おめえはどういうわけであいさつのこうじょうだけはぬかりなくのべやがるんだ。)
「オメエはどういうわけで挨拶の口上だけはヌカリなく述べやがるんだ。
(まるでひたいへとまったはえはてではらうものだときめたようにうるさいぞ。)
まるでヒタイへとまったハエは手で払うものだときめたようにウルサイぞ。
(たくみのてはのみをつかうが、)
タクミの手はノミを使うが、
(いちいちはえをおうためにかたのほねがのびてきたわけではあるまい。)
一々ハエを追うために肩の骨が延びてきたわけではあるまい。
(ひとのくちはひつようをべんじるためにあながあいているのだが、)
人の口は必要を弁じるために孔があいているのだが、
(あさばんのあいさつなんぞは、したをだしても、へをたれてもまにあうものだ」)
朝晩の挨拶なんぞは、舌を出しても、屁をたれても間に合うものだ」
(おれはこれをきいて、ずけずけとものをいうあおがさがなんとなくきにいった。)
オレはこれをきいて、ズケズケと物を云う青ガサがなんとなく気に入った。