押絵と旅する男3
2005(平成17)年1月20日初版1刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第三巻」平凡社
1932(昭和7)年1月
初出:「新青年」博文館
1929(昭和4)年6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2016年1月1日作成
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
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1 | berry | 6809 | S++ | 7.0 | 97.3% | 648.9 | 4545 | 126 | 92 | 2024/11/11 |
2 | miko | 5935 | A+ | 6.1 | 97.2% | 750.1 | 4581 | 129 | 92 | 2024/11/17 |
3 | もっちゃん先生 | 4796 | B | 5.0 | 94.4% | 902.0 | 4596 | 270 | 92 | 2024/11/09 |
4 | Par99 | 4166 | C | 4.2 | 97.9% | 1068.0 | 4546 | 96 | 92 | 2024/11/14 |
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問題文
(わたしはかれとむきあったくっしょんへ、そっとこしをおろし、)
私は彼と向き合ったクッションへ、そっと腰をおろし、
(ちかよればいっそういようにみえるかれのしわだらけのしろいかおを、)
近寄れば一層異様に見える彼の皺だらけの白い顔を、
(わたしじしんがようかいででもあるような、いっしゅふかしぎな、てんとうしたきもちで、)
私自身が妖怪ででもある様な、一種不可思議な、顛倒した気持で、
(めをほそくいきをころしてじっとのぞきこんだものである。)
目を細く息を殺してじっと覗き込んだものである。
(おとこは、わたしがじぶんのせきをたったときから、)
男は、私が自分の席を立った時から、
(ずっとめでわたしをむかえるようにしていたが、)
ずっと目で私を迎える様にしていたが、
(そうしてわたしがかれのかおをのぞきこむと、まちうけていたように、)
そうして私が彼の顔を覗き込むと、待ち受けていた様に、
(あごでかたわらのれいのへんぺいなにもつをさししめし、)
顎で傍らの例の扁平な荷物を指し示し、
(なんのまえおきもなく、さもそれがとうぜんのあいさつででもあるように、)
何の前置きもなく、さもそれが当然の挨拶ででもある様に、
(「これでございますか」)
「これでございますか」
(といった。そのくちょうが、あまりあたりまえであったので、)
と云った。その口調が、余り当り前であったので、
(わたしはかえって、ぎょっとしたほどであった。)
私は却て、ギョッとした程であった。
(「これがごらんになりたいのでございましょう」)
「これが御覧になりたいのでございましょう」
(わたしがだまっているので、かれはもういちどおなじことをくりかえした。)
私が黙っているので、彼はもう一度同じことを繰返した。
(「みせてくださいますか」)
「見せて下さいますか」
(わたしはあいてのちょうしにひきこまれて、ついへんなことをいってしまった。)
私は相手の調子に引込まれて、つい変なことを云ってしまった。
(わたしはけっしてそのにもつをみたいために)
私は決してその荷物を見たい為に
(せきをたったわけではなかったのだけれど。)
席を立った訳ではなかったのだけれど。
(「よろこんでおみせいたしますよ。)
「喜んで御見せ致しますよ。
(わたくしは、さっきからかんがえていたのでございますよ。)
わたくしは、さっきから考えていたのでございますよ。
(あなたはきっとこれをみにおいでなさるだろうとね」)
あなたはきっとこれを見にお出でなさるだろうとね」
(おとこはむしろろうじんといったほうがふさわしいのだが)
男は寧ろ老人と云った方がふさわしいのだが
(そういいながら、ながいゆびで、きようにおおぶろしきをほどいて、)
そう云いながら、長い指で、器用に大風呂敷をほどいて、
(そのがくみたいなものを、)
その額みたいなものを、
(こんどはおもてをむけて、まどのところへたてかけたのである。)
今度は表を向けて、窓の所へ立てかけたのである。
(わたしはひとめちらっと、そのおもてめんをみると、おもわずめをとじた。)
私は一目チラッと、その表面を見ると、思わず目をとじた。
(なぜであったか、そのりゆうはいまでもわからないのだが、)
何故であったか、その理由は今でも分らないのだが、
(なんとなくそうしなければならぬかんじがして、)
何となくそうしなければならぬ感じがして、
(すうびょうのあいだめをふさいでいた。ふたたびめをひらいたとき、)
数秒の間目をふさいでいた。再び目を開いた時、
(わたしのまえに、かつてみたことのないような、)
私の前に、嘗て見たことのない様な、
(きみょうなものがあった。といって、わたしは)
奇妙なものがあった。と云って、私は
(その「きみょう」なてんをはっきりとせつめいすることばをもたぬのだが。)
その「奇妙」な点をハッキリと説明する言葉を持たぬのだが。
(がくにはかぶきしばいのごてんのはいけいみたいに、)
額には歌舞伎芝居の御殿の背景みたいに、
(いくつものへやをうちぬいて、きょくどのえんきんほうで、)
幾つもの部屋を打抜いて、極度の遠近法で、
(あおだたみとこうしてんじょうがはるかむこうのほうまでつづいているようなこうけいが、)
青畳と格子天井が遙か向うの方まで続いている様な光景が、
(あいをしゅとしたどろえのぐでどくどくしくぬりつけてあった。)
藍を主とした泥絵具で毒々しく塗りつけてあった。
(ひだりてのぜんぽうには、すみくろぐろとぶさいくなしょいんふうのまどがえがかれ、)
左手の前方には、墨黒々と不細工な書院風の窓が描かれ、
(おなじいろのふづくえが、そのそばにかくどをむししたかきかたで、)
同じ色の文机が、その傍に角度を無視した描き方で、
(すえてあった。それらのはいけいは、)
据えてあった。それらの背景は、
(あのえまふだのえのどくとくながふうににていたといえば、)
あの絵馬札の絵の独特な画風に似ていたと云えば、
(いちばんよくわかるであろうか。)
一番よく分るであろうか。
(そのはいけいのなかに、いっしゃくくらいのたけのふたりのじんぶつがうきだしていた。)
その背景の中に、一尺位の丈の二人の人物が浮き出していた。
(うきだしていたというのは、)
浮き出していたと云うのは、
(そのじんぶつだけが、おしえざいくでできていたからである。)
その人物丈けが、押絵細工で出来ていたからである。
(くろびろうどのこふうなようふくをきたしらがのろうじんが、)
黒天鵞絨の古風な洋服を着た白髪の老人が、
(きゅうくつそうにすわっていると、(ふしぎなことには、)
窮屈そうに坐っていると、(不思議なことには、
(そのようぼうが、かみのいろをのぞくと、がくのもちぬしのろうじんに)
その容貌が、髪の色を除くと、額の持主の老人に
(そのままなばかりか、きているようふくのしたてかたまでそっくりであった))
そのままなばかりか、着ている洋服の仕立方までそっくりであった)
(ひかのこのふりそでに、くろじゅすのおびのうつりのよいじゅうななはちの、)
緋鹿の子の振袖に、黒繻子の帯の映りのよい十七八の、
(みずのたれるようなゆいわたのびしょうじょが、なんともいえぬきょうしゅうをふくんで、)
水のたれる様な結綿の美少女が、何とも云えぬ嬌羞を含んで、
(そのろうじんのようふくのひざにしなだれかかっている、)
その老人の洋服の膝にしなだれかかっている、
(いわばしばいのぬればにるいするがめんであった。)
謂わば芝居の濡れ場に類する画面であった。
(ようふくのろうじんといろむすめのたいしょうと、はなはだいようであったことはいうまでもないが、)
洋服の老人と色娘の対照と、甚だ異様であったことは云うまでもないが、
(だがわたしが「きみょう」にかんじたというのはそのことではない。)
だが私が「奇妙」に感じたというのはそのことではない。
(はいけいのそざつにひかえて、おしえのさいくのせいこうなことはおどろくばかりであった。)
背景の粗雑に引かえて、押絵の細工の精巧なことは驚くばかりであった。
(かおのぶぶんは、しらぎぬはおうとつをつくって、)
顔の部分は、白絹は凹凸を作って、
(ほそいしわまでひとつひとつあらわしてあったし、)
細い皺まで一つ一つ現わしてあったし、
(むすめのかみは、ほんとうのもうはつをいっぽんいっぽんうえつけて、)
娘の髪は、本当の毛髪を一本一本植えつけて、
(にんげんのかみをゆうようにゆってあり、ろうじんのあたまは、これもたぶんほんもののしらがを、)
人間の髪を結う様に結ってあり、老人の頭は、これも多分本物の白髪を、
(たんねんにうえたものにそういなかった。ようふくにはただしいぬいめがあり、)
丹念に植えたものに相違なかった。洋服には正しい縫い目があり、
(てきとうなばしょにあわつぶほどのぼたんまでつけてあるし、)
適当な場所に粟粒程の釦までつけてあるし、
(むすめのちちのふくらみといい、もものあたりのつやめいたきょくせんといい、)
娘の乳のふくらみと云い、腿のあたりの艶めいた曲線と云い、
(こぼれたひぢりめん、ちらとみえるはだのいろ、ゆびにはかいがらのようなつめがはえていた。)
こぼれた緋縮緬、チラと見える肌の色、指には貝殻の様な爪が生えていた。
(むしめがねでのぞいてみたら、けあなやうぶげまで、)
虫眼鏡で覗いて見たら、毛穴や産毛まで、
(ちゃんとこしらえてあるのではないかとおもわれたほどである。)
ちゃんと拵らえてあるのではないかと思われた程である。
(わたしはおしえといえば、はごいたのやくしゃのにがおのさいくしかみたことがなかったが、)
私は押絵と云えば、羽子板の役者の似顔の細工しか見たことがなかったが、
(そして、はごいたのさいくにも、ずいぶんせいこうなものもあるのだけれど、)
そして、羽子板の細工にも、随分精巧なものもあるのだけれど、
(このおしえは、そんなものとは、まるでひかくにもならぬほど、)
この押絵は、そんなものとは、まるで比較にもならぬ程、
(こうちをきわめていたのである。)
巧緻を極めていたのである。
(おそらくそのみちのめいじんのてになったものであろうか。)
恐らくその道の名人の手に成ったものであろうか。
(だが、それがわたしのいわゆる「きみょう」なてんではなかった。)
だが、それが私の所謂「奇妙」な点ではなかった。
(がくぜんたいがよほどふるいものらしく、はいけいのどろえのぐはところどころはげおちていたし、)
額全体が余程古いものらしく、背景の泥絵具は所々はげ落ていたし、
(むすめのひかのこも、ろうじんのびろうども、みるかげもなくいろあせていたけれど、)
娘の緋鹿の子も、老人の天鵞絨も、見る影もなく色あせていたけれど、
(はげおちいろあせたなりに、めいじょうしがたきどくどくしさをたもち、)
はげ落ち色あせたなりに、名状し難き毒々しさを保ち、
(ぎらぎらと、みるもののがんていにやきつくようなせいきをもっていたことも、)
ギラギラと、見る者の眼底に焼きつく様な生気を持っていたことも、
(ふしぎといえばふしぎであった。)
不思議と云えば不思議であった。
(だが、わたしの「きみょう」といういみはそれでもない。)
だが、私の「奇妙」という意味はそれでもない。
(それは、もししいていうならば、)
それは、若し強て云うならば、
(おしえのじんぶつがふたつとも、いきていたことである。)
押絵の人物が二つとも、生きていたことである。
(ぶんらくのにんぎょうしばいで、いちにちのえんぎのうちに、)
文楽の人形芝居で、一日の演技の内に、
(たったいちどかにど、それもほんのいっしゅんかん、)
たった一度か二度、それもほんの一瞬間、
(めいじんのつかっているにんぎょうが、ふとかみのいぶきをかけられでもしたように、)
名人の使っている人形が、ふと神の息吹をかけられでもした様に、
(ほんとうにいきていることがあるものだが、)
本当に生きていることがあるものだが、
(このおしえのじんぶつは、そのいきたしゅんかんのにんぎょうを、)
この押絵の人物は、その生きた瞬間の人形を、
(いのちのにげだすすきをあたえず、とっさのまに、そのままいたにはりつけた)
命の逃げ出す隙を与えず、咄嗟の間に、そのまま板にはりつけた
(というかんじで、えいえんにいきながらえているかとみえたのである。)
という感じで、永遠に生きながらえているかと見えたのである。
(わたしのひょうじょうにおどろきのいろをみてとったからか、ろうじんは、)
私の表情に驚きの色を見て取ったからか、老人は、
(いとたのもしげなくちょうで、ほとんどさけぶように、)
いとたのもしげな口調で、殆ど叫ぶ様に、
(「ああ、あなたはわかってくださるかもしれません」)
「アア、あなたは分って下さるかも知れません」
(といいながら、かたからさげていた、くろかわのけーすを、)
と云いながら、肩から下げていた、黒革のケースを、
(ていねいにかぎであいて、そのなかから、いともこふうなそうがんきょうをとりだして)
叮嚀に鍵で開いて、その中から、いとも古風な双眼鏡を取り出して
(それをわたしのほうへさしだすのであった。)
それを私の方へ差出すのであった。