押絵と旅する男
2005(平成17)年1月20日初版1刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第三巻」平凡社
1932(昭和7)年1月
初出:「新青年」博文館
1929(昭和4)年6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2016年1月1日作成
関連タイピング
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問題文
(このはなしがわたしのゆめか)
この話が私の夢か
(わたしのいちじてききょうきのまぼろしでなかったならば、)
私の一時的狂気の幻でなかったならば、
(あのおしえとたびをしていたおとここそきょうじんであったにそういない。)
あの押絵と旅をしていた男こそ狂人であったに相違ない。
(だが、ゆめがときとして、)
だが、夢が時として、
(どこかこのせかいとくいちがったべつのせかいを、)
どこかこの世界と喰違った別の世界を、
(ちらりとのぞかせてくれるように、)
チラリと覗かせてくれる様に、
(またきょうじんが、われわれのまったくかんじえぬものごとを)
又狂人が、我々の全く感じ得ぬ物事を
(みたりきいたりするとおなじに、)
見たり聞いたりすると同じに、
(これはわたしが、ふかしぎなたいきのれんずしかけをとおして、)
これは私が、不可思議な大気のレンズ仕掛けを通して、
(いっせつな、このよのしやのそとにある、べつのせかいのいちぐうを、)
一刹那、この世の視野の外にある、別の世界の一隅を、
(ふとすきみしたのであったかもしれない。)
ふと隙見したのであったかも知れない。
(いつともしれぬ、あるあたたかいうすぐもったひのことである。)
いつとも知れぬ、ある暖かい薄曇った日のことである。
(そのとき、わたしはわざわざうおづへ)
その時、私は態々魚津へ
(しんきろうをみにでかけたかえりみちであった。)
蜃気楼を見に出掛けた帰り途であった。
(わたしがこのはなしをすると、ときどき、)
私がこの話をすると、時々、
(おまえはうおづなんかへいったことはないじゃないかと、)
お前は魚津なんかへ行ったことはないじゃないかと、
(したしいともだちにつっこまれることがある。)
親しい友達に突っ込まれることがある。
(そういわれてみると、わたしはいつのなんにちに)
そう云われて見ると、私は何時の何日に
(うおづへいったのだと、はっきりしょうこをしめすことができぬ。)
魚津へ行ったのだと、ハッキリ証拠を示すことが出来ぬ。
(それではやっぱりゆめであったのか。)
それではやっぱり夢であったのか。
(だがわたしはかつて、あのようにのうこうなしきさいをもったゆめを)
だが私は嘗て、あのように濃厚な色彩を持った夢を
(みたことがない。ゆめのなかのけしきは、えいがとおなじに、)
見たことがない。夢の中の景色は、映画と同じに、
(まったくしきさいをともなわぬものであるのに、)
全く色彩を伴わぬものであるのに、
(あのおりのきしゃのなかのけしきだけは、)
あの折の汽車の中の景色丈けは、
(それもあのどくどくしいおしえのがめんがちゅうしんになって、)
それもあの毒々しい押絵の画面が中心になって、
(むらさきとえんじのかったしきさいで、まるでへびのめのどうこうのように、)
紫と臙脂の勝た色彩で、まるで蛇の眼の瞳孔の様に、
(なまなましくわたしのきおくにやきついている。)
生々しく私の記憶に焼ついている。
(ちゃくしょくえいがのゆめというものがあるのであろうか。)
着色映画の夢というものがあるのであろうか。
(わたしはそのとき、うまれてはじめてしんきろうというものをみた。)
私はその時、生れて初めて蜃気楼というものを見た。
(はまぐりのいきのなかにうつくしいりゅうぐうじょうのうかんでいる、)
蛤の息の中に美しい龍宮城の浮んでいる、
(あのこふうなえをそうぞうしていたわたしは、)
あの古風な絵を想像していた私は、
(ほんもののしんきろうをみて、あぶらあせのにじむような、)
本物の蜃気楼を見て、膏汗のにじむ様な、
(きょうふにちかいおどろきにうたれた。)
恐怖に近い驚きに撃たれた。
(うおづのはまのまつなみきに)
魚津の浜の松並木に
(まめつぶのようなにんげんがうじゃうじゃとあつまって、)
豆粒の様な人間がウジャウジャと集まって、
(いきをころして、がんかいいっぱいのおおぞらとかいめんとをながめていた。)
息を殺して、眼界一杯の大空と海面とを眺めていた。
(わたしはあんなしずかな、)
私はあんな静かな、
(おしのようにだまっているうみをみたことがない。)
唖の様にだまっている海を見たことがない。
(にほんかいはあらうみとおもいこんでいたわたしには、)
日本海は荒海と思い込んでいた私には、
(それもひどくいがいであった。)
それもひどく意外であった。
(そのうみは、はいいろで、まったくさざなみひとつなく、)
その海は、灰色で、全く小波一つなく、
(むげんのかなたにまでうちつづくぬまかとおもわれた。)
無限の彼方にまで打続く沼かと思われた。
(そして、たいへいようのうみのように、すいへいせんはなくて、)
そして、太平洋の海の様に、水平線はなくて、
(うみとそらとは、おなじはいいろにとけあい、)
海と空とは、同じ灰色に溶け合い、
(あつさのしれぬもやにおおいつくされたかんじであった。)
厚さの知れぬ靄に覆いつくされた感じであった。
(そらだとばかりおもっていた、じょうぶのもやのなかを、)
空だとばかり思っていた、上部の靄の中を、
(あんがいにもそこがかいめんであって、)
案外にもそこが海面であって、
(ふわふわとゆうれいのような、おおきなしらほがすべっていったりした。)
フワフワと幽霊の様な、大きな白帆が滑って行ったりした。
(しんきろうとは、ちちいろのふぃるむのひょうめんにぼくじゅうをたらして、)
蜃気楼とは、乳色のフィルムの表面に墨汁をたらして、
(それがしぜんにじわじわとにじんでいくのを、)
それが自然にジワジワとにじんで行くのを、
(とほうもなくきょだいなえいがにして、)
途方もなく巨大な映画にして、
(おおぞらにうつしだしたようなものであった。)
大空に映し出した様なものであった。
(はるかなのとはんとうのしんりんが、)
遙かな能登半島の森林が、
(くいちがったたいきのへんけいれんずをとおして、すぐめのまえのおおぞらに、)
喰違った大気の変形レンズを通して、すぐ目の前の大空に、
(しょうてんのよくあわぬけんびきょうのしたのくろいむしみたいに、)
焦点のよく合わぬ顕微鏡の下の黒い虫みたいに、
(あいまいに、しかもばかばかしくかくだいされて、)
曖昧に、しかも馬鹿馬鹿しく拡大されて、
(みるもののずじょうにおしかぶさってくるのであった。)
見る者の頭上におしかぶさって来るのであった。
(それは、みょうなかたちのくろくもとにていたけれど、)
それは、妙な形の黒雲と似ていたけれど、
(くろくもなればそのしょざいがはっきりわかっているにはんし、)
黒雲なればその所在がハッキリ分っているに反し、
(しんきろうは、ふしぎにも、それとみるものとのきょりが)
蜃気楼は、不思議にも、それと見る者との距離が
(ひじょうにあいまいなのだ。とおくのかいじょうにただようおおにゅうどうのようでもあり、)
非常に曖昧なのだ。遠くの海上に漂う大入道の様でもあり、
(ともすれば、がんぜんいっしゃくにせまるいけいのもやかとみえ、)
ともすれば、眼前一尺に迫る異形の靄かと見え、
(はては、みるもののかくまくのひょうめんに、ぽっつりとうかんだ、)
はては、見る者の角膜の表面に、ポッツリと浮んだ、
(いってんのくもりのようにさえかんじられた。)
一点の曇りの様にさえ感じられた。
(このきょりのあいまいさが、しんきろうに、)
この距離の曖昧さが、蜃気楼に、
(そうぞういじょうのぶきみなきちがいめいたかんじをあたえるのだ。)
想像以上の不気味な気違いめいた感じを与えるのだ。
(あいまいなかたちの、まっくろなきょだいなさんかっけいが、)
曖昧な形の、真黒な巨大な三角形が、
(とうのようにつみかさなっていったり、またたくまにくずれたり、)
塔の様に積重なって行ったり、またたく間にくずれたり、
(よこにのびてながいきしゃのようにはしったり、)
横に延びて長い汽車の様に走ったり、
(それがいくつかにくずれ、たちならぶひのきのこずえとみえたり、)
それが幾つかにくずれ、立並ぶ檜の梢と見えたり、
(じっとうごかぬようでいながら、)
じっと動かぬ様でいながら、
(いつとはなく、まったくちがったかたちにばけていった。)
いつとはなく、全く違った形に化けて行った。
(しんきろうのまりょくが、にんげんをきちがいにするものであったなら、)
蜃気楼の魔力が、人間を気違いにするものであったなら、
(おそらくわたしは、すくなくともかえりみちのきしゃのなかまでは、)
恐らく私は、少くとも帰り途の汽車の中までは、
(そのまりょくをのがれることができなかったのであろう。)
その魔力を逃れることが出来なかったのであろう。
(にじかんのよもたちつくして、おおぞらのよういをながめていたわたしは、)
二時間の余も立ち尽して、大空の妖異を眺めていた私は、
(そのゆうがたうおづをたって、きしゃのなかにいちやをすごすまで、)
その夕方魚津を立って、汽車の中に一夜を過ごすまで、
(まったくにちじょうとことなったきもちでいたことはたしかである。)
全く日常と異った気持でいたことは確である。
(もしかしたら、それはとおりまのように、)
若しかしたら、それは通り魔の様に、
(にんげんのこころをかすめおかすところの、)
人間の心をかすめ冒す所の、
(いちじてききょうきのたぐいででもあったであろうか。)
一時的狂気の類ででもあったであろうか。