夜長姫と耳男10
1999(平成11)年1月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第四九巻第六号」
1952(昭和27)年6月1日発行
初出:「新潮 第四九巻第六号」
1952(昭和27)年6月1日発行
入力:砂場清隆
校正:田中敬三
2006年2月21日作成
青空文庫作成ファイル
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
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1 | Par8 | 4351 | C+ | 4.3 | 98.9% | 798.4 | 3512 | 38 | 83 | 2024/11/08 |
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問題文
(そのとき、ひめのこえがきこえた。)
そのとき、ヒメの声がきこえた。
(「すだれをあげて」そうめいじた。)
「スダレをあげて」そう命じた。
(たぶんじじょもいるのだろうが、)
たぶん侍女もいるのだろうが、
(おれはめをあけてたしかめるのをひかえた。)
オレは目を開けて確かめるのを控えた。
(いっときもはやくあせのあまだれをくいとめるには、)
一時も早く汗の雨ダレを食いとめるには、
(みたいものもみてはならぬ。)
見たいものも見てはならぬ。
(おれはもういちどじっくりとひめのかおがみたかったのだ。)
オレはもう一度ジックリとヒメの顔が見たかったのだ。
(「みみおよ。めをあけて。そして、わたしのといにこたえて」)
「耳男よ。目をあけて。そして、私の問いに答えて」
(と、ひめがめいじた。おれはしぶしぶめをあけた。)
と、ヒメが命じた。オレはシブシブ目をあけた。
(すだれはまかれて、ひめはふちにたっていた。)
スダレはまかれて、ヒメは縁に立っていた。
(「おまえ、えなこにみみをきりおとされても、)
「お前、エナコに耳を斬り落されても、
(むしけらにかまれたようだって?ほんとうにそう?」)
虫ケラにかまれたようだッて? ほんとうにそう?」
(むじゃきなあかるいえがおだとおれはおもった。)
無邪気な明るい笑顔だとオレは思った。
(おれはおおきくうなずいて、「ほんとうにそうです」とこたえた。)
オレは大きくうなずいて、「ほんとうにそうです」と答えた。
(「あとでうそだとおっしゃってはだめよ」)
「あとでウソだと仰有ッてはダメよ」
(「そんなことはいいやしません。)
「そんなことは言いやしません。
(むしけらだとおもっているから、しにくびも、いきくびもまっぴらでさあ」)
虫ケラだと思っているから、死に首も、生き首もマッピラでさア」
(ひめはにっこりうなずいた。ひめはえなこにむかっていった。)
ヒメはニッコリうなずいた。ヒメはエナコに向って云った。
(「えなこよ。みみおのかたみみもかんでおやり。)
「エナコよ。耳男の片耳もかんでおやり。
(むしけらにかまれてもはらがたたないそうですから、)
虫ケラにかまれても腹が立たないそうですから、
(ぞんぶんにかんであげるといいわ。むしけらのはをかしてあげます。)
存分にかんであげるといいわ。虫ケラの歯を貸してあげます。
(なくなったおかあさまのかたみのしなのひとつだけど、)
なくなったお母様の形見の品の一ツだけど、
(みみおのみみをかんだあとではおまえにあげます」)
耳男の耳をかんだあとではお前にあげます」
(ひめはかいけんをとってじじょにわたした。)
ヒメは懐剣をとって侍女に渡した。
(じじょはそれをささげてえなこのまえにさしだした。)
侍女はそれをささげてエナコの前に差出した。
(おれはえなこがよもやそれをうけとるとはかんがえていなかった。)
オレはエナコがよもやそれを受けとるとは考えていなかった。
(おのでくびをきるかわりに)
斧でクビを斬る代りに
(いましめのなわをきりはらってやったおれのみみをきるかたなだ。)
イマシメの縄をきりはらってやったオレの耳を斬る刀だ。
(しかし、えなこはうけとった。)
しかし、エナコは受けとった。
(なるほど、ひめのあたえたかたなならうけとらぬわけにはゆくまいが、)
なるほど、ヒメの与えた刀なら受けとらぬワケにはゆくまいが、
(よもやそのさやははらうまいとまたおれはかんがえた。)
よもやそのサヤは払うまいとまたオレは考えた。
(かれんなひめはむじゃきにいたずらをたのしんでいる。)
可憐なヒメは無邪気にイタズラをたのしんでいる。
(そのあかるいえがおをみるがよい。むしもころさぬえがおとは、このことだ。)
その明るい笑顔を見るがよい。虫も殺さぬ笑顔とは、このことだ。
(いたずらをたのしむこうふんもなければ、)
イタズラをたのしむ亢奮もなければ、
(なにかをたくらむかげりもない。どうじょそのもののえがおであった。)
何かを企む翳りもない。童女そのものの笑顔であった。
(おれはこうおもった。)
オレはこう思った。
(もんだいは、えなこがたくみなことばでてにうけたかいけんを)
問題は、エナコが巧みな言葉で手に受けた懐剣を
(ひめにかえすことができるかどうか、ということだ。)
ヒメに返すことができるかどうか、ということだ。
(まんまとかいけんをせしめることができるほど)
まんまと懐剣をせしめることができるほど
(たくみなことばをおもいつけば、なおのことおもしろい。)
巧みな言葉を思いつけば、尚のこと面白い。
(それにおうじて、おれがうまいことけいくのひとつもあわせることができれば、)
それに応じて、オレがうまいこと警句の一ツも合せることができれば、
(このうえもなしであろう。ひめはまんぞくしてすだれをおろすにそういない。)
この上もなしであろう。ヒメは満足してスダレをおろすに相違ない。
(おれがこうかんがえたのは、あとでおもえばふしぎなことだ。)
オレがこう考えたのは、あとで思えばフシギなことだ。
(なぜなら、ひめはえなこにかいけんをあたえて、)
なぜなら、ヒメはエナコに懐剣を与えて、
(おれのみみをきれとめいじているのだし、)
オレの耳を斬れと命じているのだし、
(おれがかたみみをうしなったのもそのおおもとはといえばひめからではないか。)
オレが片耳を失ったのもその大本はと云えばヒメからではないか。
(そして、おれがおそろしいまじんのぞうをきざんでやるぞと)
そして、オレが怖ろしい魔神の像をきざんでやるぞと
(こころをきめたのもひめのため。)
心をきめたのもヒメのため。
(そのぞうをみておどろくひともまずひめでなければならぬはずだ。)
その像を見ておどろく人もまずヒメでなければならぬ筈だ。
(そのひめがえなこにかいけんをあたえて)
そのヒメがエナコに懐剣を与えて
(おれのみみをきりおとせとめいじているのに、)
オレの耳を斬り落せと命じているのに、
(おれがそれをこうふくなあそびのひとときだとふとかんがえていたのは、)
オレがそれを幸福な遊びのひとときだとふと考えていたのは、
(おもえばふしぎなことであった。)
思えばフシギなことであった。
(ひめのさえざえとしたえがお、すんだつぶらなめのせいであろうか。)
ヒメの冴え冴えとした笑顔、澄んだツブラな目のせいであろうか。
(おれはゆめをみたようにふしぎでならぬ。)
オレは夢を見たようにフシギでならぬ。
(おれはえなこがかたなのさやをはらうまいとおもったから、)
オレはエナコが刀のサヤを払うまいと思ったから、
(そのおもいをめにこめてうっとりとひめのえがおにみとれた。)
その思いを目にこめてウットリとヒメの笑顔に見とれた。
(おもえばこれがなによりのふかく、こころのすきであったろう。)
思えばこれが何よりの不覚、心の隙であったろう。
(おれがすさまじいきはくにきがついてめをてんじたとき、)
オレがすさまじい気魄に気がついて目を転じたとき、
(すでにえなこはずかずかとおれのめのまえにすすんでいた。)
すでにエナコはズカズカとオレの目の前に進んでいた。
(しまった!とおれはおもった。)
シマッタ! とオレは思った。
(えなこはおれのはなさきでかいけんのさやをはらい、)
エナコはオレの鼻先で懐剣のサヤを払い、
(おれのみみのさきをつまんだ。)
オレの耳の尖をつまんだ。
(おれはほかのすべてをわすれて、ひめをみた。)
オレは他の全てを忘れて、ヒメを見た。
(ひめのことばがあるはずだ。えなこにあたえるひめのことばが。)
ヒメの言葉がある筈だ。エナコに与えるヒメの言葉が。
(あのさえざえとすんだどうじょのえがおからとうぜんほとばしるつるのひとこえが。)
あの冴え冴えと澄んだ童女の笑顔から当然ほとばしる鶴の一声が。
(おれはぼうぜんとひめのかおをみつめた。さえたむじゃきなえがおを。)
オレは茫然とヒメの顔を見つめた。冴えた無邪気な笑顔を。
(つぶらなすみきっためを。そしておれはほうしんした。)
ツブラな澄みきった目を。そしてオレは放心した。
(このようにしているうちにじゅんをおうて)
このようにしているうちに順を追うて
(おれのみみがきりおとされるのをおれはみんなしっていたが、)
オレの耳が斬り落されるのをオレはみんな知っていたが、
(おれのめはひめのかおをみつめたままどうすることもできなかったし、)
オレの目はヒメの顔を見つめたままどうすることもできなかったし、
(おれのこころはめにこもるほうしんがぜんぶであった。)
オレの心は目にこもる放心が全部であった。
(おれはみみをそぎおとされたのちも、ひめをぼんやりあおぎみていた。)
オレは耳をそぎ落されたのちも、ヒメをボンヤリ仰ぎ見ていた。
(おれのみみがそがれたとき、)
オレの耳がそがれたとき、
(おれはひめのつぶらなめがいきいきとまるくおおきくさえるのをみた。)
オレはヒメのツブラな目が生き生きとまるく大きく冴えるのを見た。
(ひめのほおにややあかみがさした。)
ヒメの頬にやや赤みがさした。
(かるいまんぞくがあらわれて、すぐさまきえた。)
軽い満足があらわれて、すぐさま消えた。
(するとわらいもきえていた。ひどくしんけんなかおだった。)
すると笑いも消えていた。ひどく真剣な顔だった。
(かんがえぶかそうなかおでもあった。)
考え深そうな顔でもあった。
(なんだ、これでぜんぶか、とひめはおこっているようにみえた。)
なんだ、これで全部か、とヒメは怒っているように見えた。
(すると、ふりむいて、ひめはものもいわずたちさってしまった。)
すると、ふりむいて、ヒメは物も云わず立ち去ってしまった。
(ひめがたちさろうとするとき、)
ヒメが立ち去ろうとするとき、
(おれのめにひとつぶずつのおおつぶのなみだがたまっているのにきがついた。)
オレの目に一粒ずつの大粒の涙がたまっているのに気がついた。