時間からの影 第一章_2
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | HAKU | 7364 | 神話生物 | 7.6 | 96.4% | 762.4 | 5828 | 213 | 85 | 2024/10/11 |
2 | subaru | 6860 | 主人公 | 7.1 | 95.5% | 802.9 | 5779 | 271 | 85 | 2024/10/10 |
3 | zero | 6399 | 探索者 | 6.6 | 96.1% | 877.1 | 5850 | 237 | 85 | 2024/10/13 |
4 | miko | 6207 | ミスカトニック大学教授 | 6.3 | 97.7% | 910.8 | 5785 | 131 | 85 | 2024/10/05 |
5 | りく | 5833 | ミスカトニック大学生 | 5.9 | 97.5% | 987.8 | 5913 | 151 | 85 | 2024/10/08 |
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問題文
(それいこうのことはとうぜんながらほかのひとからききづてにしったものである。)
それ以降のことは当然ながら他の人からききづてに知ったものである。
(わたしはくれいんまちにじゅうななばんちのじたくにうつされ、さいりょうのちりょうをうけたにもかかわらず、)
私はクレイン街二十七番地の自宅に移され、最良の治療を受けたにも拘らず、
(じゅうろくじかんはんのあいだいしきをとりもどさなかった。ごがつじゅうごにちごぜんさんじ、)
十六時間半の間意識を取り戻さなかった。五月十五日午前三時、
(わたしはめをあき、はなしはじめた。だが、いしとかぞくがわたしのひょうじょうとげんごのけいこうにかんして)
私は目を開き、話し始めた。だが、医師と家族が私の表情と言語の傾向に関して
(しんそこせんりつをいだくのに、それほどながいじかんはかからなかった。)
心底戦慄を抱くのに、それほど長い時間はかからなかった。
(わたしはあきらかにかことじがどういつせいとをうしなっていたのだが、なんらかのりゆうで)
私は明らかに過去と自我同一性とを失っていたのだが、何らかの理由で
(そのちしきのけつらくをいんぺいしようとつとめていたらしい。)
その知識の欠落を隠蔽しようと努めていたらしい。
(しゅういのひとびとをきみょうなめつきでみつめ、がんめんすじのしゅうしゅくようしきは)
周囲の人々を奇妙な目つきで見つめ、顔面筋の収縮様式は
(かんぜんにみなれぬものだった。 わたしのはなしぶりがまたぶざまでいしつだった。)
完全に見馴れぬものだった。 私の話し振りがまた無様で異質だった。
(じぶんのはっせいきかんをぎこちなくてさぐりでもちい、ようごほうもみょうにかたぐるしく、)
自分の発声器官をぎこちなく手探りで用い、用語法も妙に堅苦しく、
(まるでしょもつからくろうしてえいごをまなんだかのようだった。はつおんはがいこくじんめいていて)
まるで書物から苦労して英語を学んだかのようだった。発音は外国人めいていて
(そのくせかんようくにはみょうにこふうなものやかいもくりかいしかねるごのはいれつが)
そのくせ慣用句には妙に古風なものや皆目理解しかねる語の配列が
(たいりょうにふくまれていた。こうしゃのなかにはおおいにぞっとするほどに)
大量に含まれていた。後者の中には大いにぞっとする程に
(せっとくりょくをもつものがひとつあった。というのも、いちばんわかてのいしが)
説得力を持つものが一つあった。というのも、一番若手の医師が
(にじゅうねんごにおもいだしたのだが、そのころになってもんだいのごくがじっさいに)
二十年後に思い出したのだが、その頃になって問題の語句が実際に
(もちいられるようになったのだはじめはえいこくで、ついでべいこくで)
用いられるようになったのだ初めは英国で、次いで米国で
(うたがいもなくあたらしい、かつたいへんにふくざつなごくであるのに、)
疑いもなく新しい、かつ大変に複雑な語句であるのに、
(1908ねんのあーかむにおけるきかいなかんじゃのなぞのことばを、)
一九〇八年のアーカムにおける奇怪な患者の謎の言葉を、
(さいぶにいたるまでせいかくにさいげんしていたのである。 たいりょくはすぐにかいふくしたが、)
細部に至るまで正確に再現していたのである。 体力はすぐに回復したが、
(りょうて、りょうあしおよびしんたいのかくぶいがつかえるようになるにはふしぎなくらいの)
両手、両脚および身体の各部位が使えるようになるには不思議なくらいの
(さいくんれんをようした。このため、また、きおくのけつらくによりほんらいてきにはっせいする)
再訓練を要した。このため、また、記憶の欠落により本来的に発生する
(ほかのししょうのため、わたしはしばらくのあいだげんじゅうないがくてきかんりかにおかれた。)
他の支障のため、私はしばらくの間厳重な医学的管理下におかれた。
(きおくのけつらくをいんぺいしようというもくろみがしっぱいしたとみるや、)
記憶の欠落を隠蔽しようという目論見が失敗したとみるや、
(わたしはそれをおおっぴらにみとめ、あらゆるじょうほうをむさぼるようになった。)
私はそれを大っぴらに認め、あらゆる情報を貪るようになった。
(そう、いしによると、けんぼうしょうがしぜんなものとしてうけいれられていることを)
そう、医師によると、健忘症が自然なものとして受け容れられていることを
(みいだすとすぐに、わたしはほんらいのじこへのかんしんをうしなったらしいのだ。)
見いだすと直ぐに、私は本来の自己への関心を失ったらしいのだ。
(かれらがきづいたのはこんなことだ。わたしのおもなどりょくは)
彼らが気づいたのはこんなことだ。私の主な努力は
(れきし、かがく、げいじゅつ、げんご、およびみんわにおけるいくつかのてんをますたーすることに)
歴史、科学、芸術、言語、及び民話における幾つかの点をマスターすることに
(むけられていたおそろしくしんえんなものも、ようちなほどたんじゅんなものもあった)
向けられていた恐ろしく深遠なものも、幼稚な程単純なものもあった
(なんともきみょうなことに、おおくのばあいそれらはわたしのいしきのなかにはなかったのだ。)
なんとも奇妙なことに、多くの場合それらは私の意識の中にはなかったのだ。
(どうじにかれらは、わたしがふかかいにもほとんどひとにしられぬおおくのちしきを)
同時に彼らは、私が不可解にもほとんど人に知られぬ多くの知識を
(にぎっていることにもきづいていた)
握っていることにも気づいていた
(わたしはそれらのちしきをおもてにださずかくそうとしていたらしい。)
私はそれらの知識を表に出さず隠そうとしていたらしい。
(いっぱんにじゅようされているれきしのはんいをこえたくらいじだいにぞくするとくていのできごとに)
一般に受容されている歴史の範囲を越えた暗い時代に属する特定の出来事に
(ついて、ついうっかりときがるなかんじでくちにすることがあり、)
ついて、ついうっかりと気軽な感じで口にすることがあり、
(そんなときわたしはじょうだんだといって、まわりがおどろくのをわらってごまかした。)
そんな時私は冗談だと言って、周りが驚くのを笑ってごまかした。
(またわたしはみらいについてはなすことがあり、そのはなししぶりがにさんどは)
また私は未来について話すことがあり、その話し振りが二・三度は
(げんじつのせんりつをひきおこした。こういったふかしぎなひらめきは)
現実の戦慄を引き起こした。こういった不可思議なひらめきは
(すぐになりをひそめたが、いちぶのかんさつしゃはそれらがきえたのは、)
すぐに鳴りを潜めたが、一部の観察者はそれらが消えたのは、
(ろけんしないようにちゅういしているためであり、はいけいをなすいじょうなちしきが)
露見しないように注意しているためであり、背景をなす異常な知識が
(うすれたからではないとみてとっていた。そう、たしかにわたしはいようなほどどんよくに、)
薄れたからではないと見て取っていた。そう、確かに私は異様な程貪欲に、
(じぶんがいるこのじだいのかいわやしゅうかんやてんぼうをきゅうしゅうしようとしていたらしい。)
自分がいるこの時代の会話や習慣や展望を吸収しようとしていたらしい。
(ちょうどとおいいこくからのたびびとのように。)
ちょうど遠い異国からの旅人のように。
(きょかがおりるとすぐ、わたしはしろくじちゅうだいがくとしょかんをうろつくようになった。)
許可が下りるとすぐ、私は四六時中大学図書館をうろつくようになった。
(やがてきみょうなりょこうをきかくするようになり、べいこくおよびおうしゅうのいくつかのだいがくで、)
やがて奇妙な旅行を企画するようになり、米国及び欧州のいくつかの大学で、
(とくべつなこーすをじゅこうしようとした。このこーすがそのあとすうねんかんおおいにろんぴょうのまとに)
特別なコースを受講しようとした。このコースがその後数年間大いに論評の的に
(なった。わたしのじれいはしんりがくしゃのあいだでそれなりにゆうめいになっていたので、)
なった。私の事例は心理学者の間でそれなりに有名になっていたので、
(がくじゅつじょうのじんみゃくがうしなわれたことはいっこうにもんだいにならなかった。)
学術上の人脈が失われたことは一向に問題にならなかった。
(わたしはだいにじんかくのてんけいれいのこうぎをうけたそこでもときおり、なにかきかいなしょうこうや、)
私は第二人格の典型例の講義を受けたそこでも時折、何か奇怪な症候や、
(ひたかくしにしてもなんとなくすけてみえるちょうしょうによって)
ひた隠しにしてもなんとなく透けて見える嘲笑によって
(こうしをこんわくさせたらしいのだが。)
講師を困惑させたらしいのだが。
(しかしながら、しんのゆうじんかんけいをむすぶことはほとんどできなかった。)
しかしながら、真の友人関係を結ぶことはほとんどできなかった。
(あたかもわたしからせいじょうかつけんぜんなぶぶんがねこそぎじょきょされつつあったかのように、)
あたかも私から正常かつ健全な部分が根こそぎ除去されつつあったかのように、
(わたしのひょうじょうとかいわのなにかが、あうひとすべてにはっきりしないきょうふときひかんを)
私の表情と会話の何かが、会う人全てにはっきりしない恐怖と忌避感を
(もたらした。そのくらくかくされたきょうふはこうはんいかつえいぞくてきであって、)
もたらした。その暗く隠された恐怖は広範囲かつ永続的であって、
(あるしゅとおくにあるはかりしれないしんえんとむすびついていた。)
ある種遠くにある計り知れない深淵と結びついていた。
(じつのかぞくもまたれいがいではなかった。いようなかくせいのしゅんかんから、つまはわたしをひどくおそれ、)
実の家族もまた例外ではなかった。異様な覚醒の瞬間から、妻は私を酷く恐れ、
(きらいぬいた。わたしのことをおっとのしんたいをごうだつしたまったくのえいりあんだと)
嫌い抜いた。私のことを夫の身体を強奪した全くのエイリアンだと
(きめつけたのだ。1910ねん、かのじょはごうほうてきなりこんをてにし、それいこう、)
決めつけたのだ。一九一〇年、彼女は合法的な離婚を手にし、それ以降、
(1913ねんにわたしがほんぷくしたあともいっさいあってくれなかった。)
一九一三年に私が本復した後も一切会ってくれなかった。
(ちょうなんとすえむすめにもそのきぶんがかんせんり、いこうふたたびみることがまったくなかった。)
長男と末娘にもその気分が感染り、以降再び見ることが全くなかった。
(じなんのうぃんげいとだけがわたしのへんかがひきおこしたきょうふとはんかんをこくふくすることが)
次男のウィンゲイトだけが私の変化が引き起こした恐怖と反感を克服することが
(できたようだ。かれもたしかにわたしのことをみしらぬひとだとかんじていたのだが、)
できたようだ。彼も確かに私のことを見知らぬ人だと感じていたのだが、
(ほんのはちさいのしょうねんだったのに、わたしのほんとうのじこがかえってくるひがあると)
ほんの八歳の少年だったのに、私の本当の自己が帰ってくる日があると
(かたくしんじつづけたのだ。じっさいにわたしがもとにもどったとき、かれはわたしをさがしだし、)
固く信じ続けたのだ。実際に私が元に戻った時、彼は私を捜し出し、
(ほうていはわたしにかれのしんけんをあたえた。かれはそのあとなんねんものあいだ、)
法廷は私に彼の親権を与えた。彼はその後何年もの間、
(わたしをかりたてていたけんきゅうのことでてだすけしてくれ、さんじゅうごさいになったきょう、)
私を駆り立てていた研究のことで手助けしてくれ、三十五歳になった今日、
(みすかとにっくだいがくのしんりがくきょうじゅである。だが、わたしはみながきょうふをかんじたのは)
ミスカトニック大学の心理学教授である。だが、私は皆が恐怖を感じたのは
(むりからぬことだとおもっている1908ねんごがつじゅうごにちにめざめたそんざいの)
無理からぬことだと思っている一九〇八年五月十五日に目覚めた存在の
(せいしん、こえ、かおのひょうじょうは、まちがいなく)
精神、声、顔の表情は、間違いなく
(なさにえるうぃんげいとぴーずりーのものではなかったからだ。)
ナサニエル・ウィンゲイト・ピーズリーのものではなかったからだ。
(1908ねんから1913ねんにかけてのせいかつについておおくをかたるつもりはない。)
一九〇八年から一九一三年にかけての生活について多くを語るつもりはない。
(がいめんてきなようてんについては、どくしゃもわたしじしんがおおいにいったように)
外面的な要点については、読者も私自身が大いに行ったように
(ふるいしんぶんきじやかがくざっしのとじこみでひろいあつめることができるからだ。)
古い新聞記事や科学雑誌の綴じ込みで拾い集めることができるからだ。
(わたしはじぶんのききんからしはらいをうけ、りょこうとさまざまなきょういくきかんでのけんきゅうのために、)
私は自分の基金から支払いを受け、旅行と様々な教育機関での研究のために、
(それらをすこしずつ、おおむねけんめいなやりかたでつかった。)
それらを少しずつ、おおむね賢明なやり方で使った。
(しかしながら、わたしのりょこうはなみはずれてどくとくであり、とおいへんきょうのちへのちょうきにわたる)
しかしながら、私の旅行は並外れて独特であり、遠い辺境の地への長期に亘る
(ほうもんをふくんでいた。1909ねん、わたしはひまらやでひとつきをすごし、)
訪問を含んでいた。一九〇九年、私はヒマラヤでひと月を過ごし、
(1911ねん、らくだをひきつれあらびあのみちのさばくにむかってちゅうもくをあつめた。)
一九一一年、駱駝を引き連れアラビアの未知の沙漠に向かって注目を集めた。
(これらのちょうきりょこうでなにがおきたのかはいまだにわからないままである。)
これらの長期旅行で何が起きたのかは未だに判らないままである。
(1912ねん、ふねをいちそうかりきって、すぴっつべるげんとうほくぶのほっきょくけんをこうかいした)
一九一二年、船を一艘借り切って、スピッツベルゲン島北部の北極圏を航海した
(あとにしつぼうのようすをしめした。このとしのおわりごろ、)
後に失望の様子を示した。この年の終わり頃、
(なんしゅうかんもヴぁーじにあしゅうせいぶのだいきぼなだいりせきのどうくつもうですごした)
何週間もヴァージニア州西部の大規模な大理石の洞窟網で過ごした
(たったひとりで、くうぜんぜつごのしんぶまであんこくのめいきゅうはあまりにふくざつで、)
たった一人で、空前絶後の深部まで暗黒の迷宮はあまりに複雑で、
(わたしのあしあとをさいどたどるなどとうていおもいもよらない。)
私の足跡を再度辿るなど到底思いも寄らない。