紫式部 源氏物語 紅葉賀 2 與謝野晶子訳
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問題文
(ぎょうこうのひはしんのうかたもくぎょうもあるだけのひとがみかどのぐぶをした。かならずあるはずの)
行幸の日は親王方も公卿もあるだけの人が帝の供奉をした。必ずあるはずの
(そうがくのふねがこのひもいけをこぎまわり、とうのきょくもこうらいのきょくもまわれてさかんな)
奏楽の船がこの日も池を漕ぎまわり、唐の曲も高麗の曲も舞われて盛んな
(えんがだった。しがくのひのげんじのまいすがたのあまりにうつくしかったことが)
宴賀だった。試楽の日の源氏の舞い姿のあまりに美しかったことが
(ましょうのたんびしんをそそりはしなかったかとみかどはごしんぱいになって、てらでらできょうを)
魔障の耽美心をそそりはしなかったかと帝は御心配になって、寺々で経を
(およませになったりしたことをきくひとも、ごおやこのじょうはそうあることと)
お読ませになったりしたことを聞く人も、御親子の情はそうあることと
(おもったが、とうぐうのははぎみのにょごだけはあまりなごかんしんぶりだとねたんでいた。)
思ったが、東宮の母君の女御だけはあまりな御関心ぶりだとねたんでいた。
(がくじんはてんじょうやくにんからもじげからもすぐれたぎりょうをみとめられているひとたちだけが)
楽人は殿上役人からも地下からもすぐれた技倆を認められている人たちだけが
(よりととのえられたのである。さんぎがふたり、それからさえもんのかみ、うえもんのかみがさゆうの)
選り整えられたのである。参議が二人、それから左衛門督、右衛門督が左右の
(がくをかんとくした。まいてはめいめいきょうまでりょうしをえらんでしたけいこのせいかを)
楽を監督した。舞い手はめいめい今日まで良師を選んでした稽古の成果を
(ここでみせたわけである。よんじゅうにんのがくじんがふきたてたがくおんにさそわれてふく)
ここで見せたわけである。四十人の楽人が吹き立てた楽音に誘われて吹く
(まつのかぜはほんとうのみやまおろしのようであった。いろいろのあきのもみじの)
松の風はほんとうの深山おろしのようであった。いろいろの秋の紅葉の
(ちりかうなかへせいがいはのまいてがあゆみでたときには、これいじょうのびはちじょうに)
散りかう中へ青海波の舞い手が歩み出た時には、これ以上の美は地上に
(ないであろうとみえた。かざしにしたもみじがかぜのためにはかずのすくなくなったのを)
ないであろうと見えた。挿しにした紅葉が風のために葉数の少なくなったのを
(みて、さだいしょうがそばへよってていぜんのきくをおってさしかえた。ひぐれまえになって)
見て、左大将がそばへ寄って庭前の菊を折ってさし変えた。日暮れ前になって
(さっとしぐれがした。そらもこのぜつみょうなまいてにこころをうごかされたように。)
さっと時雨がした。空もこの絶妙な舞い手に心を動かされたように。
(びぼうのげんじがむらさきをそめだしたころのしらぎくをかむりにさして、きょうはしがくのひにこえて)
美貌の源氏が紫を染め出したころの白菊を冠に挿して、今日は試楽の日に超えて
(こまかなてまでもおろそかにしないまいぶりをみせた。おわりにちょっとひきかえして)
細かな手までもおろそかにしない舞振りを見せた。終わりにちょっと引き返して
(きてまうところなどでは、ひとがみなきよいさむけをおぼえて、にんげんかいのこととは)
来て舞うところなどでは、人が皆清い寒気を覚えて、人間界のこととは
(おもわれなかった。もののかちのわからぬげにんで、きのかげやいわのかげ、もしくは)
思われなかった。物の価値のわからぬ下人で、木の蔭や岩の蔭、もしくは
(おちばのなかにうずもれるようにしてみていたものさえも、すこしかしこいものはなみだを)
落ち葉の中にうずもれるようにして見ていた者さえも、少し賢い者は涙を
(こぼしていた。じょうきょうでんのにょごをははにしただいよんしんのうがまだどうぎょうでしゅうふうらくを)
こぼしていた。承香殿の女御を母にした第四親王がまだ童形で秋風楽を
(おまいになったのがそれにつづいてのみものだった。このふたつがよかった。)
お舞いになったのがそれに続いての見物だった。この二つがよかった。
(あとのはもうなんのまいもひとのきょうみをひかなかった。ないほうがよかったかも)
あとのはもう何の舞も人の興味を惹かなかった。ないほうがよかったかも
(しれない。こんやげんじはじゅさんみからしょうさんみにのぼった。とうのちゅうじょうはしょうしいげが)
しれない。今夜源氏は従三位から正三位に上った。頭中将は正四位下が
(じょうになった。ほかのこうかんたちにもはきゅうしてしょうしんするものがおおいのである。)
上になった。他の高官たちにも波及して昇進するものが多いのである。
(とうぜんこれもげんじのおんであることをみなしっていた。このよでこんなにひとを)
当然これも源氏の恩であることを皆知っていた。この世でこんなに人を
(よろこばしうるげんじはぜんしょうですばらしいぜんごうがあったのであろう。)
喜ばしうる源氏は前生ですばらしい善業があったのであろう。