紫式部 源氏物語 紅葉賀 7 與謝野晶子訳
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問題文
(げんじのさんがのばしょはかずおおくもなかった。とうぐう、いちいん、それからふじつぼの)
源氏の参賀の場所は数多くもなかった。東宮、一院、それから藤壺の
(さんじょうのみやへいった。 「きょうはまたことにおきれいにみえますね、)
三条の宮へ行った。 「今日はまたことにおきれいに見えますね、
(としがおいきになればなるほどごりっぱにおなりになるかたなんですね」)
年がお行きになればなるほどごりっぱにおなりになる方なんですね」
(にょうぼうたちがこうささやいているときに、みやはわずかなきちょうのあいだからげんじのかおを)
女房たちがこうささやいている時に、宮はわずかな几帳の間から源氏の顔を
(ほのかにみて、おこころにはいろいろなことがおもわれた。ごしゅっさんのあるべきはずの)
ほのかに見て、お心にはいろいろなことが思われた。御出産のあるべきはずの
(じゅうにがつをすぎ、このつきこそとよういしてさんじょうのみやのひとびともまち、みかどもすでに、)
十二月を過ぎ、この月こそと用意して三条の宮の人々も待ち、帝もすでに、
(おうしじょごしゅっしょうについてのおこころづもりをしておいでになったが、なんともなくて)
皇子女御出生についてのお心づもりをしておいでになったが、何ともなくて
(ひとつきもたった。もののけがごしゅっさんをおくれさせているのであろうかともせけんで)
一月もたった。物怪が御出産を遅れさせているのであろうかとも世間で
(うわさをするとき、みやのおこころはひじょうにくるしかった。このことによってすくわれないあくみょうを)
噂をする時、宮のお心は非常に苦しかった。このことによって救われない悪名を
(おうひとになるのかと、こんなはんもんをされることがしぜんおからだにさわって)
負う人になるのかと、こんな煩悶をされることが自然おからだにさわって
(おかげんもわるいのであった。それをきいてもげんじはいろいろとおもいあわすことが)
お加減も悪いのであった。それを聞いても源氏はいろいろと思い合わすことが
(あって、めだたぬようにさんぷのみやのためにしゅほうなどをあちこちのてらで)
あって、目だたぬように産婦の宮のために修法などをあちこちの寺で
(させていた。このあいだにごびょうきでみやがなくなっておしまいにならぬかという)
させていた。この間に御病気で宮が亡くなっておしまいにならぬかという
(ふあんが、げんじのこころをいっそうくらくさせていたが、にがつのじゅういくにちにおうじが)
不安が、源氏の心をいっそう暗くさせていたが、二月の十幾日に皇子が
(ごたんじょうになったので、みかどもごまんぞくをあそばし、さんじょうのみやのひとたちも)
御誕生になったので、帝も御満足をあそばし、三条の宮の人たちも
(しゅうびをひらいた。なおいきようとするじぶんのこころはみれんではずかしいが、)
愁眉を開いた。なお生きようとする自分の心は未練で恥ずかしいが、
(こきでんあたりでいうのろいのことばがつたえられているときにじぶんがしんでしまっては)
弘徽殿あたりで言う詛いの言葉が伝えられている時に自分が死んでしまっては
(みじめなものとしてわらわれるばかりであるから、とそうおおもいになったときから)
みじめな者として笑われるばかりであるから、とそうお思いになった時から
(つとめていまはしぬまいとつよくおなりになって、)
つとめて今は死ぬまいと強くおなりになって、
(ごすいじゃくもすこしずつかいふくしていった。 みかどはしんおうじをひじょうにごらんになりたがって)
御衰弱も少しずつ恢復していった。 帝は新皇子を非常に御覧になりたがって
(おいでになった。ひとしれぬふせいあいのひにこころをもやしながらげんじは)
おいでになった。人知れぬ父性愛の火に心を燃やしながら源氏は
(しこうしゃのすくないすきをうかがっていった。 「へいかがわかみやにどんなにおあいに)
伺候者の少ない隙をうかがって行った。 「陛下が若宮にどんなにお逢いに
(なりたがっていらっしゃるかもしれません。それでわたくしがまずおめにかかりまして)
なりたがっていらっしゃるかもしれません。それで私がまずお目にかかりまして
(ごようすでももうしあげたらよろしいかとおもいます」 とげんじは)
御様子でも申し上げたらよろしいかと思います」 と源氏は
(もうしこんだのであるが、 「まだおうまれたてのかたというものは)
申し込んだのであるが、 「まだお生まれたての方というものは
(みにくうございますからおみせしたくございません」 というははみやのごあいさつで、)
醜うございますからお見せしたくございません」 という母宮の御挨拶で、
(おみせにならないのにもりゆうがあった。それはわかみやのおかおがおどろくほど)
お見せにならないのにも理由があった。それは若宮のお顔が驚くほど
(げんじにいきうつしであって、べつのものとはけっしてみえなかったからである。)
源氏に生き写しであって、別のものとは決して見えなかったからである。
(みやはおこころのおにからこれをくつうにしておいでになった。このわかみやをみて)
宮はお心の鬼からこれを苦痛にしておいでになった。この若宮を見て
(じぶんのかしつにきづかぬひとはないであろう、なんでもないこともさがしだして)
自分の過失に気づかぬ人はないであろう、何でもないことも捜し出して
(ひとをとがめようとするのがよのなかである。どんなあくみょうをじぶんはうけることかと)
人をとがめようとするのが世の中である。どんな悪名を自分は受けることかと
(おおもいになると、けっきょくふこうなものはじぶんであるとあついなみだがこぼれるのであった。)
お思いになると、結局不幸な者は自分であると熱い涙がこぼれるのであった。
(げんじはまれにつごうよくおうみょうぶがよびだされたときには、いろいろとことばをつくして)
源氏は稀に都合よく王命婦が呼び出された時には、いろいろと言葉を尽くして
(みやにおあいさせてくれとたのむのであるが、いまはもうなんのかいもなかった。)
宮にお逢いさせてくれと頼むのであるが、今はもう何のかいもなかった。
(しんおうじはいけんをのぞむことにたいしては、 「なぜそんなにまで)
新皇子拝見を望むことに対しては、 「なぜそんなにまで
(おっしゃるのでしょう。しぜんにそのひがまいるのではございませんか」)
おっしゃるのでしょう。自然にその日が参るのではございませんか」
(とこたえていたが、むごんでふたりがよみあっているこころがべつにあった。)
と答えていたが、無言で二人が読み合っている心が別にあった。
(くちでいうべきことではないから、そのほうのことはまたことばにしにくかった。)
口で言うべきことではないから、そのほうのことはまた言葉にしにくかった。
(「いつまたわたくしたちはちょくせつにおはなしができるのだろう」 といってなくげんじが)
「いつまた私たちは直接にお話ができるのだろう」 と言って泣く源氏が
(おうみょうぶのめにはきのどくでならない。 )
王命婦の目には気の毒でならない。
(「いかさまにむかしむすべるちぎりにてこのよにかかるなかのへだてぞ )
「いかさまに昔結べる契りにてこの世にかかる中の隔てぞ
(わからない、わからない」 ともげんじはいうのである。みょうぶはみやのごはんもんを)
わからない、わからない」 とも源氏は言うのである。命婦は宮の御煩悶を
(よくしっていて、それだけつげるのがこいのなかだちをしたもののぎむだとおもった。 )
よく知っていて、それだけ告げるのが恋の仲介をした者の義務だと思った。
(「みてもおもうみぬはたいかになげくらんこやよのひとのまどうちょうやみ )
「見ても思ふ見ぬはたいかに歎くらんこや世の人の惑ふてふ闇
(どちらもおなじほどおきのどくだとおもいます」 とみょうぶはいった。)
どちらも同じほどお気の毒だと思います」 と命婦は言った。
(とりつきどころもないようにげんじがかなしがってかえっていくことも、たびがかさなれば)
取りつき所もないように源氏が悲しがって帰って行くことも、度が重なれば
(やしきのものもふしんをおこしはせぬかとみやはしんぱいしておいでになっておうみょうぶをもむかしほど)
邸の者も不審を起こしはせぬかと宮は心配しておいでになって王命婦をも昔ほど
(おあいしにはならない。めにたつことをはばかってなんともおいいにはならないが、)
お愛しにはならない。目に立つことをはばかって何ともお言いにはならないが、
(げんじへのどうじょうしゃとしてみやのおこころではみょうぶをおにくみになることもあるらしいのを、)
源氏への同情者として宮のお心では命婦をお憎みになることもあるらしいのを、
(みょうぶはわびしくおもっていた。いがいなことにもなるものであると)
命婦はわびしく思っていた。意外なことにもなるものであると
(なげかれたであろうとおもわれる。)
歎かれたであろうと思われる。