紫式部 源氏物語 紅葉賀 11 與謝野晶子訳
関連タイピング
-
プレイ回数26長文2366打
-
プレイ回数23長文2663打
-
プレイ回数24長文2704打
-
プレイ回数17長文4778打
-
プレイ回数60長文2364打
-
プレイ回数15長文2496打
-
プレイ回数71長文5251打
-
プレイ回数9長文1736打
問題文
(「ちかいうちにかならずいきます。いつもそうおもいながらじっこうができないだけですよ」)
「近いうちに必ず行きます。いつもそう思いながら実行ができないだけですよ」
(そでをはなさせてでようとするのを、ないしのすけはまたもういちどおってきて)
袖を放させて出ようとするのを、典侍はまたもう一度追って来て
(「はしばしら」(おもいながらになかやたえなん)といいかけるしょさまでも、)
「橋柱」(思ひながらに中や絶えなん)と言いかける所作までも、
(おめしかえがすんだみかどがからかみからのぞいておしまいになった。ふつりあいな)
お召かえが済んだ帝が襖子からのぞいておしまいになった。不つり合いな
(こいびとたちであるのを、おかしくおぼしめしておわらいになりながら、みかどは、)
恋人たちであるのを、おかしく思召してお笑いになりながら、帝は、
(「まじめすぎるれんあいぎらいだといっておまえたちのこまっているおとこもやはり)
「まじめ過ぎる恋愛ぎらいだと言っておまえたちの困っている男もやはり
(そうでなかったね」 とないしのすけへおいいになった。ないしのすけはきまりわるさもすこし)
そうでなかったね」 と典侍へお言いになった。典侍はきまり悪さも少し
(かんじたが、こいしいひとのためにはぬれぎぬでさえもきたがるものがあるのであるから、)
感じたが、恋しい人のためには濡衣でさえも着たがる者があるのであるから、
(べんかいしようとはしなかった。それいごごしょのひとたちがいがいなこいとしてこのかんけいを)
弁解しようとはしなかった。それ以後御所の人たちが意外な恋としてこの関係を
(うわさした。とうのちゅうじょうのみみにそれがはいって、げんじのかくしごとはたいていせいかくにさっして)
噂した。頭中将の耳にそれがはいって、源氏の隠し事はたいてい正確に察して
(しっているじぶんも、まだそれだけはきがつかなんだとおもうとともに、じしんの)
知っている自分も、まだそれだけは気がつかなんだと思うとともに、自身の
(こうきしんもおこってきて、まんまとこうしょくなげんてんじのじょうじんのひとりになった。)
好奇心も起こってきて、まんまと好色な源典侍の情人の一人になった。
(このきこうしもざらにあるわかいおとこではなかったから、げんじのあきたらぬあいを)
この貴公子もざらにある若い男ではなかったから、源氏の飽き足らぬ愛を
(おぎなうきでかんけいをしたが、ないしのすけのこころにいまもこいしくてならないひとはただひとりの)
補う気で関係をしたが、典侍の心に今も恋しくてならない人はただ一人の
(げんじであった。こまったたじょうおんなである。きわめてひみつにしていたのでとうのちゅうじょうとの)
源氏であった。困った多情女である。きわめて秘密にしていたので頭中将との
(かんけいをげんじはしらなんだ。ごてんでみかけるとうらみをつげるないしのすけに、げんじは)
関係を源氏は知らなんだ。御殿で見かけると恨みを告げる典侍に、源氏は
(おいているてんにだけどうじょうをもちながらもいやなきもちがおさえきれずに)
老いている点にだけ同情を持ちながらもいやな気持ちがおさえ切れずに
(ながくあいにいこうともしなかったが、ゆうだちのしたあとのなつのよるのすずしさに)
長く逢いに行こうともしなかったが、夕立のしたあとの夏の夜の涼しさに
(さそわれてうんめいでんあたりをあるいていると、ないしのすけはそこのいっしつでびわをじょうずに)
誘われて温明殿あたりを歩いていると、典侍はそこの一室で琵琶を上手に
(ひいていた。せいりょうでんのおんがくのごあそびのとき、ほかはみなおとこのてんじょうやくにんのなかへも)
弾いていた。清涼殿の音楽の御遊びの時、ほかは皆男の殿上役人の中へも
(くわえられてびわのやくをするほどのめいしゅであったから、それがこいになやみながらひく)
加えられて琵琶の役をするほどの名手であったから、それが恋に悩みながら弾く
(いとのねにはげんじのこころをうつものがあった。「うりづくりになりやしなまし」という)
絃の音には源氏の心を打つものがあった。「瓜作りになりやしなまし」という
(うたを、びせいではなやかにうたっているのにはすこしはんかんがおこった。はくらくてんが)
歌を、美声ではなやかに歌っているのには少し反感が起こった。白楽天が
(きいたというがくしゅうのおんなのびわもこうしたみょうみがあったのであろうとげんじは)
聞いたという鄂州の女の琵琶もこうした妙味があったのであろうと源氏は
(きいていたのである。ひきやめておんなはものおもいにたえないふうであった。げんじは)
聞いていたのである。弾きやめて女は物思いに堪えないふうであった。源氏は
(みすぎわによってさいばらのあずまやをうたっていると、「おしひらいてきませ」)
御簾ぎわに寄って催馬楽の東屋を歌っていると、「押し開いて来ませ」
(というところをどうおんでそえた。げんじはかってのちがうきがした。 )
という所を同音で添えた。源氏は勝手の違う気がした。
(たちぬるるひとしもあらじあずまやにうたてもかかるあまそそぎかな )
立ち濡るる人しもあらじ東屋にうたてもかかる雨そそぎかな
(とうたっておんなはたんそくをしている。じぶんだけをたいしょうとしているのではなかろうが、)
と歌って女は歎息をしている。自分だけを対象としているのではなかろうが、
(どうしてそんなにひとがまたれるのであろうとげんじはおもった。 )
どうしてそんなに人が待たれるのであろうと源氏は思った。
(ひとづまはあなわづらわしあずまやのまやのあまりもなれじとぞおもう )
人妻はあなわづらはし東屋のまやのあまりも馴れじとぞ思ふ
(といいすてて、げんじはいってしまいたかったのであるが、あまりに)
と言い捨てて、源氏は行ってしまいたかったのであるが、あまりに
(ぶじょくしたことになるとおもってないしのすけののぞんでいたようにしつないへはいった。)
侮辱したことになると思って典侍の望んでいたように室内へはいった。
(げんじはおんなとほがらかにじょうだんなどをいいあっているうちに、こうしたきょうちもわるくない)
源氏は女と朗らかに戯談などを言い合っているうちに、こうした境地も悪くない
(きがしてきた。とうのちゅうじょうはげんじがまじめらしくして、じぶんのれんあいもんだいを)
気がしてきた。頭中将は源氏がまじめらしくして、自分の恋愛問題を
(ひなんしたり、ちゅういをあたえたりすることのあるのをくちおしくおもって、)
批難したり、注意を与えたりすることのあるのを口惜しく思って、
(そしらぬふうでいてげんじにはかくれたこいびとがいくにんかあるはずであるから、)
素知らぬふうでいて源氏には隠れた恋人が幾人かあるはずであるから、
(どうかしてそのうちのひとつのじじつでもつかみたいとつねにおもっていたが、)
どうかしてそのうちの一つの事実でもつかみたいと常に思っていたが、
(ぐうぜんこんやのかいごうをきあわせてみた。とうのちゅうじょうはうれしくて、こんなきかいに)
偶然今夜の会合を来合わせて見た。頭中将はうれしくて、こんな機会に
(すこしおどして、げんじをこんわくさせてこりたといわせたいとおもった。)
少し威嚇して、源氏を困惑させて懲りたと言わせたいと思った。
(それでしかるべくゆだんをあたえておいた。ひややかにかぜがふきとおって)
それでしかるべく油断を与えておいた。冷ややかに風が吹き通って
(よのふけかかったじぶんにげんじらがすこしねいったかとおもわれるけはいをみはからって、)
夜のふけかかった時分に源氏らが少し寝入ったかと思われる気配を見計らって、
(とうのちゅうじょうはそっとしつないへはいっていった。じちょうてきなおもいにねむりなどには)
頭中将はそっと室内へはいって行った。自嘲的な思いに眠りなどには
(はいりきれなかったげんじはものおとにすぐめをさましてひとのちかづいてくるのを)
はいりきれなかった源氏は物音にすぐ目をさまして人の近づいて来るのを
(しったのである。ないしのすけのふるいじょうじんでいまもおとこのほうがはなれたがらないという)
知ったのである。典侍の古い情人で今も男のほうが離れたがらないという
(うわさのあるしゅりだゆうであろうとおもうと、あのろうじんにとんでもないふしだらなかんけいを)
噂のある修理大夫であろうと思うと、あの老人にとんでもないふしだらな関係を
(はっけんされたばあいのきまずさをおもって、 「めいわくになりそうだ、わたくしはかえろう。)
発見された場合の気まずさを思って、 「迷惑になりそうだ、私は帰ろう。
(だんなのくることははじめからわかっていただろうに、わたくしをごまかして)
旦那の来ることは初めからわかっていただろうに、私をごまかして
(とまらせたのですね」 といって、げんじはのうしだけをてでさげて)
泊まらせたのですね」 と言って、源氏は直衣だけを手でさげて
(びょうぶのうしろへはいった。ちゅうじょうはおかしいのをこらえてげんじがかくれたびょうぶを)
屏風の後ろへはいった。中将はおかしいのをこらえて源氏が隠れた屏風を
(まえからよこへたたみよせてさわぐ。としをとっているがびじんがたのきゃしゃなからだつきの)
前から横へ畳み寄せて騒ぐ。年を取っているが美人型の華奢なからだつきの
(ないしのすけがいぜんにもじょうじんのかちあいにこまったけいけんがあって、あわてながらも)
典侍が以前にも情人のかち合いに困った経験があって、あわてながらも
(げんじをあとのおとこがどうしたかとしんぱいして、ゆかのうえにすわってふるえていた。)
源氏をあとの男がどうしたかと心配して、床の上にすわって慄えていた。
(じぶんであることをきづかれないようにさろうとげんじはおもったのであるが、)
自分であることを気づかれないように去ろうと源氏は思ったのであるが、
(だらしなくなったすがたをなおさないで、かむりをゆがめたままにげるうしろすがたを)
だらしなくなった姿を直さないで、冠をゆがめたまま逃げる後ろ姿を
(おもってみると、はじなきがしてそのままおちつきをつくろうとした。ちゅうじょうはぜひとも)
思ってみると、恥な気がしてそのまま落ち着きを作ろうとした。中将はぜひとも
(じぶんでなくおもわせなければならないとしってものをいわない。)
自分でなく思わせなければならないと知って物を言わない。
(ただおこったふうをしてたちをひきぬくと、 「あなた、あなた」)
ただ怒ったふうをして太刀を引き抜くと、 「あなた、あなた」
(ないしのすけはとうのちゅうじょうをおがんでいるのである。ちゅうじょうはわらいだしそうでならなかった。)
典侍は頭中将を拝んでいるのである。中将は笑い出しそうでならなかった。
(へいぜいはでにつくっているがいけんはそうとうなわかさにみせるないしのすけもとしはごじゅうしち、はちで、)
平生派手に作っている外見は相当な若さに見せる典侍も年は五十七、八で、
(このばあいはみえもなにもすててはたちぜんごのきんだちのなかにいてきをもんでいるようすは)
この場合は見得も何も捨てて二十前後の公達の中にいて気をもんでいる様子は
(しゅうたいそのものであった。わざわざおそろしがらせようとじぶんでないように)
醜態そのものであった。わざわざ恐ろしがらせようと自分でないように
(みせようとするふしぜんさがかえってげんじにしんそうをおしえるけっかになった。)
見せようとする不自然さがかえって源氏に真相を教える結果になった。
(じぶんとしってわざとしていることであるとおもうと、どうでもなれという)
自分と知ってわざとしていることであると思うと、どうでもなれという
(きになった。いよいよとうのちゅうじょうであることがわかるとおかしくなって、)
気になった。いよいよ頭中将であることがわかるとおかしくなって、
(ぬいたたちをもつひじをとらえてぐっとつねると、ちゅうじょうはみあらわされたことを)
抜いた太刀を持つ肱をとらえてぐっとつねると、中将は見顕わされたことを
(ざんねんにおもいながらもわらってしまった。)
残念に思いながらも笑ってしまった。
(「ほんきなの、ひどいおとこだね。ちょっとこののうしをきるから」)
「本気なの、ひどい男だね。ちょっとこの直衣を着るから」
(とげんじがいっても、ちゅうじょうはのうしをはなしてくれない。 「じゃきみにもぬがせるよ」)
と源氏が言っても、中将は直衣を放してくれない。 「じゃ君にも脱がせるよ」
(といって、ちゅうじょうのおびをひいてといてから、のうしをぬがせようとすると、)
と言って、中将の帯を引いて解いてから、直衣を脱がせようとすると、
(ぬぐまいとていこうした。ひきあっているうちにぬいめがほころんでしまった。 )
脱ぐまいと抵抗した。引き合っているうちに縫い目がほころんでしまった。
(「つつむめるなやもりいでんひきかわしかくほころぶるなかのころもに)
「包むめる名や洩り出でん引きかはしかくほころぶる中の衣に
(あかるみにでてはこまるでしょう」 とちゅうじょうがいうと、)
明るみに出ては困るでしょう」 と中将が言うと、
(かくれなきものとしるしるなつごろもきたるをうすきこころとぞみる )
隠れなきものと知る知る夏衣きたるをうすき心とぞ見る
(とげんじもまけていないのである。そうほうともだらしないすがたになって)
と源氏も負けていないのである。双方ともだらしない姿になって
(いってしまった。)
行ってしまった。