紫式部 源氏物語 紅葉賀 13 與謝野晶子訳(終
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問題文
(このしちがつにこうごうのさくりつがあるはずであった。げんじはちゅうじょうからさんぎにのぼった。)
この七月に皇后の冊立があるはずであった。源氏は中将から参議に上った。
(みかどがちかくじょういをあそばしたいおぼしめしがあって、ふじつぼのみやのおうみになったわかみやを)
帝が近く譲位をあそばしたい思召しがあって、藤壺の宮のお生みになった若宮を
(とうぐうにしたくおおもいになったがしょうらいごこうえんをするのにてきとうなひとがいない。)
東宮にしたくお思いになったが将来御後援をするのに適当な人がいない。
(ははかたのおじはみなしんのうでじっさいのせいじにたずさわることのできないのもふぶんりつに)
母方の御伯父は皆親王で実際の政治に携わることのできないのも不文律に
(なっていたから、ははみやをだけでもきさきのくらいにすえておくことがわかみやのつよみに)
なっていたから、母宮をだけでも后の位に据えて置くことが若宮の強味に
(なるであろうとおぼしめしてふじつぼのみやをちゅうぐうにぎしておいでになった。)
なるであろうと思召して藤壺の宮を中宮に擬しておいでになった。
(こきでんのにょごがこれにたいらかでないことにどうりはあった。)
弘徽殿の女御がこれに平らかでないことに道理はあった。
(「しかしこうたいしのそくいすることはもうちかいしょうらいのことなのだから、)
「しかし皇太子の即位することはもう近い将来のことなのだから、
(そのときはとうぜんこうたいごうになりうるあなたなのだから、きをひろくおもちなさい」)
その時は当然皇太后になりうるあなたなのだから、気をひろくお持ちなさい」
(みかどはこんなふうににょごをなぐさめておいでになった。こうたいしのははぎみで、じゅだいして)
帝はこんなふうに女御を慰めておいでになった。皇太子の母君で、入内して
(にじゅういくとしになるにょごをさしおいてふじつぼをきさきにあそばすことはとうをえたことで)
二十幾年になる女御をさしおいて藤壺を后にあそばすことは当を得たことで
(あるいはないかもしれない。れいのようにせけんではいろいろというものがあった。)
あるいはないかもしれない。例のように世間ではいろいろと言う者があった。
(ぎしきのあとでごしょへおはいりになるあたらしいちゅうぐうのおともをげんじのきみもした。)
儀式のあとで御所へおはいりになる新しい中宮のお供を源氏の君もした。
(きさきとひとくちにもうしあげても、このかたのごみぶんはきさきばらのないしんのうであった。)
后と一口に申し上げても、この方の御身分は后腹の内親王であった。
(まったいほうぎょくのようにかがやくおきさきとみられたのである。それにみかどのごちょうあいも)
全い宝玉のように輝やくお后と見られたのである。それに帝の御寵愛も
(たいしたものであったから、まんていのかんじんがこのきさきにほうしすることをよろこんだ。)
たいしたものであったから、満廷の官人がこの后に奉仕することを喜んだ。
(どうりのほかまでのこういをもったげんじは、みこしのなかのこいしいおすがたをそうぞうして、)
道理のほかまでの好意を持った源氏は、御輿の中の恋しいお姿を想像して、
(いよいよとおいはるかな、てのとどきがたいおかたになっておしまいになったと)
いよいよ遠いはるかな、手の届きがたいお方になっておしまいになったと
(こころになげかれた。きがへんになるほどであった。 )
心に歎かれた。気が変になるほどであった。
(つきもせぬこころのやみにくるるかなくもいにひとをみるにつけても )
つきもせぬ心の闇にくるるかな雲井に人を見るにつけても
(こうおもわれてかなしいのである。 わかみやのおかおはごせいいくあそばすにつれてますます)
こう思われて悲しいのである。 若宮のお顔は御生育あそばすにつれてますます
(げんじににておいきになった。だれもそうしたひみつにきのつくものは)
源氏に似ておいきになった。だれもそうした秘密に気のつく者は
(ないようである。なにをどうつくりかえてもげんじとおなじびぼうをみうることは)
ないようである。何をどう作り変えても源氏と同じ美貌を見うることは
(ないわけであるが、このふたりのおうじはつきとひがおなじかたちでそらにかかっているように)
ないわけであるが、この二人の皇子は月と日が同じ形で空にかかっているように
(にておいでになるとせじんもおもった。 (やくちゅう) このかんもぜんにかんとどうねんのあきに)
似ておいでになると世人も思った。 (訳注) この巻も前二巻と同年の秋に
(はじまって、げんじじゅうきゅうさいのあきまでがかかれている。)
始まって、源氏十九歳の秋までが書かれている。