紫式部 源氏物語 葵 7 與謝野晶子訳

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(ものおもいはみやすどころのやまいをますますこうじさせた。さいぐうをはばかって、ほかのいえへいって)

物思いは御息所の病をますます昂じさせた。斎宮をはばかって、他の家へ行って

(しゅほうなどをさせていた。げんじはそれをきいてどんなふうにわるいのかと)

修法などをさせていた。源氏はそれを聞いてどんなふうに悪いのかと

(あわれにおもってたずねていった。じていでないひとのいえであったから、ひとめをさけて)

哀れに思って訪ねて行った。自邸でない人の家であったから、人目を避けて

(このひとたちはあった。ほんいではなくてながくあいにこなかったことを)

この人たちは逢った。本意ではなくて長く逢いに来なかったことを

(みやすどころのきもすむほどこまごまとげんじはかたっていた。つまのびょうじょうもしんぱいげに)

御息所の気も済むほどこまごまと源氏は語っていた。妻の病状も心配げに

(はなすのである。 「わたくしはそれほどしんぱいしているのではないのですが、)

話すのである。 「私はそれほど心配しているのではないのですが、

(おやたちがたいへんなさわぎかたをしていますから、きのどくで、)

親たちがたいへんな騒ぎ方をしていますから、気の毒で、

(すこしようだいがよくなるまではきんしんをあらわしていようとおもうだけなのです。)

少し容体がよくなるまでは謹慎を表していようと思うだけなのです。

(あなたがこころをおおきくもってみていてくだすったらわたくしはこうふくです」)

あなたが心を大きく持って見ていてくだすったら私は幸福です」

(などという。おんなにへいぜいよりもよわよわしいふうのみえるのを、)

などと言う。女に平生よりも弱々しいふうの見えるのを、

(もっともなことにおもってげんじはどうじょうしていた。うたがいもうらみも)

もっともなことに思って源氏は同情していた。疑いも恨みも

(ひょうかいしたわけでもなくげんじがかえっていくあさのすがたのうつくしいのをみて、)

氷解したわけでもなく源氏が帰って行く朝の姿の美しいのを見て、

(じぶんはとうていこのひとをはなれていきうるものではないとみやすどころはおもった。)

自分はとうていこの人を離れて行きうるものではないと御息所は思った。

(せいふじんであるうえにこどもがうまれるとなれば、そのひといがいのじょせいにもっている)

正夫人である上に子供が生まれるとなれば、その人以外の女性に持っている

(あいなどはさめてうすいものになっていくであろうとき、いまのように)

愛などはさめて淡いものになっていくであろう時、今のように

(まいにちまちくらすことも、そのしんぼうにいのちのつづかなくなることであろうと、)

毎日待ち暮らすことも、その辛抱に命の続かなくなることであろうと、

(それでいてまたおもわれもして、たまたまあってものおもいのけっしてすくなくはならない)

それでいてまた思われもして、たまたま逢って物思いの決して少なくはならない

(みやすどころへ、つぎのひはてがみだけがくれてからおくられた。このあいだうちすこし)

御息所へ、次の日は手紙だけが暮れてから送られた。この間うち少し

(よくなっていたようでしたびょうにんにまたにわかにわるいようすがみえてきて)

癒くなっていたようでした病人にまたにわかに悪い様子が見えてきて

(くるしんでいるのをみながらでられないのです。 とあるのを、)

苦しんでいるのを見ながら出られないのです。 とあるのを、

など

(れいのじょうずなこうじつである、とみながらもみやすどころはへんじをかいた。 )

例の上手な口実である、と見ながらも御息所は返事を書いた。

(そでぬるるこいぢとかつはしりながらおりたつたごのみずからぞうき )

袖濡るるこひぢとかつは知りながら下り立つ田子の自らぞ憂き

(ふるいうたにも「くやしくぞくみそめてけるあさければそでのみぬるるやまのいのみず」)

古い歌にも「悔しくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」

(とございます。 というのである。いくにんかのこいびとのなかでも)

とございます。 というのである。幾人かの恋人の中でも

(すぐれたじをかくひとであると、げんじはみやすどころのへんじをながめておもいながらも、)

すぐれた字を書く人であると、源氏は御息所の返事をながめて思いながらも、

(りそうどおりにこのよはならないものである。せいしつにもようぼうにもきょうようにも)

理想どおりにこの世はならないものである。性質にも容貌にも教養にも

(とりどりのちょうしょがあって、すてることができず、あるひとりに)

とりどりの長所があって、捨てることができず、ある一人に

(あいをあつめてしまうこともできないことをくるしくおもった。そのまたへんじを、)

愛を集めてしまうこともできないことを苦しく思った。そのまた返事を、

(もうくらくなっていたがかいた。 そでがぬれるとおいいになるのは、)

もう暗くなっていたが書いた。 袖が濡れるとお言いになるのは、

(ふかいこいをもってくださらないかたのうらみだとおもいます。 )

深い恋を持ってくださらない方の恨みだと思います。

(あさみにやひとはおりたつわがかたはみもそぼつまでふかきこいぢを )

あさみにや人は下り立つわが方は身もそぼつまで深きこひぢを

(このへんじをくちずからもうさないで、ふでをかりてしますことは)

この返事を口ずから申さないで、筆をかりてしますことは

(どれほどくつうなことだかしれません。 などといってあった。)

どれほど苦痛なことだかしれません。 などと言ってあった。

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