紫式部 源氏物語 葵 13 與謝野晶子訳

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(ひをとりこしたほうえはもうすんだが、ただしくしじゅうくにちまではこのいえでくらそうと)

日を取り越した法会はもう済んだが、正しく四十九日まではこの家で暮らそうと

(げんじはしていた。かこにけいけんのないひとりずみをするげんじにどうじょうして、)

源氏はしていた。過去に経験のない独り棲みをする源氏に同情して、

(げんざいのさんみちゅうじょうはしじゅうたずねてきて、せけんばなしもおおくこのひとからげんじにつたわった。)

現在の三位中将は始終訪ねて来て、世間話も多くこの人から源氏に伝わった。

(まじめなもんだいも、れんあいじけんもある。)

まじめな問題も、恋愛事件もある。

(こっけいなわだいにはよくげんてんじがなった。げんじは、)

滑稽な話題にはよく源典侍がなった。源氏は、

(「かわいそうに、おばあさまをやすっぽくいっちゃいけないね」)

「かわいそうに、お祖母様を安っぽく言っちゃいけないね」

(といいながらも、てんじのことはじしんにもおかしくてならないふうであった。)

と言いながらも、典侍のことは自身にもおかしくてならないふうであった。

(ひたちのみやのはるのつきのくらかったよるのはなしも、そのほかのたがいのじょうじの)

常陸の宮の春の月の暗かった夜の話も、そのほかの互いの情事の

(すっぱぬきもした。ながくかたっているうちにそうしたはなしはみなかげをひそめてしまって、)

素破抜きもした。長く語っているうちにそうした話は皆影をひそめてしまって、

(じんせいのさびしさをいうげんじはなきなどもした。)

人生の寂しさを言う源氏は泣きなどもした。

(さっととおりあめがしたあとのもののみにしむゆうがたにちゅうじょうはにびいろのもふくののうしさしぬきを)

さっと通り雨がした後の物の身にしむ夕方に中将は鈍色の喪服の直衣指貫を

(いままでのよりはうすいいろのにきかえて、ちからづよいわかさにあふれた、)

今までのよりは淡い色のに着かえて、力強い若さにあふれた、

(こうしらしいふうさいででてきた。げんじはにしがわのつまどのまえのこうらんにからだをよせて、)

公子らしい風采で出て来た。源氏は西側の妻戸の前の高欄にからだを寄せて、

(しもがれのにわをながめているときであった。あらいかぜがふいて、しぐれもばらばらと)

霜枯れの庭をながめている時であった。荒い風が吹いて、時雨もばらばらと

(ちるのをみると、げんじはじぶんのなみだときそうもののようにおもった。)

散るのを見ると、源氏は自分の涙と競うもののように思った。

(「あいあいあいうしなうふたつながらゆめのごとしあめとやなるくもとやなるいまはしらず」とくちずさみながら)

「相逢相失両如夢、為雨為雲今不知」と口ずさみながら

(ほおづえをついたげんじを、おんなであればさきだってしんだばあいに)

頬杖をついた源氏を、女であれば先だって死んだ場合に

(たましいはかならずはなれていくまいとこうしょくなこころにちゅうじょうをおもって、)

魂は必ず離れて行くまいと好色な心に中将を思って、

(じっとながめながらちかづいてきていちれいしてすわった。)

じっとながめながら近づいて来て一礼してすわった。

(げんじはうちとけたすがたでいたのであるが、きゃくにけいいをひょうするために、)

源氏は打ち解けた姿でいたのであるが、客に敬意を表するために、

など

(のうしのひもだけはかけた。げんじのほうはちゅうじょうよりもすこしこいにびいろにきれいないろの)

直衣の紐だけは掛けた。源氏のほうは中将よりも少し濃い鈍色にきれいな色の

(べにのひとえをかさねていた。こうしたもふくすがたはきわめてえんである。)

紅の単衣を重ねていた。こうした喪服姿はきわめて艶である。

(ちゅうじょうもかなしいめつきでにわのほうをながめていた。 )

中将も悲しい目つきで庭のほうをながめていた。

(あめとなりしぐるるそらのうきぐもをいづれのかたとわきてながめん )

雨となりしぐるる空の浮き雲をいづれの方と分きてながめん

(どこだかわからない。 とひとりごとのようにいっているのにげんじはこたえて、)

どこだかわからない。 と独言のように言っているのに源氏は答えて、

(みしひとのあめとなりにしくもいさえいとどしぐれにかきくらすころ )

見し人の雨となりにし雲井さへいとど時雨に掻きくらす頃

(というのに、こじんをかなしむこころのふかさがみえるのである。ちゅうじょうはこれまで、)

というのに、故人を悲しむ心の深さが見えるのである。中将はこれまで、

(いんのおぼしめしと、ちちのだいじんのこうい、ははみやのおばぎみであるかんけい、そんなものがげんじを)

院の思召しと、父の大臣の好意、母宮の叔母君である関係、そんなものが源氏を

(ここにひきとめているだけで、いもうとをねつあいするとはみえなかった、じぶんはそれに)

ここに引き止めているだけで、妹を熱愛するとは見えなかった、自分はそれに

(どうじょうもあらわしていたつもりであるが、ひょうめんとはちがったうごかぬあいを)

同情も表していたつもりであるが、表面とは違った動かぬ愛を

(つまにもっていたげんじであったのだとこのときはじめてきがついた。)

妻に持っていた源氏であったのだとこの時はじめて気がついた。

(それによってまたいもうとのしがおしまれた。ただひとりのひとが)

それによってまた妹の死が惜しまれた。ただ一人の人が

(いなくなっただけであるが、いえのなかのこうみょうをことごとくうしなったように)

いなくなっただけであるが、家の中の光明をことごとく失ったように

(だれもこのごろはおもっているのである。げんじはかれたうえこみのくさのなかに)

だれもこのごろは思っているのである。源氏は枯れた植え込みの草の中に

(りんどうやなでしこのさいているのをみて、おらせたのを、ちゅうじょうがかえったあとで、)

竜胆や撫子の咲いているのを見て、折らせたのを、中将が帰ったあとで、

(わかぎみのめのとのさいしょうのきみをつかいにして、みやさまのおいまへもたせてやった。 )

若君の乳母の宰相の君を使いにして、宮様のお居間へ持たせてやった。

(くさがれのまがきにのこるなでしこをわかれしあきのかたみとぞみる )

草枯れの籬に残る撫子を別れし秋の形見とぞ見る

(このはなはひかくにならないものとあなたさまのおめにはみえるでございましょう。)

この花は比較にならないものとあなた様のお目には見えるでございましょう。

(こうあいさつをさせたのである。なでしこにたとえられたようじは)

こう挨拶をさせたのである。撫子にたとえられた幼児は

(ほんとうにはなのようであった。みやさまのなみだはかぜのねにもこのはより)

ほんとうに花のようであった。宮様の涙は風の音にも木の葉より

(はやくちるころであるから、ましてげんじのうたはおこころをうごかした。 )

早く散るころであるから、まして源氏の歌はお心を動かした。

(いまもみてなかなかそでをぬらすかなかきほあれにしやまとなでしこ )

今も見てなかなか袖を濡らすかな垣ほあれにしやまと撫子

(というおへんじがあった。)

というお返辞があった。

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