紫式部 源氏物語 葵 21 與謝野晶子訳(終)

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(にじょうのいんのひめぎみがなにびとであるかをせけんがまだしらないことは、)

二条の院の姫君が何人であるかを世間がまだ知らないことは、

(じっしつをうたがわせることであるから、ちちみやへのはっぴょうをいそがなければならないと)

実質を疑わせることであるから、父宮への発表を急がなければならないと

(げんじはおもって、もぎのしきのよういをじしんのじゅうぞくかんけいになっているやくにんたちにも)

源氏は思って、裳着の式の用意を自身の従属関係になっている役人たちにも

(めいじさせていた。こうしたこういもむらさきのきみはうれしくなかった。じゅんすいなしんらいを)

命じさせていた。こうした好意も紫の君はうれしくなかった。純粋な信頼を

(うらぎられたのはじぶんのにんしきがふそくだったのであるとくやんでいるのである。)

裏切られたのは自分の認識が不足だったのであると悔やんでいるのである。

(めもみあわないようにしてげんじをさけていた。じょうだんをいいかけられたり)

目も見合わないようにして源氏を避けていた。戯談を言いかけられたり

(することはくるしくてならぬふうである。うつうつとものおもわしそうにばかりして)

することは苦しくてならぬふうである。鬱々と物思わしそうにばかりして

(いぜんとはすっかりかわったおとなのようすをげんじはうつくしいこととも、)

以前とはすっかり変わった大人の様子を源氏は美しいこととも、

(かれんなことともおもっていた。 「ながいあいだどんなにあなたをあいしてきたかも)

可憐なこととも思っていた。 「長い間どんなにあなたを愛して来たかも

(しれないのに、あなたのほうはもうわたくしがきらいになったというようにしますね、)

しれないのに、あなたのほうはもう私がきらいになったというようにしますね、

(それではわたくしがかわいそうじゃありませんか」)

それでは私がかわいそうじゃありませんか」

(うらみらしくいってみることもあった。 こうしてとしがくれ、あたらしいはるになった。)

恨みらしく言ってみることもあった。 こうして年が暮れ、新しい春になった。

(がんじつにはいんのごしょへさきにしこうしてからさんだいをして、とうぐうのごてんへも)

元日には院の御所へ先に伺候してから参内をして、東宮の御殿へも

(さんがにまわった。そしてごしょからすぐにさだいじんけへげんじはいった。)

参賀にまわった。そして御所からすぐに左大臣家へ源氏は行った。

(だいじんはがんじつもいえにこもっていて、かぞくとこじんのはなしをしだしては)

大臣は元日も家にこもっていて、家族と故人の話をし出しては

(さびしがるばかりであったが、げんじのほうもんにあって、しいて、)

寂しがるばかりであったが、源氏の訪問にあって、しいて、

(かなしみをおさえようとするのがさもたえがたそうにみえた。かさねたひととせは)

悲しみをおさえようとするのがさも堪えがたそうに見えた。重ねた一歳は

(げんじのびにおもおもしさをそえたとだいじんけのひとはみた。いぜんにもまさって)

源氏の美に重々しさを添えたと大臣家の人は見た。以前にもまさって

(きれいでもあった。だいじんのまえをじしてむかしのすまいのほうへいくと、にょうぼうたちは)

きれいでもあった。大臣の前を辞して昔の住居のほうへ行くと、女房たちは

(めずらしがってみなげんじをみにあつまってきたが、だれもみなついなみだをこぼして)

珍しがって皆源氏を見に集まって来たが、だれも皆つい涙をこぼして

など

(しまうのであった。わかぎみをみるとしばらくのうちにおどろくほどおおきくなっていて、)

しまうのであった。若君を見るとしばらくのうちに驚くほど大きくなっていて、

(よくわらうのもあわれであった。めつきくちもとがとうぐうにそっくりであるから、)

よく笑うのも哀れであった。目つき口もとが東宮にそっくりであるから、

(これをひとがあやしまないであろうかとげんじはみいっていた。ふじんのいたころと)

これを人が怪しまないであろうかと源氏は見入っていた。夫人のいたころと

(おなじようにしょしゅんのへやがそうしょくしてあった。いふくがけのさおにしんちょうされた)

同じように初春の部屋が装飾してあった。衣服掛けの棹に新調された

(げんじのはるぎがかけられてあったが、おんなのふくがならんでかけられていないことは)

源氏の春着が掛けられてあったが、女の服が並んで掛けられていないことは

(みためだけにもさびしい。 みやさまのあいさつをにょうぼうがとりついできた。)

見た目だけにも寂しい。 宮様の挨拶を女房が取り次いで来た。

(「きょうだけはどうしてもむかしをわすれていなければならないと)

「今日だけはどうしても昔を忘れていなければならないと

(しんぼうしているのですが、ごほうもんくださいましたことでかえってそのどりょくが)

辛抱しているのですが、御訪問くださいましたことでかえってその努力が

(むだになってしまいました」 それから、また、)

無駄になってしまいました」 それから、また、

(「むかしからこちらでつくらせますおめしものも、あれからのちはなみだでわたくしのしりょくも)

「昔からこちらで作らせますお召し物も、あれからのちは涙で私の視力も

(あいまいなんですからふできにばかりなりましたが、きょうだけはこんなものでも)

曖昧なんですから不出来にばかりなりましたが、今日だけはこんなものでも

(おきかえくださいませ」 といって、かけてあるもののほかに、)

お着かえくださいませ」 と言って、掛けてある物のほかに、

(ひじょうにこったうつくしいいしょうひとそろいがおくられた。とうぜんきょうのちゃくりょうになるものとして)

非常に凝った美しい衣裳一揃いが贈られた。当然今日の着料になる物として

(おつくらせになったしたがさねは、いろもおりかたもふつうのしなではなかった。)

お作らせになった下襲は、色も織り方も普通の品ではなかった。

(きねばちからをおおとしになるであろうとおもってげんじはすぐにしたがさねをそれにかえた。)

着ねば力をお落としになるであろうと思って源氏はすぐに下襲をそれに変えた。

(もしじぶんがこなかったらしつぼうあそばしたであろうとおもうと)

もし自分が来なかったら失望あそばしたであろうと思うと

(こころぐるしくてならないものがあった。おへんじのあいさつは、)

心苦しくてならないものがあった。お返辞の挨拶は、

(「はるのまいりましたしるしに、とうぜんまいるべきわたくしがおめにかかりにでたのですが、)

「春の参りましたしるしに、当然参るべき私がお目にかかりに出たのですが、

(あまりにいろいろなことがおもいだされまして、おはなしをうかがいにあがれません。 )

あまりにいろいろなことが思い出されまして、お話を伺いに上がれません。

(あまたとしきょうあらためしいろごろもきてはなみだぞふるここちする )

あまたとし今日改めし色ごろもきては涙ぞ降るここちする

(じぶんをおさえるちからもないのでございます」 ととりつがせた。みやから、)

自分をおさえる力もないのでございます」 と取り次がせた。宮から、

(あたらしきとしともいわずふるものはふりぬるひとのなみだなりけり )

新しき年ともいはず降るものはふりぬる人の涙なりけり

(というごへんかがあった。どんなにおかなしかったことであろう。)

という御返歌があった。どんなにお悲しかったことであろう。

((やくちゅう) げんじにじゅうにさいよりにじゅうさんさいまで。)

(訳注) 源氏二十二歳より二十三歳まで。

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