紫式部 源氏物語 須磨 15 與謝野晶子訳
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問題文
(このころにきゅうしゅうのちょうかんのだいにがのぼってきた。おおきなせいりょくをもっていて)
このころに九州の長官の大弐が上って来た。大きな勢力を持っていて
(いちもんろうとうのかずがおおく、またむすめたくさんなだいにででもあったから、)
一門郎党の数が多く、また娘たくさんな大弐ででもあったから、
(ふじんたちにだけふねのたびをさせた。そしてところどころでりくをいくおとこたちとうみのいっこうとが)
婦人たちにだけ船の旅をさせた。そして所々で陸を行く男たちと海の一行とが
(ごうりゅうしてめいしょのけんぶつをしながらきたのであるが、どこよりもふうけいのめいびな)
合流して名所の見物をしながら来たのであるが、どこよりも風景の明媚な
(すまのうらにげんじのたいしょうがいんせいしていられるということをきいて、わかいおしゃれな)
須磨の浦に源氏の大将が隠栖していられるということを聞いて、若いお洒落な
(としごろのむすめたちは、だれもみぬふねのなかにいながらみなりをきにやんだりした。)
年ごろの娘たちは、だれも見ぬ船の中にいながら身なりを気にやんだりした。
(そのなかにげんじのじょうじんであったごせちのきみは、すまにじょうりくできるのでもなくて)
その中に源氏の情人であった五節の君は、須磨に上陸できるのでもなくて
(あいしゅうのじょうにたえられないものがあった。げんじのひくきんのねがうらかぜのなかにまじって)
哀愁の情に堪えられないものがあった。源氏の弾く琴の音が浦風の中に混じって
(ほのかにきこえてきたとき、このさびしいうみべとはっこうなきじんとをかんがえあわせて、)
ほのかに聞こえて来た時、この寂しい海べと薄倖な貴人とを考え合わせて、
(ひとなみのかんじょうをもつものはみなないた。だいにはげんじへあいさつをした。)
人並みの感情を持つ者は皆泣いた。大弐は源氏へ挨拶をした。
(「はるかないなかからのぼってまいりましたわたくしは、きょうへつけばまずしこういたしまして)
「はるかな田舎から上ってまいりました私は、京へ着けばまず伺候いたしまして
(あなたさまからみやこのおはなしをうかがわせていただきますことをくうそうしたもので)
あなた様から都のお話を伺わせていただきますことを空想したもので
(ございました。いがいなせいへんのためにごいんせいになっておりますとちを)
ございました。意外な政変のために御隠栖になっております土地を
(きょうとおってまいります。ひじょうにもったいないこととぞんじ、かなしいことと)
今日通ってまいります。非常にもったいないことと存じ、悲しいことと
(おもうのでございます。しんせきとちじんとがもうきょうからこのへんへむかえにまいって)
思うのでございます。親戚と知人とがもう京からこの辺へ迎えにまいって
(おりまして、それらのものがうるそうございますから、おめにかかりにでないので)
おりまして、それらの者がうるそうございますから、お目にかかりに出ないので
(ございますが、またそのうちべつにうかがわせていただきます」)
ございますが、またそのうち別に伺わせていただきます」
(というのであって、このちくぜんのかみがつかいにいったのである。げんじがくろうどにすいせんして)
というのであって、子の筑前守が使いに行ったのである。源氏が蔵人に推薦して
(ひきたてたおとこであったから、しんちゅうにかなしみながらもひとめをはばかってすぐに)
引き立てた男であったから、心中に悲しみながらも人目をはばかってすぐに
(かえろうとしていた。 「きょうをでてからはむかしこんいにしたひとたちともなかなか)
帰ろうとしていた。 「京を出てからは昔懇意にした人たちともなかなか
(あえないことになっていたのに、わざわざたずねてきてくれたことをまんぞくにおもう」)
逢えないことになっていたのに、わざわざ訪ねて来てくれたことを満足に思う」
(とげんじはいった。だいにへのへんとうもまたそんなものであった。ちくぜんのかみは)
と源氏は言った。大弐への返答もまたそんなものであった。筑前守は
(なくなくかえって、げんじのすまいのようすなどをほうこくすると、だいにをはじめとして、)
泣く泣く帰って、源氏の住居の様子などを報告すると、大弐をはじめとして、
(きょうからきていたむかえのひとたちもいっしょにないた。)
京から来ていた迎えの人たちもいっしょに泣いた。
(ごせちのきみはひとにかくれてげんじへてがみをおくった。 )
五節の君は人に隠れて源氏へ手紙を送った。
(ことのねにひきとめらるるつなてなわたゆとうこころきみしるらめや )
琴の音にひきとめらるる綱手縄たゆたふ心君知るらめや
(おんがくのよこずきをおわらいくださいますな。 とかかれてあるのを、)
音楽の横好きをお笑いくださいますな。 と書かれてあるのを、
(げんじはびしょうしながらながめていた。わかいむすめのきまりわるそうなところの)
源氏は微笑しながらながめていた。若い娘のきまり悪そうなところの
(よくでているてがみである。 )
よく出ている手紙である。
(こころありてひくてのつなのたゆたわばうちすぎましやすまのうらなみ )
心ありてひくての綱のたゆたはば打ち過ぎましや須磨の浦波
(ぎょそんのあまになってしまうとはおもわなかったことです。)
漁村の海人になってしまうとは思わなかったことです。
(これはげんじのかいたへんじである。あかしのえきちょうにしをのこしたかんこうのように)
これは源氏の書いた返事である。明石の駅長に詩を残した菅公のように
(げんじがおもわれて、ごせちはおやきょうだいにわかれてもここにのこりたいとおもうほどどうじょうした。)
源氏が思われて、五節は親兄弟に別れてもここに残りたいと思うほど同情した。