紫式部 源氏物語 須磨 17 與謝野晶子訳
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問題文
(ふゆになってゆきのふりあれるひにはいいろのそらをながめながらげんじはきんをひいていた。)
冬になって雪の降り荒れる日に灰色の空をながめながら源氏は琴を弾いていた。
(よしきよにうたをうたわせて、これみつにはふえのやくをめいじた。こまかいてをねっしんにげんじが)
良清に歌を歌わせて、惟光には笛の役を命じた。細かい手を熱心に源氏が
(ひきだしたので、ほかのふたりはめいぜられたことをやめてきんのねになみだをながしていた。)
弾き出したので、他の二人は命ぜられたことをやめて琴の音に涙を流していた。
(かんていがほくいのくにへおつかわしになったきゅうじょのびわをひいてみずから)
漢帝が北夷の国へおつかわしになった宮女の琵琶を弾いてみずから
(なぐさめていたときのこころもちはましてどんなにかなしいものであったであろう、)
慰めていた時の心持ちはましてどんなに悲しいものであったであろう、
(それがげんざいのことで、じぶんのあいじんなどをそうしてとおくへやるとしたら、)
それが現在のことで、自分の愛人などをそうして遠くへやるとしたら、
(とそんなことをげんじはそうぞうしたが、やがてそれがしんじつのことのように)
とそんなことを源氏は想像したが、やがてそれが真実のことのように
(おもわれてきて、かなしくなった。げんじは「こかくいっせいそうごのゆめ」とおうしょうくんをうたった)
思われて来て、悲しくなった。源氏は「故角一声霜後夢」と王昭君を歌った
(しのくがくちにのぼった。げっこうがあかるくて、せまいいえはおくのすみずみまであらわにみえた。)
詩の句が口に上った。月光が明るくて、狭い家は奥の隅々まで顕わに見えた。
(しんやのそらがえんがわのうえにあった。もうおちるのにちかいつきが)
深夜の空が縁側の上にあった。もう落ちるのに近い月が
(すごいほどしろいのをみて、「ただこれにしへゆくさせんにあらず」とげんじはうたった。 )
すごいほど白いのを見て、「唯是西行不左遷」と源氏は歌った。
(いづかたのくもじにわれもまよいなんつきのみるらんこともはづかし )
何方の雲路にわれも迷ひなん月の見るらんことも恥かし
(ともいった。れいのようにげんじはしゅうやねむれなかった。)
とも言った。例のように源氏は終夜眠れなかった。
(あけがたにちどりがみにしむこえでないた。 )
明け方に千鳥が身にしむ声で鳴いた。
(ともちどりもろごえになくあかつきはひとりねざめのとこもたのもし )
友千鳥諸声に鳴く暁は一人寝覚めの床も頼もし
(だれもまだおきたかげがないので、げんじはなんどもこのうたをくりかえしてとなえていた。)
だれもまだ起きた影がないので、源氏は何度もこの歌を繰り返して唱えていた。
(まだくらいあいだにちょうずをすませてねんずをしていることがじしんたちに)
まだ暗い間に手水を済ませて念誦をしていることが侍臣たちに
(しんせんないんしょうをあたえた。このげんじからはなれていくきがおこらないで、)
新鮮な印象を与えた。この源氏から離れて行く気が起こらないで、
(かりにきょうのいえへでかけようとするものもない。 あかしのうらははってでもいけるほどの)
仮に京の家へ出かけようとする者もない。 明石の浦は這ってでも行けるほどの
(ちかさであったから、よしきよあそんはあかしのにゅうどうのむすめをおもいだして)
近さであったから、良清朝臣は明石の入道の娘を思い出して
(てがみをかいておくったりしたがへんしょはこなかった。ちちおやのにゅうどうから)
手紙を書いて送ったりしたが返書は来なかった。父親の入道から
(そうだんしたいことがあるからちょっとあいにきてほしいといってきた。)
相談したいことがあるからちょっと逢いに来てほしいと言って来た。
(きゅうこんにおうじてくれないことのわかったいえをほうもんして、しつぼうしたかおで)
求婚に応じてくれないことのわかった家を訪問して、失望した顔で
(そこをでてくるかっこうはばかにみえるだろうと、よしきよはわるいほうへかいしゃくして)
そこを出て来る恰好は馬鹿に見えるだろうと、良清は悪いほうへ解釈して
(いこうとしない。すばらしくじそんしんはつよくても、げんざいのくにのちょうかんのいちぞくいがいには)
行こうとしない。すばらしく自尊心は強くても、現在の国の長官の一族以外には
(だれにもそんけいをはらわないちほうじんのしんりをしらないにゅうどうは、むすめへのきゅうこんしゃをみな)
だれにも尊敬を払わない地方人の心理を知らない入道は、娘への求婚者を皆
(もんがいにおいはらうたいどをとりつづけていたが、げんじがすまに)
門外に追い払う態度を取り続けていたが、源氏が須磨に
(いんせいしていることをきいてつまにいった。 「きりつぼのこういのおうみした)
隠栖していることを聞いて妻に言った。 「桐壺の更衣のお生みした
(ひかるげんじのきみがちょっかんですまにきていられるのだ。わたくしのむすめのうんめいについてあるあんじを)
光源氏の君が勅勘で須磨に来ていられるのだ。私の娘の運命についてある暗示を
(うけているのだから、どうかしてこのきかいにげんじのきみに)
受けているのだから、どうかしてこの機会に源氏の君に
(むすめをさしあげたいとおもう」 「それはたいへんまちがったおかんがえですよ。)
娘を差し上げたいと思う」 「それはたいへんまちがったお考えですよ。
(あのかたはりっぱなおくさまをなんにんももっていらっしって、そのうえへいかのごあいじんを)
あの方はりっぱな奥様を何人も持っていらっしって、その上陛下の御愛人を
(おぬすみになったことがもんだいになってしっきゃくをなすったのでしょう。そんなかたが)
お盗みになったことが問題になって失脚をなすったのでしょう。そんな方が
(いなかそだちのむすめなどをがんちゅうにおおきになるものですか」 とつまはいった。)
田舎育ちの娘などを眼中にお置きになるものですか」 と妻は言った。
(にゅうどうははらをたてて、 「あなたにくちをださせないよ。わたくしにはかんがえがあるのだ。)
入道は腹を立てて、 「あなたに口を出させないよ。私には考えがあるのだ。
(けっこんのよういをしておきなさい。きかいをつくってあかしへげんじのきみをおむかえするから」)
結婚の用意をしておきなさい。機会を作って明石へ源氏の君をお迎えするから」
(とかってほうだいなことをいうのにも、ふうがわりなせいかくがうかがわれた。)
と勝手ほうだいなことを言うのにも、風変わりな性格がうかがわれた。
(むすめのためにはまぶしいきがするほどのかしゃなせつびのされてある)
娘のためにはまぶしい気がするほどの華奢な設備のされてある
(にゅうどうのいえであった。 「なぜそうしなければならないのでしょう。)
入道の家であった。 「なぜそうしなければならないのでしょう。
(どんなにごりっぱなかたでもむすめのはじめてのけっこんに)
どんなにごりっぱな方でも娘のはじめての結婚に
(つみがあってながされてきていらっしゃるかたをむこにしようなどと、)
罪があって流されて来ていらっしゃる方を婿にしようなどと、
(わたくしはそんなきがしません。それもあいしてくださればよろしゅうございますが、)
私はそんな気がしません。それも愛してくださればよろしゅうございますが、
(そんなことはそうぞうもされない。じょうだんにでもそんなことは)
そんなことは想像もされない。戯談にでもそんなことは
(おっしゃらないでください」 とつまがいうと、にゅうどうはくやしがって、)
おっしゃらないでください」 と妻が言うと、入道はくやしがって、
(なにかくちのなかでぶつぶついっていた。 「つみにとわれることは、しなでもここでも)
何か口の中でぶつぶつ言っていた。 「罪に問われることは、支那でもここでも
(げんじのきみのようなすぐれたてんさいてきなかたにはかならずあるさいやくなのだ、)
源氏の君のようなすぐれた天才的な方には必ずある災厄なのだ、
(げんじのきみはなんだとおもう、わたくしのおじだったあぜちだいなごんのむすめがははぎみなのだ。)
源氏の君は何だと思う、私の叔父だった按察使大納言の娘が母君なのだ。
(すぐれたじょせいで、みやづかえにだすとていおうのおんちょうがひとりにあつまって、)
すぐれた女性で、宮仕えに出すと帝王の恩寵が一人に集まって、
(それでひとのしっとをおおくうけてなくなられたが、げんじのきみが)
それで人の嫉妬を多く受けて亡くなられたが、源氏の君が
(のこっておいでになるということはけっこうなことだ。おんなというものはみなきりつぼのこういに)
残っておいでになるということは結構なことだ。女という者は皆桐壺の更衣に
(なろうとすべきだ。わたくしがちほうにどちゃくしたいなかものだといっても、)
なろうとすべきだ。私が地方に土着した田舎者だといっても、
(そのふるいえんこでおちかづきはゆるしてくださるだろう」 などとにゅうどうはいっていた。)
その古い縁故でお近づきは許してくださるだろう」 などと入道は言っていた。
(このむすめはすぐれたようぼうをもっているのではないが、ゆうがなじょうひんなおんなで、)
この娘はすぐれた容貌を持っているのではないが、優雅な上品な女で、
(けんしきのそなわっているてんなどはきぞくのむすめにもおとらなかった。)
見識の備わっている点などは貴族の娘にも劣らなかった。
(きょうぐうをみずからしって、じょうりゅうのおとこはじぶんをがんちゅうにもおかないであろうし、)
境遇をみずから知って、上流の男は自分を眼中にも置かないであろうし、
(それかといってみぶんそうおうなおとことはけっこんをしようとおもわない、)
それかといって身分相応な男とは結婚をしようと思わない、
(ながくいきていることになってりょうしんにしにわかれたらあまにでもじぶんはなろう、)
長く生きていることになって両親に死に別れたら尼にでも自分はなろう、
(うみへみをなげてもいいというしんねんをもっていた。にゅうどうはだいじがってねんににどずつ)
海へ身を投げてもいいという信念を持っていた。入道は大事がって年に二度ずつ
(むすめをすみよしのやしろへさんけいさせて、かみのおんけいをひとしれずたのみにしていた。)
娘を住吉の社へ参詣させて、神の恩恵を人知れず頼みにしていた。