森鴎外 大塩平八郎その14
一ヶ月ほど、静養のかたわら少しずつあげてきましたが、急に忙しくなり始めてしまい、残念ながらここらまでが限度になりそうです、心待ちにしてくれていた方には申し訳ありませんです。
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問題文
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(「うん。しっておる。おれはあまりにもひとをしんじすぎて、)
「うん。知っておる。おれは余りにも人を信じ過ぎて、
(きみまでをきちにおいこんだ。)
君までを危地に追い込んだ。
(かんべんしてくれたまえ。きょねんのあきからのちょううちのしたくが、)
勘弁してくれ給え。去年の秋からの丁打ちの支度が、
(ぎょうさんだとおれもおもった。)
仰山だとおれも思った。
(それにもんじんちゅうのろうはいすうにんと、じゅくせいのいっぱんとが、)
それに門人中の老輩数人と、塾生の一半とが、
(しだいにわれわれとそえんになって、)
次第に我々と疎遠になって、
(なにかわれわれのしらぬことをしっておるらしいそぶりである。)
何か我々の知らぬ事を知っておるらしい素振りである。
(それをあやしいとおれもおもった。)
それを怪しいとおれも思った。
(しかしおれはゆうべまでことのしんそうをみぬくことができなかった。)
しかしおれはゆうべまで事の真相を見抜くことが出来なかった。
(ところがきみ、ゆうべじゅくせいいちどうに、)
ところが君、ゆうべ塾生一同に、
(おおしおせんせいからもうしわたすことがあるといってよばれた、あのときのことだね。)
大塩先生から申し渡すことがあると云って呼ばれた、あの時の事だね。
(おれはかわりにきいてきてやるといって、きみをのこしておいてしゅっせきした。)
おれは代りに聞いて来てやると云って、君を残して置いて出席した。
(それからかえって、かくべつなことでもないから、あしたはなすといってねたのだがね、)
それから帰って、格別な事でもないから、あした話すと云って寝たのだがね、
(じつはあのとき、れいのろうはいどもとしゅえんをしていたおおしおせんせいが、)
実はあの時、例の老輩共と酒宴をしていた大塩先生が、
(ひとりせきをたってわれわれのあつまっているところへでてきて、こういったのだ。)
ひとり席を起って我々の集まっている所へ出て来て、こう云ったのだ。
(いちだいじであるが、おまえたちはどうみをしょするかしりたいといったのだ。)
一大事であるが、お前たちはどう身を処するか知りたいと云ったのだ。
(おれはいちだいじとはなにごとだととうてみた。せんせいはざっとこんなことをとかれた。)
おれは一大事とは何事だと問うて見た。先生はざっとこんな事を説かれた。
(われわれはへいぜいりょうちのがくをおさめている。あれはこんぽんのおしえだ。)
我々は平生良知の学を修めている。あれは根本の教えだ。
(しかるにいまのてんかのけいせいはやんでいる。)
然るに今の天下の形勢は病んでいる。
(たみのひへいはきわまっている。くさぼうがいあらば、)
民の疲弊は窮まっている。草妨礙あらば、
など
(りまたよろしくさるべしである。)
理亦宜しく去るべしである。
(てんかのためにざんぞくをのぞかずにはいられぬというのだ。そこでそのざんぞくだがな。」)
天下のために残賊を除かずにはいられぬと云うのだ。そこでその残賊だがな。」
(「はあ」といって、おかだはめをみはった。)
「はあ」と云って、岡田は目を瞠った。
(「まずまちぶぎょうたちのことらしい。しかしぶぎょうをさっしょうしてなんになる。)
「まず町奉行たちのことらしい。しかし奉行を殺傷してなんになる。
(われわれはじつにせんせいをみそこなっておったのだ。)
我々は実に先生を見損っておったのだ。
(せんせいのがんちゅうにはしょうぐんけもなければ、ちょうていもない。)
先生の眼中には将軍家もなければ、朝廷もない。
(せんせいはそこまではかんがえておられぬらしい。」)
先生はそこまでは考えておられぬらしい。」
(「そんならいまことをあげるのですね。」)
「そんなら今事を挙げるのですね。」
(「そうだ。いえにはひをかけ、くみせぬものはきりすててけっきするというのだろう。)
「そうだ。家には火を掛け、与せぬ者は切り棄すてて決起するというのだろう。
(しかしあのものおとがするのはおくからしょさいのあたりだ。)
しかしあの物音がするのは奥から書斎のあたりだ。
(まだきゅうじゅくもある。こうどうもある。)
まだ旧塾もある。講堂もある。
(ここまでくるにはすこしときがある。まあ、ききたまえ。)
ここまで来るには少し時がある。まあ、聞き給え。
(せんせいのれいのきしょうだから、ゆうべもだれひとりはんろんするものはなかった。)
先生の例の気性だから、ゆうべも誰一人反論するものはなかった。
(おれはみょうちょうおへんじをするといってそのばをことした。)
おれは明朝御返事をすると云ってその場を糊塗した。
(もしいさめるきかいがあったら、いさめていんぼうをおもいとどまらせよう。)
もし諫める機会があったら、諫めて陰謀を思いとどまらせよう。
(それができなかったら、しとなりでしとなったのがうんめいだ、)
それが出来なかったら、師となり弟子となったのが運命だ、
(あまんじてしのうとけっしんした。そこできみだがね。」)
甘んじて死のうと決心した。そこで君だがね。」
(おかだはまた「はあ」といってみみをそばだてた。)
岡田は又「はあ」と云って耳をそばだてた。