半七捕物帳 槍突き4
岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第18話
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問題文
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(「そうよなあ」と、しちべえはにがわらいした。「まあ、そうでもいわなければ)
「そうよなあ」と、七兵衛は苦笑いした。「まあ、そうでも云わなければ
(りくつがあわねえが、なにしろへんなはなしだな。で、そのむすめはいいおんなだといったな。)
理窟が合わねえが、なにしろ変な話だな。で、その娘は美い女だと云ったな。
(つらをむきだしにしていたのか」
「いいえ、ずきんをかぶっていたそうです」)
面をむき出しにしていたのか」
「いいえ、頭巾をかぶっていたそうです」
(「そうか。そうして、そのむすめはかごにのりなれているらしかったな」)
「そうか。そうして、その娘は駕籠に乗り馴れているらしかったな」
(「さあ、そこまではききませんでした。なにしろまにんげんじゃあねえらしいから。)
「さあ、そこまでは聞きませんでした。なにしろ真人間じゃあねえらしいから。
(そこはなんとかうまくごまかしていたでしょうよ」)
そこはなんとか巧く誤魔化していたでしょうよ」
(「もういっぺんきくが、そのむすめはじゅうしちはちだといったな」)
「もう一遍きくが、その娘は十七八だと云ったな」
(「そうです、そういうはなしです」
「いや、ごくろう。おれもまあかんがえてみようよ」)
「そうです、そういう話です」
「いや、御苦労。おれもまあ考えてみようよ」
(いわぞうはおやぶんのまえをさがって、ほかのこぶんどものあつまっているへやへいった。)
岩蔵は親分の前を退がって、ほかの子分どもの集まっている部屋へ行った。
(そうしておおきなこえで、みずぢゃやのむすめのうわさかなにかをしているのをききながら、)
そうして大きな声で、水茶屋の娘の噂か何かをしているのを聴きながら、
(しちべえはながひばちのまえでじっとかんがえていたが、やがてすいかけているきせるを)
七兵衛は長火鉢の前でじっと考えていたが、やがて喫いかけている煙管を
(ぽんとはたいて、ひとりごとのようにいった。
「わるいいたずらをしやあがる」)
ぽんとはたいて、ひとり言のように云った。
「わるい悪戯をしやあがる」
(ひがくれてからしちべえはふきやちょうのうちをでて、あさくさのねんぶつどうのじゅうやこうにいった。)
日がくれてから七兵衛は葺屋町の家を出て、浅草の念仏堂の十夜講に行った。
(そのとちゅうで、ねんのために、やなぎはらのどてをひとまわりしてみると、やりつきのうわさに)
その途中で、念のために、柳原の堤を一と廻りして見ると、槍突きの噂に
(おびえているせいか、ながいどてにはよいからおうらいのあしおともたえて、ちょうちんのひひとつも)
おびえているせいか、長い堤には宵から往来の足音も絶えて、提灯の火一つも
(みえなかった。ひるからくもっていたおおぞらはたかいいちょうのこずえにまっくろに)
みえなかった。昼から陰っていた大空は高い銀杏のこずえに真っ黒に
(おしかかって、いなりのほこらのあかりがねむったようにうすきいろくひかっているのも)
圧しかかって、稲荷の祠の灯が眠ったように薄黄色く光っているのも
(さびしかった。かたてにじゅずをかけているしちべえはおだわらちょうちんをふたこのはおりのしたに)
寂しかった。かた手に数珠をかけている七兵衛は小田原提灯を双子の羽織の下に
(かくして、かんだがわにそうてどてのふちをたどってゆくと、かれやなぎのやせたかげから)
かくして、神田川に沿うて堤の縁をたどってゆくと、枯れ柳の痩せた蔭から
(ひとりのおんながゆうれいのようにふらりとでてきた。)
一人の女が幽霊のようにふらりと出て来た。
など
(しちべえはくらいなかでじっとすかしてみると、おんなのほうでもこっちを)
七兵衛は暗いなかでじっと透かしてみると、女の方でもこっちを
(うかがっているらしく、やがてすりぬけてりょうごくのほうへいこうとするのを、)
窺っているらしく、やがて摺り抜けて両国の方へ行こうとするのを、
(しちべえはうしろからよびもどした。
「もし、もし、ねえさん」)
七兵衛はうしろから呼び戻した。
「もし、もし、姐さん」
(おんなはだまってたちどまったが、またそのままにゆきすぎようとするのを、)
女は黙って立ち停まったが、又そのままに行き過ぎようとするのを、
(しちべえはあしばやにそのあとをおっていった。)
七兵衛は足早にそのあとを追って行った。
(「おい、ねえさん。このごろはぶっそうだ。わたしがそこまでおくってあげようじゃねえか」)
「おい、姐さん。このごろは物騒だ。私がそこまで送って上げようじゃねえか」
(こういいながら、かれはかくしていたちょうちんをそのめさきへつきつけようとすると、)
こう云いながら、かれは隠していた提灯をその眼先へ突き付けようとすると、
(ちょうちんはたちまちたたきおとされた。こっちはないないかくごしていたので、)
提灯はたちまち叩き落とされた。こっちは内々覚悟していたので、
(すぐそのてくびをとらえようとすると、りょうてはしびれるほどにつよくうたれて、)
すぐその手首を捕えようとすると、両手はしびれるほどに強く打たれて、
(じゅずのおはきれてとんでしまった。さすがのしちべえもはっとたちひるむひまに、)
数珠の緒は切れて飛んでしまった。さすがの七兵衛もはっと立ちひるむひまに、
(おんなのすがたははやくもやみのおくにかくれて、かれのめのとどくところには)
女のすがたは早くも闇の奥にかくれて、かれの眼のとどく所には
(もうまよっていなかった。)
もう迷っていなかった。
