菊屋敷 山本周五郎 8
そして妹の小松からある相談を持ちかけられる。
せんする
撰する/せんする:述べ作る。書物を書き著す。
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問題文
(ふかいかんがえがあっていったのではない。なんのきもなくふとくちにでたのであろう。)
深い考えがあって云ったのではない。なんの気もなくふと口に出たのであろう。
(しかしおかやのことばはしほにするどくつきささった。そうだ、このこには)
しかしお萱の言葉は志保にするどく突き刺さった。そうだ、この子には
(じつのおやがある。たとえあのときのやくそくがどうであろうと、かえせといわれれば)
実の親がある。たとえあのときの約束がどうであろうと、返せと云われれば
(かえさないわけにはいかない、もしそんなことになったとしたら。)
返さないわけにはいかない、もしそんなことになったとしたら。
(しほはぜんしんのちがこおるようにおもった。ほんとうになにかでつきさされたように、)
志保は全身の血が冰るように思った。本当になにかで突き刺されたように、
(しんぞうのあたりがきりきりといたんだ、いいえできない、)
心臓のあたりがきりきりと痛んだ、いいえできない、
(しんたろうをはなすことはできない、もしそんなことになったとしたら、)
晋太郎を離すことはできない、もしそんなことになったとしたら、
(おそらくじぶんにはいきるちからがなくなってしまうだろう。)
おそらく自分には生きるちからが無くなってしまうだろう。
(もうそのときがきたかのように、しほがいろをうしなってかんがえこむのをみたおかやは、)
もうその時が来たかのように、志保が色を喪って考えこむのを見たお萱は、
(かえってうろたえたようにいそいでうちけした。)
却ってうろたえたように急いでうち消した。
(「そんなにおかんがえなさることはございませんですよ。こまつさまには)
「そんなにお考えなさることはございませんですよ。小松さまには
(ごじなんがおありですし、あんなにかたくおやくそくをあそばしたのでございますもの。)
ご二男がおありですし、あんなに堅くお約束をあそばしたのでございますもの。
(あまりおじょうさまがおしあわせそうなので、おかやがついこころにもないことを)
あまりお嬢さまがお仕合せそうなので、お萱がつい心にもないことを
(もうしあげたのです。けっしてそんなことはございませんからごあんしんあそばせ」)
申上げたのです。決してそんなことはございませんからご安心あそばせ」
(そうだ、そんなことがあってよいものか。しほはおかやのうちけしに)
そうだ、そんなことがあってよいものか。志保はお萱のうち消しに
(すがりつくおもいで、ふあんなそうぞうをわすれようとつとめた。)
縋りつく思いで、不安な想像を忘れようとつとめた。
(けれどもいちどこころにささったくつうのかんじはけっしてさらず、)
けれどもいちど心に刺さった苦痛の感じは決して去らず、
(それからもときどきおそってきてはしほのむねをかきみだすのであった。)
それからもときどき襲ってきては志保の胸をかきみだすのであった。
(まいつきのきにちにじゅくへもんじんたちのあつまることは、あれいらいずっと)
毎月の忌日に塾へ門人たちの集ることは、あれ以来ずっと
(かかさずつづけられていた。かれらのあいだでは、いちばんねんちょうでもあり)
欠かさず続けられていた。かれらのあいだでは、いちばん年長でもあり
(くろかわもんのせんぱいでもあるすぎたしょうざぶろうが、いつかしどうしゃのようなかたちになり、)
黒川門の先輩でもある杉田庄三郎が、いつか指導者のようなかたちになり、
(あおえいちのじょうがそのほじょしゃとでもいういちで、)
青江市之丞がその補助者とでもいう位置で、
(みんなかたくむすびついているようだった。)
みんな固く結びついているようだった。
(「せいけんいげん」のこうどくにはかなりじじつをついやして、ときにははげしい)
「靖献遺言」の講読にはかなり時日を費やして、ときには激しい
(ぎろんのこえがおもやのほうまできこえてくることなどもあった。)
議論のこえが母屋のほうまで聞えてくることなどもあった。
(「みなさまたいそうごねっしんでいらっしゃいますのね」)
「みなさまたいそうご熱心でいらっしゃいますのね」
(あるときしほがそういった、「わたくしがちちからおこうぎをしていただいたときは、)
或るとき志保がそう云った、「わたくしが父からお講義をして頂いたときは、
(たしかはんとしほどですんだとおもいますけれど」)
たしか半年ほどで済んだと思いますけれど」
(「いやいげんだけではないのです」しょうざぶろうはそのときふしぎなびしょうを)
「いや遺言だけではないのです」庄三郎はそのときふしぎな微笑を
(うかべながらそうこたえた、「いげんのこうどくをはじめてからしばらくして、)
うかべながらそう答えた、「遺言の講読をはじめてから暫らくして、
(わたくしはふとこういうことをかんがえたのです。ごぞんじのとおりこのしょは、)
わたくしはふとこういうことを考えたのです。ご存じのとおり此書は、
(そのくつへい、かんのしょかつりょう、しんのとうせん、とうのがんしんけい、)
楚の屈平、漢の諸葛亮、晋の陶潜、唐の顔真卿、
(そうのぶんてんしょう、そうのしゃほうとく、しょしりゅういん、みんのほうこうじゅ、)
宋の文天祥、宋の謝枋得、処士劉因、明の方孝孺、
(いじょうはちにんをえらんでそのさいごのことばをあげ、ぎれつのせいしんを)
以上八人を選んでその最期のことばをあげ、義烈の精神を
(あきらかにしたものです。そしてそれはむろんわれわれを)
あきらかにしたものです。そしてそれはむろんわれわれを
(かんぷんせしむるおおくのないようをもってはいますけれども、)
感奮せしむる多くの内容をもってはいますけれども、
(しょせんはみなうみをへだてたいほうのれきしでありいほうのひとのことばです。)
しょせんはみな海を隔てた異邦の歴史であり異邦の人のことばです。
(もちろんそれだからといってこのしょのかちをうんぬんしようとはおもいませんし、)
もちろんそれだからといって此書の価値を云々しようとは思いませんし、
(いこくのじせきをとってさんこうとするひつようもよくみとめます。)
異国の事蹟をとって参考とする必要もよく認めます。
(だがそれとどうじに、いやむしろそれよりさきに、わがにほんのこくしをしり、)
だがそれと同時に、いや寧ろそれよりさきに、わが日本の国史をしり、
(われわれのせんぞのじせきからまなぶべきではないか、そうおもったのです」)
われわれの先祖の事蹟からまなぶべきではないか、そう思ったのです」
(しょうざぶろうはそこでふとくちをとじ、あふれてくるかんじょうをおさえるもののように、)
庄三郎はそこでふと口を閉じ、溢れてくる感情を抑えるもののように、
(しばらくだまってじぶんのてをみまもっていた。そういいだすまえの、)
暫らく黙って自分の手を見まもっていた。そう云いだすまえの、
(かれのふしぎなびしょうのいみが、そこまできくうちにおぼろげながら)
かれのふしぎな微笑の意味が、そこまで聞くうちにおぼろげながら
(しほにもすいさつできるようなきがした。それはしほがこうぎをきいたとき、)
志保にも推察できるような気がした。それは志保が講義を聴いたとき、
(なきちちのかずたみが、けいさいせんせいがこれをあまれたのはじだいのやむべからざるためだ、)
亡き父の一民が、絅斎先生がこれを編まれたのは時代のやむべからざるためだ、
(そうでなければおそらくわがにほんのせいけんいげんをせんせられたであろう。)
そうでなければおそらく我が日本の靖献遺言を撰せられたであろう。
(そういったことをおもいだしたからである。いましょうざぶろうをはじめもんじんたちが)
そう云ったことを思いだしたからである。いま庄三郎はじめ門人たちが
(とうめんしたかんねんも、おそらくはちちのこころざしたところへゆきあたったのにちがいない。)
当面した観念も、おそらくは父の志したところへゆき当ったのに違いない。
(そうだとすれば、しょうざぶろうのもらしたびしょうはきけんのじかくである。)
そうだとすれば、庄三郎のもらした微笑は危険の自覚である。
(「わたくしたちはいまいげんとへいこうしてたいへいきをこうどくしています、)
「わたくしたちはいま遺言と並行して太平記を講読しています、
(そしてべつのじかんにじんのうしょうとうきをよみはじめました」)
そして別の時間に神皇正統記を読みはじめました」
(しょうざぶろうはややこえをひそめるかんじでそういった、「まずこくしです、)
庄三郎はやや声をひそめる感じでそう云った、「まず国史です、
(いこくのしそうにもわざわいされず、じだいのけんせいにもえいきょうされない)
異国の思想にも禍されず、時代の権勢にも影響されない
(じゅんすいのこくしをしらなければならない、どうじにわれわれにほんのせんじんたちののこした)
純粋の国史を識らなければならない、同時にわれわれ日本の先人たちの遺した
(ちゅうれつのせいしん、われわれがうけつぎ、こまごへとつたえるべき)
忠烈の精神、われわれがうけ継ぎ、子孫へと伝えるべき
(じゅんすいのこくたいかんねん、これをあきらかにしなければならぬのです、)
純粋の国体観念、これをあきらかにしなければならぬのです、
(だが、ひじょうにかなしいのは、このくにのたみならおよそじゅっさいにして)
だが、ひじょうに悲しいのは、この国の民ならおよそ十歳にして
(しらなければならぬことを、いまはじめて、しかもとをとさして)
知らなければならぬことを、今はじめて、しかも戸を閉さして
(ひそかにまなぶということです、しかもそのとは、)
ひそかにまなぶということです、しかもその戸は、
(おのれじしんのこころにもあるのですから、じぶんのこころのいちぶにさえ)
おのれ自身の心にもあるのですから、自分の心の一部にさえ
(とをとささなければならない、かなしいというよりはわらうべきこと)
戸を閉ささなければならない、悲しいというよりは嗤うべきこと
(かもしれませんが」そういいかけてふと、ほかをかえりみるように)
かも知れませんが」そう云いかけてふと、他をかえりみるように
(「やまざきあんさいがはんこくにつかえずおうこうにくっせず、といったことばを、)
「山崎闇斎が藩国に仕えず王侯に屈せず、といった言葉を、
(わたくしはいまみにしみてうらやましくかんじますよ」)
わたくしはいま身にしみて羨やましく感じますよ」
(しほはだまってうなずきながらきいていた、なにもいうことはなかった、)
志保は黙って頷ずきながら聞いていた、なにも云うことはなかった、
(ただこころのなかで、このかたたちもせいちょうしてゆく、)
ただ心のなかで、この方たちも成長してゆく、
(ということをつぶやいていた、このかたたちも。)
ということを呟いていた、この方たちも。
(それはいっしゅのいいあらわしがたいかんどうであった。じぶんのふところで)
それは一種の云い表わしがたい感動であった。自分のふところで
(しんたろうがせいちょうしてゆくように、なきちちのこころざしたほうこうへと)
晋太郎が成長してゆくように、亡き父の志した方向へと
(もんじんたちがせいちょうしてゆく、ふたつのものが、このきくやしきのなかで)
門人たちが成長してゆく、二つのものが、この菊屋敷のなかで
(たくましくせいちょうしてゆきつつある、しかもりょうしゃともしほと)
逞ましく成長してゆきつつある、しかも両者とも志保と
(ふかいきずなにつながれているのだ、しんたろうがしほのこであるように、)
深い絆につながれているのだ、晋太郎が志保の子であるように、
(もんじんたちのなかにひとり、いまもなおしほにこころをよせているものがある、)
門人たちのなかに一人、いまもなお志保に心をよせている者がある、
(そうおもうとみうちがあつくなるような、よろこびともせんしんとも)
そう思うと身内が熱くなるような、よろこびとも顫震とも
(いいようのないかんどうがこみあげてきて、しほはわれにもなく)
云いようのない感動がこみあげてきて、志保はわれにもなく
(むねをかきいだくきもちだった。)
胸をかき抱く気持だった。