魯迅 阿Q正伝その1

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(あきゅうせいでん ろじん だい1しょう じょ)

阿Q正伝 魯迅 第1章 序

(わたしはあきゅうのせいでんをつくろうとしたのは1ねんや2ねんのことではなかった。)

私は阿Qの正伝を作ろうとしたのは1年や2年のことではなかった。

(けれどもつくろうとしながらまたかんがえなおした。)

けれども作ろうとしながらまた考えなおした。

(これをみてもわたしはりつげんのひとでないことがわかる。)

これを見ても私は立言の人でないことが分かる。

(じゅうらいふきゅうのふではふきゅうのひとをつたえるもので、ひとはぶんによってつたえられる。)

従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文によって伝えられる。

(つまりだれそれはだれそれによってつたえられるのであるから、)

つまり誰それは誰それによって伝えられるのであるから、

(しだいにはっきりしなくなってくる。)

次第にハッキリしなくなってくる。

(そうしてあきゅうをつたえることになると、)

そうして阿Qを伝えることになると、

(しそうのうえになにかゆうれいのようなものがあってけつまつがあやふやになる。)

思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやになる。

(それはそうとこのいっぺんのくちやすいぶんしょうをつくるために、)

それはそうとこの一篇の朽ち易い文章を作るために、

(わたしはふでをくだすがはやいか、いろいろのこんなんをかんじた。)

わたしは筆を下すが早いか、いろいろの困難を感じた。

(だいいちはぶんしょうのめいもくであった。こうしさまのおっしゃるには)

第一は文章の名目であった。孔子様のおっしゃるには

(「なまえがただしくないとはなしがだっせんする」と。)

「名前が正しくないと話が脱線する」と。

(これはほんらいきわめてちゅういすべきことで、でんきのなまえはれつでん、じでん、うちでん、)

これは本来極めて注意すべきことで、伝記の名前は列伝、自伝、内伝、

(がいでん、べつでん、かでん、しょうでんなどとずいぶんうるさいほどたくさんあるが、)

外伝、別伝、家伝、小伝などとずいぶんうるさいほどたくさんあるが、

(おしいかなみなあわない。れつでんとしてみたらどうだろう。)

惜しいかな皆合わない。列伝としてみたらどうだろう。

(このいっぺんはいろんなえらいひととともにせいしのなかにはいれつすべきものではない。)

この一篇はいろんな偉い人と共に正史の中に配列すべきものではない。

(じでんとすればどうだろう。わたしはけっしてあきゅうそのものでない。)

自伝とすればどうだろう。私は決して阿Qそのものでない。

(がいでんとすれば、うちでんがないし、またうちでんとすればあきゅうはけっしてしんせんではない。)

外伝とすれば、内伝が無いし、また内伝とすれば阿Qは決して神仙ではない。

(しからばべつでんとしたらどうだろう。)

しからば別伝としたらどうだろう。

など

(あきゅうはだいそうとうのじょうゆによってこくしかんにせんぷして)

阿Qは大総統の上諭に依って国史館に宣付して

(ほんでんをたてたことがまだいちどもない。)

本伝を立てたことがまだ一度もない。

(えいこくのせいしにもばくとれつでんというものはけっしてないが、)

英国の正史にも博徒列伝というものは決して無いが、

(ぶんごうぢっけんすはばくとべつでんというほんをだした。)

文豪ヂッケンスは博徒別伝という本を出した。

(しかしこれはぶんごうのやることでわれわれのやることではない。)

しかしこれは文豪のやることでわれわれのやることではない。

(そのほかかでんということばもあるが、)

そのほか家伝という言葉もあるが、

(わたしはあきゅうとおなじながれをくんでいるか、どうかしらん。)

わたしは阿Qと同じ流れを汲んでいるか、どうかしらん。

(かれのしそんにおじぎされたこともない。)

彼の子孫にお辞儀されたこともない。

(しょうでんとすればあるいはいいかもしれないが、)

小伝とすればあるいはいいかもしれないが、

(あきゅうはべつにたいでんというものがない。)

阿Qは別に大伝というものがない。

(せんじつめるとこのいっぺんはほんでんというべきものだが、)

煎じ詰めるとこの一篇は本伝というべきものだが、

(わたしのぶんしょうのちゃくそうからいうとぶんたいがげびていて、)

わたしの文章の着想からいうと文体が下卑ていて、

(「くるまをひいてのりをうるひとたち」がつかうことばをもちいているから、)

「車を引いてのりを売る人達」が使う言葉を用いているから、

(そんなせんえつなめいもくはつかえない。)

そんな僭越な名目はつかえない。

(そこでみきょうくりゅうのかずにはいらないしょうせつかのいわゆる「かんわきゅうだい、げんかえさせいでん」)

そこで三教九流の数に入らない小説家のいわゆる「閑話休題、言帰正伝」

(というもんきりがたのなかから「せいでん」というふたじをとりだしてめいもくとした。)

という紋切型の中から「正伝」という二字を取り出して名目とした。

(すなわちこじんがせんしたしょほうせいでんのそれに、)

すなわち古人が撰した書法正伝のそれに、

(もじのうえからみるとはなはだまぎらわしいが、もうどうでもいい。)

文字の上から見るとはなはだ紛らしいが、もうどうでもいい。

(だい2、でんきをかくにはつうれい、しょっぱなに)

第2、伝記を書くには通例、しょっぱなに

(「なんのなにがし、あざなはなに、どこそこのひとなり」とするのがあたりまえだが、)

「何の某、あざなは何、どこそこの人なり」とするのが当たりまえだが、

(わたしはあきゅうのせいがなんというかすこしもしらない。)

わたしは阿Qの姓が何というか少しも知らない。

(いちどかれはちょうとなのっていたようであったが、それもふつかめにはあいまいになった。)

一度彼は趙と名乗っていたようであったが、それも二日目には曖昧になった。

(それはちょうだんなのむすこがしゅうさいになったときのことであった。)

それは趙太爺の息子が秀才になった時の事であった。

(あきゅうはちょうど2わんのうわんちゅをのみほしてあしぶみてぶりしていった。)

阿Qはちょうど二碗の黄酒を飲み干して足踏み手振りして言った。

(これでかれもひじょうなめんぼくをほどこした。)

これで彼も非常な面目を施した。

(というのはかれとちょうだんなはもともといっかのわかれで、)

というのは彼と趙太爺はもともと一家の分れで、

(こまかくせんさくすると、かれはしゅうさいよりもめうえだとかたった。)

こまかく詮索すると、彼は秀才よりも目上だと語った。

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