半七捕物帳 津の国屋19

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第16話

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(はんときあまりもすぎて、かねきちはふたたびでていった。もじはるはこわごわながら)

半晌あまりも過ぎて、兼吉は再び出ていった。文字春はこわごわながら

(かどぐちへでてみると、きんじょのひとたちもみなかどにでてなにかしきりにいろいろのうわさを)

門口へ出て見ると、近所の人達もみな門に出てなにか頻りにいろいろの噂を

(していた。つのくにやのまえにもおおぜいのひとがあつまってうちをのぞいていた。)

していた。津の国屋のまえにも大勢の人があつまって内を覗いていた。

(きょうもあさからくもったひで、はいをこおらせたようなくらいおおぞらがまちのうえを)

きょうも朝から曇った日で、灰を凍らせたような暗い大空が町の上を

(ひくくおおっていた。)

低く掩っていた。

(「おい、ししょう。ごきんじょがちっとそうぞうしいね」)

「おい、師匠。御近所がちっと騒々しいね」

(こえをかけられてみかえると、それはここらをなわばりにしているおかっぴきの)

声をかけられて見返ると、それはここらを縄張りにしている岡っ引きの

(つねきちであった。きりはたのこうえもんはこのごろいんきょどうようになって、せがれのつねきちが)

常吉であった。桐畑の幸右衛門はこのごろ隠居同様になって、伜の常吉が

(もっぱらごようをつとめている。かれはまだにじゅうごろくのわかいおとこで、こんなかぎょうには)

専ら御用を勤めている。彼はまだ二十五六の若い男で、こんな稼業には

(にあわないおとなしやかないろじろの、にんぎょうのようなかおかたちがひとのめについて、)

似合わないおとなしやかな色白の、人形のような顔かたちが人の眼について、

(にんぎょうつねというあだなをとっているのであった。)

人形常という綽名をとっているのであった。

(ひとにかわいがられないしょうばいでも、おとこはおとこ、しかもにんぎょうのつねきちにこえをかけられて)

人に可愛がられない商売でも、男は男、しかも人形の常吉に声をかけられて

(もじはるはおもわずかおをうすくそめた。かれはそでぐちでくちをおおいながら)

文字春は思わず顔をうすく染めた。かれは袖口で口を掩いながら

(うぶらしくあいさつした。)

初心らしく挨拶した。

(「おやぶんさん。おさむうございます」)

「親分さん。お寒うございます」

(「ひどくひえるね。ひえるのもしかたがねえが、またこまったことができたぜ」)

「ひどく冷えるね。冷えるのも仕方がねえが、また困ったことが出来たぜ」

(「そうですってね。もうごけんしはすみましたか」)

「そうですってね。もう御検視は済みましたか」

(「だんながたはいまひきあげるところだ。ついてはししょう、おめえにちっと)

「旦那方は今引き揚げるところだ。就いては師匠、おめえにちっと

(ききてえことがあるんだが、あとにくるよ」)

訊きてえことがあるんだが、後に来るよ」

(「はあ、どうぞ、おまちもうしております」)

「はあ、どうぞ、お待ち申しております」

など

(つねきちはそのままつのくにやのほうへいってしまった。もじはるはあわててうちへ)

常吉はそのまま津の国屋の方へ行ってしまった。文字春はあわてて内へ

(はいって、べつのきものをだしてきかえた。おびもしめかえた。そうして、ながひばちへ)

はいって、別の着物を出して着換えた。帯も締めかえた。そうして、長火鉢へ

(すみをついだ。かれはつのくにやのいっけんについて、なにかのかかりあいになるのを)

炭をついだ。かれは津の国屋の一件について、なにかの係り合いになるのを

(おそれながら、いっぽうにはつねきちのくるのをめいわくにはおもっていなかった。)

恐れながら、一方には常吉の来るのを迷惑には思っていなかった。

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