津軽 序編 太宰治 6
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問題文
(さすがのばかのほんばにおいても、これくらいのばかはすくなかったかもしれない。)
さすがの馬鹿の本場に於いても、これくらいの馬鹿は少なかったかも知れない。
(かきうつしながらさくしゃじしん、すこしゆううつになった。この、げいしゃたちといっしょにごはん)
書き写しながら作者自身、すこし憂鬱になった。この、芸者たちと一緒にごはん
(をたべたかっぽうてんのあるはなまちを、えのきこうじ、とはいわなかったかしら。なにしろにじゅうねん)
を食べた割烹店の在る花街を、榎小路、とは言わなかったかしら。何しろ二十年
(ちかくむかしのことであるから、きおくもうすくなってはっきりしないが、おみやのさかのしたの)
ちかく昔の事であるから、記憶も薄くなってはっきりしないが、お宮の坂の下の
(えのきこうじ、というところだったとおぼえている。また、こんのももひきをかいにあせだくで)
榎小路、というところだったと覚えている。また、紺の股引を買いに汗だくで
(あるきまわったところは、どてまちというじょうかにおいてもっともはんかなしょうてんがいである。)
歩き廻ったところは、土手町という城下に於いて最も繁華な商店街である。
(それらにくらべると、あおもりのはなまちのなは、はままちである。そのなにこせいがないように)
それらに較べると、青森の花街の名は、浜町である。その名に個性がなように
(おもわれる。ひろさきのどてまちにそうとうするあおもりのしょうてんがいは、おおまちとよばれている。)
思われる。弘前の土手町に相当する青森の商店街は、大町と呼ばれている。
(これもどうようのようにおもわれる。ついでだから、ひろさきのちょうめいと、あおもりのちょうめいとを)
これも同様のように思われる。ついでだから、弘前の町名と、青森の町名とを
(つぎにれっきしてみよう。このふたつのしょうとかいのせいかくのそういがあんがいはっきりしてくる)
次に列記してみよう。この二つの小都会の性格の相違が案外はっきりして来る
(かもしれない。ほんちょう、ざいふちょう、どてまち、すみよしちょう、おけやまち、どうやまち、ちゃばたけちょう、)
かも知れない。本町、在府町、土手町、住吉町、桶屋町、銅屋町、茶畑町、
(だいかんちょう、かやちょう、ひゃっこくまち、かみさやしまち、しもさやしまち、てっぽうまち、)
代官町、萱町、百石町、上鞘師町、下鞘師町、鉄砲町、
(わかどうちょう、こびとちょう、たかじょうまち、ごじつこくまち、こんやまち、などというのが)
若党町、小人町、鷹匠町、五十石町、紺屋町、などというのが
(ひろさきしのまちのなである。それにくらべて、あおもりしのまちまちのなは、つぎのようなもの)
弘前市の町の名である。それに較べて、青森市の街々の名は、次のようなもの
(である。はままち、しんはままち、おおまち、こめまち、しんまち、やなぎまち、てらまち、つつみまち、)
である。浜町、新浜町、大町、米町、新町、柳町、寺町、堤町、
(しおまち、しじみがいまち、しんしじみがいまち、うらまち、なみうち、さかえまち。)
塩町、蜆貝町、新蜆貝町、浦町、浪打、栄町。
(けれどもわたしは、ひろさきしをじょうとうのまち、あおもりしをかとうのまちだとおもっているのでは)
けれども私は、弘前市を上等のまち、青森市を下等の町だと思っているのでは
(けっしてない。たかじょうまち、こんやまちなどのかいこてきななまえはなにもひろさきしにだけかぎった)
決してない。鷹匠町、紺屋町などの懐古的な名前は何も弘前市にだけ限った
(ちょうめいではなく、にほんぜんこくのじょうかまちにかならず、そんななまえのまちがあるものだ。)
町名ではなく、日本全国の城下まちに必ず、そんな名前の町があるものだ。
(なるほどひろさきしのいわきやまは、あおもりしのはっこうださんよりもしゅうれいである。けれども、)
なるほど弘前市の岩木山は、青森市の八甲田山よりも秀麗である。けれども、
(つがるしゅっしんのしょうせつのめいしゅ、かさいぜんぞうしは、きょうどのこうはいにこういっておしえている。)
津軽出身の小説の名手、葛西善蔵氏は、郷土の後輩にこう言って教えている。
(「うぬぼれちゃいけないぜ。いわきさんがすばらしくみえるのは、いわきさんのしゅういにたかい)
「自惚れちゃいけないぜ。岩木山が素晴らしく見えるのは、岩木山の周囲に高い
(やまがないからだ。ほかのくににいってみろ。あれくらいのやまは、ざらにあら。しゅういに)
山が無いからだ。他の国に行ってみろ。あれくらいの山は、ざらにあら。周囲に
(たかいやまがないから、あんなにありがたくみえるんだ。うぬぼれちゃいけないぜ」)
高い山がないから、あんなに有難く見えるんだ。自惚れちゃいけないぜ」
(れきしをゆうするじょうかまちは、にほんぜんこくにむすうといってよいくらいにたくさんあるのに)
歴史を有する城下町は、日本全国に無数と言ってよいくらいにたくさんあるのに
(どうしてひろさきのじょうかまちのひとたちは、あんなにいこじにそのほうけんせいをじまんみたいに)
どうして弘前の城下町の人たちは、あんなに依怙地にその封建性を自慢みたいに
(しているのだろう。ひらきなおっていうまでもないことだが、きゅうしゅう、さいごく、やまと)
しているのだろう。ひらき直って言うまでも無い事だが、九州、西国、大和
(などにくらべると、このつがるちほうなどは、ほとんどいちようにしんかいちといってもいい)
などに較べると、この津軽地方などは、ほとんど一様に新開地と言ってもいい
(くらいのものなのだ。ぜんこくにほこりえるどのようなれきしをゆうしているのか、ちかくは)
くらいのものなのだ。全国に誇り得るどのような歴史を有しているのか、近くは
(めいじごいしんのときだって、このはんからどのようなきんのうかがでたか。はんのたいどはどう)
明治御維新の時だって、この藩からどのような勤皇家が出たか。藩の態度はどう
(であったか。ろこつにいえば、ただ、たはんのきびにふしてしんたいしただけのことでは)
であったか。露骨に言えば、ただ、他藩の驥尾に附して進退しただけの事では
(なかったか。どこにいったいほこるべきでんとうがあるのだ。けれどもひろさきじんはがんこに)
なかったか。どこにいったい誇るべき伝統があるのだ。けれども弘前人は頑固に
(なにやらかたをそびやかしている。そうして、どんなにいきおいつよきものにたいしても、)
何やら肩をそびやかしている。そうして、どんなに勢強きものに対しても、
(かれはいやしきものなるぞ、ただときのうんつよくしていせいにほこることにこそあれ、)
かれは賤しきものなるぞ、ただ時の運つよくして威勢にほこる事にこそあれ、
(とて、したがわぬのである。このちほうしゅっしんのりくぐんたいしょういちのへひょうえかっかは、ききょうの)
とて、随わぬのである。この地方出身の陸軍大将一戸兵衛閣下は、帰郷の
(ときにはかならず、わふくにせるのはかまであったというはなしをきいている。しょうせいのぐんそうでききょう)
時には必ず、和服にセルの袴であったという話を聞いている。将星の軍装で帰郷
(するならば、きょうりのものたちはすぐさまめをむきひじをはり、かれなにほどのものならん)
するならば、郷里の者たちはすぐさま目をむき肘を張り、彼なにほどの者ならん
(ただときのうんつよくして、などというのがわかっていたから、けんめいに、ききょうのときは)
ただ時の運つよくして、などと言うのがわかっていたから、懸命に、帰郷の時は
(わふくにせるのはかまときめていられたというようなはなしをきいたが、ぜんぶがじじつでない)
和服にセルの袴ときめて居られたというような話を聞いたが、全部が事実でない
(としても、このようなでんせつがおこるのもむりがないとおもわれるほど、ひろさきのじょうかの)
としても、このような伝説が起るのも無理がないと思われるほど、弘前の城下の
(ひとたちにはなにがなにやらわからぬりょうりょうたるはんこつがあるようだ。なにをかくそう、じつは、)
人たちには何が何やらわからぬ稜々たる反骨があるようだ。何を隠そう、実は、
(わたしにもそんなしまつのわるいほねがいっぽんあって、そのためばかりでもなかろうが、)
私にもそんな仕末のわるい骨が一本あって、そのためばかりでもなかろうが、
(まあ、おかげでいまだにそのひぐらしのながやずまいからうかびあがることができずに)
まあ、おかげで未だにその日暮らしの長屋住居から浮かび上る事が出来ずに
(いるのだ。すうねんまえ、わたしはあるざっししゃから「こきょうにおくることば」をもとめられて、)
いるのだ。数年前、私は或る雑誌社から「故郷に贈る言葉」を求められて、
(そのへんとうにいわく、 なんじをあいし、なんじをにくむ。)
その返答に曰く、 汝を愛し、汝を憎む。