津軽 序編 太宰治 2

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(このかいがんのしょうとかいは、あおもりしである。つがるだいいちのかいこうにしようとして、)

この海岸の小都会は、青森市である。津軽第一の海港にしようとして、

(そとがはまぶぎょうがそのけいえいにちゃくしゅしたのはかんえいがんねんである。ざっとさんびゃくにじゅうねんほど)

外ヶ浜奉行がその経営に着手したのは寛永元年である。ざっと三百二十年ほど

(まえである。とうじ、すでにじんかがせんけんくらいあったという。それからおうみ、えちぜん)

前である。当時、すでに人家が千軒くらいあったという。それから近江、越前

(かが、のと、わかさなどとさかんにふねでこうつうをはじめてしだいにさかえ、そとがはまに)

加賀、能登、若狭などとさかんに船で交通をはじめて次第に栄え、外ヶ浜に

(おいてもっともいんしんのようこうとなり、めいじよねんのはいはんちけんによってあおもりけんの)

於いて最も殷賑の要港となり、明治四年の廃藩置県に依って青森県の

(たんじょうするとともに、けんちょうしょざいちとなっていまはほんしゅうのきたもんをまもり、ほっかいどう)

誕生すると共に、県庁所在地となっていまは本州の北門を守り、北海道

(はこだてとのあいだのてつどうれんらくせんなどのことにいたってはしらぬひともあるまい。げんざいこすうは)

函館との間の鉄道連絡船などの事に到っては知らぬ人もあるまい。現在戸数は

(にまんいじょう、じんこうじゅうまんをこえているようすであるが、たびびとにとっては、あまりかんじの)

二万以上、人口十万を越えている様子であるが、旅人にとっては、あまり感じの

(のいいまちではないようである。たびたびのたいかのためにかおくがひんじゃくになって)

のいい町では無いようである。たびたびの大火のために家屋が貧弱になって

(しまったのはいたしかたがないとしても、たびびとにとって、しのちゅうしんぶはどこか、)

しまったのは致し方が無いとしても、旅人にとって、市の中心部はどこか、

(さっぱりけんとうがつかないようすである。きみょうにすすけたむひょうじょうのいえいえがたちならび、)

さっぱり見当がつかない様子である。奇妙にすすけた無表情の家々が立ち並び、

(なにごともたびびとによびかけようとはしないようである。たびびとは、おちつかぬきもちで、)

何事も旅人に呼びかけようとはしないようである。旅人は、落ちつかぬ気持で、

(そそくさとこのまちをとおりぬける。けれどもわたしは、このあおもりしによねんいた。そうして)

そそくさとこの町を通り抜ける。けれども私は、この青森市に四年い。そうして

(そのよんかねんは、わたしのしょうがいにおいて、たいへんじゅうだいなじきでもあったようである。)

その四箇年は、私の生涯に於いて、たいへん重大な時期でもあったようである。

(そのころのわたしのせいかつにおいて、たいへんじゅうだいなじきでもあったようである。)

その頃の私の生活に於いて、たいへん重大な時期でもあったようである。

(そのころのわたしのせいかつについては、「おもいで」というわたしのしょきのしょうせつにかなり)

その頃の私の生活に就いては、「思い出」という私の初期の小説にかなり

(こくめいにかかれてある。 「いいせいせきではなかったが、わたしはそのはる、)

克明に書かれてある。 「いい成績ではなかったが、私はその春、

(ちゅうがっこうへじゅけんしてごうかくした。わたしは、あたらしいはかまとくろいくつしたとあみあげのくつをはき、)

中学校へ受験して合格した。私は、新しい袴と黒い沓下とあみあげの靴をはき、

(いままでのもうふをよしてらしゃのまんとをしゃれものらしくぼたんをかけずにまえを)

いままでの毛布をよして羅紗のマントを洒落者らしくボタンをかけずに前を

(あけたままはおって、そのうみのあるしょうとかいへでた。そしてわたしのうちととおいしんせきに)

あけたまま羽織って、その海のある小都会へ出た。そして私の内と遠い親戚に

など

(あたるそのまちのごふくてんでりょそうをといた。いりぐちにちぎれたふるいのれんのさげてある)

あたるその町の呉服店で旅装を解いた。入口にちぎれた古いのれんのさげてある

(そのいえへ、わたしはずっとせわになることになっていたのである。 わたしはなにごとにも)

その家へ、私はずっと世話になることになっていたのである。 私は何ごとにも

(うちょうてんになりやすいせいしつをもっているが、にゅうがくとうじはせんとうへいくのにもがっこうのせいぼう)

有頂天になり易い性質を持っているが、入学当時は銭湯へ行くのにも学校の制帽

(をかぶり、はかまをつけた。そんなわたしのすがたがおうらいのまどがらすにでもうつると、わたしは)

を被り、袴をつけた。そんな私の姿が往来の窓硝子にでも映ると、私は

(わらいながらそれへかるくえしゃくをしたものである。 それなのに、がっこうはちっとも)

笑いながらそれへ軽く会釈をしたものである。 それなのに、学校はちっとも

(おもしろくなかった。こうしゃは、まちのはずれにあって、しろいぺんきでぬられ、)

面白くなかった。校舎は、まちの端れにあって、しろいペンキで塗られ、

(しろいぺんきでぬられ、すぐうらはかいきょうにめんしたひらたいこうえんで、なみのおとやまつの)

しろいペンキで塗られ、すぐ裏は海峡に面したひらたい公園で、浪の音や松の

(ざわめきがじゅぎょうちゅうでもきこえてきて、ろうかもひろくきょうしつのてんじょうもたかくて、わたしは)

ざわめきが授業中でも聞えて来て、廊下も広く教室の天井も高くて、私は

(すべてにいいかんじをうけたのだが、そこにいるきょうしたちはわたしをひどく)

すべてにいい感じを受けたのだが、そこにいる教師たちは私をひどく

(はくがいしたのである。 わたしはにゅうがくしきのひから、あるたいそうのきょうしにぶたれた。)

迫害したのである。 私は入学式の日から、或る体操の教師にぶたれた。

(わたしがなまいきだというのであった。このきょうしはにゅうがくしけんのときわたしのこうとうしもんのかかり)

私が生意気だというのであった。この教師は入学試験のとき私の口頭試問の係り

(であったが、おとうさんがなくなってよくべんきょうもできなかったろう、とわたしに)

であったが、お父さんがなくなってよく勉強もできなかったろう、と私に

(じょうふかいことばをかけてくれ、わたしもうなだれてみせたそのひとであっただけに、)

嬢不快言葉をかけて呉れ、私もうなだれて見せたその人であっただけに、

(わたしのこころはいっそうきずつけられた。そののちもわたしはいろんなきょうしにぶたれた。)

私のこころはいっそう傷つけられた。そののちも私は色んな教師にぶたれた。

(にやにやしているとか、あくびをしたとか、さまざまなりゆうからばっせられた。)

にやにやしているとか、あくびをしたとか、さまざまな理由から罰せられた。

(じゅぎょうちゅうのわたしのあくびはおおきいのでしょくいんしつでもひょうばんである、ともいわれた。わたしは)

授業中の私のあくびは大きいので職員室でも評判である、とも言われた。私は

(そんなばかげたことをはなしあっているしょくいんしつを、おかしくおもった。 わたしとおなじ)

そんな莫迦げたことを話し合っている職員室を、おかしく思った。 私と同じ

(まちからきているひとりのせいとが、あるひ、わたしをこうしゃのすなやまのかげによんで、)

町から来ている一人の生徒が、或る日、私を校舎の砂山の陰に呼んで、

(きみのたいどはじっさいなまいきそうにみえる、あんなになぐられてばかりいると)

君の態度はじっさい生意気そうに見える、あんなに殴られてばかりいると

(らくだいするにちがいない、とちゅうこくしてくれた。わたしはがくぜんとした。そのひのほうかご、)

落第するにちがいない、と忠告して呉れた。私は愕然とした。その日の放課後、

(わたしはかいがんづたいにひとりいえじをいそいだ。くつぞこをなみになめられつつためいきついて)

私は海岸づたいにひとり家路を急いだ。靴底を浪になめられつつ溜息ついて

(あるいた。ようふくのそででひたいのあせをふいていたら、ねずみいろのびっくりするほどおおきいほが)

歩いた。洋服の袖で額の汗を拭いていたら、鼠色のびっくりするほど大きい帆が

(すぐめのまえをよろよろととおっていった」 このちゅうがっこうは、いまもむかしとかわらず)

すぐ目の前をよろよろととおって行った」 この中学校は、いまも昔と変らず

(あおもりしのとうたんにある。ひらたいこうえんというのは、がっぽこうえんのことである。)

青森市の東端にある。ひらたい公園というのは、合浦公園の事である。

(そうしてこのこうえんは、ほとんどちゅうがっこうのうらにわといってもいいほど、ちゅうがっこうと)

そうしてこの公園は、ほとんど中学校の裏庭と言ってもいいほど、中学校と

(みっちゃくしていた。わたしはふゆのふぶきのときいがいは、がっこうのいきかえり、このこうえんをとおりぬけ)

密着していた。私は冬の吹雪の時以外は、学校の行き帰り、この公園を通り抜け

(かいがんづたいにあるいた。いわばうらみちである。あまりせいとがあるいていない。わたしには、)

海岸づたいに歩いた。謂わば裏路である。あまり生徒が歩いていない。私には、

(このうらみちが、すがすがしくおもわれた。しょかのあさは、ことによかった。なおまた、)

この裏道が、すがすがしく思われた。初夏の朝は、殊によかった。なおまた、

(わたしのせわになったごふくてんというのは、てらまちのとよたけである。にじゅうだいちかくつづいた)

私の世話になった呉服店というのは、寺町の豊田家である。二十代ちかく続いた

(あおもりしくっしのしにせである。ここのおとうさんはせんねんなくなられたが、わたしはこの)

青森市屈指の老舗である。ここのお父さんは先年なくなられたが、私はこの

(おとうさんにじつのこいじょうにだいじにされた。わすれることができない。このに、さんねんらい、)

お父さんに実の子以上に大事にされた。忘れる事が出来ない。この二、三年来、

(わたしはあおもりしへに、さんどいったが、そのたびごとに、このおとうさんのおはかへ)

私は青森市へ二、三度行ったが、その度毎に、このお父さんのお墓へ

(おまいりして、そうしてかならずとよたけにしゅくはくさせてもらうならわしである。)

おまいりして、そうして必ず豊田家に宿泊させてもらうならわしである。

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