津軽 序編 太宰治 4

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(このおとうとは、それからに、さんねんごにしんだが、とうじ、わたしたちは、このさんばしに)

この弟は、それから二、三年後に死んだが、当時、私たちは、この桟橋に

(いくことをこのんだ。ふゆ、ゆきのふるよるも、かさをさしておとうととふたりでこのさんばしにいった。)

行く事を好んだ。冬、雪の降る夜も、傘をさして弟と二人でこの桟橋に行った。

(ふかいみなとのうみに、ゆきがひそひそふっているのはいいものだ。さいきんはあおもりこうも)

深い港の海に、雪がひそひそ降っているのはいいものだ。最近は青森港も

(せんぱくふくそうして、このさんばしもふねでうずまってけしきどころではない。それから、)

船舶輻湊して、この桟橋も船で埋って景色どころではない。それから、

(すみだがわににたひろいかわというのは、あおもりしのとうぶをながれるつつみがわのことである。すぐに)

墨田川に似た広い川というのは、青森市の東部を流れる堤川の事である。すぐに

(あおもりわんにそそぐ。かわというものは、うみにながれこむちょくぜんのいっかしょで、)

青森湾にそそぐ。川というものは、海に流れ込む直前の一箇所で、

(きみょうにちゅうちょしてぎゃくりゅうするかのようにながれがにぶくなるものである。わたしはそのにぶい)

奇妙に躊躇して逆流するかのように流れが鈍くなるものである。私はその鈍い

(ながれをながめてほうしんした。きざなたとえかたをすれば、わたしのせいしゅんもかわからうみへ)

流れを眺めて放心した。きざな譬え方をすれば、私の青春も川から海へ

(ながれこむちょくぜんであったのであろう。あおもりにおけるよねんかんは、そのゆえに、)

流れ込む直前であったのであろう。青森に於ける四年間は、その故に、

(わたしにとってわすれがたいきかんであったともいえるであろう。あおもりについての)

私にとって忘れがたい期間であったともいえるであろう。青森に就いての

(おもいでは、だいたいそんなものだが、このあおもりしからきしゃでさんじゅっぷんくらい)

思い出は、だいたいそんなものだが、この青森市から汽車で三十分くらい

(かかっていけるかいがんのおんせんちへ、おとうとをつれてでかけた。そこには、わたしのははと)

かかって行ける海岸の温泉地へ、弟をつれて出掛けた。そこには、私の母と

(びょうごのすえのあねとがいえをかりてとうじしていたのだ。わたしはずっとそこへねとまりして)

病後の末の姉とが家を借りて湯治していたのだ。私はずっとそこへ寝泊りして

(じゅけんべんきょうをつづけた。わたしはしゅうさいというぬきさしならぬめいよのために、どうしても)

受験勉強をつづけた。私は秀才というぬきさしならぬ名誉のために、どうしても

(ちゅうがくよねんからこうとうがっこうへはいってみせなければならなかったのである。わたしのがっこう)

中学四年から高等学校へはいって見せなければならなかったのである。私の学校

(ぎらいはそのころになって、いっそうひどかったのであるが、なにかにおわれている)

ぎらいはその頃になって、いっそうひどかったのであるが、何かに追われている

(わたしは、それでもいちずにべんきょうしていた。わたしはそこからきしゃでがっこうへかよった。)

私は、それでも一途に勉強していた。私はそこから汽車で学校へかよった。

(にちようごとにゆうじんたちがあそびにくるのだ。わたしはゆうじんたちとかならずぴくにっくにでかけた)

日曜毎に友人たちが遊びに来るのだ。私は友人たちと必ずピクニックにでかけた

(かいがんのひらたいいわのうえで、にくなべをこさえ、ぶどうしゅをのんだ。おとうとはこえもよくて)

海岸のひらたい岩の上で、肉鍋をこさえ、葡萄酒をのんだ。弟は声もよくて

(おおくのあたらしいうたをしっていたから、わたしたちはそれらをおとうとにおしえてもらって、)

多くのあたらしい歌を知っていたから、私たちはそれらを弟に教えてもらって、

など

(こえをそろえてうたった。あそびつかれてそのいわのうえでねむって、めがさめると)

声をそろえて歌った。遊びつかれてその岩の上で眠って、目がさめると

(しおがみちてりくつづきだったはずのそのいわが、いつかはなれじまになっているので、)

潮が満ちて陸つづきだった筈のその岩が、いつか離れ島になっているので、

(わたしたちはまだゆめからさめないでいるようなきがするのである」)

私たちはまだ夢から醒めないでいるような気がするのである」

(いよいよせいしゅんがうみにそそぎこんだね、とじょうだんをいってやりたいところでもあろうか)

いよいよ青春が海に注ぎ込んだね、と冗談を言ってやりたいところでもあろうか

(このあさむしのうみはせいれつでわるくはないが、しかし、りょかんは、かならずしもよいとは)

この浅虫の海は清冽で悪くはないが、しかし、旅館は、必ずしもよいとは

(いえない。さむざむしたとうほくのぎょそんのおもむきは、それはとうぜんのことで、けっしてとがむ)

言えない。寒々した東北の漁村の趣は、それは当然の事で、決してとがむ

(べきではないが、それでいて、いのなかのかわずがたいかいをしらないみたいなちいさいみょうな)

べきではないが、それでいて、井の中の蛙が大海を知らないみたいな小さい妙な

(こうまんをかんじてへいこうしたのはわたしだけであろうか。)

高慢を感じて閉口したのは私だけであろうか。

(じぶんのこきょうのおんせんであるから、おもいきってわるくちをいうのであるが、いなかのくせに)

自分の故郷の温泉であるから、思い切って悪口を言うのであるが、田舎のくせに

(どこか、すれているような、みょうなふあんがかんぜられてならない。わたしはさいきん、この)

どこか、すれているような、妙な不安が感ぜられてならない。私は最近、この

(おんせんちにとまったことはないけれども、やちんが、おやとおもうほどたかくなかったら)

温泉地に泊ったことはないけれども、家賃が、おやと思うほど高くなかったら

(さいわいである。これはあきらかにわたしのいいすぎで、わたしはさいきんにおいてここにしゅくはくした)

幸いである。これは明らかに私の言いすぎで、私は最近に於いてここに宿泊した

(ことはなく、ただきしゃのまどからこのおんせんまちのいえいえをながめ、そうしてまずしいげいじゅつかの)

事は無く、ただ記者の窓からこの温泉町の家々を眺め、そうして貧しい芸術家の

(ちいさいかんでものをいっているだけで、ほかにはなにのこんきょもないのであるから、)

小さい勘でものを言っているだけで、他には何の根拠も無いのであるから、

(わたしはじぶんのこのちょっかくをどくしゃにおしつけたくはないのである。むしろどくしゃは、わたしの)

私は自分のこの直覚を読者に押しつけたくはないのである。むしろ読者は、私の

(ちょっかくなどしんじないほうがいいかもしれない。あさむしも、いまは、つつましいほようの)

直覚など信じないほうがいいかも知れない。浅虫も、いまは、つつましい保養の

(まちとしてしゅっぱつしなおしているにちがいないとおもわれる。ただ、あおもりしのけっきさかんな)

町として出発し直しているに違いないと思われる。ただ、青森市の血気さかんな

(いききゃくたちが、あるじきにおいて、このさむざむしたおんせんちをきっかいにたかぶらせ、やどの)

粋客たちが、ある時期に於いて、この寒々した温泉地を奇怪に高ぶらせ、宿の

(おかみをして、あたみ、ゆがわらのやどもまたまさにかくのごときかと、ぼうおくにいてあさはかの)

女将をして、熱海、湯河原の宿もまたまさにかくの如きかと、茅屋にいて浅墓の

(げんえいによわせたことがあるのではあるまいかというぎわくがちらとのうりをかすめて、)

幻影に酔わせた事があるのではあるまいかという疑惑がちらと脳裏をかすめて、

(たびのひねくれたびんぼうぶんしは、さいきんたびたび、このおもいでのおんせんちをきしゃで)

旅のひねくれた貧乏文士は、最近たびたび、この思い出の温泉地を汽車で

(つうかしながら、あえてげしゃしなかったというだけのはなしなのである。)

通過しながら、敢えて下車しなかったというだけの話なのである。

(つがるにおいては、あさむしおんせんはもっともゆうめいで、つぎはおおわにおんせんということに)

津軽に於いては、浅虫温泉は最も有名で、つぎは大鰐温泉という事になるの

(なるのかもしれない。おおわには、つがるのなんたんにちかく、あきたとのけんきょうにちかいところに)

なるのかも知れない。大鰐は、津軽の南端に近く、秋田との県境に近いところに

(あって、おんせんよりも、すきいじょうのためににほんじゅうにしれわたっているようである。)

在って、温泉よりも、スキイ場のために日本中に知れ渡っているようである。

(さんろくのおんせんである。ここには、つがるはんのれきしのにおいがかすかにのこっていた。)

山麓の温泉である。ここには、津軽藩の歴史のにおいが微かに残っていた。

(わたしのにくしんたちは、このおんせんちへも、しばしばとうじにきたので、わたしもしょうねんのころ)

私の肉親たちは、この温泉地へも、しばしば湯治に来たので、私も少年の頃

(あそびにいったが、あさむしほどせんめいなおもいではのこっていない。けれども、あさむしの)

あそびに行ったが、浅虫ほど鮮明な思い出は残っていない。けれども、浅虫の

(かずかずのおもいでは、あざやかであるとどうじに、そのおもいでのことごとくが)

かずかずの思い出は、鮮やかであると同時に、その思い出のことごとくが

(かならずしもゆかいとはいえないのにくらべて、おおわにのおもいではかすんではいてもなつかしい)

必ずしも愉快とは言えないのに較べて、大鰐の思い出は霞んではいても懐かしい

(うみとやまのさいであろうか。わたしはもう、にじゅうねんちかくもおおわにおんせんをみないが、)

海と山の差異であろうか。私はもう、二十年近くも大鰐温泉を見ないが、

(いまみると、やはりあさむしのようにとかいのざんはいれいしゃにふつかよいしてあれているかんじが)

いま見ると、やはり浅虫のように都会の残杯冷炙に宿酔してあれている感じが

(するであろうか。わたしには、あきらめきれない。ここはあさむしにくらべて、とうきょうほうめん)

するであろうか。私には、あきらめ切れない。ここは浅虫に較べて、東京方面

(とのこうつうのべんがはなはだわるい。そこが、まず、わたしにとってたのみのつなである。また、)

との交通の便が甚だ悪い。そこが、まず、私にとってたのみの綱である。また、

(このおんせんのすぐちかくにいかりがせきというところがあって、そこはきゅうはんじだいの)

この温泉のすぐ近くに碇ヶ関というところがあって、そこは旧藩時代の

(つがるあきたかんのせきしょで、したがってこのへんにはしせきもおおく、むかしのつがるじんのせいかつが)

津軽秋田間の関所で、したがってこの辺には史跡も多く、昔の津軽人の生活が

(ねづよくのこっているにそういないのだから、そんなにいいととかいのかぜにせっけんされよう)

根強く残っているに相違ないのだから、そんなに易々と都会の風に席巻されよう

(とはおもわれぬ。さらにまた、さいごのたのみのおおあみは、ここからさんりほっぽうに)

とは思われぬ。さらにまた、最後のたのみの大網は、ここから三里北方に

(ひろさきじょうが、いまもなおてんしゅかくをそっくりのこして、ねんねんさいさい、ようしゅんにはおうかに)

弘前城が、いまもなお天守閣をそっくり残して、年々歳々、陽春には桜花に

(つつまれそのけんざいをほこっていることである。このひろさきじょうがひかえているかぎり、)

包まれその健在を誇っている事である。この弘前城が控えている限り、

(おおわにおんせんはとかいのざんれきをすすりわるよいするなどのことはあるまいとわたしはおもいこんで)

大鰐温泉は都会の残瀝をすすり悪酔いするなどの事はあるまいと私は思い込んで

(いたいのである。 ひろさきじょう。ここはつがるはんのれきしのちゅうしんである。)

いたいのである。 弘前城。ここは津軽藩の歴史の中心である。

(つがるはんそおおうらためのぶは、せきがはらのかっせんにおいてとくがわかたにかせいし、けいちょうねん、とくがわ)

津軽藩祖大浦為信は、関ヶ原の合戦に於いて徳川方に加勢し、慶長八年、徳川

(いえやすしょうぐんせんげとともに、とくがわまくしたのよんまんななせんごくのいほうはくとなり、ただちにひろさき)

家康将軍宣下と共に、徳川幕下の四万七千石の一侯伯となり、ただちに弘前

(たかおかにしろいけのくかくをはじめて、にだいはんしゅつがるのぶひろのときにいたり、ようやくかんせいを)

高岡に城池の区画をはじめて、二代藩主津軽信弘の時に到り、ようやく完成を

(みたのが、このひろさきじょうであるという。それよりだいだいのはんしゅこのひろさきじょうにより、)

見たのが、この弘前城であるという。それより代々の藩主この弘前城に拠り、

(よんだいのぶまさのとき、いちぞくののぶひでをくろいしにぶんけさせて、ひろさき、くろいしのにはんにわかれて)

四代信政の時、一族の信英を黒石に分家させて、弘前、黒石の二藩にわかれて

(つがるをしはいし、げんろくしちめいくんのなかのきょはくとまでうたわれたのぶまさのぜんせいはおおいに)

津軽を支配し、元禄七名君の中の巨擘とまでうたわれた信政の善政は大いに

(つがるのめんぼくをあらたにしたけれども、しちだいのぶやすのほうれきならびにてんめいのだいききんは)

津軽の面目をあらたにしたけれども、七代信寧の宝暦ならびに天明の大飢饉は

(つがるいちえんをせいさんなじごくとかせしめ、はんのざいせいもまたきゅうぼうのきょくどにたっし、)

津軽一円を凄惨な地獄と化せしめ、藩の財政もまた窮乏の極度に達し、

(ぜんとあんたんたるうちにも、はちだいのぶはる、きゅうだいやすちかはひっしにはんせいのかいふくをはかり、)

前途暗澹たるうちにも、八代信明、九代寧親は必死に藩政の回復をはかり、

(じゅういちだいゆきつぐのじだいにいたってからくもききをだっし、つづいてじゅうにだいつぐあきらのじだいに、)

十一代順承の時代に到ってからくも危機を脱し、つづいて十二代承昭の時代に、

(めでたくはんせきをほうかんし、ここにげんざいのあおもりけんがたんじょうしたというけいいは、)

めでたく藩籍を奉還し、ここに現在の青森県が誕生したという経緯は、

(ひろさきじょうのれきしであるとともにまた、つがるのれきしのたいりゃくでもある。)

弘前城の歴史であると共にまた、津軽の歴史の大略でもある。

(つがるのれきしについては、またあとのぺえじにおいてしょうじゅつするつもりであるが、)

津軽の歴史に就いては、また後のペエジに於いて詳述するつもりであるが、

(いまは、ひろさきについてのわたしのむかしのおもいでをすこしかいて、)

いまは、弘前に就いての私の昔の思い出を少し書いて、

(このつがるのじょじゅつをむすぶことにする。)

この津軽の叙述を結ぶ事にする。

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