津軽 序編 太宰治 8

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1 ねね 4972 B 5.0 97.6% 792.6 4038 97 51 2024/12/11

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問題文

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(あれははるのゆうぐれだったときおくしているが、ひろさきこうとうがっこうのぶんかせいだったわたしは、)

あれは春の夕暮だったと記憶しているが、弘前高等学校の文科生だった私は、

(ひとりでひろさきじょうをおとずれ、おしろのひろばのいちぐうにたって、いわきさんをちょうぼうしたとき、)

ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に立って、岩木山を眺望したとき、

(ふときゃっかに、ゆめのまちがひっそりとてんかいしているのにきがつき、ぞっとしたことが)

ふと脚下に、夢の町がひっそりと展開しているのに気がつき、ぞっとした事が

(ある。わたしはそれまで、このひろさきじょうを、ひろさきのまちのはずれにこりつしているものだ)

ある。私はそれまで、この弘前城を、弘前のまちのはずれに孤立しているものだ

(とばかりおもっていたのだ。けれども、みよ、おしろのすぐしたに、わたしのいままでみた)

とばかり思っていたのだ。けれども、見よ、お城のすぐ下に、私のいままで見た

(こともないこがなまちが、なんびゃくねんもむかしのままのすがたでちいさいのきをならべ、いきをひそめて)

事もない古雅な町が、何百年も昔のままの姿で小さい軒を並べ、息をひそめて

(ひっそりうずくまっていたのだ。ああ、こんなところにもまちがあった。ねんしょうの)

ひっそりうずくまっていたのだ。ああ、こんなところにも町があった。年少の

(わたしはゆめをみるようなきもちでおもわずふかいためいきをもらしたのである。まんようしゅうなどに)

私は夢を見るような気持で思わず深い溜息をもらしたのである。万葉集などに

(よくでてくる「かくれぬ」というようなかんじである。わたしは、なぜだか、そのとき、)

よく出て来る「隠沼」というような感じである。私は、なぜだか、その時、

(ひろさきを、つがるを、りかいしたようなきがした。このまちのあるかぎり、ひろさきはけっして)

弘前を、津軽を、理解したような気がした。この町の在る限り、弘前は決して

(ぼんようのまちではないとおもった。とはいっても、これもまたわたしの、いいきな)

凡庸のまちでは無いと思った。とは言っても、これもまた私の、いい気な

(ひとりがてんで、どくしゃにはなんのことやらおわかりにならぬかもしれないが、ひろさきじょうは)

独り合点で、読者には何の事やらおわかりにならぬかも知れないが、弘前城は

(ひろさきじょうはこのかくれぬをもっているからきたいのめいじょうなのだ、といまになってはわたしも)

弘前城はこの隠沼をもっているから稀代の名城なのだ、といまになっては私も

(ごういんにおしきるよりほかはない。かくれぬのほとりにばんだのはながさいて、そうしてしらかべ)

強引に押し切るより他はない。隠沼のほとりに万朶の花が咲いて、そうして白壁

(のてんしゅかくがむごんでたっているとしたら、そのしろはかならずてんかのめいじょうにちがいない。)

の天守閣が無言で立っているとしたら、その城は必ず天下の名城にちがいない。

(そうして、そのめいじょうのそばのおんせんも、えいえんにじゅんぼくのきふうをうしなうことはないであろう)

そうして、その名城の傍の温泉も、永遠に淳朴の気風を失う事は無いであろう

(と、ちかごろのことばでいえば「きぼうてきかんそく」をこころみて、わたしはこのあいするひろさきじょうと)

と、ちかごろの言葉で言えば「希望的観測」を試みて、私はこの愛する弘前城と

(けつべつすることにしよう。おもえば、おのれのにくしんをかたることがしなんなわざであるとどうように)

訣別する事にしよう。思えば、おのれの肉親を語る事が至難な業であると同様に

(こきょうのかくしんをかたることもよういにできるわざではない。ほめていいのか、けなしていい)

故郷の核心を語る事も容易に出来る業ではない。ほめていいのか、けなしていい

(のか、わからない。わたしはこのつがるのじょへんにおいて、かなぎ、ごしょがわら、あおもり、ひろさき)

のか、わからない。私はこの津軽の序編に於いて、金木、五所川原、青森、弘前

など

(あさむし、おおわにについて、わたしのねんしょうのころのおもいでをてんかいしながら、また、みのほど)

浅虫、大鰐に就いて、私の年少の頃の思い出を展開しながら、また、身のほど

(しらぬぼうとくのひひょうのぶじをつらねたが、はたしてわたしはこのむっつのまちをてきかくにかたり)

知らぬ冒涜の批評の蕪辞をつらねたが、果たして私はこの六つの町を的確に語り

(えたか、どうか、それをかんがえると、おのずからゆううつにならざるをえない。つみばんし)

得たか、どうか、それを考えると、おのずから憂鬱にならざるを得ない。罪万死

(にあたるべきぼうげんをはいているかもしれない。このむっつのまちは、わたしのかこに)

に当たるべき暴言を吐いているかも知れない。この六つの町は、私の過去に

(おいてもっともわたしとしたしく、わたしのせいかくをそうせいし、わたしのしゅくめいをきていしたまちであるから、)

於いて最も私と親しく、私の性格を創成し、私の宿命を規定した町であるから、

(かえってわたしはこれらのまちについてもうもくなところがあるかもしれない。これらの)

かえって私はこれらの町に就いて盲目なところがあるかも知れない。これらの

(まちをかたるにあたって、わたしはけっしててきにんしゃではなかったということを、いま、はっきり)

町を語るに当って、私は決して適任者ではなかったという事を、いま、はっきり

(じかくした。いか、ほんぺんにおいてわたしは、このむっつのまちについてかたることはつとめて)

自覚した。以下、本編に於いて私は、この六つの町に就いて語る事は努めて

(さけたいきもちである。わたしは、ほかのつがるのまちをかたろう。 あるとしのはる、わたしは、)

避けたい気持である。私は、他の津軽の町を語ろう。 或るとしの春、私は、

(うまれてはじめてほんしゅうほくたん、つがるはんとうをおよそさんしゅうかんほどかかっていっしゅうしたのである)

生れてはじめて本州北端、津軽半島を凡そ三週間ほどかかって一周したのである

(が、わたしはこのりょこうによって、まったくうまれてはじめてほかのつがるのちょうそんをみたので)

が、私はこの旅行に依って、まったく生れてはじめて他の津軽の町村を見たので

(ある。それまではわたしは、ほんとうに、あのむっつのまちのほかはしらなかったのである。)

ある。それまでは私は、本当に、あの六つの町の他は知らなかったのである。

(しょうがっこうのころ、えんそくにいったりなんかして、かなぎのちかくのいくつかのぶらくをみたことは)

小学校の頃、遠足に行ったり何かして、金木の近くの幾つかの※を見た事は

(あったが、それはげんざいのわたしに、なつかしいおもいでとしていろこくのこってはいない)

あったが、それは現在の私に、なつかしい思い出として色濃く残ってはいない

(のである。ちゅうがくじだいのしょちゅうきゅうかには、かなぎのせいかにかえっても、にかいのようしつの)

のである。中学時代の暑中休暇には、金木の生家に帰っても、二階の洋室の

(ながいすにねころび、さいだーをがぶがぶらっぱのみしながら、あにたちのぞうしょを)

長椅子に寝ころび、サイダーをがぶがぶラッパ飲みしながら、兄たちの蔵書を

(てあたりしだいによみちらしてくらし、どこへもりょこうにでなかったし、こうとうがっこうじだい)

手当り次第に読み散らして暮し、どこへも旅行に出なかったし、高等学校時代

(には、きゅうかになるとかならずとうきょうの、すぐうえのあに(このあにはちょうこくをまなんでいたが、)

には、休暇になると必ず東京の、すぐ上の兄(この兄は彫刻を学んでいたが、

(にじゅうななさいでしんだ)そのあにのいえへあそびにいったし、こうとうがっこうをそつぎょうとどうじにとうきょう)

二十七歳で死んだ)その兄の家へ遊びに行ったし、高等学校を卒業と同時に東京

(のだいがくへきて、それっきりじゅうねんもこきょうへかえらなかったのであるから、このたびの)

の大学へ来て、それっきり十年も故郷へ帰らなかったのであるから、このたびの

(つがるりょこうは、わたしにとって、なかなかじゅうだいのじけんであったといわざるをえない。)

津軽旅行は、私にとって、なかなか重大の事件であったと言わざるを得ない。

(わたしはこのたびのりょこうでみてきたちょうそんの、ちせい、ちしつ、てんもん、ざいせい、えんかく、きょういく、)

私はこのたびの旅行で見て来た町村の、地勢、地質、天文、財政、沿革、教育、

(えいせいなどについて、せんもんかみたいなしったかぶりのいけんはさけたいとおもう。わたしが)

衛生などに就いて、専門家みたいな知ったかぶりの意見は避けたいと思う。私が

(それをいったところで、しょせんは、いちやべんきょうのはずかしいけいはくのめっきである。)

それを言ったところで、所詮は、一夜勉強の恥ずかしい軽薄の鍍金である。

(それらについて、くわしくしりたいひとは、そのちほうのせんもんのけんきゅうかにきくがよい)

それらに就いて、くわしく知りたい人は、その地方の専門の研究家に聞くがよい

(わたしには、またべつのせんもんかもくがあるのだ。せじんはかりにそのかもくをあいとよんでいる)

私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにその科目を愛と呼んでいる

(ひとのこころとひとのこころのふれあいをけんきゅうするかもくである。わたしはこのたびのりょこうにおいて)

人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて

(しゅとしてこのいっかもくをついきゅうした。どのぶもんからついきゅうしても、けっきょくは、つがるのげんざい)

主としてこの一科目を追求した。どの部門から追求しても、結局は、津軽の現在

(いきているすがたを、そのままどくしゃにつたえることができたならば、しょうわのつがるふどきと)

生きている姿を、そのまま読者に伝える事が出来たならば、昭和の津軽風土記と

(して、まずまあ、きゅうだいではなかろうかとわたしはおもっているのだが、)

して、まずまあ、及第ではなかろうかと私は思っているのだが、

(ああ、それが、うまくゆくといいけれど。)

ああ、それが、うまくゆくといいけれど。

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