半七捕物帳 石燈籠1

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第二話
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 berry 7348 7.4 98.3% 399.0 2981 49 47 2024/02/01
2 すもさん 5615 A 5.8 96.3% 537.8 3139 119 47 2024/03/03
3 じゅんこ 5174 B+ 5.4 95.9% 560.8 3030 128 47 2024/02/17
4 やまちやまちゃん 4912 B 5.0 97.7% 595.4 2994 69 47 2024/03/16

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問題文

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(はんしちろうじんはあるときかれのみぶんについてくわしいはなしをしてくれた。)

一 半七老人は或るとき彼の身分について詳しい話をしてくれた。

(えどじだいのたんていものがたりをよむひとびとのべんぎのために、わたしもすこしばかり)

江戸時代の探偵物語を読む人々の便宜のために、わたしも少しばかり

(ここにそのうけうりをしておきたい。)

ここにその受け売りをして置きたい。

(「とりものちょうというのはよりきやどうしんがおかっぴきらのほうこくをきいて、)

「捕物帳というのは与力や同心が岡っ引らの報告を聞いて、

(さらにこれをまちぶぎょうしょにほうこくすると、ごようべやにとうざちょうのようなものがあって、)

更にこれを町奉行所に報告すると、御用部屋に当座帳のようなものがあって、

(しょやくがとりあえずこれにかきとめておくんです。)

書役(しょやく)が取りあえずこれに書き留めて置くんです。

(そのちょうめんをとりものちょうといっていました」と、はんしちはまずせつめいした。)

その帳面を捕物帳といっていました」と、半七は先ず説明した。

(「それからわたくしどものことをせけんではごようききとかおかっぴきとかてさきとか)

「それから私どものことを世間では御用聞きとか岡っ引とか手先とか

(かってにいろいろのなをつけているようですが、ごようききというのは)

勝手にいろいろの名を付けているようですが、御用聞きというのは

(いっしゅのけいごで、ほかからこっちをあがめていうときか、またはこっちがほかを)

一種の敬語で、他からこっちをあがめて云う時か、又はこっちが他を

(おどかすときにもちいることばで、おもてむきのよびなはこものというんです。)

嚇かすときに用いることばで、表向きの呼び名は小者というんです。

(こものじゃはばがきかないから、ごようききとかめあかしとかいうんですが、)

小者じゃ幅が利かないから、御用聞きとか目明しとかいうんですが、

(せけんではいっぱんにおかっぴきといっていました。で、よりきにはどうしんが)

世間では一般に岡っ引といっていました。で、与力には同心が

(し、ごにんぐらいずつついている、どうしんのしたにはおかっぴきがに、さんにんついている、)

四、五人ぐらいずつ付いている、同心の下には岡っ引が二、三人付いている、

(そのおかっぴきのしたにはまたし、ごにんのてさきがついているというじゅんじょで、)

その岡っ引の下には又四、五人の手先が付いているという順序で、

(おかっぴきもすこしよいかおになると、ひとりでしち、はちにんないしじゅうにんぐらいのてさきを)

岡っ引も少し好い顔になると、一人で七、八人乃至十人ぐらいの手先を

(つかっていました。まちぶぎょうからこものすなわちおかっぴきにわたしてくれるきゅうりょうは)

使っていました。町奉行から小者即ち岡っ引に渡してくれる給料は

(いっかげつにいちぶにしゅというのがじょうのぶで、わるいのになるといちぶぐらいでした。)

一カ月に一分二朱というのが上の部で、悪いのになると一分ぐらいでした。

(いくらしょしきのやすいじだいでもいっかげつにいちぶやいちぶにしゅじゃあやりきれません。)

いくら諸式の廉い時代でも一カ月に一分や一分二朱じゃあやり切れません。

(おまけにごにんもじゅうにんもてさきをかかえていて、そのてさきのきゅうりょうはどこからも)

おまけに五人も十人も手先を抱えていて、その手先の給料はどこからも

など

(いちもんだってでるんじゃありませんから、おやぶんのおかっぴきがなんとかめんどうを)

一文だって出るんじゃありませんから、親分の岡っ引が何とか面倒を

(みてやらなけりゃあならない。つまりはじめからそろばんが)

見てやらなけりゃあならない。つまり初めから十露盤(そろばん)が

(とれないようなむりなしくみにできあがっているんですから、しぜんそこに)

取れないような無理な仕組みに出来あがっているんですから、自然そこに

(いろいろのへいがいがおこってきて、おかっぴきとかてさきとかいうと、とかくせけんから)

いろいろの弊害が起って来て、岡っ引とか手先とかいうと、とかく世間から

(まむしあつかいにされるようなことになってしまったんです。しかしたいていのおかっぴきは)

蝮扱いにされるようなことになってしまったんです。しかし大抵の岡っ引は

(なにかべつにしょうばいをやっていました。にょうぼうのなまえでゆやをやったり)

何か別に商売をやっていました。女房の名前で湯屋をやったり

(こりょうりをやったりしていましたよ」)

小料理をやったりしていましたよ」

(そういうわけで、まちぶぎょうしょからこうぜんみとめられているのはしょうすうのこもの)

そういうわけで、町奉行所から公然認められているのは少数の小者

(すなわちおかっぴきだけで、たすうのてさきはよんでじのごとく、おかっぴきのてさきとなって)

即ち岡っ引だけで、多数の手先は読んで字のごとく、岡っ引の手先となって

(はたらくにすぎない。したがっておかっぴきとてさきとは、しぜんおやぶんこぶんのかんけいをなして、)

働くに過ぎない。従って岡っ引と手先とは、自然親分子分の関係をなして、

(てさきはおかっぴきのだいどころのめしをくっているのであった。もちろん、てさきのなかにも)

手先は岡っ引の台所の飯を食っているのであった。勿論、手先の中にも

(なかなかりっぱなおとこがあって、よいてさきをもっていなければおやぶんの)

なかなか立派な男があって、好い手先をもっていなければ親分の

(おかっぴきもよいかおにはなれなかった。)

岡っ引も好い顔にはなれなかった。

(はんしちはおかっぴきのこではなかった。にほんばしのもめんだなのかよいばんとうのせがれに)

半七は岡っ引の子ではなかった。日本橋の木綿店の通い番頭のせがれに

(うまれて、かれがじゅうさん、いもうとのおくめがいつつのときに、ちちのはんべえにしにわかれた。)

生まれて、彼が十三、妹のお粂が五つのときに、父の半兵衛に死に別れた。

(ははのおたみはごけをたててふたりのこどもをぶじにそだてあげ、あにのはんしちには)

母のお民は後家を立てて二人の子供を無事に育てあげ、兄の半七には

(ちちのあとをつがせて、もとのおたなにほうこうさせようというのぞみであったが、)

父のあとを継がせて、もとのお店に奉公させようという望みであったが、

(どうらくはだのはんしちはかたぎのほうこうをこのまなかった。)

道楽肌の半七は堅気の奉公を好まなかった。

(「わたくしもふこうもので、わかいときにはおふくろをさんざん)

「わたくしも不孝者で、若い時には阿母(おふくろ)をさんざん

(なかせましたよ」)

泣かせましたよ」

(それがはんしちのざんげであった。かたあげのおりないうちからどうらくのあじを)

それが半七の懺悔であった。肩揚げの下りないうちから道楽の味を

(おぼえたかれは、とうとうじぶんのうちをとびだして、かんだのきちごろうという)

おぼえた彼は、とうとう自分の家を飛び出して、神田の吉五郎という

(おかっぴきのこぶんになった。きちごろうはさけぐせのよくないおとこであったが、)

岡っ引の子分になった。吉五郎は酒癖のよくない男であったが、

(こぶんたちにたいしてはしんせつにめんどうをみてくれた。はんしちはいちねんばかり)

子分たちに対しては親切に面倒を見てくれた。半七は一年ばかり

(そのてさきをはたらいているうちに、かれのういじんのこうみょうをあらわすべきじせつがきた。)

その手先を働いているうちに、彼の初陣の功名をあらわすべき時節が来た。

(「わすれもしないてんぽううしどしのじゅうにがつで、わたくしがじゅうくのとしのくれでした」)

「忘れもしない天保丑年の十二月で、わたくしが十九の年の暮でした」

(はんしちろうじんのこうみょうばなしはこうであった。)

半七老人の功名話はこうであった。

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