半七捕物帳 湯屋の二階8
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問題文
(「おやぶん、いけねえ、とちゅうでともだちにでっくわして、ちょいとひとこと)
「親分、いけねえ、途中で友達に出っくわして、ちょいと一と言
(はなしているうちに、やつはどこかへきえてしまやあがった」)
話しているうちに、奴はどこかへ消えてしまやあがった」
(「ばかやろう。ごようのとちゅうでともだちとむだばなしをしているやつがあるか」)
「馬鹿野郎。御用の途中で友達と無駄話をしている奴があるか」
(いまさらしかってもおっつかないので、はんしちはじりじりしてきた。)
今更叱っても追っ付かないので、半七はじりじりして来た。
(「ないてもわらってもきょうはもうしかたがねえ。おきちのやつがうちへかえるかどうだか)
「泣いても笑っても今日はもう仕方がねえ。お吉の奴が家へ帰るかどうだか
(よくきをつけていろ。それからもうひとりのさむれえがきたらば、)
能く気をつけていろ。それからもう一人の武士(さむれえ)が来たらば、
(こんどこそしっかりとあとをつけて、よくそのいどこをつきとめておけ。)
今度こそしっかりと後をつけて、よくその居どこを突き留めて置け。
(てめえのたねだしじゃあねえか、すこしみをいれてはたらけ」)
てめえの種出しじゃあねえか、少し身を入れて働け」
(そのひはそのままわかれてかえったが、なんだかかんがたかぶってはんしちはそのばん)
その日はそのまま別れて帰ったが、なんだか疳が昂ぶって半七はその晩
(おちおちねつかれなかった。あくるあさはひどくさむかった。かれはいつものとおりに)
おちおち寝付かれなかった。明くる朝はひどく寒かった。彼はいつもの通りに
(つめたいみずでかおをあらってうちをとびだすと、あさひのあたらないよこちょうはてつのように)
冷たい水で顔を洗って家を飛び出すと、朝日のあたらない横町は鉄のように
(こおって、きんじょのこどもがいたずらにほうりだしたとなりのうちのてんすいおけのこおりが)
凍って、近所の子供が悪戯にほうり出した隣りの家の天水桶の氷が
(にすんほどもあつくみえた。)
二寸ほども厚く見えた。
(はんしちはしろいいきをふきながら、あたごしたへいそいでいった。)
半七は白い息を噴きながら、愛宕下へ急いで行った。
(「どうだ、くま。あれぎりかわったことはねえか」)
「どうだ、熊。あれぎり変ったことはねえか」
(「おやぶん。おきちのやつはかけおちをしたようですよ。とうとうあれぎりで)
「親分。お吉の奴は駈け落ちをしたようですよ。とうとうあれぎりで
(うちへかえらねえそうで、けさおふくろがしんぱいらしくききにきましたよ」と、)
家へ帰らねえそうで、今朝おふくろが心配らしく訊きに来ましたよ」と、
(くまぞうはかおをしかめてささやいた。)
熊蔵は顔をしかめてささやいた。
(「そうか」と、はんしちのひたいにもふといしわがえがかれた。「だが、まあしかたがねえ。)
「そうか」と、半七の額にも太い皺が描かれた。「だが、まあ仕方がねえ。
(もういちにちきながにあみをはっていてみよう。もうひとりのやつがやってこねえとも)
もう一日気長に網を張っていてみよう。もう一人の奴がやって来ねえとも
(かぎらねえから」)
限らねえから」
(「そうですねえ」と、くまぞうははりあいぬけがしたようにぼんやりしていた。)
「そうですねえ」と、熊蔵は張り合い抜けがしたようにぼんやりしていた。
(はんしちはにかいにあがると、けさはおきちがいないのでそこにはひのけもなかった。)
半七は二階にあがると、けさはお吉がいないので其処には火の気もなかった。
(くまぞうのにょうぼうがいいわけをしながらひばちやちゃなどをはこんできた。あさのあいだは)
熊蔵の女房が言い訳をしながら火鉢や茶などを運んで来た。朝のあいだは
(にかいへあがるきゃくもないので、はんしちはたばこをのみながらただひとり)
二階へあがる客もないので、半七は煙草をのみながら唯ひとり
(つくねんとすわっていると、はるのさむさがえりにぞくぞくしみてきた。)
つくねんと坐っていると、春の寒さが襟にぞくぞく沁みて来た。
(「おきちのやつめ、このごろはうわついているんで、しょうじもろくにはりゃあがらねえ」と、)
「お吉の奴め、この頃は浮ついているんで、障子も碌に貼りゃあがらねえ」と、
(くまぞうはまどのしょうじのやぶれをみかえりながらしたうちした。)
熊蔵は窓の障子の破れを見かえりながら舌打ちした。
(はんしちはへんじもしないでかんがえつめていた。おとといこのにかいではっけんしたにんげんのくび、)
半七は返事もしないで考えつめていた。おととい此の二階で発見した人間の首、
(どうぶつのあたま、きのうひかげちょうでみたどろざめのかわ、それがひとつにつながってかれのあたまのなかを)
動物の頭、きのう日陰町で見た泥鮫の皮、それが一つに繋がって彼の頭の中を
(まわりどうろうのようにぐるぐるとかけまわっていた。まほうつかいか、)
走馬燈(まわりどうろう)のようにぐるぐると駈け廻っていた。魔法つかいか、
(きりしたんか、ごうとうか、そのうたがいもよういにかいけつしなかった。それにつけても、)
切支丹か、強盗か、その疑いも容易に解決しなかった。それに付けても、
(きのうかのぶしのあとをつけそんじたのがざんねんであった。くまぞうのような)
昨日かの武士の後を尾(つ)け損じたのが残念であった。熊蔵のような
(どじをたのまずに、いっそじぶんがすぐにつけていけばよかったなどと、)
どじを頼まずに、いっそ自分がすぐに尾けて行けばよかったなどと、
(いまさらのようにくやまれた。)
今更のように悔まれた。
(おやぶんのかおいろがわるいので、くまぞうもてもちぶさたでだまっていた。しばのさんないのかねが)
親分の顔色が悪いので、熊蔵も手持無沙汰で黙っていた。芝の山内の鐘が
(やがてよっつ(ごぜんじゅうじ)をうった。したのこうしのあいたとおもうと、ばんだいのおとこが)
やがて四ツ(午前十時)を打った。下の格子のあいたと思うと、番台の男が
(「いらっしゃい」と、あいさつするこえにつづいて、にかいにあいずをするような)
「いらっしゃい」と、挨拶する声につづいて、二階に合図をするような
(せきばらいのこえがきこえた。ふたりはかおをみあわせた。)
咳払いの声がきこえた。二人は顔をみあわせた。
(「やろう。きたかな」と、くまぞうがあわててたってしたをのぞくとたんに、)
「野郎。来たかな」と、熊蔵があわてて起って下をのぞく途端に、
(せのたかいひとりのわかいぶしがかたなをもってはしごをあしばやにあがってきた。)
背の高い一人の若い武士が刀を持って階子を足早にあがって来た。
(「おあがりくださいまし。まいにちおさむいことでございます」とくまぞうは)
「おあがり下さいまし。毎日お寒いことでございます」と熊蔵は
(えがおをつくってあいさつした。)
笑顔を粧(つく)って挨拶した。
(「どうぞこちらへ。けさはおんながやすんだものですから、にかいも)
「どうぞこちらへ。けさは女が休んだものですから、二階も
(ちらかっております」)
散らかって居ります」
(「おんなはやすんだか」と、ぶしはかたなかけにだいしょうをかけながらちょっとくびをひねった。)
「女は休んだか」と、武士は刀掛けに大小をかけながらちょっと首をひねった。
(そうして、 「おきちはびょうきかな」と、しさいありげにきいた。)
そうして、 「お吉は病気かな」と、仔細ありげに訊いた。
(「さあ、まだなんともいってまいりませんが、はやりかぜでも)
「さあ、まだ何とも云ってまいりませんが、流行感冒(はやりかぜ)でも
(ひいたんでございましょう」)
引いたんでございましょう」
(ぶしはだまってうなずいていたが、やがてきものをぬいではしごをおりていった。)
武士は黙ってうなずいていたが、やがて着物をぬいで階子を降りて行った。
(「あれがつれのやつか」と、はんしちがこごえできくと、くまぞうはめでうなずいた。)
「あれが連れの奴か」と、半七が小声で訊くと、熊蔵は眼でうなずいた。
(「おやぶん、どうしましょう」)
「親分、どうしましょう」
(「まさか、いきなりにふんじばるわけにもいくめえ。まあ、ここへ)
「まさか、いきなりにふん縛るわけにも行くめえ。まあ、ここへ
(あがってきたら、てめえがなんとかうまくいってつれのさむれえのことを)
上がって来たら、てめえがなんとか巧く云って連れの武士(さむれえ)のことを
(きいてみろ。そのへんじしだいでまたくふうもあるだろう。なにしろあいてがさむれえだ。)
訊いてみろ。その返事次第でまた工夫もあるだろう。なにしろ相手が武士だ。
(むやみにふりまわされるとあぶねえから、そのだいしょうはどこかへかくしてしまえ」)
無暗に振りまわされるとあぶねえから、その大小はどこかへ隠してしまえ」
(「そうですね。だれかかせいによびましょうか」)
「そうですね。誰か加勢に呼びましょうか」
(「それにもおよぶめえ。たかがひとりだ。なんとかなるだろう」と、)
「それにも及ぶめえ。多寡が一人だ。何とかなるだろう」と、
(はんしちはふところのじってをさぐった。)
半七はふところの十手を探った。
(ふたりはいきをのんでまちかまえた。)
二人は息を嚥んで待ち構えた。