旧約聖書

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(きゅうやくせいしょ(きゅうやくせいしょ、)

旧約聖書(きゅうやくせいしょ、

(えいご:oldtestament)は、いっぱんてきにゆだやきょう)

英語: Old Testament)は、一般的にユダヤ教

(およびきりすときょうのしょうてんとされるしょもつをさす。「きゅうやくせいしょ」)

およびキリスト教の正典とされる書物を指す。「旧約聖書」

(は「しんやくせいしょ」もしょうてんとするきりすときょうのしようするこしょうで、)

は『新約聖書』も正典とするキリスト教の使用する呼称で、

(ゆだやきょうではこのめいしょうはつかわれず、せいしきめいしょうとして「りっぽう(とーらー)、)

ユダヤ教ではこの名称は使われず、正式名称として『律法(トーラー)、

(よげんしょ(ねびいーむ)としょしょ(けすびーむ)」がもちいられ、にちじょうてきには)

預言書(ネビイーム)と諸書(ケスビーム)』が用いられ、日常的には

(そのかしらもじをとって「たなは」あるいはどくじゅをいみする「みくらー」)

その頭文字をとって『タナハ』あるいは読誦を意味する「ミクラー」

(とよばれる。「きゅうやくせいしょ」はげんそくとしてへぶらいごできさいされ、)

と呼ばれる。『旧約聖書』は原則としてヘブライ語で記載され、

(いちぶにあらむごできさいされている。)

一部にアラム語で記載されている。

(いすらむきょうでは「たうらー」(とーらー、りっぽう)と)

イスラム教では「タウラー」(トーラー、律法)と

(「ざぶーる」(しへん)をけいすけとしてそのせいとうせいをみとめている。)

「ザブール」(詩篇)を啓典としてその正統性を認めている。

(こしょう)

呼称

(「きゅうやくせいしょ」とは、「しんやくせいしょ」の「こりんとのしんとへのてがみに」)

『旧約聖書』とは、『新約聖書』の『コリントの信徒への手紙二』

(3しょう14せつなどの「ふるいけいやく」ということばをもとに、2せいきごろから)

3章14節などの「旧い契約」という言葉をもとに、2世紀頃から

(きりすときょうとによってもちいられはじめたこしょうである。)

キリスト教徒によって用いられ始めた呼称である。

(これはふるいけいやくのしょがきゅうやくせいしょであって、あたらしいけいやくがしんやくせいしょ)

これは古い契約の書が旧約聖書であって、新しい契約が新約聖書

(といういみであり、「きゅうやくせいしょ」というひょうげんはさるでぃすの)

という意味であり、『旧約聖書』という表現はサルディスの

(めりとん(190ねん)にみられ、あれくさんどりあのくれめんすが)

メリトン(190年)に見られ、アレクサンドリアのクレメンスが

(よくもちいている。しかし、きりすときょうがわのかんてんでしかないために)

よく用いている。しかし、キリスト教側の観点でしかないために

(さいきんでは「ゆだやきょうせいしょ」、「へぶらいごせいしょ」、「へぶらいごせいてん」)

最近では『ユダヤ教聖書』、『ヘブライ語聖書』、『ヘブライ語聖典』

など

(などとよばれることもある。)

などと呼ばれることもある。

(ゆだやきょうにおいては、とーらー、ねびいーむ、けとぅびーむのかしらもじ、)

ユダヤ教においては、トーラー、ネビイーム、ケトゥビームの頭文字、

(tnkにぼいんをふした「たなは」とよばれるた、「みくらー(miqra):)

TNKに母音を付した『タナハ』と呼ばれる他、『ミクラー(Miqra):

(ろうしょうするもの」とよばれることもある。みくらーはくるあーんと)

朗誦するもの』と呼ばれることもある。ミクラーはクルアーンと

(ごげんをおなじくしている。)

語源を同じくしている。

(ないよう)

内容

(「きゅうやくせいしょ」のないようはこだいいすらえるじん・ゆだやじんのしそうかつどうすべてを)

『旧約聖書』の内容は古代イスラエル人・ユダヤ人の思想活動すべてを

(もうらするごとくたきにわたっている。いかにきゅうやくせいしょに)

網羅するごとく多岐に渡っている。以下に旧約聖書に

(ふくまれるぶんしょのがいりゃくをしるす。)

含まれる文書の概略を記す。

(てんちそうぞうとぶぞくちょうのものがたり)

天地創造と部族長の物語

(きゅうやくせいしょのぼうとうがそうせいきである。そのぼうとうではかみが7にちかんでせかいをつくり、)

旧約聖書の冒頭が創世記である。その冒頭では神が7日間で世界を創り、

(らくえんにおとことおんな(あだむといぶ)をすまわせたが、かれらがへびのゆうわくに)

楽園に男と女(アダムとイブ)を住まわせたが、彼らが蛇の誘惑に

(よってきんきをおかしたのでらくえんをおいはなされたという、かみによるてんちそうぞうと)

よって禁忌を犯したので楽園を追放されたという、神による天地創造と

(にんげんのだらくがかたられる(そうせいき1-3)。いか、そうせいきにはさいしょのさつじんで)

人間の堕落が語られる(創世記1-3)。以下、創世記には最初の殺人で

(あるかいんとあべるのきょうだいのはなし(そうせいき4:1-16)、のあのはこぶね)

あるカインとアベルの兄弟の話(創世記4:1-16)、ノアの箱舟

((そうせいき6:5-9:17)、ばべるのとう(そうせいき11:1-9))

(創世記6:5-9:17)、バベルの塔(創世記11:1-9)

(などのものがたりがつづいていく。)

などの物語が続いていく。

(つづいてそうせいきには、あぶらはむ・いさく・やこぶの3だいのぞくちょうのものがたりが)

続いて創世記には、アブラハム・イサク・ヤコブの3代の族長の物語が

(しるされている(そうせいき12-36)。あぶらはむはばびろにあからしゅっぱつして、)

記されている(創世記12-36)。アブラハムはバビロニアから出発して、

(かなん(げんざいのいすらえる/ぱれすちな)にやってきたゆうぼくみんのぞくちょうで)

カナン(現在のイスラエル/パレスチナ)にやってきた遊牧民の族長で

(あり、かみからしゅくふくをうけしょみんぞくのちちになるというやくそくをあたえられた)

あり、神から祝福を受け諸民族の父になるという約束を与えられた

((そうせいき12:2)。いさくはあぶらはむのむすこであり、かれにもしそんが)

(創世記12:2)。イサクはアブラハムの息子であり、彼にも子孫が

(さかえるむねがかみからやくそくされている(そうせいき26:24)。さらにそのむすこが)

栄える旨が神から約束されている(創世記26:24)。さらにその息子が

(やこぶであり、かれとけいやくをむすんだかみはやこぶとそのしそんにかなんのとちを)

ヤコブであり、彼と契約を結んだ神はヤコブとその子孫にカナンの土地を

(あたえるとやくそくしている。やこぶはこのけいやくでいすらえるとかいめいし、)

与えると約束している。ヤコブはこの契約でイスラエルと改名し、

(かれのしそんはいすらえるじんとよばれるようになった)

彼の子孫はイスラエル人と呼ばれるようになった

((そうせいき32:29、35:10)。やこぶは12にんのだんしおよびすうにんのじょしを)

(創世記32:29、35:10)。ヤコブは12人の男子および数人の女子を

(もうけたが、だんしそれぞれがいすらえるじゅうにしぞくのおさとされている)

もうけたが、男子それぞれがイスラエル十二氏族の長とされている

((そうせいき29-30)。つまりやこぶがいすらえる/ゆだやじんのしそである。)

(創世記29-30)。つまりヤコブがイスラエル/ユダヤ人の始祖である。

(そうせいきには、このぞくちょうの3だいきにつづけてやこぶのすえっこのよせふの)

創世記には、この族長の3代記に続けてヤコブの末子のヨセフの

(ものがたりがしるされている(そうせいき37-50)。あにたちにころされかけて)

物語が記されている(創世記37-50)。兄たちに殺されかけて

(えじぷとにどれいとしてうりとばされながら、ゆめうらないとじつりょくで)

エジプトに奴隷として売り飛ばされながら、夢占いと実力で

(りっしんしゅっせしてえじぷとのさいしょうにまでのぼりつめ、ききんにくるしむように)

立身出世してエジプトの宰相にまで登りつめ、飢饉に苦しむように

(なったちちとあにたちをえじぷとによびよせてすくうはなしである。そうせいきでは、)

なった父と兄たちをエジプトに呼び寄せて救う話である。創世記では、

(これらのほかにあくとくのまちであるそどむとごもらのめつぼう)

これらの他に悪徳の町であるソドムとゴモラの滅亡

((そうせいき18:20-19:28)、やこぶとかみのししゃとのかくとうなどのはなし)

(創世記18:20-19:28)、ヤコブと神の使者との格闘などの話

((そうせいき32:23-33)がゆうめいである。)

(創世記32:23-33)が有名である。

(またそうせいきには、おおくのけいずがふくまれておりいすらえる)

また創世記には、多くの系図が含まれておりイスラエル

(しゅうへんぶぞくのえんぎなどもかたられている。)

周辺部族の縁起等も語られている。

(もーせとりっぽう)

モーセと律法

(そうせいきはいじょうでおわり、ものがたりはでえじぷときにつながっていく。)

創世記は以上で終わり、物語は出エジプト記につながっていく。

(ぜんじゅつのよせふのじだいにえじぷとにいじゅうしていたいすらえるじんたちは、)

前述のヨセフの時代にエジプトに移住していたイスラエル人達は、

(おうちょうがかわったために、やがてはくがいされるようになる)

王朝が変ったために、やがて迫害されるようになる

((いでえじぷと1:1-14)。そこに、えじぷとじんとしてきょういくをうけた)

(出エジプト1:1-14)。そこに、エジプト人として教育を受けた

(もーせ(いでえじぷと2:1-10)が、かみからしょうめいをうけてたちあがり)

モーセ(出エジプト2:1-10)が、神から召命を受けて立ち上がり

((いでえじぷと3:1-4:17)いすらえるじんたちをひきいてえじぷとをだっしゅつし)

(出エジプト3:1-4:17)イスラエル人たちを率いてエジプトを脱出し

((いでえじぷと5:1-15:21)、かみがぞくちょうやこぶにやくそくした)

(出エジプト5:1-15:21)、神が族長ヤコブに約束した

(「ちちとみつのながれる」かなんのちをめざしながら40ねんかんしないはんとうでほうろうする)

「乳と蜜の流れる」カナンの地を目指しながら40年間シナイ半島で放浪する

((いでえじぷと15:22-40:38、たみすうき)。もーせがかずかずのきせきで)

(出エジプト15:22-40:38、民数記)。モーセが数々の奇跡で

(えじぷとおうをいかくし(いでえじぷと7:8-11:10)、ついせきするえじぷとぐんを)

エジプト王を威嚇し(出エジプト7:8-11:10)、追跡するエジプト軍を

(のがれるためにうみをふたつにわってそのあいだをとおっていくしーん)

逃れるために海を二つに割ってその間を通っていくシーン

((いでえじぷと13:17-30)などはゆうめいであり、えいぞうかもされている。)

(出エジプト13:17-30)などは有名であり、映像化もされている。

(げんざいもつづくゆだやきょうのぎょうじ、たとえばすぎこしさい/のけこうまつり、かりいおさいなどは)

現在も続くユダヤ教の行事、たとえば過越祭/除酵祭、仮庵祭などは

(このいでえじぷとおよびこうやるろうのこじにちなむものとされており、)

この出エジプトおよび荒野流浪の故事にちなむものとされており、

(ゆだやぶんかのなかでもとくべつでしょうちょうてきないちをしめるものがたりである。)

ユダヤ文化の中でも特別で象徴的な位置を占める物語である。

(しないやまでもーせといすらえるじんはかみからじっかいをさずかり)

シナイ山でモーセとイスラエル人は神から十戒を授かり

((いでえじぷと20:1-16)、ほかにもさまざまなさいぎきていやりんりきてい、ほうりつが)

(出エジプト20:1-16)、他にも様々な祭儀規定や倫理規定、法律が

(いいわたされる(いでえじぷと19:1-34:35)。じっかいはたしんきょうのきんしや)

言い渡される(出エジプト19:1-34:35)。十戒は多神教の禁止や

(ぐうぞうすうはいのきんしにはじまり、さつじん・かんいん・せっとうをきんしし、ふぼへのけいあいや)

偶像崇拝の禁止に始まり、殺人・かん淫・窃盗を禁止し、父母への敬愛や

(りんじんあいなどのりんりをきていするものであるが、このじっかいをもとにしてかみは)

隣人愛などの倫理を規定するものであるが、この十戒を基にして神は

(いすらえるじんぜんたいとけいやくをむすぶ。このしないやまでのけいやくは、ゆだやきょうの)

イスラエル人全体と契約を結ぶ。このシナイ山での契約は、ユダヤ教の

(じゅうようなげんてんのひとつとされている。「やーうぇ(やはうぇ)」というかみの)

重要な原点のひとつとされている。「ヤーウェ(ヤハウェ)」という神の

(なはもーせのしょうめいじにはじめてあかされ(いでえじぷと3:13-15)、)

名はモーセの召命時に初めて明かされ(出エジプト3:13-15)、

(もーせいぜんには「あぶらはむのかみ」「いさくのかみ」「やこぶのかみ」)

モーセ以前には「アブラハムの神」「イサクの神」「ヤコブの神」

(というよばれかたでしかしられていなかったぶぞくのかみが、なまえをあかした)

という呼ばれ方でしか知られていなかった部族の神が、名前を明かした

(じょうたいでみんしゅうぜんたいとけいやくをむすんだのである。)

状態で民衆全体と契約を結んだのである。

(でえじぷときのほかにもれびき、たみすうき、さるいのちきには、おびただしいりょうの)

出エジプト記の他にもレビ記、民数記、申命記には、おびただしい量の

(ほうりつ、りんりきてい、きんききてい、さいしきていがしるされており、これらをまとめて)

法律、倫理規定、禁忌規定、祭祀規定が記されており、これらをまとめて

(りっぽう(とーらー、げんぎは「おしえ」)とよぶ。たとえばほうりつとしては)

律法(トーラー、原義は「教え」)と呼ぶ。たとえば法律としては

(「あるひとのうしがりんじんのうしをついてしなせたばあい、いきているほうのうしを)

「ある人の牛が隣人の牛を突いて死なせた場合、生きている方の牛を

(うってせっぱんし、しんだほうのうしもせっぱんする」などこまかなきていに)

売って折半し、死んだほうの牛も折半する」など細かな規定に

(およんでいる(いでえじぷと21:35)。りんりきていとしては「じぶんじしんをあいする)

及んでいる(出エジプト21:35)。倫理規定としては「自分自身を愛する

(ようにりんじんをあいしなさい」(れび19:18)など、きんききていとしては)

ように隣人を愛しなさい」(レビ19:18)など、禁忌規定としては

(ぶたしょくやうろこのないさかなをたべることのきんし(れびき11しょう、さるいのちき14しょうなど))

豚食や鱗のない魚を食べることの禁止(レビ記11章、申命記14章など)

(であるとかこやぎのにくをちちでにてはいけない(さるいのち14:21)だとかの)

であるとか子ヤギの肉を乳で煮てはいけない(申命14:21)だとかの

(こまかなしょくもつきていであり、さいしについてはさいだんのすんぽうまでがこまかに)

細かな食物規定であり、祭祀については祭壇の寸法までが細かに

(しじされている(いでえじぷと25-28しょう)。れびき、たみすうき、さるいのちきは)

指示されている(出エジプト25-28章)。レビ記、民数記、申命記は

(ものがたりよりはりっぽうのきさいがほとんどであり、ゆだやきょうのでんとうでは)

物語よりは律法の記載がほとんどであり、ユダヤ教の伝統では

(そうせいきからさるいのちきまでのごしょぜんたいをりっぽうとよんでいる。また、)

創世記から申命記までの五書全体を律法と呼んでいる。また、

(これらのりっぽうはもーせがかみからつたえられたものであるし、ごしょじたいも)

これらの律法はモーセが神から伝えられたものであるし、五書自体も

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