旧約聖書4

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(ゆだやきょうでのしょうてんか)

ユダヤ教での正典化

(ゆだやきょうでは、ゆだやせんそうごにゆだやきょうをさいへんした1せいきのおわりごろの)

ユダヤ教では、ユダヤ戦争後にユダヤ教を再編した1世紀の終わりごろの

(やむにあかいぎでしょうてんがかくにんされた。このへぶらいごほんぶんを、8せいきいこう、)

ヤムニア会議で正典が確認された。このヘブライ語本文を、8世紀以降、

(まそらがくしゃがぼいんきごうなどをくわえてへんしゅうしたものがまそらほんぶんで、ぜん24しょ)

マソラ学者が母音記号等を加えて編集したものがマソラ本文で、全24書

(である。げんざいのところ、これをいんさつからだでしゅっぱんしたとうじごbhsがもっともひょうじゅんてきな)

である。現在のところ、これを印刷体で出版した頭字語BHSが最も標準的な

(てきすととしてりようされている。)

テキストとして利用されている。

(きりすときょうでのしょうてんか)

キリスト教での正典化

(これとはべつに、きげんまえ250ねんごろからぎりしあごにほんやくされたななじゅうにんわけせいしょ)

これとは別に、紀元前250年頃からギリシア語に翻訳された七十人訳聖書

((せぷとぅあぎんた)があるが、げんだいのこされているふくすうのしゃほんはそのかずが)

(セプトゥアギンタ)があるが、現代残されている複数の写本はその数が

(いっちしているわけではない。ぱうろをふくめたきりすときょうとがにちじょうてきに)

一致しているわけではない。パウロを含めたキリスト教徒が日常的に

(もちい、しんやくせいしょにいんようされているのもしゅとしてこのぎりしあごの)

用い、新約聖書に引用されているのも主としてこのギリシア語の

(ななじゅうにんわけであり、きりすときょうはでんとうてきにこれをしょうてんとしてあつかってきた。)

七十人訳であり、キリスト教は伝統的にこれを正典として扱ってきた。

(まそらほんぶんとななじゅうにんわけせいしょではこうせいとはいれつがことなる。とうほうきょうかいも)

マソラ本文と七十人訳聖書では構成と配列が異なる。東方教会も

(せいほうきょうかいもながらくこのななじゅうにんわけせいしょをきゅうやくせいしょのしょうてんと)

西方教会も長らくこの七十人訳聖書を旧約聖書の正典と

(きほんてきにみなしてきたが、そのはいれつやかぞえかたにはいちぶことなるものがある。)

基本的にみなしてきたが、その配列や数え方には一部異なるものがある。

(またせいほうきょうかいでは、せいきょうかいがしょうてんとみなすぶんしょのいちぶをげてんとした。)

また西方教会では、正教会が正典とみなす文書の一部を外典とした。

(しゅうきょうかいかくにおけるたいりつ)

宗教改革における対立

(かとりっくきょうかいはとりえんとこうかいぎ(1546ねん)でヴるがーたが)

カトリック教会はトリエント公会議(1546年)でヴルガータが

(かとりっくきょうかいのこうしきせいしょであるとかくにんし、しょうてんとしてきゅうやく46かん、)

カトリック教会の公式聖書であると確認し、正典として旧約46巻、

(しんやく27かんをあげた。これはでんしょうによるとされる。かとりっくきょうかいは、)

新約27巻をあげた。これは伝承によるとされる。カトリック教会は、

など

(ぷろてすたんとがぶんしょをとりのぞいたとする。かとりっくきょうかいがせいしょに)

プロテスタントが文書を取り除いたとする。カトリック教会が聖書に

(たいするがいてきけんいを「きょうかいがふよ」したとするのにたいし、ぷろてすたんと)

対する外的権威を「教会が付与」したとするのに対し、プロテスタント

(きょうかいは「せいしょのないてきけんいをきょうかいがしょうにん」したとかんがえている。)

教会は「聖書の内的権威を教会が承認」したと考えている。

(そのあと、16せいきのしゅうきょうかいかくじにまるてぃん・るたーがせいしょをどいつごに)

その後、16世紀の宗教改革時にマルティン・ルターが聖書をドイツ語に

(ほんやくするにあたり、それまでつかわれていたらてんごのせいしょ(ヴるがーた))

翻訳するにあたり、それまで使われていたラテン語の聖書(ヴルガータ)

(からではなくへぶらいごげんてんからちょくせつほんやくしたため、へぶらいごせいしょに)

からではなくヘブライ語原典から直接翻訳したため、ヘブライ語聖書に

(ふくまれるぶんしょのみをないようとしたせいしょができあがった。この「へぶらいご)

含まれる文書のみを内容とした聖書ができあがった。この「ヘブライ語

(せいしょにふくまれるぶんしょのみをないようとしたせいしょ」は、そのあとおおくの)

聖書に含まれる文書のみを内容とした聖書」は、その後多くの

(ぷろてすたんとしょはにうけつがれることになった。ぷろてすたんと)

プロテスタント諸派に受け継がれることになった。プロテスタント

(きょうかいは、げんごのへぶらいごでかかれたきゅうやくせいしょのみが)

教会は、原語のヘブライ語で書かれた旧約聖書のみが

(せいしょげんてんにあるとしてみとめている。)

聖書原典にあるとして認めている。

(ぷろてすたんとが「げてん」としてはいじょするしょもつのいちぶは、かとりっく)

プロテスタントが「外典」として排除する書物の一部は、カトリック

(きょうかいとえきゅめにかるはのきょうどうわけである「しんきょうどうわけせいしょ」では)

教会とエキュメニカル派の共同訳である『新共同訳聖書』では

(「きゅうやくせいしょぞくへん」としてけいさいされている。)

「旧約聖書続編」として掲載されている。

(「せいしょほんやく」および「にほんごやくせいしょ」もさんしょう)

「聖書翻訳」および「日本語訳聖書」も参照

(これにたいして、ろしあせいきょうかいは、きゅうやく50かんしんやく27かんのけい77かんで)

これに対して、ロシア正教会は、旧約50巻新約27巻の計77巻で

(せいしょをこうせいしている。)

聖書を構成している。

(ななじゅうにんわけせいしょのはいれつ)

七十人訳聖書の配列

(まそらほんぶんとじゃっかんぶんるいほうがことなり、そのためはいれつもことなっている。)

マソラ本文と若干分類法が異なり、そのため配列も異なっている。

(「れきししょ」はゆだやきょうせいしょのまえのよげんしゃ・あとのよげんしゃ・まきものにたいおうし、)

「歴史書」はユダヤ教聖書の前の預言者・後の預言者・巻物に対応し、

(くわえてゆだやきょうできゅうやくげてんとするものをふくむ。またゆだやきょうで)

加えてユダヤ教で旧約外典とするものを含む。またユダヤ教で

(みとめるしょでも「ほい」とされるゆだやきょうにないぶぶんをふくむものがある。)

認める書でも「補遺」とされるユダヤ教にない部分を含むものがある。

(せいきょうかいとかとりっくきょうかいでは、でんとうてきにななじゅうにんわけせいしょのはいれつに)

正教会とカトリック教会では、伝統的に七十人訳聖書の配列に

(もとづいたせいしょをしようしてきた。くわしくはかきのひょうをさんしょう。)

基づいた聖書を使用してきた。詳しくは下記の表を参照。

(もーせごしょ)

モーセ五書

(れきししょ)

歴史書

(きょうくんしょ(ちえしょ))

教訓書(知恵書)

(よげんしょ)

預言書

(だいよげんしょ)

大預言書

(しょうよげんしょ[29])

小預言書[29]

(ほんやく)

翻訳

(しょうさいは「せいしょほんやく」をさんしょう)

詳細は「聖書翻訳」を参照

(「きゅうやくせいしょ」のほんやくはきげんまえからおこなわれており、そのようなふるいほんやくを)

『旧約聖書』の翻訳は紀元前から行われており、そのような古い翻訳を

(こだいわけという。こだいわけは、げんそんするどのへぶらいごしゃほんよりもふるく、)

古代訳という。古代訳は、現存するどのヘブライ語写本よりも古く、

(とうじのかいしゃくだけでなく、てきすとそのものを)

当時の解釈だけでなく、テキストそのものを

(すいさつするうえでもきちょうなしりょうとなる。)

推察する上でも貴重な資料となる。

(「きゅうやくせいしょ」のほんやくで、げんざいしられているもっともふるいものはあらむごせいしょ)

『旧約聖書』の翻訳で、現在知られている最も古いものはアラム語聖書

(である。これはほしゅうきご、とうじのぱれすちなでにちようごとなった)

である。これは捕囚期後、当時のパレスチナで日用語となった

(あらむごにへぶらいごせいしょをほんやくしたものである。)

アラム語にヘブライ語聖書を翻訳したものである。

(ついできげんまえ4せいきから2せいきまでに、ぎりしあごへのほんやくが)

ついで紀元前4世紀から2世紀までに、ギリシア語への翻訳が

(あれくさんどりあでなされた。これが「ななじゅうにんわけせいしょ)

アレクサンドリアでなされた。これが「七十人訳聖書

((せぷとぅあぎんた、lxx)」である。きりすときょうせいりつご、)

(セプトゥアギンタ 、LXX)」である。キリスト教成立後、

(ななじゅうにんわけはきりすときょうとのせいしょといういんしょうがつよまると、ゆだやきょうないぶで)

七十人訳はキリスト教徒の聖書という印象がつよまると、ユダヤ教内部で

(あらたなぎりしあごほんやくをもとめるうごきがおき、いくつかのぎりしあご)

新たなギリシア語翻訳を求める動きが起き、いくつかのギリシア語

(ほんやくがつくられた。またこのじき、しりあごわけのせいしょもつくられた。)

翻訳が作られた。またこの時期、シリア語訳の聖書も作られた。

(またきりすときょうのなかで、おもにらてんごをつかうぐるーぷのためにらてんごわけ)

またキリスト教の中で、主にラテン語を使うグループのためにラテン語訳

(がつくられた。これを「ふるらてんごわけ」という。ひえろにむすは、)

が作られた。これを「古ラテン語訳」という。ヒエロニムスは、

(へぶらいごからほんやくしたらてんごほんやくせいしょをつくり、これが)

ヘブライ語から翻訳したラテン語翻訳聖書を作り、これが

(らてんきょうかいではこうしきのほんやくとしてみとめられた。ひえろにむすのほんやくを)

ラテン教会では公式の翻訳として認められた。ヒエロニムスの翻訳を

(「ヴるがーた」という。またちゅうせいしょきにはきゅりろすと)

「ヴルガータ」という。また中世初期にはキュリロスと

(めとでぃおすによってきょうかいすらぶごわけがつくられた。)

メトディオスによって教会スラブ語訳が作られた。

(またちゅうせいせいきからまっきにかけて、ふらんすやどいつなどにしよーろっぱでは)

また中世盛期から末期にかけて、フランスやドイツなど西ヨーロッパでは

(きんだいごわけの「せいしょ」がつくられたが、これはきょうかいでこうにんされなかったこと、)

近代語訳の『聖書』が作られたが、これは教会で公認されなかったこと、

(ふくせいのむずかしさなどからあまりひろまらなかった。ちゅうせいまつきからきんせいしょきの)

複製の難しさなどからあまり広まらなかった。中世末期から近世初期の

(おもなほんやくしゃには、うぃくりふ、えらすむす、るたー、かるヴぁんなどが)

主な翻訳者には、ウィクリフ、エラスムス、ルター、カルヴァンなどが

(ある。そのあと、「せいしょ」のほんやくはおもにぷろてすたんとけんでさかんになり、)

ある。その後、『聖書』の翻訳は主にプロテスタント圏で盛んになり、

(そのひつようにあとおしされるように、ほんぶんひひょうのはってんにともなうこうていばんてきすとの)

その必要に後押しされるように、本文批評の発展に伴う校訂版テキストの

(せいびがすすんだ。きんだいにはいると、かとりっくでも「せいしょ」のどくしょが)

整備が進んだ。近代に入ると、カトリックでも『聖書』の読書が

(しょうれいされるようになったことにともない、かくこくごでほんやくがなされるように)

奨励されるようになったことに伴い、各国語で翻訳がなされるように

(なった。なお、「せいしょ」はせかいでもっともさまざまなげんごにほんやくされたしょもつ)

なった。なお、『聖書』は世界で最も様々な言語に翻訳された書物

(であり、「しんやくせいしょ」にかんしてはあいぬごやけせんごにもほんやくされている。)

であり、『新約聖書』に関してはアイヌ語やケセン語にも翻訳されている。

(なおゆだやじんは、ひきりすときょうてきな「せいしょ」ほんやくのひつようせいから、)

なおユダヤ人は、非キリスト教的な『聖書』翻訳の必要性から、

(じょうきとはけいとうをいにするどくじのほんやくされた「せいしょ」をもっている。)

上記とは系統を異にする独自の翻訳された『聖書』を持っている。

(れきし)

歴史

(ゆだやきょうにおけるせいしょ)

ユダヤ教における聖書

(ゆだやきょうにおけるせいしょとは、きげんまえ4せいきまでにかかれたへぶらいご)

ユダヤ教における聖書とは、紀元前4世紀までに書かれたヘブライ語

(およびあらむごのぶんしょぐん。ぜん24かんからなりたつ。きげんまえ4せいきごろには、)

およびアラム語の文書群。全24巻から成り立つ。 紀元前4世紀ごろには、

(このぶんしょぐんが、「せいしょ」つまりとういつされた1つのしょもつとしてにんしきされる)

この文書群が、「聖書」つまり統一された1つの書物として認識される

(ようになった。げんそんするさいこのしゃほんはきげんまえ1せいきごろかかれたと)

ようになった。現存する最古の写本は紀元前1世紀頃書かれたと

(されるしかいしゃほんにふくまれている。)

される死海写本に含まれている。

(はいいっしんきょうじだい)

拝一神教時代

(まえ11せいきこうはん、だびでおうはいすらえるおうこくをきずきとうちする。かなんへの)

前11世紀後半、ダビデ王はイスラエル王国を築き統治する。カナンへの

(ていちゃくによって、いでえじぷとをみちびいたやはうぇかみは、きゅうさいじんとしてすうはいされる。)

定着によって、出エジプトを導いたヤハウェ神は、救済神として崇拝される。

(まえ932ねん、そろもんおうのしご、ぶぞくかんのとうせいをうしなったとういついすらえるおうこく)

前932年、ソロモン王の死後、部族間の統制を失った統一イスラエル王国

(はきたおうこくとしてしられるいすらえるおうこくとみなみおうこくとして)

は北王国として知られるイスラエル王国と南王国として

(しられるゆだおうこくにぶんれつした。)

知られるユダ王国に分裂した。

(まえ10せいき、やはうぇのこしょうをもちいるぶんしょについては、)

前10世紀、ヤハウェの呼称を用いる文書については、

(ふるいものではまえ10せいきにせいりつしたとかんがえられている。)

古いものでは前10世紀に成立したと考えられている。

(ゆいいつしんきょうじだい)

唯一神教時代

(まえ722ねん、きたおうくにがほろぼされる。きたおうこくのめつぼうというげんじつから、)

前722年、北王国が滅ぼされる。北王国の滅亡という現実から、

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