旧約聖書5

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(きたおうこくのめつぼうというげんじつから、みなみおうこくにてかみのぎやつみのがいねんがうまれ、)

北王国の滅亡という現実から、南王国にて神の義や罪の概念が生まれ、

(ゆだやきょうがゆいいつしんきょうにかわっていったとされる。)

ユダヤ教が唯一神教に変わっていったとされる。

(まえ6せいきぜんはん、みなみおうこくがばびろにあによってほろぼされる。かみのゆいいつせいが)

前6世紀前半、南王国がバビロニアによって滅ぼされる。神の唯一性が

(ぜったいてきになったのは、まえ6せいきのばびろにあほしゅうぜんごからとされる。)

絶対的になったのは、前6世紀のバビロニア捕囚前後からとされる。

(まえ586ねん、ばびろにあていこくは、ゆだやみんぞくのほとんどをほしゅうとし、)

前586年、バビロニア帝国は、ユダヤ民族のほとんどを捕囚とし、

(ばびろにあににゅうしょくさせた。ほしゅうじだいにおいてしんでんはそんざいして)

バビロニアに入植させた。 捕囚時代において神殿は存在して

(いなかったが、やはうぇすうはいはつづけられていた。)

いなかったが、ヤハウェ崇拝は続けられていた。

(まえ539ねん、あけめねすあさぺるしあは、ばびろんにむけつにゅうじょうし、)

前539年、アケメネス朝ペルシアは、バビロンに無血入城し、

(しはいもとにおいた。)

支配下に置いた。

(まえ538ねん、おおくのゆだやじんがぱれすちなにもどる。)

前538年、多くのユダヤ人がパレスチナに戻る。

(せいしょせいりつのかいし)

聖書成立の開始

(「そうせいき#へぶらいごせいしょにおけるそうせいきのせいりつ・へんしゅうについて」もさんしょう)

「創世記#ヘブライ語聖書における創世記の成立・編集について」も参照

(まえ6せいきこうはん~まえ4せいきこうはん、ぺるしゃじだいにおいてだいにしんでんのけんせつと)

前6世紀後半~前4世紀後半、ペルシャ時代において第二神殿の建設と

(せいしょせいりつのかいしがなされる。このじきにもーせごしょのりっぽうのぶぶんが)

聖書成立の開始が為される。この時期にモーセ五書の律法の部分が

(せいりつし、せいしょがかみのことばとしてのつよいけんいをもつにいたったとされる。)

成立し、聖書が神の言葉としての強い権威を持つに至ったとされる。

(また、このじだいにりっぽうがさくせいされたりゆうとしては、ぺるしゃとうきょくの)

また、この時代に律法が作成された理由としては、ペルシャ当局の

(とうちせいさくにより、ゆだやみんぞくがしたがうべきおきてをぶんしょとしてていしゅつしなければ)

統治政策により、ユダヤ民族が従うべき掟を文書として提出しなければ

(ならないというめいれいがくだされたことがあげられるとされる。)

ならないという命令が下されたことがあげられるとされる。

(これによって、こうしきにていしゅつされたりっぽうはもはやへんこうできないという)

これによって、公式に提出された律法はもはや変更できないという

(じょうきょうとなり、せいじてきなけんいもくわわって、もーせあつむしょがかみのことばとしての)

状況となり、政治的な権威も加わって、モーセ五書が神の言葉としての

など

(ぜったいてきけんいをもつにいたったとされる。)

絶対的権威を持つに至ったとされる。

(きげんまえ458ねん、えずらはぺるしあおうのきょかをえてばびろんからえるされむに)

紀元前458年、エズラはペルシア王の許可を得てバビロンからエルサレムに

(おもむいた(「えずらき」7:1、7:6、7:8、7:11-13。))

赴いた(「エズラ記」7:1、7:6、7:8、7:11-13。)

(えずらは、ゆだやじんしゃかいのしゅうきょうとほうのおきてをとうごうした。)

エズラは、ユダヤ人社会の宗教と法の掟を統合した。

(えずらがさくせいしたぜったいにかえられないかみのことばとしてのりっぽうは、)

エズラが作成した絶対に変えられない神の言葉としての律法は、

(おきてしゅうやりっぽうしゅうとしてではなく、ものがたりとしてかかれた。そのため、)

掟集や律法集としてではなく、物語として書かれた。そのため、

(でんせつをおおくふくんだものがたりや、ふたつのものがたりをならべてへんしゅうしたものがたりまで、)

伝説を多く含んだ物語や、二つの物語を並べて編集した物語まで、

(かみのことばとしてのぜったいてきけんいのもとにうけとめられるようになった。)

神の言葉としての絶対的権威のもとに受け止められるようになった。

(ゆだやせんそういご)

ユダヤ戦争以後

(1せいきこうはんまでのゆだやきょうは、さどかいは、ふぁりさいは、)

1世紀後半までのユダヤ教は、サドカイ派、ファリサイ派、

(えっせねはなどにわかれていた。)

エッセネ派などに分かれていた。

(70ねん、ゆだやせんそうにやぶれ、えるされむしんでんがはかいされた。)

70年、ユダヤ戦争に敗れ、エルサレム神殿が破壊された。

(このあとゆだやきょうはりっぽうしゅぎにいちげんかしてしまい、えっせねはのように)

このあとユダヤ教は律法主義に一元化してしまい、エッセネ派のように

(かみとのちょくせつてきなかんけいのじつげんをもとめるしゅうははしょうめつしてしまった。)

神との直接的な関係の実現を求める宗派は消滅してしまった。

(えっせねはがしょうめつしたことで、たなははぜったいてきけんいをもつかみのことば)

エッセネ派が消滅したことで、タナハは絶対的権威を持つ神の言葉

(としてせいりつした。そのあと2000ねんちかく、せいしょはかみのことばとかんがえる)

として成立した。その後2000年近く、聖書は神の言葉と考える

(りっぽうしゅぎがつづいている。)

律法主義が続いている。

(1せいきのこうはん、ふくいんしょがつくられたとうじ、せいれいはよのおわりにかみから)

1世紀の後半、福音書が作られた当時、聖霊は世の終わりに神から

(あたえられるとしんじられていたすくいのれいとされている。)

与えられると信じられていた救いの霊とされている。

(せいれいげんしょうとふかいかかわりのあるいえすはうんどうのしどうしゃたちは、)

聖霊現象と深いかかわりのあるイエス派運動の指導者たちは、

(「せいれい」にみたされているとし、しどうしゃたちはかみとちょくせつてきにつながって)

「聖霊」に満たされているとし、指導者たちは神と直接的に繋がって

(いることをしんじゃにといていた。)

いることを信者に説いていた。

(2せいきのしょき、きゅうやくせいしょがつくられる。せいれいげんしょうによってかみのことばと)

2世紀の初期、旧約聖書が作られる。聖霊現象によって神の言葉と

(されたふくいんしょなどとあわせて、きゅうやくせいしょもぜったいてきけんいをもつかみの)

された福音書等と合わせて、旧約聖書も絶対的権威を持つ神の

(ことばとしてしんこうされるようになった。)

言葉として信仰されるようになった。

(ゆだやきょうのせいてんときゅうやくせいしょのないようのちがい)

ユダヤ教の聖典と旧約聖書の内容の違い

(ゆだやきょうのせいてんをきりすときょうは、めいしょうをきゅう(ふるい)やくそくのいみに)

ユダヤ教の聖典をキリスト教は、名称を旧(ふるい)約束の意味に

(かえてもちいている。しかし、へぶらいせいしょでは、まえじゅうせいきころの)

変えて用いている。しかし、ヘブライ聖書では、前十世紀ころの

(やはうぇしんこうがはいいっしんきょうであったのにたいして、きりすときょうがげんざいもちいて)

ヤハウェ信仰が拝一神教であったのに対して、キリスト教が現在用いて

(いるきゅうやくせいしょでは、まえじゅうせいきころのやはうぇしんこうがゆいいつしんきょうと)

いる旧約聖書では、前十世紀ころのヤハウェ信仰が唯一神教と

(なっているほんやくのちがいがある。まえじゅうせいきころのやはうぇとのけいやくを)

なっている翻訳の違いがある。前十世紀ころのヤハウェとの契約を

(いみするきゅうやくとは、もーせのじっかいをちゅうしんとしたりっぽうであるとみたばあい、)

意味する旧約とは、モーセの十戒を中心とした律法であると見た場合、

(ちがったかぜにやくされたかみのことばをきりすとしゃじしんのつごうにあわせてふるい)

違った風に訳された神の言葉をキリスト者自身の都合に合わせて旧い

(やくそくであるとしているとみることもできる。)

約束であるとしていると見ることも出来る。

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