第二次世界大戦48

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(そして、1がつ31にちにしょーとらんどはくちからにほんかいぐんの20せきのくちくかんが) そして、1月31日にショートランド泊地から日本海軍の20隻の駆逐艦が (がだるかなるとうにむけてしゅっぱつ、ごえいのぜろしきかんじょうせんとうき30きのかつやくと、) ガダルカナル島に向けて出発、護衛の零式艦上戦闘機30機の活躍と、 (きちこうくうたいのかんじょうばくげききが、あめりかぐんくちくかんど・へいぶんをげきちんする) 基地航空隊の艦上爆撃機が、アメリカ軍駆逐艦ド・ヘイブンを撃沈する (などのつゆはらいをおこない、くちくかんたいはたしょうのそんしょうかんをだしただけで) などの露払いを行い、駆逐艦隊は多少の損傷艦を出しただけで (がだるかなるとうにたどりつき、きがとえきびょうにくるしむにほんぐんしょうへいをしゅうよう) ガダルカナル島にたどりつき、飢餓と疫病に苦しむ日本軍将兵を収容 (した。そのごも2がつ4かと7かにもおなじようににほんかいぐんのくちくかんたいが、) した。その後も2月4日と7日にも同じように日本海軍の駆逐艦隊が、 (あめりかかいぐんのげんじゅうなけいかいもうをとっぱしてがだるかなるとうからにほんぐんしょうへいを) アメリカ海軍の厳重な警戒網を突破してガダルカナル島から日本軍将兵を (きゅうしゅつ、3かいにおよんだがだるかなるとうへのとつにゅうで、じつに13,000にんものにほんぐん) 救出、3回に及んだガダルカナル島への突入で、実に13,000人もの日本軍 (しょうへいをきゅうしゅつし、そのあざやかなてったいは、あめりかぐんのせんしかのおおや) 将兵を救出し、その鮮やかな撤退は、アメリカ軍の戦史家の大家 (さみゅえる・もりそんから「せかいかいせんのれきしにおいて、これほどみごとな) サミュエル・モリソンから「世界海戦の歴史において、これほど見事な (てったいさくせんはなかった」としょうさんされたが、しょせんはまけてたいきゃくしたいがいの) 撤退作戦はなかった」と称賛されたが、所詮は負けて退却した以外の (なにものでもなかった。にほんぐんはみっどうえーかいせんにつづくていたいはいせんと) 何ものでもなかった。日本軍はミッドウエー海戦に続く手痛い敗戦と (なったが、ぼうだいなじんいんにくわえて、へいきやぶっしをうしなっており、そのいたでは) なったが、膨大な人員に加えて、兵器や物資を失っており、その痛手は (はるかにおおきいものとなった。しかし、だいほんえいはこのてったいを「てんしん」と) 遥かに大きいものとなった。しかし、大本営はこの撤退を「転進」と (はっぴょうし、はいぼくをこくみんにひたかくしにした。) 発表し、敗北を国民にひた隠しにした。 (がだるかなるとうをうしない、にゅーぎにあとうでもれんごうぐんのこうせいがつよまって) ガダルカナル島を失い、ニューギニア島でも連合軍の攻勢が強まって (いるせんきょうをきぐしたれんごうかんたいしれいちょうかんやまもといそろくたいしょうは、きちこうくうたいに) いる戦況を危惧した連合艦隊司令長官山本五十六大将は、基地航空隊に (くわえて、くうぼのこうくうたいもりくじょうにあげて、にほんかいぐんのこうくうせんりょくをけっしゅうし、) 加えて、空母の航空隊も陸上にあげて、日本海軍の航空戦力を結集し、 (ぽーともれすびー、おろわん、みるんわんにたいしてくうしゅうをおこなう「いごうさくせん」) ポートモレスビー、オロ湾、ミルン湾に対して空襲を行う「い号作戦」 (をけいかく、みずからさいぜんせんにのりこんでちょくせつしきすることとした。しかし、) を計画、自ら最前線に乗り込んで直接指揮することとした。しかし、
など
(やまもとがあつめたこうくうせんりょくは、きちこうくうたい190きと) 山本が集めた航空戦力は、基地航空隊190機と (くうぼこうくうたい160きの350きにすぎず、れんごうぐんのこうくうせんりょくはおろか、) 空母航空隊160機の350機に過ぎず、連合軍の航空戦力はおろか、 (にほんかいぐんのかいせんじのこうくうせんりょくにもみおとりするものであり、せんとうかいしまえから) 日本海軍の開戦時の航空戦力にも見劣りするものであり、戦闘開始前から (にほんかいぐんないにちんつうなくうきがただよっていたという。) 日本海軍内に沈痛な空気が漂っていたという。 (さくせんは4がつ6かにかいし、れんじつにほんかいぐんこうくうたいのだいへんたいがれんごうぐんきちをこうげき) 作戦は4月6日に開始、連日日本海軍航空隊の大編隊が連合軍基地を攻撃 (しただいなせんかをほうこくしてきたが、そんがいもけっしてすくなくはなかった。) し多大な戦果を報告してきたが、損害も決して少なくはなかった。 (さいごのしゅつげきとなった4がつ14かには、やまもとみずかららばうるからしゅつげきするゆうぐんき) 最後の出撃となった4月14日には、山本自らラバウルから出撃する友軍機 (のしゅつげきをみおくった。120きものこうくうきがしゅつげきするあいだ、やまもとはたったまま) の出撃を見送った。120機もの航空機が出撃する間、山本は立ったまま (のしせいをくずすことなく、ひたすらにぐんぼうをふりつづけた。いごうさくせんで) の姿勢を崩すことなく、ひたすらに軍帽を振り続けた。い号作戦で (にほんかいぐんは50~60きのこうくうきをうしないながら、あめりかかいぐんのくちくかん) 日本海軍は50~60機の航空機を失いながら、アメリカ海軍の駆逐艦 (あーろん・わーどやおーすとらりあかいぐんのこるべっとかん、ゆそうせんや) アーロン・ワードやオーストラリア海軍のコルベット艦、油槽船や (おらんだしょうせんヴぁん・へーむすけるくなど4せきをしずめるなどのせんかに) オランダ商船ヴァン・ヘームスケルクなど4隻を沈めるなどの戦果に (とどまり、せんきょくをばんかいするまでにはいたらなかった。) 留まり、戦局を挽回するまでには至らなかった。 (いごうさくせんしゅうりょうごの4がつ18にち、やまもとはせんいこうようのためにさいぜんせんをしさつする) い号作戦終了後の4月18日、山本は戦意高揚のために最前線を視察する (こととしたが、このじょうほうをあめりかかいぐんじょうほうきょくがぱーぷるあんごうをあんごうかいどく) こととしたが、この情報をアメリカ海軍情報局がパープル暗号を暗号解読 (してじぜんにつかんでいた。あめりかぐんはやまもとのあんさつをけいかくし、やまもとをさつがいご) して事前に掴んでいた。アメリカ軍は山本の暗殺を計画し、山本を殺害後 (のせんきょくにたいするえいきょうなどもけんとうしたが、にほんぐんのしきていかとしんじゅわんのふくしゅうを) の戦局に対する影響等も検討したが、日本軍の士気低下と真珠湾の復讐を (もくてきとする「ヴぇんじぇんす(vengeance)」としょうした) 目的とする「ヴェンジェンス(vengeance)」と称した (やまもとあんさつさくせんがじっしされた。さくせんをきめたのはあめりかかいぐんであったが、) 山本暗殺作戦が実施された。作戦を決めたのはアメリカ海軍であったが、 (こうぞくきょりがながいりくぐんのろっきーどp-38せんとうき18きが、やまもとらののるいしき) 航続距離が長い陸軍のロッキード P-38戦闘機18機が、山本らの乗る一式 (りくじょうこうげききをぶーげんびるじまじょうくうでまちぶせし、ごえいのぜろしきかんじょうせんとうきを) 陸上攻撃機をブーゲンビル島上空で待ち伏せし、護衛の零式艦上戦闘機を (せいして、やまもとのじょうきをげきついし、やまもとはせんしした。) 制して、山本の乗機を撃墜し、山本は戦死した。しかし大本営は、作戦指導上の (きみつほじやれんごうこくによるせんでんりようのぼうしなどをこうりょして、やまもとちょうかんのしのじじつを) 機密保持や連合国による宣伝利用の防止などを考慮して、山本長官の死の事実を (5がつ21にちまでふせていたが、やまもとのしをせんいこうようとあめりかにたいしててきがいしんを) 5月21日まで伏せていたが、山本の死を戦意高揚とアメリカに対して敵愾心を (あおるためにりようすることとし、げんすいをぼつごおいたまものすると、こくそうをじっし、ますこみほうどうも) 煽るためにすることとし、元帥を没後追賜すると、国葬を実施、マスコミ報道も (やまもとせんしいっしょくとなり、「げんすいしすともやまもとたましいはしせず、げんすいにつづけ」) 山本戦死一色となり、「元帥死すとも山本魂は死せず、元帥に続け」 (「げんすいのあだはぞうさんで(うて)」などのひょうごをもとに、こくぼうけんきんやへいきけんのう) 「元帥の仇は増産で(討て)」などの標語をもとに、国防献金や兵器献納 (などのうごきがくにをあげておこなわれた。) などの動きが国を挙げて行われた。 (がだるかなるとうでにほんぐんをうちやぶり、せんきょうによゆうがしょうじたあめりかぐんは) ガダルカナル島で日本軍を打ち破り、戦況に余裕が生じたアメリカ軍は (ほんかくてきなはんこうのじゅんびをかいしした。そのもくひょうとなったのが、こんじたいせんで) 本格的な反攻の準備を開始した。その目標となったのが、今次大戦で (ゆいいつあめりかがてきぐんにうばわれていたりょうつちとなるきたたいへいようありゅーしゃん) 唯一アメリカが敵軍に奪われていた領土となる北太平洋アリューシャン (れっとうであり、るーずべるともこくみんせろんからだっかんにいよくをみせていた。) 列島であり、ルーズベルトも国民世論から奪還に意欲を見せていた。 (じゅんびは1942ねんからすすめられていたが、がだるかなるとうのげきせんにより、) 準備は1942年から進められていたが、ガダルカナル島の激戦により、 (きたたいへいようからせんりょくがみなみたいへいようにてんようされると、いったんはたなあげとなったが、) 北太平洋から戦力が南太平洋に転用されると、一旦は棚上げとなったが、 (がだるかなるとうのたたかいのしょうはいがけっすると、きたたいへいようでだいきぼなぐんじさくせんが) ガダルカナル島の戦いの勝敗が決すると、北太平洋で大規模な軍事作戦が (かのうとなり、1943ねんはるにはありゅーしゃんれっとうだっかんにむけてじゅんびが) 可能となり、1943年春にはアリューシャン列島奪還に向けて準備が (かそくした。あめりかぐんのとうしょのこうりゃくもくひょうは、にほんぐんさいだいのきょてんきすかじまであり、) 加速した。アメリカ軍の当初の攻略目標は、日本軍最大の拠点キスカ島であり、 (あめりかぐんはありゅーしゃんれっとうのあだっくじまやあむちとかじまのしんしゅつし、) アメリカ軍はアリューシャン列島のアダック島やアムチトカ島の進出し、 (ひこうじょうをけんちくするなどちゃくじつにじゅんびをすすめていたが、あめりかかいぐんから) 飛行場を建築するなど着実に準備を進めていたが、アメリカ海軍から (きすかじまはにほんぐんのぼうびがかたく、こうりゃくはこんなんであるため、きすかじまと) キスカ島は日本軍の防備が固く、攻略は困難であるため、キスカ島と (ひかくすればはいちされているせんりょくもすくないあっつとうにこうりゃくもくひょうをへんこうする) 比較すれば配置されている戦力も少ないアッツ島に攻略目標を変更する (ようにしんげんがあって、あめりかりくぐんもりょうしょうした。そしてありゅーしゃん) ように進言があって、アメリカ陸軍も了承した。そしてアリューシャン (れっとうのきびしいふゆがあけた1943ねん5がつ12にち、しんじゅわんこうげきでのそんしょうからせんせん) 列島の厳しい冬が明けた1943年5月12日、真珠湾攻撃での損傷から戦線 (ふっきしたせんかんをふくむあめりかかいぐんにしえんをうけた、あめりかりくぐんだい7ほへい) 復帰した戦艦を含むアメリカ海軍に支援を受けた、アメリカ陸軍第7歩兵 (しだん12,500にんがあっつとうにじょうりくしてきた。むかえうつにほんぐんしゅびたいは) 師団12,500人がアッツ島に上陸してきた。迎え撃つ日本軍守備隊は (やまさきやすよたいさひきいる2,650にんであったが、そのなかにはひこうじょうせつえいさぎょうに) 山崎保代大佐率いる2,650人であったが、その中には飛行場設営作業に (じゅうじしていたぐんぞくや、ていしんしょうしょぞくのゆうびんきょくいんもふくまれており、ちじょうへいりょく) 従事していた軍属や、逓信省所属の郵便局員も含まれており、地上兵力 (だけでも6ばいいじょう、あめりかぐんのこうほうしえんぶたいをふくめた) だけでも6倍以上、アメリカ軍の後方支援部隊を含めた (30,000にんのへいりょくとひかくすると10すうばいのせんりょくさがあった。) 30,000人の兵力と比較すると10数倍の戦力差があった。 (あっとうてきなせんりょくさでもやまざきのしきのもとににほんぐんしゅびたいはかんとうし、じょうりくして) 圧倒的な戦力差でも山崎の指揮の元に日本軍守備隊は敢闘し、上陸して (きたあめりかぐんにだいそんがいをあたえたが、だいほんえいはみなみたいへいようのせんきょくがきびしいなか) きたアメリカ軍に大損害を与えたが、大本営は南太平洋の戦局が厳しい中 (で、きたたいへいようにぞうえんをおくるよゆうはなくそうそうにあっつとうほうきをけっていした。) で、北太平洋に増援を送る余裕はなく早々にアッツ島放棄を決定した。 (にほんぐんしゅびたいはこりつむえんのなか、えんぐんをきたいしながらたたかいつづけたものの、) 日本軍守備隊は孤立無援のなか、援軍を期待しながら戦い続けたものの、 (あっとうてきなせんりょくさでしんげきしてくるあめりかぐんにおいつめられ、やまざきはせんとうが) 圧倒的な戦力差で進撃してくるアメリカ軍に追い詰められ、山崎は戦闘が (かいしされてから2しゅうかんいじょうがけいかした5がつ29にちに、せいぞんしゃにさいごのとつげきを) 開始されてから2週間以上が経過した5月29日に、生存者に最後の突撃を (めいじた。こうして5がつ30にちみめいにかいせんいらいはじめてとなる、そしきてきな) 命じた。こうして5月30日未明に開戦以来初めてとなる、組織的な (ばんざいとつげきがかんこうされ、にほんぐんしゅびたいは29にんのほりょをのぞいてぜんめつした。) バンザイ突撃が敢行され、日本軍守備隊は29人の捕虜を除いて全滅した。 (けっかてきに、あっつとうのにほんぐんしゅびたいは2かいのしょうきぼなこうくうしえんいがいは、) 結果的に、アッツ島の日本軍守備隊は2回の小規模な航空支援以外は、 (ぞうえんもぶっしほきゅうもなく、みすてられるようなかたちでぜんめつしたが、だいほんえいは) 増援も物資補給もなく、見捨てられるような形で全滅したが、大本営は (このはいせんをしゅびたいの「ぎょくさい」とびだんかしてだいだいてきにこくみんにほうじ、せんいこうよう) この敗戦を守備隊の「玉砕」と美談化して大々的に国民に報じ、戦意高揚 (にりようし、さっか、かじん、しじんらぶんかじんもそのこくさくにりようされた。このあと) に利用し、作家、歌人、詩人ら文化人もその国策に利用された。この後 (も、たいへいようじょうでにほんぐんしゅびたいの「ぎょくさい」がつづくこととなるが、げんじつを) も、太平洋上で日本軍守備隊の「玉砕」が続くこととなるが、現実を (ちょくししないせんいこうようもくてきのだいほんえいはっぴょうとほうどうがつづいていくこととなる。) 直視しない戦意高揚目的の大本営発表と報道が続いていくこととなる。 (たんきかんのうちにおこなわれたあっつとうぎょくさいとさきのやまもとのせんしのだいほんえいはっぴょうは、) 短期間のうちに行われたアッツ島玉砕と先の山本の戦死の大本営発表は、 (「やまもとげんすいにつづけ、あっつのあだだ」などとますこみにけんでんされるなど、) 「山本元帥に続け、アッツの仇だ」などとマスコミに喧伝されるなど、 (こんじたいせんにおけるぐんによるじょうほうとうせいとそのりようのてんけいてきなじつれいと) 今次大戦における軍による情報統制とその利用の典型的な実例と (なったが、こくみんはてきがいしんにあおられてそのことにきがつかず、どうようなぐんに) なったが、国民は敵愾心に煽られてそのことに気が付かず、同様な軍に (よるじょうほうとうせいとりようがしゅうせんまでつづいていくこととなった。いっぽうであめりか) よる情報統制と利用が終戦まで続いていくこととなった。一方でアメリカ (ぐんもあっつとうで、ししょうしゃ1,800にん、せんしょうしゃ2,132にん) 軍もアッツ島で、死傷者1,800人、戦傷者2,132人 (というじんだいなそんがいをこうむったが、このそんがいは、とうしょじょうりくさくせんにおいてあとの) という甚大な損害を被ったが、この損害は、島嶼上陸作戦において後の (いおうじまのたたかいにひってきするそんがいりつとなり、このあとのすいりくりょうようさくせんの) 硫黄島の戦いに匹敵する損害率となり、この後の水陸両用作戦の (きょうくんとなった。) 教訓となった。
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