第二次世界大戦46
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問題文
(けんどくせんすいかんさくせんの1かいめとして、にほんかいぐんのいごうだいさんじゅうせんすいかんが)
遣独潜水艦作戦の1回目として、日本海軍の伊号第三十潜水艦が
(8がつ6かにせんりょうかふらんすのろりあんににゅうこうした。2かいめはちゅうどくたいしかんつき)
8月6日に占領下フランスのロリアンに入港した。2回目は駐独大使館付
(かいぐんぶかんよこいただおかいぐんしょうしょうがびんじょうきこくするほか、かえりみちにひとらーから)
海軍武官横井忠雄海軍少将が便乗帰国するほか、帰り道にヒトラーから
(きそうされたuぼーとをかいこうするなど、そのご1944ねんまで)
寄贈されたUボートを回航するなど、その後1944年まで
(5かいにわたりおこなわれた。)
5回にわたり行われた。
(さいしょのれんごうこくぐんによるはんこう)
最初の連合国軍による反攻
(8がつ7か、あめりかかいぐんおよびおーすとらりあかいぐんはさいしょのれんごうこくぐんによる)
8月7日、アメリカ海軍及びオーストラリア海軍は最初の連合国軍による
(はんこうとして、そろもんしょとうのつらぎじまおよびがだるかなるとうにじょうりく、)
反攻として、ソロモン諸島のツラギ島およびガダルカナル島に上陸、
(かんせいまぢかでぼうえいがてうすであったにほんぐんのひこうじょうをせんりょうした。これいらい、)
完成間近で防衛が手薄であった日本軍の飛行場を占領した。これ以来、
(がだるかなるとうのだっかいをめざすにほんぐんとあめりかぐん、おーすとらりあぐん)
ガダルカナル島の奪回を目指す日本軍とアメリカ軍、オーストラリア軍
(とのあいだで、りく・かい・くうのすべてにおいていちだいしょうもうせんをくりひろげることと)
との間で、陸・海・空の全てにおいて一大消耗戦を繰り広げることと
(なった(がだるかなるとうのたたかい)。にほんかいぐんはじょうりくしてきた)
なった(ガダルカナル島の戦い)。日本海軍は上陸してきた
(あめりかぐんのゆそうかんたいをげきめつするため、じゅんようかんたいをしゅつげきさせたが、)
アメリカ軍の輸送艦隊を撃滅するため、巡洋艦隊を出撃させたが、
(あめりかかいぐんとおーすとらりあかいぐんのれんごうぐんかんたいとのあいだでやかんせんとうと)
アメリカ海軍とオーストラリア海軍の連合軍艦隊との間で夜間戦闘と
(なり(だいいちじそろもんかいせん)、じゅうよう4せきをげきちんしてしょうりする。しかし、)
なり(第一次ソロモン海戦)、重巡4隻を撃沈して勝利する。しかし、
(にほんかいぐんはゆそうかんのこうげきにしっぱいし、がだるかなるにじょうりくしたあめりか)
日本海軍は輸送艦の攻撃に失敗し、ガダルカナルに上陸したアメリカ
(だい1かいへいしだんは、せんきょしたひこうじょうをせいびしてへんだーそんひこうじょうとし、)
第1海兵師団は、占拠した飛行場を整備してヘンダーソン飛行場とし、
(そのしゅういにけんじんをもうけてしまった。だっかんをあせるにほんぐんはせんりょくのちくじとうにゅう)
その周囲に堅陣を設けてしまった。奪還を焦る日本軍は戦力の逐次投入
(というしっぱいをおかすことになる。8がつ21にちにはいちきしたいのわずか900にんが)
という失敗を犯すことになる。8月21日には一木支隊のわずか900人が
(16,000にんのだい1かいへいしだんをこうげきしてぜんめつ、9がつ13にちにも6,000にんで)
16,000人の第1海兵師団を攻撃して全滅、9月13日にも6,000人で
(そうこうげきしたが、じゅうほうをはこびこめなかったにほんぐんはいっぽうてきにかいへいたいからほうげきを)
総攻撃したが、重砲を運び込めなかった日本軍は一方的に海兵隊から砲撃を
(あびせられてだいそんがいをこうむってげきたいされた。)
浴びせられて大損害を被って撃退された。
(にほんぐんはがだるかなるとうにへいりょくをぞうきょうするため、にほんかいぐんのかんせんとこうくうき)
日本軍はガダルカナル島に兵力を増強するため、日本海軍の艦船と航空機
(をたすうとうにゅう、いっぽうであめりかぐんをしゅりょくとするれんごうぐんもそれをむかえうち、)
を多数投入、一方でアメリカ軍を主力とする連合軍もそれを迎え撃ち、
(せいくうけんとせいかいけんをめぐってげきせんがくりひろげられていた。へんだーそんひこうじょう)
制空権と制海権を巡って激戦が繰り広げられていた。ヘンダーソン飛行場
(のこうげきとあめりかぐんきどうぶたいげきめつをさくし、8がつ23にちからはじまった)
の攻撃とアメリカ軍機動部隊撃滅を策し、8月23日から始まった
(だいにじそろもんかいせんでにほんかいぐんはくうぼりゅうあがをうしなってはいぼく、へんだーそん)
第二次ソロモン海戦で日本海軍は空母龍驤を失って敗北、ヘンダーソン
(ひこうじょうとあめりかかいぐんきどうぶたいはけんざいで、にほんぐんのぞうきょうはなかなか)
飛行場とアメリカ海軍機動部隊は健在で、日本軍の増強はなかなか
(すすまなかった。しかしそのじょうきょうをくつがえしたのが、にほんかいぐんのせんすいかんであり、)
進まなかった。しかしその状況を覆したのが、日本海軍の潜水艦であり、
(8がつにくうぼさらとがをたいはさせてせんせんりだつさせ、9がつにはいごうだいじゅうきゅうせんすいかん)
8月に空母サラトガを大破させて戦線離脱させ、9月には伊号第十九潜水艦
(がくうぼわすぷとくちくかんおぶらいえんをげきちん、せんかんのーす・かろらいなも)
が空母ワスプと駆逐艦オブライエンを撃沈、戦艦ノース・カロライナも
(たいはさせて、あめりかかいぐんのせんりょくをおおきくさくげんすることにせいこうした。)
大破させて、アメリカ海軍の戦力を大きく削減することに成功した。
(あめりかほんどくうしゅう)
アメリカ本土空襲
(かくちでのたたかいがつづく9がつ9かと29にちには、にほんかいぐんのいじゅうごがたせんすいかん)
各地での戦いが続く9月9日と29日には、日本海軍の伊十五型潜水艦
(「いにじゅうご」のせんすいかんとうさいていさつきぜろしきこがたすいじょうていさつきがあめりかにしかいがん)
「伊二十五」の潜水艦搭載偵察機零式小型水上偵察機がアメリカ西海岸
(のおれごんしゅうを2どにわたりくうしゅう、かさいをはっせいさせるなどのひがいを)
のオレゴン州を2度にわたり空襲、火災を発生させるなどの被害を
(あたえた(あめりかほんどくうしゅう)。ししょうしゃこそなかったものの、この2どの)
与えた(アメリカ本土空襲)。死傷者こそなかったものの、この2度の
(くうしゅうは、げんざいにいたるまでがいこくぐんきによるあめりかがっしゅうこくほんど)
空襲は、現在に至るまで外国軍機によるアメリカ合衆国本土
(へのゆいいつのくうしゅうとなっている。)
への唯一の空襲となっている。
(にほんぐんによりあめりかりょうどのあっつとうのじょうりくにつづく、あいつぐはいぼくに)
日本軍によりアメリカ領土のアッツ島の上陸に続く、相次ぐ敗北に
(いきしょうちんするこくみんにせいしんてきだめーじをあたえないためにあめりかせいふは、)
意気消沈する国民に精神的ダメージを与えないためにアメリカ政府は、
(らじおやしんぶんなどのますこみにてっていてきなかんこうれい(じょうほうそうさ)をしき、)
ラジオや新聞などのマスコミに徹底的な緘口令(情報操作)を敷き、
(にほんぐんのほんどばくげきがあったじじつをこくみんにたいしひたかくしにする。じっさい)
日本軍の本土爆撃があった事実を国民に対しひた隠しにする。実際
(あめりかせいふは、このことをれんごうぐんのこうせいがつよくなる1944ねんごろ)
アメリカ政府は、このことを連合軍の攻勢が強くなる1944年頃
(までかくしとおした。「いにじゅうご」はさらにきろではつうしょうはかいせんをおこない、)
まで隠し通した。「伊二十五」はさらに帰路では通商破壊戦を行い、
(れんごうぐんのせんすいかんやしょうせんを3せきげきちんしている。)
連合軍の潜水艦や商船を3隻撃沈している。
(がだるかなるとうのたたかい)
ガダルカナル島の戦い
(にほんぐんは10がつをきしてさいどのそうこうげきをおこなってがだるかなるとうをだっかんを)
日本軍は10月を期して再度の総攻撃を行ってガダルカナル島を奪還を
(さくし、だい2しだん(しだんちょう・まるやままさおちゅうじょう)をがだるかなるとうにはけんする)
策し、第2師団(師団長・丸山政男中将)をガダルカナル島に派遣する
(こととした。にほんかいぐんはあらゆるかんせんをかきあつめて、がだるかなるとうに)
こととした。日本海軍はあらゆる艦船をかき集めて、ガダルカナル島に
(ぶっしのゆそうをこころみ、それをあめりかかいぐんがむかえうった。10がつ11にちには)
物資の輸送を試み、それをアメリカ海軍が迎え撃った。10月11日には
(さぼじまおきかいせんで、にほんかいぐんはじゅうじゅんようかんふるたかをげきちんされるなどのはいぼくを)
サボ島沖海戦で、日本海軍は重巡洋艦古鷹を撃沈されるなどの敗北を
(きっしながらも、せんかんこんごう、はるなをしゅりょくとしただいにじていしんこうげきたいが)
喫しながらも、戦艦金剛、榛名を主力とした第二次挺身攻撃隊が
(へんだーそんきちかんぽうしゃげきをせいこうさせて、へんだーそんひこうじょうのかどうきを)
ヘンダーソン基地艦砲射撃を成功させて、ヘンダーソン飛行場の稼働機を
(わずか2~3きとするおおぞんがいをあたえるなどのせんかもあって、にほんぐんは10がつ)
わずか2~3機とする大損害を与えるなどの戦果もあって、日本軍は10月
(15にちまでにだい2しだん22,000にんをがだるかなるとうにじょうりくさせていた。)
15日までに第2師団22,000人をガダルカナル島に上陸させていた。
(だい2しだんによるそうこうげきは10がつ20かときまり、にほんかいぐんもそのしえんのため)
第2師団による総攻撃は10月20日と決まり、日本海軍もその支援のため
(みっどうえーかいせんいらいのせんりょくとなるくうぼ4せきをはけんした。いっぽうであめりか)
ミッドウエー海戦以来の戦力となる空母4隻を派遣した。一方でアメリカ
(かいぐんもたいへいようじょうでざんそんしていたほーねっととえんたーぷらいずで)
海軍も太平洋上で残存していたホーネットとエンタープライズで
(にほんかいぐんきどうぶたいをむかえうった。10がつ24にちにだい2しだんはそうこうげきを)
日本海軍機動部隊を迎え撃った。10月24日に第2師団は総攻撃を
(かいししたが、あめりかぐんのまもりはかたく、へんだーそんひこうじょうまでの)
開始したが、アメリカ軍の守りは堅く、ヘンダーソン飛行場までの
(しんげきはよういではないことをおもいしらされた。26にちにはあめりかかいぐんの)
進撃は容易ではないことを思い知らされた。26日にはアメリカ海軍の
(pbyひこうていがさきににほんかいぐんきどうぶたいをはっけん、けいくうぼずいほうが)
PBY飛行艇が先に日本海軍機動部隊を発見、軽空母瑞鳳が
(えんたーぷらいずかんさいきのこうげきでひだんしたが、そのあとはせんりょくにまさる)
エンタープライズ艦載機の攻撃で被弾したが、その後は戦力に勝る
(にほんかいぐんのはんげきで、あめりかかいぐんのくうぼほーねっとをげきちん、)
日本海軍の反撃で、アメリカ海軍の空母ホーネットを撃沈、
(えんたーぷらいずをたいは、くちくかんぽーたーをげきちんした。このみなみたいへいようかいせん)
エンタープライズを大破、駆逐艦ポーターを撃沈した。この南太平洋海戦
(では、にほんかいぐんはせんじゅつてきしょうりをおさめたものの、そのころ、だい2しだんの)
では、日本海軍は戦術的勝利を収めたものの、その頃、第2師団の
(そうこうげきはゆきづまっており、どうじつにさくせんちゅうしがかれいされた。)
総攻撃は行き詰っており、同日に作戦中止が下令された。
(なおも、だいほんえいはがだるかなるとうのだっかんにかかわり、がだるかなるとうへ)
なおも、大本営はガダルカナル島の奪還に拘り、ガダルカナル島へ
(ぞうえんやぶっしをはこびこんだ。あめりかかいぐんやこうくうきからのぼうがいをさける)
増援や物資を運び込んだ。アメリカ海軍や航空機からの妨害を避ける
(ために、やかんにこうそくのくちくかんやせんすいかんによってほそぼそとぶっしゆそうがつづけられ)
ために、夜間に高速の駆逐艦や潜水艦によって細々と物資輸送が続けられ
(ていたが、これはねずみゆそうなどともよばれた。しかし、ねずみゆそうではゆそうりょうに)
ていたが、これは鼠輸送などとも呼ばれた。しかし、鼠輸送では輸送量に
(かぎりがあることから、さいど、せんかんたいによってへんだーそんひこうじょうを)
限りがあることから、再度、戦艦隊によってヘンダーソン飛行場を
(かんぽうしゃげきではかいし、そのあいだにゆそうかんでがだるかなるとうにじゅうそうびのぞうえんを)
艦砲射撃で破壊し、その間に輸送艦でガダルカナル島に重装備の増援を
(おくりこむことをけいかくした。にほんかいぐんのいとをかんぱしたあめりかかいぐんは、)
送り込むことを計画した。日本海軍の意図を看破したアメリカ海軍は、
(がだるかなるとうかいいきにいるかんせんをしゅうけつさせてにほんかいぐんをむかえうった。)
ガダルカナル島海域にいる艦船を集結させて日本海軍を迎え撃った。
(11がつ13にちから2やにわたってくりひろげられただいさんじそろもんかいせんは、)
11月13日から2夜に渡って繰り広げられた第三次ソロモン海戦は、
(かいせんからこれまででもっともはげしいかんせんたいかんせんのたたかいとなり、あめりかぐんと)
開戦からこれまでで最も激しい艦船対艦船の戦いとなり、アメリカ軍と
(おーすとらりあぐんは2せきのじゅんようかんと7せきものくちくかんをうしなったが、にほんかいぐんは)
オーストラリア軍は2隻の巡洋艦と7隻もの駆逐艦を失ったが、日本海軍は
(せんかん2せきとゆそうせん11せきをうしなうなど、りょうぐんともにおおきないたでをおった。)
戦艦2隻と輸送船11隻を失うなど、両軍ともに大きな痛手を負った。
(これでにほんかいぐんはしゅりょくかんをがだるかなるとうにとうにゅうする)
これで日本海軍は主力艦をガダルカナル島に投入する
(ぼうけんをおかさなくなってしまった。)
冒険を冒さなくなってしまった。