旧約聖書2

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(もーせじしんがしっぴつしたというせいしょじしんのきじゅつとでんしょうがあったために)

モーセ自身が執筆したという聖書自身の記述と伝承があったために

(もーせあつむしょというよばれかたがなされていた。いえす・きりすとも)

モーセ五書という呼ばれ方がなされていた。イエス・キリストも

(「もーせのりっぽう」とよんだとされる。)

「モーセの律法」と呼んだとされる。

(さるいのちきのさいごでよるだんがわとうがんからやくそくのちであるかなんをとおくのぞんだ)

申命記の最後でヨルダン川東岸から約束の地であるカナンを遠く望んだ

(もーせは、そこでよしゅあをこうけいしゃにしめいしてあと、もあぶのちでぼっする。)

モーセは、そこでヨシュアを後継者に指名して後、モアブの地で没する。

(れきしきじゅつ)

歴史記述

(さるいのちきからつづけて、よしゅあきではよしゅあにひきいられたいすらえるじん)

申命記から続けて、ヨシュア記ではヨシュアに率いられたイスラエル人

(たちによってかなんのしょとしがこうりゃくされ、そこにいじゅうしていくようすが)

たちによってカナンの諸都市が攻略され、そこに移住していく様子が

(えがかれる。つのぶえをふきならすとじょうへきがくずれおちた(よしゅあき6:20))

描かれる。角笛を吹き鳴らすと城壁が崩れ落ちた(ヨシュア記6:20)

(とされるえりこへのこうりゃく(よしゅあき2-6)などがゆうめい。)

とされるエリコへの攻略(ヨシュア記2-6)などが有名。

(よしゅあにつづいて、でぼら(しもろき4-5)、ぎでおん(しもろき6-8)、)

ヨシュアに続いて、デボラ(士師記4-5)、ギデオン(士師記6-8)、

(さむそん(しもろき13-16)といったぐんじしどうしゃがつづいていくのだが、)

サムソン(士師記13-16)といった軍事指導者が続いていくのだが、

(かれらはしもろとしょうされ、ぶぞくれんごうたいであったいすらえるじんたちのさいばんかんと)

彼らは士師と称され、部族連合体であったイスラエル人たちの裁判官と

(ぐんじしどうしゃのやくわりをかねていた。また、ぐんじはんだんによってかみのいこうを)

軍事指導者の役割を兼ねていた。また、軍事判断によって神の意向を

(たみにつたえていたことからかれらはよげんしゃでもある。これらのしもろたちの)

民に伝えていたことから彼らは預言者でもある。これらの士師たちの

(かつやくをえがいたのがしもろしるしであり、じょせいのかんちょうによってかみをきられてちからを)

活躍を描いたのが士師記であり、女性の間諜によって髪を切られて力を

(うしなってころされるさむそんのはなしなどがゆうめいである。)

失って殺されるサムソンの話などが有名である。

(さいごのしもろがさむえるである。ここでものがたりはさむえるきにうつり、)

最後の士師がサムエルである。ここで物語はサムエル記に移り、

(いすらえるぶぞくれんごうたいがおうせいこっかにいこうするようすがえがかれている。)

イスラエル部族連合体が王制国家に移行する様子が描かれている。

(みんしゅうのようきゅうにこたえてしぶしぶながらではあるがさむえるはさうるをおうに)

民衆の要求に応えて渋々ながらではあるがサムエルはサウルを王に

など

(しめいするのである(さむえるじょう9-10)。)

指名するのである(サムエル上9-10)。

(さうるはあんもんじんやぺりしてじんとのせんそうにかつなどこうせきをあげるが()

サウルはアンモン人やペリシテ人との戦争に勝つなど功績をあげるが(

(さむえるじょう11-14)、あまれくじんとのたたかいでかみのいにそむいたために)

サムエル上11-14)、アマレク人との戦いで神の意に背いたために

(さむえるからとおざけられた(さむえるじょう15)。さうるについで)

サムエルから遠ざけられた(サムエル上15)。サウルに次いで

(さむえるからおうにしめいされるのがひつじかいであっただびでである)

サムエルから王に指名されるのが羊飼いであったダビデである

((さむえるじょう16:1-13)。さうるとだびでとのかくしつはしょうさいにえがかれるが)

(サムエル上16:1-13)。サウルとダビデとの確執は詳細に描かれるが

((さむえるじょう16-30)、さいごにさうるはせんしして(さむえるじょう31)、)

(サムエル上16-30)、最後にサウルは戦死して(サムエル上31)、

(だびでがおうこくをつぐことになる。)

ダビデが王国を継ぐことになる。

(だびではまずなんぶのゆだのおうとなり(さむえるか2:1-7)、ついで)

ダビデはまず南部のユダの王となり(サムエル下2:1-7)、次いで

(ほくぶのいすらえるのおうとなった(さむえるか5:1-5)。そして)

北部のイスラエルの王となった(サムエル下5:1-5)。そして

(えるされむにせんとし(さむえるか5:6-12)、そとてきをやぶって)

エルサレムに遷都し(サムエル下5:6-12)、外敵を破って

((さむえるか5:17-25,8:1-14など)、おうこくをかくりつしてきゅうやくせいしょちゅう)

(サムエル下5:17-25,8:1-14など)、王国を確立して旧約聖書中

(さいだいのさんじをうけているおうである。また、しへんにおさめられたうたのおおくは)

最大の賛辞を受けている王である。また、詩篇に収められた歌の多くは

(だびでのさくになるものとされており、ぶんぶにひいでかみにめでられた)

ダビデの作になるものとされており、文武に秀で神に愛でられた

(おうとしてえがかれている。さむえるきはこのだびでおうのちせいまでを)

王として描かれている。サムエル記はこのダビデ王の治世までを

(えがいており、そこからさきはれつおうきにわたされる。なお、きりすときょうの)

描いており、そこから先は列王記に渡される。なお、キリスト教の

(きゅうやくせいしょでさみゅえるきのまえにそうにゅうされているるつきはがいこくじんであった)

旧約聖書でサミュエル記の前に挿入されているルツ記は外国人であった

(るつがだびでのそうそふぼあずにとつぐはなしで、きりすとのあがない(かいもどし))

ルツがダビデの曽祖父ボアズに嫁ぐ話で、キリストの贖い(買い戻し)

(のかたであるとされる。)

の型であるとされる。

(おうこくはだびでのむすこのそろもんおうのじだいにさいせいきをむかえる。かれは)

王国はダビデの息子のソロモン王の時代に最盛期を迎える。彼は

(だびでがえるされむにはこびこんだ「けいやくのはこ」をあんちするためのそうれいな)

ダビデがエルサレムに運び込んだ「契約の箱」を安置するための壮麗な

(しんでんをけんちくしてゆだやきょうのちゅうしんちとしてのえるされむをかくりつし、)

神殿を建築してユダヤ教の中心地としてのエルサレムを確立し、

(ついでみずからのためにごうかなきゅうでんをぞうえいした。きゅうやくせいしょではそのとみのうわさを)

次いで自らのために豪華な宮殿を造営した。旧約聖書ではその富の噂を

(ききつけてえんごくからのけんのうがたえなかったとしている。そのなかでは)

聞きつけて遠国からの献納が絶えなかったとしている。その中では

(しばのじょおうのらいほうなどがゆうめいであろう(れつおうじょう10しょう、れきだいか9しょう)。)

シバの女王の来訪などが有名であろう(列王上10章、歴代下9章)。

(しんやくせいしょのなかでも「そろもんおうのえいが」といったことばがとうじょうする。)

新約聖書の中でも「ソロモン王の栄華」といった言葉が登場する。

(またそろもんはちえにすぐれたものとされており、かくげんしゅうであるしんげんは)

またソロモンは知恵に優れた者とされており、格言集である箴言は

(そろもんおうにかえせられている。しかし、そろもんはしんでんやきゅうでんのぞうえいを)

ソロモン王に帰せられている。しかし、ソロモンは神殿や宮殿の造営を

(かこくなかぜいでまかなっていたために、ことにほくぶのはんかんをかった)

過酷な課税で賄っていたために、ことに北部の反感を買った

((れつおうじょう12:4など)。おうのしご、ほくぶのいすらえるおうこくとなんぶの)

(列王上12:4など)。王の死後、北部のイスラエル王国と南部の

(ゆだおうこくにぶんれつすることになる。)

ユダ王国に分裂することになる。

(れつおうきはこのあと、なんぼくのおうちょうしをつづっていくことになる。それによれば、)

列王記はこの後、南北の王朝史を綴っていくことになる。それによれば、

(ほくぶのいすらえるおうこくはたんめいなおうちょうがあいつぎさいごにはあっしりあに)

北部のイスラエル王国は短命な王朝が相次ぎ最後にはアッシリアに

(ほろぼされてしまう。またなんぶゆだおうこくではだびでおうのちすじがつづくものの)

滅ぼされてしまう。また南部ユダ王国ではダビデ王の血筋が続くものの

(さいごにはばびろにあにほろぼされ、しんでんははかいされてたすうのこくみんが)

最後にはバビロニアに滅ぼされ、神殿は破壊されて多数の国民が

(れんこうされてしまう(ばびろんほしゅう)。ゆだおうこくでは、しゅうきょうかいかくが)

連行されてしまう(バビロン捕囚)。ユダ王国では、宗教改革が

(おこなわれたことがつたえられており、よしあおうのじだいにもーせのりっぽうが)

行われたことが伝えられており、ヨシア王の時代にモーセの律法が

(さいはっけんされたという(れつおうか22しょう)。)

再発見されたという(列王下22章)。

(れきだいしはさむえるきとれつおうきとないようてきにじゅうふくするれきししょであるが、)

歴代誌はサムエル記と列王記と内容的に重複する歴史書であるが、

(みなみおうこくのたちばからかかれていて、きたおうこくについてはなにもかかれていない。)

南王国の立場から書かれていて、北王国については何も書かれていない。

(ばびろんほしゅうでのようすはきゅうやくせいしょのれきししょにはしるされず、よげんしょの)

バビロン捕囚での様子は旧約聖書の歴史書には記されず、預言書の

(なかからうかがいしるしかない。いざやしょやえれみやしょ、えぜきえるしょ、)

中から窺い知るしかない。イザヤ書やエレミヤ書、エゼキエル書、

(はらだにえるしょがばびろんほしゅうのじだいにへんさんされたとすいていされており、)

原ダニエル書がバビロン捕囚の時代に編纂されたと推定されており、

(りゅうたくのなげきがかたられているし、しへんのなかにもほしゅうじだいがはんえいしている)

流謫の嘆きが語られているし、詩篇の中にも捕囚時代が反映している

(とされるうたがおさめられている(しへん137:1-6)。また、あいかは)

とされる歌が収められている(詩篇137:1-6)。また、哀歌は

(えるされむかんらくをなげいたとされるうたをまとめたものである。)

エルサレム陥落を嘆いたとされる歌をまとめたものである。

(やがてばびろにあがぺるしゃにほろぼされると、ゆだやへのきかんかつどうが)

やがてバビロニアがペルシャに滅ぼされると、ユダヤへの帰還活動が

(はじまる。えずらきによればだいいちじきかんがきゅろすおうのふこくでじっしされる)

始まる。エズラ記によれば第一次帰還がキュロス王の布告で実施される

(のだが、たみんぞくのていこうによりしんでんふっこうはかなわなかった。だれいおす1せい)

のだが、他民族の抵抗により神殿復興は叶わなかった。ダレイオス1世

(のじだいになってしんでんけんせつがきょかされ、えるされむしんでんはふっこうする。)

の時代になって神殿建設が許可され、エルサレム神殿は復興する。

(そのあと、あるたくせるくせすおうのじだいに「もーせのりっぽうにくわしいしょきかん」)

その後、アルタクセルクセス王の時代に「モーセの律法に詳しい書記官」

(であるえずらがぺるしゃていこくからえるされむにはけんされて、ぺるしゃおうの)

であるエズラがペルシャ帝国からエルサレムに派遣されて、ペルシャ王の

(「けんしゃくかん」ねへみやとともにもーせのりっぽうのふっこううんどうをおこしたことが)

「献酌官」ネヘミヤと共にモーセの律法の復興運動を起こしたことが

(えずらき、ねへみやきでえがかれている。えずらはがいこくじんとのけっこんを)

エズラ記、ネヘミヤ記で描かれている。エズラは外国人との結婚を

(むこうせんこくし、ゆだやじんのじゅんかうんどうをすすめた。ここでふっこうされたしんでんが)

無効宣告し、ユダヤ人の純化運動を進めた。ここで復興された神殿が

(はすもんおうちょうじだいにかくちょうされ、いえすのじだいにいたっている。)

ハスモン王朝時代に拡張され、イエスの時代に至っている。

(きりすときょうのきゅうやくせいしょにあるえすてるきは、このじきにぺるしゃおうの)

キリスト教の旧約聖書にあるエステル記は、この時期にペルシャ王の

(きさきになったゆだやじんじょせいえすてるについてのそうわである。)

后になったユダヤ人女性エステルについての挿話である。

(いじょう、きゅうやくせいしょにおけるれきしきじゅつをがいかんしたが、おうこくじだいのれきしきじゅつが)

以上、旧約聖書における歴史記述を概観したが、王国時代の歴史記述が

(もっともくわしく、ばびろんほしゅういごのれきしはだんぺんてきにしかかたられていない。)

最も詳しく、バビロン捕囚以後の歴史は断片的にしか語られていない。

(へろどとすの「れきし」でゆうめいなぺるしゃせんそうも、ゆだやはぐんたいのつうこうみちに)

ヘロドトスの『歴史』で有名なペルシャ戦争も、ユダヤは軍隊の通行路に

(あたっていたとかんがえられるが、きゅうやくせいしょではまったくげんきゅうされておらず、れきしきじゅつが)

当たっていたと考えられるが、旧約聖書では全く言及されておらず、歴史記述が

(とぎれている。れいがいとして、へれにずむじだいのこへれとのことば、だにえるしょ、)

途切れている。例外として、ヘレニズム時代のコヘレトの言葉、ダニエル書、

(まかばいせんそうとはすもんあさのぼっこうをえがいたまかばいきがある。)

マカバイ戦争とハスモン朝の勃興を描いたマカバイ記がある。

(ぺるしゃがあれくさんだーだいおうによってほろぼされるとゆだやはだいおうの)

ペルシャがアレクサンダー大王によって滅ぼされるとユダヤは大王の

(しごにせいりつしたせれうこすあさのしはいかにはいるのだが、あんてぃおこす4せい)

死後に成立したセレウコス朝の支配下に入るのだが、アンティオコス4世

(はえるされむしんでんをりゃくだつし、ゆだやきょうをはくがいしたためにはすもんいえの)

はエルサレム神殿を略奪し、ユダヤ教を迫害したためにハスモン家の

(しゅどうではんらんがおこる。ゆだやじんはこのはんらんによってさいどくりつをはたし、)

主導で反乱が起こる。ユダヤ人はこの反乱によって再独立を果たし、

(はすもんおうちょうがせいりつするのである。しんやくせいしょにとうじょうするへろでだいおうも)

ハスモン王朝が成立するのである。新約聖書に登場するヘロデ大王も

(はすもんおうちょうにつらなっている。なお、このまかばいきはゆだやきょうや)

ハスモン王朝に連なっている。なお、このマカバイ記はユダヤ教や

(ぷろてすたんとではせいしょしょうてんとされておらず、かとりっくきょうかいや)

プロテスタントでは聖書正典とされておらず、カトリック教会や

(せいきょうかいがしょうてんとするだいにしょうてんのひとつである。)

正教会が正典とする第二正典の一つである。

(よげんしゃたちのじせきとよげんしょ)

預言者たちの事跡と預言書

(このふしのかひつがのぞまれています。)

この節の加筆が望まれています。

(れつおうきではおうちょうしのほかに、おもにほくぶいすらえるおうこくでかつやくしたよげんしゃたち)

列王記では王朝史の他に、主に北部イスラエル王国で活躍した預言者たち

(のようすがえがかれている。えりや、そのでしであるえりしゃ、あるいは)

の様子が描かれている。エリヤ、その弟子であるエリシャ、あるいは

(あもす、ほせあといったよげんしゃたちはきゅうていにぞくさず、ざいやにあって)

アモス、ホセアといった預言者たちは宮廷に属さず、在野にあって

(かみからのことばをはきするどくおうせいをひはんした。よげんしゃたちのひはんとは、)

神からの言葉を吐き鋭く王政を批判した。預言者たちの批判とは、

(こっかとみんしゅうがかみをわすれてぐうぞうすうはいにおちいっているとするものである。)

国家と民衆が神を忘れて偶像崇拝に陥っているとするものである。

(またみかはなんぶゆだおうこくにおいてしんでんがはかいされることをよげんした。)

またミカは南部ユダ王国において神殿が破壊されることを予言した。

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