第二次世界大戦44

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(そのけっか、5がつ30にちから6がつ4にちにかけて、とうさいしたこうひょうてきが)

その結果、5月30日から6月4日にかけて、搭載した甲標的が

(でぃえごすあれすこうをこうげきし、こうげきによりいぎりすかいぐんのせんかんらみりーず)

ディエゴスアレス港を攻撃し、攻撃によりイギリス海軍の戦艦ラミリーズ

(にぎょらい1ぽん、ゆそうせんぶりてぃっしゅ・ろいやるてぃ)

に魚雷1本、油槽船ブリティッシュ・ロイヤルティ

((britishloyalty,6,993とん))

(British Loyalty, 6,993トン)

(にぎょらい1ぽんがめいちゅうし、ぶりてぃっしゅ・ろいやるてぃはげきちんされた。)

に魚雷1本が命中し、ブリティッシュ・ロイヤルティは撃沈された。

(さらに、みなみあふりかえんがんのまだがすかるとうにじょうりくしたとくしゅせんこうていの)

さらに、南アフリカ沿岸のマダガスカル島に上陸した特殊潜航艇の

(ていちょうあきえださぶろうたいい(かいへい66き)とていふのたけもとまさみいっとうへいそうの2めいが、)

艇長秋枝三郎大尉(海兵66期)と艇付の竹本正巳一等兵曹の2名が、

(6がつ4かにいぎりすぐんとりくせんをおこない、りょうめいはいぎりすぐんによるこうふくかんこくを)

6月4日にイギリス軍と陸戦を行い、両名はイギリス軍による降伏勧告を

(きょひし、15にんのいぎりすぐんぶたいをあいてにぐんとうとけんじゅうでたたかいを)

拒否し、15人のイギリス軍部隊を相手に軍刀と拳銃で戦いを

(いどみいぎりすぐんへいしをししょうさせるなどのせんかをあげている。)

挑みイギリス軍兵士を死傷させるなどの戦果を上げている。

(にほんかいぐんによるまだがすかるほうめんへのこうげきは、せんかん1せきたいは、)

日本海軍によるマダガスカル方面への攻撃は、戦艦1隻大破、

(おおがたゆそうせん1せきげきちん。ちじょうせんでいぎりすぐんへいし1めいのししゃと5にんに)

大型輸送船1隻撃沈。地上戦でイギリス軍兵士1名の死者と5人に

(じゅうけいしょうをおわせるなどいっていのせんかをあげたが、さきにじっしされた)

重軽傷を負わせるなど一定の戦果を上げたが、先に実施された

(せいろんおきかいせんにおけるしょうりによりいぎりすかいぐんをいんどようとうぶから)

セイロン沖海戦における勝利によりイギリス海軍をインド洋東部から

(ほうちくしあずまみなみあふりかえんがんまでおいやるなど、このじてんにおけるさいだいの)

放逐し東南アフリカ沿岸まで追いやるなど、この時点における最大の

(もくてきをたっせいしていたにほんかいぐんにとって、まだがすかるほうめんはしゅせんじょうから)

目的を達成していた日本海軍にとって、マダガスカル方面は主戦場から

(とおくはなれており、またゆうほうのどいつぐんもいなかったことから、)

遠く離れており、また友邦のドイツ軍もいなかったことから、

(にほんかいぐんはこれいじょうのめだったさくせんこうどうはおこなわれなかった。)

日本海軍はこれ以上の目立った作戦行動は行われなかった。

(にほんぐんのあめりかりょうどせんりょう)

日本軍のアメリカ領土占領

(にほんかいぐんは、どうねん6がつ3かからおこなわれたあめりかのあらすかじゅんしゅうの)

日本海軍は、同年6月3日から行われたアメリカのアラスカ準州の

など

(ありゅーしゃんれっとうせいぶようちのこうりゃくまたははかいをもくてきとしておこなわれた)

アリューシャン列島西部要地の攻略または破壊を目的として行われた

(alさくせんで、あらすかのべーりんぐかいにおけるぎょぎょうやつうしょうのよりどころてんとなる)

AL作戦で、アラスカのベーリング海における漁業や通商の拠点となる

(じゅうようなみなとであるだっちはーばーのあめりかぐんきちへのくうぼ「りゅうあが」)

重要な港であるダッチハーバーのアメリカ軍基地への空母「龍驤」

(「じゅんよう」をしゅりょくとするこうくうたいによるくうしゅうをおこない、)

「隼鷹」を主力とする航空隊による空襲を行い、

(おおきなひがいをだすことにせいこうした。)

大きな被害を出すことに成功した。

(また6がつ6かには、あらすかじゅんしゅうのあっつとうにほっかいしたい1,200にんが)

また6月6日には、アラスカ準州のアッツ島に北海支隊1,200人が

(じょうりくしたが、どうとうにあめりかぐんのしゅびたいはそんざいせずとくだんはんげきをうける)

上陸したが、同島にアメリカ軍の守備隊は存在せず特段反撃を受ける

(こともなくせんりょうにせいこうする(にほんぐんによるあっつとうのせんりょう)。これは)

こともなく占領に成功する(日本軍によるアッツ島の占領)。これは

(だいにじせかいたいせんにおいてあめりかほんどににほんぐんをふくむすうじくこくぐんがじょうりく、)

第二次世界大戦においてアメリカ本土に日本軍を含む枢軸国軍が上陸、

(せんりょうしたはじめてのことで、つづいて7かにきすかじまにだいさんとくべつりくせんたい)

占領した初めてのことで、続いて7日にキスカ島に第三特別陸戦隊

(550めい、せつえいたい750めいがじょうりくし、どうとうもしゅびたいはそんざいせずせんりょうに)

550名、設営隊750名が上陸し、同島も守備隊は存在せず占領に

(せいこうする。にほんぐんにとってきすかじま、あっつとうじょうりくはせんりゃくてきには)

成功する。日本軍にとってキスカ島、アッツ島上陸は戦略的には

(じゅうようではなく、じっさいにせんりょうごもすくないしゅびたいしかおかなかった。)

重要ではなく、実際に占領後も少ない守備隊しか置かなかった。

(あめりかがっしゅうこくほんどががいこくぐんたいによりせんりょうされたのは1812ねんの)

アメリカ合衆国本土が外国軍隊により占領されたのは1812年の

(べいえいせんそういらいはじめてのことであった。)

米英戦争以来初めてのことであった。

(みっどうぇーかいせん)

ミッドウェー海戦

(1942ねん6がつ、にほんぐんはたいへいようちゅうおうのあめりかぐんのきょてんみっどうぇーとうに)

1942年6月、日本軍は太平洋中央のアメリカ軍の拠点ミッドウェー島に

(しんこうし、げいげきにでてくるあめりかきどうぶたいをげきめつせんとするmiさくせんを)

侵攻し、迎撃に出てくるアメリカ機動部隊を撃滅せんとするMI作戦を

(けいかく、これまでたいへいようをせっけんしていただいいちこうくうかんたいをしゅりょくとする)

計画、これまで太平洋を席巻していた第一航空艦隊を主力とする

(きどうぶたい、くうぼ4、せんかん4、じゅうじゅんようかん10、けいじゅんようかん34にくわえ、あとづめと)

機動部隊、空母4、戦艦4、重巡洋艦10、軽巡洋艦34に加え、後詰めと

(してせんかんやまとなどせんかん7、くうぼ1、けいじゅんようかん3、くちくかん21といったれんごう)

して戦艦大和など戦艦7、空母1、軽巡洋艦3、駆逐艦21といった連合

(かんたいのそうりょくをけっしゅうして、ゆそうかん16せきにぶんじょうしたいちきしたい3,000にんと)

艦隊の総力を結集して、輸送艦16隻に分乗した一木支隊3,000人と

(かいぐんりくせんたい2,800にんとともにみっどうえーとうにむけてしゅつげきした。しかし、)

海軍陸戦隊2,800人と共にミッドウエー島に向けて出撃した。しかし、

(あめりかかいぐんじょうほうきょくがぱーぷるあんごうをあんごうかいどくして、さくせんけいかくをじぜんに)

アメリカ海軍情報局がパープル暗号を暗号解読して、作戦計画を事前に

(にゅうしゅしており、ばんぜんのたいせいでにほんぐんをまちかまえていた。まずは)

入手しており、万全の体制で日本軍を待ち構えていた。まずは

(みっどうえーとうのひこうじょうきょようりょういっぱいとなる、pbyかたりなひこうてい)

ミッドウエー島の飛行場許容量いっぱいとなる、PBYカタリナ飛行艇

(30き、b-17ばくげきき17きをはいちしてさくてきのうりょくをきょうか、26きのせんとうき)

30機、B-17爆撃機17機を配置して索敵能力を強化、26機の戦闘機

((ぶるーすたーf2a)、34きのさくてきばくげきき(tbd、sb2u)、)

(ブルースター F2A)、34機の索敵爆撃機(TBD、SB2U)、

(6きのb-26にしんへいきのtbfあべんじゃーも6きはいびされて)

6機のB-26に新兵器のTBFアベンジャーも6機配備されて

(こうげきりょくもきょうかしていた。)

攻撃力も強化していた。

(にみっつはたいへいようじょうかどうかんていをかきあつめて、くうぼ3、じゅうじゅんようかん7、)

ニミッツは太平洋上可動艦艇をかき集めて、空母3、重巡洋艦7、

(けいじゅんようかん1、くちくかん14をれいもんど・すぷるーあんすしょうしょうにたくし、)

軽巡洋艦1、駆逐艦14をレイモンド・スプルーアンス少将に託し、

(にほんぐんきどうぶたいをむかえうった。くうぼのうち1せきはさきのさんごかいかいせんで)

日本軍機動部隊を迎え撃った。空母のうち1隻は先の珊瑚海海戦で

(そんしょうしたよーくたうんであり、にほんぐんはそのそんしょうのていどからしばらくは)

損傷したヨークタウンであり、日本軍はその損傷の程度からしばらくは

(せんせんふっきこんなんとはんだんしていたが、しんじゅわんのどっくでわずか3にちでしゅうりを)

戦線復帰困難と判断していたが、真珠湾のドックでわずか3日で修理を

(かんりょうしごうりゅうしており、かんせんのかずはにほんぐんがあっとうてきにかっていたとはいえ、)

完了し合流しており、艦船の数は日本軍が圧倒的に勝っていたとはいえ、

(かんさいきすうではほぼごかく、りくじょうきをあわせたこうくうせんりょくではあめりかぐんのほうが)

艦載機数ではほぼ互角、陸上機を合わせた航空戦力ではアメリカ軍の方が

(うわまわることとなった。6がつ4かにはにほんかいぐんきどうぶたいははやくも)

上回ることとなった。6月4日には日本海軍機動部隊は早くも

(みっどうえーとうのpbyかたりなひこうていにはっけんされ、6がつ5かみめいに)

ミッドウエー島のPBYカタリナ飛行艇に発見され、6月5日未明に

(にほんかいぐんのくうぼからしゅつげきしたかんさいきがみっどうえーとうひこうじょうをこうげきし)

日本海軍の空母から出撃した艦載機がミッドウエー島飛行場を攻撃し

(だいそんがいをあたえたものの、そのごのみっどうえーとうひこうじょうからのはんげきで、)

大損害を与えたものの、その後のミッドウエー島飛行場からの反撃で、

(にほんかいぐんきどうぶたいはそんがいこそなかったが、あめりかかいぐんきどうぶたいと)

日本海軍機動部隊は損害こそなかったが、アメリカ海軍機動部隊と

(みっどうえーひこうじょうりょうほうをそうてにするひつようにせまられた。)

ミッドウエー飛行場両方を相手にする必要に迫られた。

(にほんかいぐんきどうぶたいのどうこうは、みっどうえーとうのこうくうたいによってほそくされ)

日本海軍機動部隊の動向は、ミッドウエー島の航空隊によって捕捉され

(つづけており、すぷるーあんすは、にほんくうぼがみっどうえーこうげきたいを)

続けており、スプルーアンスは、日本空母がミッドウエー攻撃隊を

(しゅうようしているじかんおびをねらって3せきのくうぼからほぼぜんかんさいきをしゅつげきさせた。)

収容している時間帯を狙って3隻の空母からほぼ全艦載機を出撃させた。

(にほんかいぐんもじゅうじゅんようかんりこんのぜろしきすいじょうていさつきがようやくあめりかかいぐん)

日本海軍も重巡洋艦利根の零式水上偵察機がようやくアメリカ海軍

(きどうぶたいをはっけんし「てきらしきもの10せきみゆ」とほうこくしてきたが、)

機動部隊を発見し「敵らしきもの10隻みゆ」と報告してきたが、

(ときすでにおそく、あめりかぐんかんさいきのへんたいがにほんかいぐんきどうぶたいじょうくうに)

とき既に遅く、アメリカ軍艦載機の編隊が日本海軍機動部隊上空に

(あらわれて、たちまちしゅりょくくうぼあかぎ、かが、そうりゅうの3せきがほのおにつつまれた。)

現れて、たちまち主力空母赤城、加賀、蒼龍の3隻が炎に包まれた。

(わずかにいきのこったひりゅうはだいにこうくうせんたいしれいかんやまぐちたもんしょうしょうのしきで)

わずかに生き残った飛龍は第二航空戦隊司令官山口多聞少将の指揮で

(はんげきし、よーくたうんをたいはさせたが(あと、せんすいかん「いいちろくはち」により)

反撃し、ヨークタウンを大破させたが(後、潜水艦「伊一六八」により

(げきちん)、ひりゅうもあめりかぐんかんさいきのこうげきでちんぼつしやまぐちもせんしした。)

撃沈)、飛竜もアメリカ軍艦載機の攻撃で沈没し山口も戦死した。

(れんごうかんたいしれいちょうかんやまもといそろくたいしょうはくうぼぶたいのかいめつにより)

連合艦隊司令長官山本五十六大将は空母部隊の壊滅により

(みっどうえーとうこうりゃくをあきらめざるをえず、かんたいにてったいをめいじた。)

ミッドウエー島攻略をあきらめざるを得ず、艦隊に撤退を命じた。

(6がつ4か-6かにかけてのみっどうぇーかいせんで、にほんかいぐんきどうぶたいは)

6月4日-6日にかけてのミッドウェー海戦で、日本海軍機動部隊は

(ていさつのしっぱいやはんだんみすがかさなり、しゅりょくせいきくうぼ4せき(あかぎ、かが、)

偵察の失敗や判断ミスが重なり、主力正規空母4隻(赤城、加賀、

(そうりゅう、ひりゅう)をいっきょにうしない、くわえて300きいじょうのかんさいきとおおくの)

蒼龍、飛竜)を一挙に失い、加えて300機以上の艦載機と多くの

(じゅくれんぱいろっともうしなった。いっぽうであめりかかいぐんきどうぶたいは)

熟練パイロットも失った。一方でアメリカ海軍機動部隊は

(せいきくうぼ1せき(よーくたうん)をそんしつするにとどまった。にほんかいぐん)

正規空母1隻(ヨークタウン)を損失するにとどまった。日本海軍

(としては、じつに1598ねんのけいちょうのやくにおけるあらわばりかいせんいらいのはいせんと)

としては、実に1598年の慶長の役における露梁海戦以来の敗戦と

(なったが、これまでにほんぐんのかいしんげきをささえてきたせいきょうなくうぼぶたいを)

なったが、これまで日本軍の快進撃を支えてきた精強な空母部隊を

(いっきょにうしなったことで、いのままにこうせいをとることができるといった)

一挙に失ったことで、意のままに攻勢を取ることができるといった

(ゆういせいをうしなうこととなった。このたたかいはたいへいようせんいきにおける)

優位性を失うこととなった。この戦いは太平洋戦域における

(せんきょくのてんかいてんとなり、える・あらめいんのたたかい、すたーりんぐらーどの)

戦局の転回点となり、エル・アラメインの戦い、スターリングラードの

(たたかい、いんぱーるさくせんとともにだいにじせかいたいせんのおもなてんかんてんのたたかいとも)

戦い、インパール作戦と共に第二次世界大戦の主な転換点の戦いとも

(ひょうされているが、たいへいようせんせんでれんごうこくぐんのはいぼくはつづいた。)

評されているが、太平洋戦線で連合国軍の敗北は続いた。

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