半七捕物帳 広重と河獺1

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第十話

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問題文

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(むかしのしょうほんふうにかくと、ほんぶたいいちめんのひらぶたい、)

一 昔の正本(しょうほん)風に書くと、本舞台一面の平ぶたい、

(しょうめんにしゅぬりのにおうもん、もんのなかにかんのんけいだいのとおみ、)

正面に朱塗りの仁王門、門のなかに観音境内の遠見、

(よきところにいちょうのこだち、すべてあさくさこうえんなかみせのていよろしく、)

よきところに銀杏の木立、すべて浅草公園仲見世の体(てい)よろしく、

(ろっくのみせもののなりものにてまくあく。ーーと、かみてよりひとりのろうじん、)

六区の観世物の鳴物にて幕あく。ーーと、上手(かみて)より一人の老人、

(そうざいのおかだからでもでてきたらしいようす。しもてよりもひとりのせいねん)

惣菜の岡田からでも出て来たらしい様子。下手(しもて)よりも一人の青年

(いできたり、もんのまえにてそうほういきあい、たがいにあいさつすることよろしくある。)

出で来たり、門のまえにて双方生き逢い、たがいに挨拶すること宜しくある。

(「やあ、これは・・・・・・。おはなみですかい」)

「やあ、これは……。お花見ですかい」

(「べつになんということもないので・・・・・・。てんきがいいから)

「別に何ということもないので……。天気がいいから

(ただぶらぶらでてきたんです」)

唯ぶらぶら出て来たんです」

(「そうですか。わたくしははしばまでおてらまいりに・・・・・・。)

「そうですか。わたくしは橋場までお寺まいりに……。

(まいつきいっぺんずつはかおをみせにいってやらないと、つちのしたでばあさんがさびしがります。)

毎月一遍ずつは顔を見せに行ってやらないと、土の下で婆さんが寂しがります。

(これでもいきているうちはずいぶんなかがよかったんですからね。)

これでも生きているうちは随分仲がよかったんですからね。

(はははははは。ところで、あんたはおひるは」)

はははははは。ところで、あんたはお午飯(ひる)は」

(「もうすみました」)

「もう済みました」

(「それじゃあどうです。べつにごようがなければ、これからむこうじまのほうがくへ)

「それじゃあどうです。別に御用がなければ、これから向島の方角へ

(ぶらぶらでかけちゃあ・・・・・・。わたくしははらごなしにちっとあるこうかと)

ぶらぶら出かけちゃあ……。わたくしは腹ごなしにちっと歩こうかと

(おもっているところなんですが・・・・・・」)

思っているところなんですが……」

(「けっこうです。おともしましょう」)

「結構です。お供しましょう」

(ずるそうなせいねんは、ああてちょうをもってくればよかったというおもいいれ、)

ずるそうな青年は、ああ手帳を持って来ればよかったという思(おもい)入れ、

(すぐにろうじんのあとについてゆく。おなじなりものにてどうぐまわる。)

すぐに老人のあとに付いてゆく。同じ鳴物にて道具まわる。

など

(ーーと、むこうじまどてのば。しょうめんはすみだがわをへだててむこうがしをみたるとおみ、)

ーーと、向島土手の場。正面は隅田川を隔てて向う河岸をみたる遠見、

(きしにははざくらのこだち。かすめてなみのおと、はやりうたにてどうぐとまる。)

岸には葉桜の木立。かすめて浪の音、はやり唄にて道具止まる。

(ーーと、しもてよりいぜんのろうじんとせいねんいできたり、いつのまにか)

ーーと、下手より以前の老人と青年出で来たり、いつの間にか

(はながちってしまったのにすこしくおどろくことよろしく、そのかわりに)

花が散ってしまったのに少しく驚くことよろしく、その代りに

(こんざつしないでいいなどのせりふあり、ふたりはぶらぶらと)

混雑しないで好いなどの台詞(せりふ)あり、二人はぶらぶらと

(かみてへゆきかかるーー。)

上手へゆきかかるーー。

(ここまでほんよみをすれば、だれでもとうじょうじんぶつをそうぞうするであろう。)

ここまで本読みをすれば、誰でも登場人物を想像するであろう。

(ろうじんはれいのはんしちろうじんで、せいねんはわたしである。ろうじんはわたしのとうにしたがって)

老人は例の半七老人で、青年はわたしである。老人はわたしの問うにしたがって

(あさくさあたりのむかしばなしをきかせてくれた。しょうでんさまや)

浅草あたりの昔話を聞かせてくれた。聖天(しょうでん)さまや

(そですりいなりのはなしもでた。それからだんだんにはながさいて、)

袖摺(そですり)稲荷の話も出た。それからだんだんに花が咲いて、

(ろうじんはとうとうわたしにつりだされた。)

老人はとうとう私に釣り出された。

(「いや、まったくむかしはいろいろふしぎなことがありましたよ。)

「いや、まったく昔はいろいろ不思議なことがありましたよ。

(そのそですりいなりでおもいだしましたが・・・・・・。まあ、あるきながらはなしましょう」)

その袖摺いなりで思い出しましたが……。まあ、あるきながら話しましょう」

(これはあんせいごねんのしょうがつじゅうしちにちのできごとである。)

…… これは安政五年の正月十七日の出来事である。

(あさくさそですりいなりのそばにあるくろぬままごはちというはたもとやしきのおおやねのうえに、)

浅草袖摺稲荷のそばにある黒沼孫八という旗本屋敷の大屋根のうえに、

(とうねんさん、よんさいぐらいのおんなのこのしがいがうつぶせによこたわっていたが、)

当年三、四歳ぐらいの女の子の死骸がうつ伏せに横たわっていたが、

(やねのうえであるからやしきのものもすぐにははっけんしなかった。)

屋根のうえであるから屋敷の者もすぐには発見しなかった。

(かえってとなりやしきのものにはやくみつけられて、くろぬまけでもはじめてそれをしって)

かえって隣り屋敷の者に早く見つけられて、黒沼家でも初めてそれを知って

(さわぎだしたのはあさのいつつ(ごぜんはちじ)をすぎたころであった。)

騒ぎ出したのは朝の五ツ(午前八時)を過ぎた頃であった。

(あしがるとちゅうげんがながばしごをかけて、あさじものまだうすじろくきえのこっている)

足軽と中間(ちゅうげん)が長梯子をかけて、朝霜のまだ薄白く消え残っている

(おおやねにのぼってみると、それはたしかにおさないおんなのこで、)

大屋根にのぼって見ると、それはたしかに幼い女の児で、

(みなりもみぐるしくない、きりょうもみにくくない。)

服装(みなり)も見苦しくない、容貌(きりょう)も醜くない。

(とにかくかつぎおろしてみのまわりをあらためたが、かのじょはこしぎんちゃくを)

とにかく担ぎおろして身のまわりをあらためたが、彼女は腰巾着を

(つけていなかった。まいごふだもさげていなかった。したがって、)

着けていなかった。迷子札もさげていなかった。したがって、

(どこのなにものだかをさぐりだすてがかりもないので、)

何処の何者だかを探り出す手がかりも無いので、

(みなもしばらくかおをみあわせていた。)

皆もしばらく顔を見合わせていた。

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