半七捕物帳 広重と河獺10

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第十話

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問題文

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(「はんしち。よくきいてみろ」と、よりきはいっしょについてきたはんしちにいった。)

「半七。よく訊いてみろ」と、与力は一緒について来た半七に云った。

(「かしこまりました。もし、どうぐやのごいんきょさん。おやくにんしゅうのまえですからね。)

「かしこまりました。もし、道具屋の御隠居さん。お役人衆の前ですからね。

(よくまちがわないようにもうしたってくださいよ」と、はんしちはまずねんを)

よく間違わないように申し立ってくださいよ」と、半七はまず念を

(おしておいて、ゆうべのてんまつをじゅうえもんにきいた。)

押して置いて、ゆうべの顛末(てんまつ)を十右衛門に訊いた。

(「いったいゆうべはどこへなにしにいきなすったんだ」)

「一体ゆうべは何処へなにしに行きなすったんだ」

(「なかのごうもとまちのおはたもとおおつきごんだゆうさまのおやしきへ)

「中の郷元町(もとまち)の御旗本大月権太夫様のお屋敷へ

(せがれのみょうだいとしてまかりでまして、さきごろおさめましたる)

伜の名代(みょうだい)として罷(まか)り出まして、先ごろ納めましたる

(おどうぐのだいきんごじゅうりょうをちょうだいいたしてまいりました」)

お道具の代金五十両を頂戴いたしてまいりました」

(「もとまちへいったかえりならげんもりばしのほうへかかりそうなもんだが、)

「元町へ行った帰りなら源森橋の方へかかりそうなもんだが、

(どこかみちよりでもしなすったか」)

どこか路寄りでもしなすったか」

(「はい。まことにめんぼくもないしだいでございますが、なかのごうかわらちょうの)

「はい。まことに面目もない次第でございますが、中の郷瓦町の

(おもとともうすおんなのところへたちよりましてございます」)

お元と申す女のところへ立ち寄りましてございます」

(「そのおもとというのはおまえさんがせわでもしていなさるのかえ」)

「そのお元というのはお前さんが世話でもしていなさるのかえ」

(「さようでございます」)

「左様でございます」

(おもとはさんねんごしせわをしているが、あまりこころがらのよくないおんなで、)

お元は三年越し世話をしているが、あまり心柄のよくない女で、

(たびたびむしんがましいことをいう。げんにゆうべもおもとのうちへよると、)

たびたび無心がましいことを云う。現にゆうべもお元の家へ寄ると、

(かれのいとこだといってひきあわされたまさきちというわかいおとこがいて、)

かれの従弟(いとこ)だといって引きあわされた政吉という若い男がいて、

(じぶんにしきりにさけをすすめたが、こっちはのめないくちであるから)

自分にしきりに酒をすすめたが、こっちは飲めない口であるから

(かたくじたいした。おいおいさむぞらにむかってくるからうつりかえのめんどうを)

堅く辞退した。おいおい寒空にむかって来るから移り替えの面倒を

(みてくれとおもとからしきりにせがまれたが、それもふところの)

見てくれとお元から頻りに強請(せが)まれたが、それもふところの

など

(ぐあいがわるいのでことわってでてきた。そのきとに、かれはかわらちょうのかわばたで)

具合が悪いので断わって出て来た。その帰途に、かれは瓦町の川ばたで

(さいなんにあったものである。あのあたりにはかわうそがでるというから)

災難に逢ったものである。あの辺には河獺が出るというから

(じぶんもいったんはかわうそのしわざであろうかとおもっていたのであるが、)

自分も一旦は河獺の仕業であろうかと思っていたのであるが、

(うちへかえってみると、かのごじゅうりょうをいれたさいふがない。してみると、)

家へ帰ってみると、かの五十両をいれた財布がない。して見ると、

(どうもかわうそではないらしい。よっていちおうのおとどけをいたしたしだいであると、)

どうも河獺ではないらしい。よって一応のお届けをいたした次第であると、

(じゅうえもんはおずおずもうしたてた。)

十右衛門はおずおず申し立てた。

(「そのおもとというのはいくつですね」)

「そのお元というのは幾歳(いくつ)ですね」

(「じゅうくになりまして、ははとふたりぐらしでございます」)

「十九になりまして、母と二人暮らしでございます」

(「いとこのまさきちというのは・・・・・・」)

「従弟の政吉というのは……」

(「にじゅういちにでございましょうか。おもとのうちへしげしげでいりしているようで)

「二十一二でございましょうか。お元の家へしげしげ出入りしているようで

(ございますが、わたくしはゆうべはじめてあいましたので、)

ございますが、わたくしはゆうべ初めて逢いましたので、

(みもとなぞもよくぞんじません」)

身許なぞもよく存じません」

(ひととおりのせんぎはすんでじゅうえもんはさげられた。かれのもうしたてによると、)

一と通りの詮議は済んで十右衛門は下げられた。彼の申し立てによると、

(そのうたがいはとうぜんおもとというじゅうくのおんなのうえにおかれなければならなかった。)

その疑いは当然お元という十九の女のうえに置かれなければならなかった。

(いとこのまさきちというのはかのじょのいろで、じゅうえもんのかいちゅうにごじゅうりょうの)

従弟の政吉というのは彼女の情夫(いろ)で、十右衛門の懐中に五十両の

(かねをもっているのをしって、あとからつけてきてごうだつしたのであろう。)

金をもっているのを知って、あとから尾(つ)けて来て強奪したのであろう。

(やくにんたちのかんていはみなそれにいっちした。はんしちもそうかんがえるよりほかはなかった。)

役人たちの鑑定は皆それに一致した。半七もそう考えるよりほかはなかった。

(しかしかねがないというだけのことで、すぐにおもとをうたがうわけにもいかなかった。)

併し金がないというだけのことで、すぐにお元を疑うわけにも行かなかった。

(かれはとちゅうでとりおとしたかもしれない。よもやとおもっても、)

かれは途中で取り落としたかも知れない。よもやと思っても、

(かごのなかにおきわすれてきたかもしれない。ともかくもなかのごうへいって、)

駕籠のなかに置き忘れて来たかも知れない。ともかくも中の郷へ行って、

(そのおもとというおんなのみもとをじゅうぶんにあらったうえのことだとはんしちはおもった。)

そのお元という女の身許を十分に洗った上のことだと半七は思った。

(かれはそれからすぐにじしんばんをでて、じゅうえもんのきずのてあてをしたという)

彼はそれからすぐに自身番を出て、十右衛門の疵の手当をしたという

(いしをたずねた。そうしてそのきずのあとについてかれのかんていをききだしたが、)

医師をたずねた。そうしてその疵の痕について彼の鑑定を訊きだしたが、

(いしにはたしかなことはわからないらしかった。するどいつめでばらがきに)

医師には確かなことは判らないらしかった。鋭い爪で茨搔(ばらが)きに

(ひっかきまわしたのか、あるいはなまくらのちいさいはものでめったやたらに)

引っ搔きまわしたのか、あるいは鈍刀(なまくら)の小さい刃物で滅多やたらに

(つききったのか、そのあたりはよくわからないとのことであった。)

突き斬ったのか、その辺はよく判らないとのことであった。

(ことにこうしたけいじもんだいにたいしてはごにちのめんどうをおそれてなにごとも)

殊にこうした刑事問題に対しては後日(ごにち)の面倒を恐れて何事も

(はっきりとはいいきらないかたむきがあるので、はんしちもようりょうをえずにひきとった。)

はっきりとは云い切らない傾きがあるので、半七も要領を得ずに引き取った。

(「こんにちならばわけのないことなんですがね、むかしはこれだから)

「今日(こんにち)ならば訳のないことなんですがね、昔はこれだから

(こまりましたよ」と、はんしちろうじんはここでちゅうをいれてせつめいした。)

困りましたよ」と、半七老人はここで註を入れて説明した。

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