半七捕物帳 広重と河獺14(終)

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岡本綺堂 半七捕物帳シリーズ 第十話

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問題文

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(それはかわうそであった。おおきいいっぴきのかわうそがしんでうきあがったのである。)

それは河獺であった。大きい一匹の河獺が死んで浮き上がったのである。

(かわうそのくびにはさいふのひもがかたくまきついていた。そうして、)

河獺の首には財布の紐が堅くまき付いていた。そうして、

(そのさいふのなかにはよんじゅうりょうあまりのこばんがはいっていた。)

その財布のなかには四十両あまりの小判がはいっていた。

(あらものやのふうふがそうぞうしたとおり、くらいあめのよるにじゅうえもんをおそったのは、)

荒物屋の夫婦が想像した通り、暗い雨の夜に十右衛門を襲ったのは、

(やはりこのかわにすむかわうそであった。いたずらもののかれはかさのうえに)

やはりこの川にすむ河獺であった。いたずら者の彼は傘のうえに

(とびあがって、にんげんのかおやくびすじをむやみにひっかいた。)

飛びあがって、人間の顔や頸筋をむやみに引っ搔いた。

(そのはずみにさいふのひもがかれのつめにひっかかって、さいふは)

そのはずみに財布の紐が彼の爪に引っかかって、財布は

(じゅうえもんのくびからぬけだしてさらにかれのくびにまきついた。)

十右衛門の首からぬけ出して更に彼の首に巻き付いた。

(にまいのこばんはそのときにさいふのくちからころげだしたのであろう。)

二枚の小判はその時に財布の口からころげ出したのであろう。

(かれはさいふをくびにかけたままでもとのかわへとびこんだから、)

かれは財布を頸にかけたままで元の川へ飛び込んだから、

(こばんのおもみでそのひもがつよくつれるので、かれはそれをとりのけようとして)

小判の重みで其の紐が強く吊れるので、かれはそれを取り除けようとして

(しきりにまえあしをはたらかせるうちに、ひもはいじわるくこぐらかって)

頻りに前脚を働かせるうちに、紐は意地わるくこぐらかって

(からみついて、かれはじぶんでじぶんのくびをしめてしまった。)

絡み付いて、かれは自分で自分の頸を絞めてしまった。

(しんでもかれはよういにうかばなかった。くびにさいふをかけていたからである。)

死んでもかれは容易に浮かばなかった。頸に財布をかけていたからである。

(し、ごにちふりつづいたあめがはれて、かわのみずがだんだんやせるにつれて、)

四、五日降りつづいた雨が晴れて、川の水がだんだん痩せるに連れて、

(きしのあさいところにかれのおやあしがあらわれてきた。そうして、まさきちのえんざいを)

岸の浅い処にかれの尾や足があらわれて来た。そうして、政吉の冤罪を

(しょうめいしたのであった。まさきちはたんにしかりおくというだけでゆるされた。)

証明したのであった。政吉は単に叱り置くというだけで赦された。

(じゅうえもんもさいしょはかわうそであろうとおもっていたらしい。しかも)

十右衛門も最初は河獺であろうと思っていたらしい。しかも

(あらものやのにょうぼうにいっしゅのれいをやったときに、さいふのふんしつしているのを)

荒物屋の女房に一朱の礼をやった時に、財布の紛失しているのを

(はっけんするとどうじに、かれはふとあることをおもいうかんだ。)

発見すると同時に、彼は不図(ふと)あることを思い浮かんだ。

など

(それはおもととまさきちとにたいするしっとからわきだしたいっしゅのふくしゅうしんで、)

それはお元と政吉とに対する嫉妬から湧き出した一種の復讐心で、

(たといかれらがほんとうのざいにんにおちないまでも、いったんはそのうたがいを)

たとい彼等がほんとうの罪人に落ちないまでも、一旦はその疑いを

(うけてばんやへよびだされたり、あるいはなわつきになったりして、)

うけて番屋へ呼び出されたり、あるいは縄付きになったりして、

(いろいろのなんぎやめいわくをするのをとおくからけんぶつしていようという、)

いろいろの難儀や迷惑をするのを遠くから見物していようという、

(きわめてざんこくないんぼうであった。)

極めて残酷な陰謀であった。

(しょうこのあがらないうちは、はんしちもおもいきったことをいうわけにも)

証拠のあがらないうちは、半七も思い切ったことをいうわけにも

(いかなかったが、まさきちのむざいがしょうこだてられたいじょう、かれはじゅうえもんを)

行かなかったが、政吉の無罪が証拠立てられた以上、彼は十右衛門を

(にくんでちくちくいためつけたので、じゅうえもんもさすがにきょうしゅくして、)

憎んでちくちく痛め付けたので、十右衛門もさすがに恐縮して、

(けっきょく、そのかわうそのくびにかけていたよんじゅうなんりょうのかねをてぎれきんとして)

結局、その河獺の頸にかけていた四十何両の金を手切金として

(おもとにわたすことになった。)

お元に渡すことになった。

(おもととまさきちはふうふづれではんしちのうちへれいにきた。)

お元と政吉は夫婦づれで半七の家へ礼に来た。

(「あいかわらずおしゃべりをしてしまいました。このむこうじまはまだ、)

…… 「相変わらずおしゃべりをしてしまいました。この向島はまだ、

(かっぱやへびのとりもののおはなしもありますがね。それはまたいつかもうしあげましょう。)

河童や蛇の捕物のお話もありますがね。それは又いつか申し上げましょう。

(いや、おちゃだいはわたくしにはらわせてください。としよりにはじをかかしちゃ)

いや、お茶代はわたくしに払わせてください。年寄りに恥をかかしちゃ

(いけない」と、はんしちろうじんはふところからおにさらさのかみいれを)

いけない」と、半七老人はふところから鬼更紗(おにさらさ)の紙入れを

(とりだして、いくらかのちゃだいをおいた。)

とり出して、幾らかの茶代を置いた。

(ちゃみせのむすめとわたしとはどうじにあたまをさげた。)

茶店の娘とわたしとは同時に頭を下げた。

(「さあ、まいりましょう。むこうじまもまったくかわりましたね」)

「さあ、まいりましょう。向島もまったく変りましたね」

(ろうじんはあたりをながめながらたちあがるをきのかしら、どこかのこうじょうの)

老人はあたりを眺めながら起ち上がるを木の頭(かしら)、どこかの工場の

(きてきのおとにちょんちょん、まく。むかしのしばいにこんななりものはないはずである。)

汽笛の音にチョンチョン、幕。むかしの芝居にこんな鳴物はない筈である。

(なるほどむこうじまもかわったにそういないとおもった。)

なるほど向島も変ったに相違ないと思った。

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