谷崎潤一郎 痴人の愛 5

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね2お気に入り登録1
プレイ回数885難易度(4.5) 6726打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
最近読み終わりました
私のお気に入りです
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 sada 2822 E+ 2.9 95.6% 2282.5 6750 307 100 2024/11/17

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問題文

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(もちろんわたしのきょうりのほうへも、こんどげしゅくをひきはらっていっけんやをもったこと、じょちゅうかわりに)

勿論私の郷里の方へも、今度下宿を引払って一軒家を持ったこと、女中代わりに

(じゅうごになるしょうじょをやといいれたこと、などをしらせてやりましたけれど、かのじょと)

十五になる少女を雇い入れたこと、などを知らせてやりましたけれど、彼女と

(「ともだちのように」くらすとはいってやりませんでした。くにのほうからみうちのものが)

「友達のように」暮らすとは云ってやりませんでした。国の方から身内の者が

(たずねてくることはめったにないのだし、いずれそのうち、しらせるひつようが)

訪ねて来ることはめったにないのだし、いずれそのうち、知らせる必要が

(おこったばあいにはしらせてやろうと、そうかんがえていたのです。)

起こった場合には知らせてやろうと、そう考えていたのです。

(わたしたちはしばらくのあいだ、このめずらしいしんきょにふさわしいいろいろのかぐをかいもとめ、)

私たちは暫くの間、この珍らしい新居にふさわしいいろいろの家具を買い求め、

(それらをそれぞれはいちしたりかざりつけたりするために、いそがしい、しかしたのしい)

それらをそれぞれ配置したり飾りつけたりするために、忙しい、しかし楽しい

(つきひをおくりました。わたしはなるべくかのじょのしゅみをけいはつするように、ちょっとした)

月日を送りました。私は成るべく彼女の趣味を啓発するように、ちょっとした

(かいものをするのにもじぶんひとりではきわめないで、かのじょのいけんをいわせるようにし、)

買物をするのにも自分一人では極めないで、彼女の意見を云わせるようにし、

(かのじょのあたまからでるかんがえをできるだけさいようしたものですが、もともとたんすだのながひばち)

彼女の頭から出る考を出来るだけ採用したものですが、もともと箪笥だの長火鉢

(だのというような、ありきたりのしょたいどうぐはおきどころのないいえであるだけ、したがって)

だのと云うような、在り来りの世帯道具は置き所のない家であるだけ、従って

(せんたくもじゆうであり、どうでもじぶんなどのすきなようにいしょうをほどこせるのでした。)

選択も自由であり、どうでも自分等の好きなように意匠を施せるのでした。

(わたしたちはいんどさらさのやすものをみつけてきて、それをなおみがあぶなっかしいてつきで)

私たちは印度更紗の安物を見つけて来て、それをナオミが危ッかしい手つきで

(ぬってまどかけにつくり、しばくちのせいようかぐやからふるいとういすだのそおふぁだの、)

縫って窓かけに作り、芝口の西洋家具屋から古い籐椅子だのソオファだの、

(やすらいいすだの、てーぶるだのをさがしてきてあとりえにならべ、かべにはめりー・)

安楽椅子だの、テーブルだのを捜して来てアトリエに並べ、壁にはメリー・

(ぴくふぉーどをはじめ、あめりかのかつどうじょゆうのしゃしんをふたつみつつるしました。)

ピクフォードを始め、亜米利加の活動女優の写真を二つ三つ吊るしました。

(そしてわたしはねどうぐなども、できることならせいようりゅうにしたいとおもったのですけれど)

そして私は寝道具なども、出来ることなら西洋流にしたいと思ったのですけれど

(べっどをふたつもかうとなるとにゅうひがかけるばかりではなく、やぐぶとんならいなかのいえ)

ベッドを二つも買うとなると入費が懸るばかりではなく、夜具布団なら田舎の家

(からおくってもらえるべんぎがあるので、とうとうそれはあきらめなければなりません)

から送って貰える便宜があるので、とうとうそれはあきらめなければなりません

(でした。が、なおみのためめにいなかからおくってよこしたのは、じょちゅうをねかすやぐ)

でした。が、ナオミの為めに田舎から送ってよこしたのは、女中を寝かす夜具

など

(でしたから、おやくそくのからくさもようの、ごわごわしたもめんのせんべいぶとんでした。わたしは)

でしたから、お約束の唐草模様の、ゴワゴワした木綿の煎餅布団でした。私は

(なんだかかわいそうなきがしたので、)

何だか可哀そうな気がしたので、

(「これではちょっとひどすぎるね、ぼくのふとんといちまいとりかえてあげようか」)

「これではちょっとひど過ぎるね、僕の布団と一枚取換えて上げようか」

(と、そういいましたが、)

と、そう云いましたが、

(「ううん、いいの、あたしこれでたくさん」)

「ううん、いいの、あたしこれで沢山」

(といって、かのじょはそれをひっかぶって、ひとりさびしくやねうらのさんじょうのへやにねました)

と云って、彼女はそれを引っ被って、独り寂しく屋根裏の三畳の部屋に寝ました

(わたしはかのじょのとなりのへやおなじやねうらの、よじょうはんのほうへねるのでしたが、)

私は彼女の隣りの部屋同じ屋根裏の、四畳半の方へ寝るのでしたが、

(まいあさまいあさ、めをさますとわたしたちは、むこうのへやとこっちのへやとで、ふとんのなかに)

毎朝々々、眼をさますと私たちは、向うの部屋と此方の部屋とで、布団の中に

(もぐりながらこえをかけあったものでした。)

もぐりながら声を掛け合ったものでした。

(「なおみちゃん、もうおきたかい?」)

「ナオミちゃん、もう起きたかい?」

(と、わたしがいいます。)

と、私が云います。

(「ええ、おきてるわ、いまもうなんじ?」)

「ええ、起きてるわ、今もう何時?」

(と、かのじょがおうじます。)

と、彼女が応じます。

(「ろくじはんだよ、けさはぼくがおまんまをたいてあげようか」)

「六時半だよ、今朝は僕がおまんまを炊いてあげようか」

(「そう?きのうあたしがたいたんだから、きょうはじょうじさんがたいてもいいわ」)

「そう?昨日あたしが炊いたんだから、今日は譲治さんが炊いてもいいわ」

(「じゃしかたがない、たいてやろうか。めんどうだからそれともぱんですましとこうか)

「じゃ仕方がない、炊いてやろうか。面倒だからそれともパンで済ましとこうか

(「ええ、いいわ、だけどじょうじさんはずいぶんずるいわ」)

「ええ、いいわ、だけど譲治さんは随分ずるいわ」

(そしてわたしたちは、ごはんがたべたければちいさなどなべでべいをかしぎ、べつにおひつへうつす)

そして私たちは、御飯がたべたければ小さな土鍋で米を炊ぎ、別にお櫃へ移す

(までもなくてーぶるのうえへもってきて、かんづめかなにかをつっつきながらしょくじを)

までもなくテーブルの上へ持って来て、罐詰か何かを突ッつきながら食事を

(します。それもうるさくていやだとおもえば、ぱんにぎゅうにゅうにじゃむでごまかしたり、)

します。それもうるさくて厭だと思えば、パンに牛乳にジャムでごまかしたり、

(せいようがしをつまんでおいたり、ばんめしなどはそばやうどんでまにあわせたり、すこし)

西洋菓子を摘まんで置いたり、晩飯などはそばやうどんで間に合わせたり、少し

(ごちそうがほしいときにはふたりできんじょのようしょくやまででかけていきます。)

御馳走が欲しい時には二人で近所の洋食屋まで出かけて行きます。

(「じょうじさん、きょうはびふてきをたべさせてよ」)

「譲治さん、今日はビフテキをたべさせてよ」

(などとかのじょは、よくそんなことをいったものです。)

などと彼女は、よくそんなことを云ったものです。

(あさめしをすませると、わたしはなおみをひとりのこしてかいしゃへでかけます。かのじょはごぜんちゅうは)

朝飯を済ませると、私はナオミを独り残して会社へ出かけます。彼女は午前中は

(かだんのくさばなをいじくったりして、ごごになるからからっぽのいえにじょうをおろして、)

花壇の草花をいじくったりして、午後になるからからッぽの家に錠をおろして、

(えいごとおんがくのけいこにいきました。えいごはむしろはじめからせいようじんについたほうが)

英語と音楽の稽古に行きました。英語は寧ろ始めから西洋人に就いた方が

(よかろうというので、めぐろにすんでいるあめりかじんのろうじょうのみす・はりそんと)

よかろうと云うので、目黒に住んでいる亜米利加人の老嬢のミス・ハリソンと

(いうひとのところへ、いちにちおきにかいわとりーだーをならいにいって、たりないところは)

云う人の所へ、一日置きに会話とリーダーを習いに行って、足りないところは

(わたしがいえでときどきさらってやることにしました。おんがくのほうは、これはまったくわたしには)

私が家でときどき浚ってやることにしました。音楽の方は、これは全く私には

(どうしたらいいかわかりませんでしたが、にさんねんまえにうえののおんがくがっこうをそつぎょうした)

どうしたらいいか分りませんでしたが、二三年前に上野の音楽学校を卒業した

(あるふじんが、じぶんのいえでぴあのとせいがくをおしえるというはなしをきき、このほうはまいにち)

或る婦人が、自分の家でピアノと声楽を教えると云う話を聞き、この方は毎日

(しばのいさらごまでいちじかんずつじゅぎょうをうけにいくのでした。なおみはめいせんのきもののうえ)

芝の伊皿子まで一時間ずつ授業を受けに行くのでした。ナオミは銘仙の着物の上

(にこんのかしみやのはかまをつけ、くろいくつしたにかわいいちいさなはんぐつをはき、すっかり)

に紺のカシミヤの袴をつけ、黒い靴下に可愛い小さな半靴を穿き、すっかり

(じょがくせいになりすまして、じぶんのりそうがようようかなったうれしさにむねをときめかせ)

女学生になりすまして、自分の理想がようようかなった嬉しさに胸をときめかせ

(ながら、せっせとかよいました。おりおりかえりとなどにかのじょとおうらいであったり)

ながら、せっせと通いました。おりおり帰り途などに彼女と往来で遇ったり

(すると、もうどうしてもせんぞくちょうにそだったむすめで、かふええのじょきゅうをしていたものとは)

すると、もうどうしても千束町に育った娘で、カフエエの女給をしていた者とは

(おもえませんでした。かみもそのあとはももわれにゆったことはいちどもなく、りぼんで)

思えませんでした。髪もその後は桃割れに結ったことは一度もなく、リボンで

(むすんで、そのさきをあんで、おさげにしてたらしていました。)

結んで、その先を編んで、お下げにして垂らしていました。

(わたしはまえに「ことりをかうようなこころもち」といいましたっけが、かのじょはこちらへ)

私は前に「小鳥を飼うような心持」と云いましたっけが、彼女は此方へ

(ひきとられてからかおいろなどもだんだんけんこうそうになり、せいしつもしだいにかわってきて)

引き取られてから顔色などもだんだん健康そうになり、性質も次第に変って来て

(ほんとうにかいかつな、はれやかなことりになったのでした。そしてそのだだっぴろい)

ほんとうに快活な、晴れやかな小鳥になったのでした。そしてそのだだッ広い

(あとりえのひとまは、かのじょのためにはおおきなとりかごだったのです。ごがつもくれて)

アトリエの一と間は、彼女のためには大きな鳥籠だったのです。五月も暮れて

(あかるいしょかのきこうがくる。かだんのはなはひましにのびてしきさいをましてくる。わたしは)

明るい初夏の気候が来る。花壇の花は日増しに伸びて色彩を増して来る。私は

(かいしゃから、かのじょはけいこから、ゆうがたいえへかえってくると、いんどさらさのまどかけをもれる)

会社から、彼女は稽古から、夕方家へ帰って来ると、印度更紗の窓かけを洩れる

(たいようは、まっしろなかべでぬられたへやのしほうを、いまだにかっきりとひるまのように)

太陽は、真っ白な壁で塗られた部屋の四方を、いまだにカッキリと昼間のように

(てらしている。かのじょはふらんねるのひとえをきて、すあしにすりっぱをつっかけて、)

照らしている。彼女はフランネルの単衣を着て、素足にスリッパを突ッかけて、

(とんとんゆかをふみながらならってきたうたをうたったり、わたしをあいてにめかくしだの)

とんとん床を踏みながら習って来た唄を歌ったり、私を相手に目隠しだの

(おにごっこをしてあそんだり、そんなときにはあとりえじゅうをぐるぐるとはしりまわって)

鬼ごッこをして遊んだり、そんな時にはアトリエ中をぐるぐると走り廻って

(てーぶるのうえをとびこえたり、そおふぁのしたにもぐりこんだり、いすをひっくり)

テーブルの上を飛び越えたり、ソオファの下にもぐり込んだり、椅子を引っ繰り

(かえしたり、まだたらないではしごだんをかけあがっては、れいのさじきのようなやねうらの)

覆したり、まだ足らないで梯子段を駆け上がっては、例の桟敷のような屋根裏の

(ろうかを、ねずみのごとくちょこちょこといったりきたりするのでした。いちどはわたしがうまに)

廊下を、鼠の如くチョコチョコと往ったり来たりするのでした。一度は私が馬に

(なってかのじょをせなかにのせたまま、へやのなかをはってあるいたことがありました。)

なって彼女を背中に乗せたまま、部屋の中を這って歩いたことがありました。

(「はい、はい、どう、どう!」)

「ハイ、ハイ、ドウ、ドウ!」

(といいながら、なおみはてぬぐいをたづなにして、わたしにそれをくわえさせたりしたもの)

と云いながら、ナオミは手拭を手綱にして、私にそれを咬えさせたりしたもの

(です。やはりそういうあそびのひのできごとでしたろう、なおみがきゃっきゃっ)

です。矢張そう云う遊びの日の出来事でしたろう、ナオミがきゃっきゃっ

(とわらいながら、あまりげんきにはしごだんをあがったりおりたりしすぎたので、)

と笑いながら、あまり元気に梯子段を上がったり下りたりし過ぎたので、

(とうとうあしをふみはずしててっぺんからころげおち、きゅうにしくしくなきだしたことが)

とうとう足を踏み外して頂辺から転げ落ち、急にしくしく泣き出したことが

(ありましたのは。)

ありましたのは。

(「おい、どうしたの、どこをうったんだかみせてごらん」)

「おい、どうしたの、何処を打ったんだか見せて御覧」

(と、わたしがそういってだきおこすと、かのじょはそれでもまだしくしくとはなをならしつつ)

と、私がそう云って抱き起すと、彼女はそれでもまだしくしくと鼻を鳴らしつつ

(たもとをまくってみせましたが、おちるひょうしにくぎかなにかにさわったのでしょう、)

袂をまくって見せましたが、落ちる拍子に釘か何かに触ったのでしょう、

(ちょうどみぎうでのひじのところのかわがやぶれて、ちがにじみでているのでした。)

ちょうど右腕の肘のところの皮が破れて、血がにじみ出ているのでした。

(「なにだい、これっぽちのことでなくなんて!さ、ばんそうこうをはってやるからこっちへ)

「何だい、これッぽちの事で泣くなんて!さ、絆創膏を貼ってやるから此方へ

(おいで」)

おいで」

(そしてこうやくをはってやり、てぬぐいをさいてほうたいをしてやるあいだも、なおみはいっぱいなみだを)

そして膏薬を貼ってやり、手拭を裂いて繃帯をしてやる間も、ナオミは一杯涙を

(ためて、ぽたぽたはなをしたたらしながらしゃくりあげるかおつきが、まるでがんぜない)

ためて、ぽたぽた洟を滴らしながらしゃくり上げる顔つきが、まるで頑是ない

(こどものようでした。きずはそれからうんわるくうみをもって、ごろくにちなおりませんでしたが)

子供のようでした。傷はそれから運悪く膿を持って、五六日直りませんでしたが

(まいにちほうたいをとりかえてやるたびごとに、かのじょはきっとなかないことはなかったのです)

毎日繃帯を取り替えてやる度毎に、彼女はきっと泣かないことはなかったのです

(しかし、わたしはすでにそのころなおみをこいしていたかどうか、それはじぶんにはよく)

しかし、私は既にその頃ナオミを恋していたかどうか、それは自分にはよく

(わかりません。そう、たしかにこいはしてはいたのでしょうが、じぶんじしんのつもり)

分りません。そう、たしかに恋はしてはいたのでしょうが、自分自身のつもり

(ではむしろかのじょをそだててやり、りっぱなふじんにしこんでやるのがたのしみなので、ただ)

では寧ろ彼女を育ててやり、立派な婦人に仕込んでやるのが楽しみなので、ただ

(それだけでもまんぞくできるようにおもっていたのです。が、そのとしのなつ、かいしゃのほう)

それだけでも満足出来るように思っていたのです。が、その年の夏、会社の方

(からにしゅうかんのきゅうかがでたので、まいとしのれいでわたしはきせいすることになり、なおみを)

から二週間の休暇が出たので、毎年の例で私は帰省することになり、ナオミを

(あさくさのじっかへあずけ、おおもりのいえにとじまりをして、さていなかへいってみると、その)

浅草の実家へ預け、大森の家に戸締りをして、さて田舎へ行って見ると、その

(にしゅうかんというものが、たまらなくわたしにはたんちょうで、さびしくかんぜられたものです。)

二週間と云うものが、たまらなく私には単調で、淋しく感ぜられたものです。

(あのこがいないとこんなにもつまらないものかしらん、これがれんあいのはじまりなの)

あの児が居ないとこんなにもつまらないものか知らん、これが恋愛の初まりなの

(ではないかしらん、と、そのときはじめてかんがえました。そしてははおやのまえをいいかげんに)

ではないか知らん、と、その時始めて考えました。そして母親の前を好い加減に

(いいつくろって、よていをはやめてとうきょうへつくと、もうよるのじゅうじすぎでしたけれど、)

云い繕って、予定を早めて東京へ着くと、もう夜の十時過ぎでしたけれど、

(いきなりうえののていしゃじょうからなおみのいえまでたくしーをはしらせました。)

いきなり上野の停車場からナオミの家までタクシーを走らせました。

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