谷崎潤一郎 痴人の愛 6
私のお気に入りです
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 布ちゃん | 5535 | A | 5.8 | 94.6% | 915.5 | 5372 | 304 | 98 | 2024/11/12 |
2 | sada | 2729 | E | 2.8 | 95.5% | 1881.2 | 5386 | 252 | 98 | 2024/11/17 |
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問題文
(「なおみちゃん、かえってきたよ。かどにじどうしゃがまたしてあるから、これから)
「ナオミちゃん、帰って来たよ。角に自動車が待たしてあるから、これから
(すぐにおおもりへいこう」)
直ぐに大森へ行こう」
(「そう、じゃいますぐいくわ」)
「そう、じゃ今直ぐ行くわ」
(といって、かのじょはわたしをこうしのそとへまたしておいて、やがてちいさなふろしきづつみをさげ)
と云って、彼女は私を格子の外へ待たして置いて、やがて小さな風呂敷包を提げ
(ながらでてきました。それはだいそうむしあついばんのことでしたが、なおみは)
ながら出て来ました。それは大そう蒸し暑い晩のことでしたが、ナオミは
(しろっぽい、ふわふわした、うすむらさきのぶどうのもようのあるもすりんのひとえをまとって、)
白っぽい、ふわふわした、薄紫の葡萄の模様のあるモスリンの単衣を纏って、
(はばのひろい、はでなときいろのりぼんでかみをむすんでいました。そのもすりんはせんだっての)
幅のひろい、派手な鴇色のリボンで髪を結んでいました。そのモスリンは先達の
(おぼんにかってやったので、かのじょはそれをるすのあいだに、じぶんのいえでしたててもらって)
お盆に買ってやったので、彼女はそれを留守の間に、自分の家で仕立てて貰って
(きていたのです。)
着ていたのです。
(「なおみちゃん、まいにちなにをしていたんだい?」)
「ナオミちゃん、毎日何をしていたんだい?」
(くるまがにぎやかなひろこうじのほうへはしりだすと、わたしはかのじょとならんでこしかけ、こころもち)
車が賑やかな広小路の方へ走り出すと、私は彼女と並んで腰かけ、こころもち
(かのじょのほうへかおをすりよせるようにしながらいいました。)
彼女の方へ顔をすり寄せるようにしながら云いました。
(「あたしまいにちかつどうしゃしんをみにいってたわ」)
「あたし毎日活動写真を見に行ってたわ」
(「じゃ、べつにさびしくはなかったろうね」)
「じゃ、別に淋しくはなかったろうね」
(「ええ、べつにさびしいことなんかなかったけれど、・・・・・・・・・」)
「ええ、別に淋しいことなんかなかったけれど、・・・・・・・・・」
(そういってかのじょはちょっとかんがえて、)
そう云って彼女はちょっと考えて、
(「でもじょうじさんは、おもったよりはやくかえってきたのね」)
「でも譲治さんは、思ったより早く帰って来たのね」
(「いなかにいたってつまらないから、よていをきりあげてきちまったんだよ。)
「田舎にいたってつまらないから、予定を切り上げて来ちまったんだよ。
(やっぱりとうきょうがいちばんだなあ」)
やっぱり東京が一番だなア」
(わたしはそういってほっとためいきをつきながら、まどのそとにちらちらしているとかいのよるの)
私はそう云ってほっと溜息をつきながら、窓の外にちらちらしている都会の夜の
(はなやかなほかげを、いいようのないなつかしいきもちでながめたものです。)
花やかな灯影を、云いようのない懐かしい気持ちで眺めたものです。
(「だけどあたし、なつはいなかもいいとおもうわ」)
「だけどあたし、夏は田舎もいいと思うわ」
(「そりゃいなかにもよりけりだよ、ぼくのいえなんかくさぶかいひゃくしょうやで、きんじょのけしきは)
「そりゃ田舎にもよりけりだよ、僕の家なんか草深い百姓家で、近所の景色は
(へいぼんだし、めいしょこせきがあるわけじゃなし、まっぴるまからかだのはえだのがぶんぶんと)
平凡だし、名所古蹟がある訳じゃなし、真っ昼間から蚊だの蝿だのがぶんぶんと
(うめきって、とてもあつくってやりぎれやしない」)
呻って、とても暑くってやり切れやしない」
(「まあ、そんなところ?」)
「まあ、そんな所?」
(「そんなところさ」)
「そんな所さ」
(「あたし、どこか、かいすいよくへいきたいなあ」)
「あたし、何処か、海水浴へ行きたいなあ」
(とつぜんそういったなおみのくちょうには、だだっこのような、かわいらしさがありました)
突然そう云ったナオミの口調には、だだッ児のような、可愛らしさがありました
(「じゃ、ちかいうちにすずしいところへつれていこうか、かまくらがいいかね、)
「じゃ、近いうちに涼しい処へ連れて行こうか、鎌倉がいいかね、
(それともはこねかね」)
それとも箱根かね」
(「おんせんよりはうみがいいわ、いきたいなあ、ほんとうに」)
「温泉よりは海がいいわ、行きたいなア、ほんとうに」
(そのむじゃきそうなこえだけをきいていると、やはりいぜんのなおみにちがいないの)
その無邪気そうな声だけを聞いていると、矢張以前のナオミに違いないの
(でしたが、なんだかほんのとおかばかりみなかったあいだに、きゅうにからだがのびのびと)
でしたが、何だかほんの十日ばかり見なかった間に、急に身体が伸び伸びと
(そだってきたようで、もすりんのひとえのしたにいきづいているまるみをもったかたのかたちや)
育って来たようで、モスリンの単衣の下に息づいている円みを持った肩の形や
(ちぶさのあたりを、わたしはそっとぬすみみないではいられませんでした。)
乳房のあたりを、私はそっと偸み視ないではいられませんでした。
(「このきものはよくにあうね、だれにぬってもらったの?」)
「この着物はよく似合うね、誰に縫って貰ったの?」
(と、しばらくたってからわたしはいいました。)
と、暫く立ってから私は云いました。
(「おっかさんがぬってくれたの」)
「おッ母さんが縫ってくれたの」
(「うちのひょうばんはどうだったい、みたてがじょうずだといわなかったかい」)
「内の評判はどうだったい、見立てが上手だと云わなかったかい」
(「ええ、いったわ、わるくはないけれど、あんまりがらが)
「ええ、云ったわ、わるくはないけれど、あんまり柄が
(はいからすぎるって、」)
ハイカラ過ぎるッて、」
(「おっかさんがそういうのかい」)
「おッ母さんがそう云うのかい」
(「ええ、そう、うちのひとたちにゃなんにもわかりゃしないのよ」)
「ええ、そう、内の人たちにゃなんにも分りゃしないのよ」
(そういってかのじょは、とおいところをみつめるようなめつきをしながら、)
そう云って彼女は、遠い所を視つめるような眼つきをしながら、
(「みんなあたしを、すっかりかわったっていってたわ」)
「みんなあたしを、すっかり変ったって云ってたわ」
(「どんなふうにかわったって?」)
「どんな風に変ったって?」
(「おそろしくはいからになっちゃったって」)
「恐ろしくハイカラになっちゃったって」
(「そりゃそうだろう、ぼくがみたってそうだからなあ」)
「そりゃそうだろう、僕が見たってそうだからなあ」
(「そうかしら。いっぺんにほんがみにゆってごらんていわれたけれど、あたしいやだ)
「そうかしら。一遍日本髪に結って御覧て云われたけれど、あたしイヤだ
(からゆわなかったわ」)
から結わなかったわ」
(「じゃあそのりぼんは?」)
「じゃあそのリボンは?」
(「これ?これはあたしがなかみせへいってじぶんでかったの。どう?」)
「これ?これはあたしが仲店へ行って自分で買ったの。どう?」
(といって、くびをひねって、さらさらしたあぶらけのないかみのけをかぜにふかせながら、)
と云って、頸をひねって、さらさらした油気のない髪の毛を風に吹かせながら、
(そこにひらひらまっているときいろのぬのをわたしのほうへしめしました。)
そこにひらひら舞っている鴇色の布を私の方へ示しました。
(「ああ、よくうつるね、こうしたほうがにほんがみよりいくらいいかしれやしない」)
「ああ、よく映るね、こうした方が日本髪よりいくらいいか知れやしない」
(「ふん」)
「ふん」
(と、かのじょは、そのししっぱなのさきを、ちょいとしゃくっていをえたように)
と、彼女は、その獅子ッ鼻の先を、ちょいとしゃくって意を得たように
(わらいました。わるくいえばこなまいきなこのはなさきのわらいかたがかのじょのくせではありました)
笑いました。悪く云えば小生意気なこの鼻先の笑い方が彼女の癖ではありました
(けれど、それがかえってわたしのめにはたいへんりこうそうにみえたものです。)
けれど、それが却って私の眼には大へん悧巧そうに見えたものです。
(なおみがしきりに「かまくらへつれてってよう!」とねだるので、ほんのにさんにち)
四 ナオミがしきりに「鎌倉へつれてッてよう!」とねだるので、ほんの二三日
(のたいざいのつもりででかけたのははちがつのはじめごろでした。)
の滞在のつもりで出かけたのは八月の初め頃でした。
(「なぜにさんにちでなけりゃいけないの?いくならとおかかいっしゅうかんぐらいいって)
「なぜ二三日でなけりゃいけないの?行くなら十日か一週間ぐらい行って
(いなけりゃつまらないわ」)
いなけりゃつまらないわ」
(かのじょはそういって、でがけにちょっとふへいそうなかおをしましたが、なにぶんわたしは)
彼女はそう云って、出がけにちょっと不平そうな顔をしましたが、何分私は
(かいしゃのほうがいそがしいというこうじつのもとにきょうりをひきあげてきたのですから、それが)
会社の方が忙しいという口実の下に郷里を引き揚げて来たのですから、それが
(ばれるとははおやのてまえ、すこしぐあいがわるいのでした。が、そんなことをいうとかえって)
バレると母親の手前、少し工合が悪いのでした。が、そんなことをいうと却って
(かのじょがかたみのせまいおもいをするであろうとさっして、)
彼女が肩身の狭い思いをするであろうと察して、
(「ま、ことしはにさんにちでがまんをしておおき、らいねんはどこかかわったところへゆっくり)
「ま、今年は二三日で我慢をしてお置き、来年は何処か変ったところへゆっくり
(つれていってあげるから。ね、いいじゃないか」)
連れて行って上げるから。ね、いいじゃないか」
(「だって、たったにさんにちじゃあ」)
「だって、たった二三日じゃあ」
(「そりゃそうだけれども、およぎたけりゃかえってきてから、おおもりのかいがんでおよげば)
「そりゃそうだけれども、泳ぎたけりゃ帰って来てから、大森の海岸で泳げば
(いいじゃないか」)
いいじゃないか」
(「あんなきたないうみでおよげはしないわ」)
「あんな汚い海で泳げはしないわ」
(「そんなわからないことをいうもんじゃないよ、ね、いいこだからそうおし、その)
「そんな分らないことを云うもんじゃないよ、ね、いい児だからそうおし、その
(かわりなにかきものをかってやるから。そう、そう、おまえはようふくがほしいと)
代り何か着物を買ってやるから。そう、そう、お前は洋服が欲しいと
(いっていたじゃないか、だからようふくをこしらえてあげよう」)
云っていたじゃないか、だから洋服を拵えて上げよう」
(その「ようふく」というえさにつられて、かのじょはやっとなっとくがいったのでした。)
その「洋服」というえさに釣られて、彼女はやっと納得が行ったのでした。
(かまくらでははせのきんぱろうという、あまりりっぱでないかいすいりょかんへとまりました。それに)
鎌倉では長谷の金波楼と云う、あまり立派でない海水旅館へ泊りました。それに
(ついていまからおもうとおかしなはなしがあるのです。というのは、わたしのふところには)
就いて今から思うと可笑しな話があるのです。と云うのは、私のふところには
(このはんきにもらったぼーなすがだいぶぶんのこっていましたから、ほんらいならばなにもにさんにち)
この半期に貰ったボーナスが大部分残っていましたから、本来ならば何も二三日
(たいざいするのにけんやくするひつようはなかったのです。それにわたしは、かのじょとはじめて)
滞在するのに倹約する必要はなかったのです。それに私は、彼女と始めて
(とまりがけのたびにでるということがゆかいでなりませんでしたから、なるべくならば)
泊りがけの旅に出ると云うことが愉快でなりませんでしたから、なるべくならば
(そのいんしょうをうつくしいものにするために、あまりけちけちしたまねはしないで、やどや)
その印象を美しいものにするために、あまりケチケチした真似はしないで、宿屋
(などもいちりゅうのところへいきたいと、さいしょはそんなかんがえでいました。ところがいよいよと)
なども一流の所へ行きたいと、最初はそんな考でいました。ところがいよいよと
(いうひになって、よこすかいきのにとうしつへのりこんだときから、わたしたちはいっしゅのきおくれ)
云う日になって、横須賀行の二等室へ乗り込んだ時から、私たちは一種の気後れ
(におそわれたのです。なぜかといって、そのきしゃのなかにはずしやかまくらへでかける)
に襲われたのです。なぜかと云って、その汽車の中には逗子や鎌倉へ出かける
(ふじんやれいじょうがたくさんのりあわしていて、ずらりときらびやかなれつをつくっていました)
夫人や令嬢が沢山乗り合わしていて、ずらりときらびやかな列を作っていました
(ので、さてそのなかにわりこんでみると、わたしはとにかく、なおみのみなりが)
ので、さてその中に割り込んで見ると、私はとにかく、ナオミの身なりが
(いかにもみすぼらしくおもえたものでした。)
いかにも見すぼらしく思えたものでした。
(もちろんなつのことですから、そのふじんたちやれいじょうたちもそうごてごてときかざっていたはずは)
勿論夏のことですから、その夫人達や令嬢達もそうゴテゴテと着飾っていた筈は
(ありません、が、こうしてかれらとなおみとをくらべてみると、しゃかいのじょうそうにうまれた)
ありません、が、こうして彼等とナオミとを比べて見ると、社会の上層に生れた
(ものとそうでないものとのあいだには、あらそわれないひんかくのそういがあるようなきがした)
者とそうでない者との間には、争われない品格の相違があるような気がした
(のです。なおみもかふええにいたころとはべつじんのようになりはしたものの、うじや)
のです。ナオミもカフエエにいた頃とは別人のようになりはしたものの、氏や
(そだちのわるいものはやはりどうしてもだめなのじゃないかと、わたしもそうおもい、かのじょ)
育ちの悪いものは矢張どうしても駄目なのじゃないかと、私もそう思い、彼女
(じしんもいっそうつよくそれをかんじたにちがいありません。そしていつもはかのじょを)
自身も一層強くそれを感じたに違いありません。そしていつもは彼女を
(はいからにみせたところの、あのもすりんのぶどうのもようのひとえものが、まあその)
ハイカラに見せたところの、あのモスリンの葡萄の模様の単衣物が、まあその
(ときはどんなになさけなくみえたことでしょう。)
時はどんなに情けなく見えたことでしょう。