谷崎潤一郎 痴人の愛 3

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投稿者投稿者神楽@社長推しいいね0お気に入り登録1
プレイ回数984難易度(4.5) 5393打 長文
谷崎潤一郎の中編小説です
最近読み終わりました
私のお気に入りです
追記:番号順ではなく時間になっていました。プレイしていただいた皆様、申し訳ございません。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 布ちゃん 5480 B++ 5.8 94.5% 923.1 5369 310 97 2024/11/12

関連タイピング

問題文

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(「ごめんよ、なおみちゃん、だいぶながいことまっただろう」)

「御免よ、ナオミちゃん、大分長いこと待っただろう」

(わたしがそういうと、)

私がそう云うと、

(「ええ、まったわ」)

「ええ、待ったわ」

(というだけで、べつにふへいそうなようすもなく、おこっているらしくもないのでした。)

と云うだけで、別に不平そうな様子もなく、怒っているらしくもないのでした。

(あるときなどはべんちにまっているやくそくだったのが、きゅうにあめがふりだしたので、)

或る時などはベンチに待っている約束だったのが、急に雨が降り出したので、

(どうしているかとおもいながらでかけていくと、あの、いけのそばにあるなにさまだかの)

どうしているかと思いながら出かけて行くと、あの、池の側にある何様だかの

(ちいさいほこらののきしたにしゃがんで、それでもちゃんとまっていたのには、ひどく)

小さい祠の軒下にしゃがんで、それでもちゃんと待っていたのには、ひどく

(いじらしいきがしたことがありました。)

いじらしい気がしたことがありました。

(そういうかのじょのふくそうは、たぶんねえさんのおゆずりらしいふるぼけためいせんのいるいをきて、)

そう云う彼女の服装は、多分姉さんのお譲りらしい古ぼけた銘仙の衣類を着て、

(めりんすゆうぜんのおびをしめて、かみもにほんふうのももわれにゆい、うすくおおしろいをぬって)

めりんす友禅の帯をしめて、髪も日本風の桃割れに結い、うすくお白粉を塗って

(いました。そしていつでも、つぎはあたっていましたけれど、ちいさなあしに)

いました。そしていつでも、継ぎはあたっていましたけれど、小さな足に

(ぴっちりとはまった、かっこうのいいしろたびをはいていました。どういうわけでやすみの)

ピッチリと嵌まった、格好のいい白足袋を穿いていました。どういう訳で休みの

(ひだけにほんがみにするのかときいてみても「うちでそうしろというもんだから」と、)

日だけ日本髪にするのかと聞いて見ても「内でそうしろと云うもんだから」と、

(かのじょはあいかわらずくわしいせつめいはしませんでした。)

彼女は相変らず委しい説明はしませんでした。

(「こんやはおそくなったから、いえのまえまでおくってあげよう」)

「今夜はおそくなったから、家の前まで送って上げよう」

(わたしはさいさい、そういったこともありましたが、)

私は再々、そう云ったこともありましたが、

(「いいわ、じきききんじょだからひとりでかえれるわ」)

「いいわ、直き近所だから独りで帰れるわ」

(といって、はなやしきのかどまでくると、きっとなおみは「さようなら」といいすて)

と行って、花屋敷の角まで来ると、きっとナオミは「左様なら」と云い捨て

(ながら、せんぞくちょうのよこちょうのほうへばたばたかけこんでしまうのでした。)

ながら、千束町の横丁の方へバタバタ駆け込んでしまうのでした。

(そうです、あのころのことをあまりくどくどしるすひつようはありませんが、いちど)

そうです、あの頃のことを余りくどくど記す必要はありませんが、一度

など

(わたしは、ややうちとけて、かのじょとゆっくりはなしをしたおりがありましたっけ。)

私は、やや打ち解けて、彼女とゆっくり話をした折がありましたっけ。

(それはなんでもしとしととはるさめのふる、なまあたたかいしがつのまつのよいだったでしょう。)

それは何でもしとしとと春雨の降る、生暖かい四月の末の宵だったでしょう。

(ちょうどそのばんはかふええがひまで、だいそうしずかだったので、わたしはながいこと)

ちょうどその晩はカフエエが暇で、大そう静かだったので、私は長いこと

(てーぶるにかまえて、ちびちびさけをのんでいました。こういうとひどく)

テーブルに構えて、ちびちび酒を飲んでいました。こう云うとひどく

(さけのみのようですけれど、じつはわたしははなはだげこのほうなので、じかんつぶしに、おんなの)

酒飲みのようですけれど、実は私は甚だ下戸の方なので、時間つぶしに、女の

(のむようなあまいこくてるをこしらえてもらって、それをほんのひとくちずつ、)

飲むような甘いコクテルを拵えて貰って、それをホンの一と口ずつ、

(なめるようにすすっていたのにすぎないのですが、そこへかのじょがりょうりをはこんで)

舐めるように啜っていたのに過ぎないのですが、そこへ彼女が料理を運んで

(きてくれたので、)

来てくれたので、

(「なおみちゃん、まあちょっとここへおかけ」)

「ナオミちゃん、まあちょっと此処へおかけ」

(と、いくらかよったいきおいでそういいました。)

と、いくらか酔った勢でそう云いました。

(「なあに」)

「なあに」

(といって、なおみはおとなしくわたしのそばへこしをおろし、わたしがぽけっとからしきしまを)

と云って、ナオミは大人しく私の側へ腰をおろし、私がポケットから敷島を

(だすと、すぐにまっちをすってくれました。)

出すと、すぐにマッチを擦ってくれました。

(「まあ、いいだろう、ここですこうししゃべっていっても。こんやはあまり)

「まあ、いいだろう、此処で少うししゃべって行っても。今夜はあまり

(いそがしくもなさそうだから」)

忙しくもなさそうだから」

(「ええ、こんなことはめったにありはしないのよ」)

「ええ、こんなことはめったにありはしないのよ」

(「いつもそんなにいそがしいかい?」)

「いつもそんなに忙しいかい?」

(「いそがしいわ、あさからばんまで、ほんをよむひまもありゃしないわ」)

「忙しいわ、朝から晩まで、本を読む暇もありゃしないわ」

(「じゃあなおみちゃんは、ほんをよむのがすきなんだね」)

「じゃあナオミちゃんは、本を読むのが好きなんだね」

(「ええ、すきだわ」)

「ええ、好きだわ」

(「いったいどんなものをよむのさ」)

「一体どんな物を読むのさ」

(「いろいろなざっしをみるわ、よむものならなんでもいいの」)

「いろいろな雑誌を見るわ、読む物なら何でもいいの」

(「そりゃかんしんだ、そんなにほんがよみたかったら、じょがっこうへでもいけばいいのに」)

「そりゃ感心だ、そんなに本が読みたかったら、女学校へでも行けばいいのに」

(わたしはわざとそういって、なおみのかおをのぞきこむと、かのじょはしゃくにさわったのか、)

私はわざとそう云って、ナオミの顔を覗き込むと、彼女は癪に触ったのか、

(つんとすまして、あらぬほうがくをじっとみつめているようでしたが、そのめの)

つんと済まして、あらぬ方角をじっと視つめているようでしたが、その眼の

(なかには、あきらかにかなしいような、やるせないようないろがうかんでいるのでした。)

中には、明かに悲しいような、遣る瀬無いような色が浮かんでいるのでした。

(「どうだね、なおみちゃん、ほんとうにおまえ、がくもんをしたいきがあるかね。)

「どうだね、ナオミちゃん、ほんとうにお前、学問をしたい気があるかね。

(あるならぼくがならわせてあげてもいいけれど」)

あるなら僕が習わせて上げてもいいけれど」

(それでもかのじょがだまっていますから、わたしはこんどはなぐさめるようなくちょうでいいました。)

それでも彼女が黙っていますから、私は今度は慰めるような口調で云いました。

(「え?なおみちゃん、だまっていないでなんとかおいいよ。おまえはなにを)

「え?ナオミちゃん、黙っていないで何とかお云いよ。お前は何を

(やりたいんだい。なにがならってみたいんだい?」)

やりたいんだい。何が習って見たいんだい?」

(「あたし、えいごがならいたいわ」)

「あたし、英語が習いたいわ」

(「ふん、えいごと、それだけ?」)

「ふん、英語と、それだけ?」

(「それからおんがくもやってみたいの」)

「それから音楽もやってみたいの」

(「じゃ、ぼくがげっしゃをだしてやるから、ならいにいったらいいじゃないか」)

「じゃ、僕が月謝を出してやるから、習いに行ったらいいじゃないか」

(「だってじょがっこうへあがるのにはおそすぎるわ。もうじゅうごなんですもの」)

「だって女学校へ上るのには遅過ぎるわ。もう十五なんですもの」

(「なあに、おとことちがっておんなはじゅうごでもおそくはないさ。それともえいごとおんがくだけなら)

「なあに、男と違って女は十五でも遅くはないさ。それとも英語と音楽だけなら

(おんながっこうへゆかないだって、べつにきょうしをたのんだらいいさ。どうだい、おまえまじめに)

女学校へ行かないだって、別に教師を頼んだらいいさ。どうだい、お前真面目に

(やるきがあるかい?」)

やる気があるかい?」

(「あるにはあるけれど、じゃ、ほんとうにやらしてくれる?」)

「あるにはあるけれど、じゃ、ほんとうにやらしてくれる?」

(そういってなおみは、わたしのめのなかをにわかにはっきりみすえました。)

そう云ってナオミは、私の眼の中を俄かにハッキリ見据えました。

(「ああ、ほんとうとも。だがなおみちゃん、もしそうなればここにほうこうしている)

「ああ、ほんとうとも。だがナオミちゃん、もしそうなれば此処に奉公している

(わけにはいかなくなるが、おまえのほうはそれでさしつかえないのかね。おまえがほうこうを)

訳には行かなくなるが、お前の方はそれで差支えないのかね。お前が奉公を

(やめていいなら、ぼくはおまえをひきとってせわをしてみてもいいんだけれど、)

止めていいなら、僕はお前を引取って世話をしてみてもいいんだけれど、

(・・・・・・・・・そうしてどこまでもせきにんをもって、りっぱなおんなにしたてて)

・・・・・・・・・そうして何処までも責任を以て、立派な女に仕立てて

(やりたいとおもうんだけれど」)

やりたいと思うんだけれど」

(「ええ、いいわ、そうしてくれれば」)

「ええ、いいわ、そうしてくれれば」

(なにのちゅうちょするところもなく、げんかにこたえたきっぱりとしたかのじょのへんじに、わたしは)

何の躊躇するところもなく、言下に答えたキッパリとした彼女の返辞に、私は

(たしょうのおどろきをかんじないではいられませんでした。)

多少の驚きを感じないではいられませんでした。

(「じゃ、ほうこうをやめるというのかい?」)

「じゃ、奉公を止めると云うのかい?」

(「ええ、やめるわ」)

「ええ、止めるわ」

(「だけどなおみちゃん、おまえはそれでいいにしたって、おっかさんやにいさんが)

「だけどナオミちゃん、お前はそれでいいにしたって、おッ母さんや兄さんが

(なんというか、いえのつごうをきいてみなけりゃならないだろうが」)

何と云うか、家の都合を聞いて見なけりゃならないだろうが」

(「いえのつごうなんか、きいてみないでもだいじょうぶだわ。だれもなんともいうものはありゃ)

「家の都合なんか、聞いて見ないでも大丈夫だわ。誰も何とも云う者はありゃ

(しないの」)

しないの」

(と、くちではそういっていたものの、そのじつかのじょがそれをあんがいきにしていたことは)

と、口ではそう云っていたものの、その実彼女がそれを案外気にしていたことは

(たしかでした。つまりかのじょのいつものくせで、じぶんのかていのうちまくをわたしにしられるのが)

確かでした。つまり彼女のいつもの癖で、自分の家庭の内幕を私に知られるのが

(いやさに、わざとなんでもないようなそぶりをみせていたのです。わたしもそんなに)

嫌さに、わざと何でもないような素振りを見せていたのです。私もそんなに

(いやがるものをむりにしりたくはないのでしたが、しかしかのじょのきぼうをじつげんさせる)

嫌がるものを無理に知りたくはないのでしたが、しかし彼女の希望を実現させる

(ためには、やはりどうしてもかていをおとずれてかのじょのははなりあになりにとくとそうだん)

為めには、矢張どうしても家庭を訪れて彼女の母なり兄なりに篤と相談

(しなければならない。で、ふたりのあいだにそのあとだんだんはなしがしんこうするにしたがい、)

しなければならない。で、二人の間にその後だんだん話が進行するに従い、

(「いっぺんおまえのみうちのひとにあわしてくれろ」と、なんどもそういったのですけれど、)

「一遍お前の身内の人に会わしてくれろ」と、何度もそう云ったのですけれど、

(かのじょはふしぎによろこばないで、)

彼女は不思議に喜ばないで、

(「いいのよ、あってくれないでも。あたしじぶんではなしをするわ」)

「いいのよ、会ってくれないでも。あたし自分で話をするわ」

(と、そういうのがきまりもんくでした。)

と、そう云うのが極まり文句でした。

(わたしはここで、いまではわたしのつまとなっているかのじょのために、「かわいふじん」のめいよの)

私はここで、今では私の妻となっている彼女の為めに、「河合夫人」の名誉の

(ために、しいてかのじょのふきげんをかってまで、とうじのなおみのみもとやすじょうをあらい)

為めに、強いて彼女の不機嫌を買ってまで、当時のナオミの身許や素性を洗い

(たてるひつようはありませんから、なるべくそれにはふれないことにして)

立てる必要はありませんから、成るべくそれには触れないことにして

(おきましょう。あとでしぜんとわかってくるときもありましょうし、そうでないまでも)

置きましょう。後で自然と分って来る時もありましょうし、そうでないまでも

(かのじょのいえがせんぞくちょうにあったこと、じゅうごのとしにかふええのじょきゅうにだされていたこと)

彼女の家が千束町にあったこと、十五の歳にカフエエの女給に出されていたこと

(そしてけっしてじぶんのじゅうきょをひとにしらせようとしなかったことなどをかんがえれば、)

そして決して自分の住居を人に知らせようとしなかったことなどを考えれば、

(おおよそどんなかていであったかはだれにもそうぞうがつくはずですから。いや、そればかり)

大凡そどんな家庭であったかは誰にも想像がつく筈ですから。いや、そればかり

(ではありません、わたしはけっきょくかのじょをときおとしてははだのあにだのにあったのですが、)

ではありません、私は結局彼女を説き落して母だの兄だのに会ったのですが、

(かれらはほとんどじぶんのむすめやいもうとのていそうということについては、もんだいにしていないの)

彼等は殆ど自分の娘や妹の貞操と云うことに就いては、問題にしていないの

(でした。わたしがかれらにもちかけたそうだんというのは、せっかくとうにんもがくもんがすきだと)

でした。私が彼等に持ちかけた相談と云うのは、折角当人も学問が好きだと

(いうし、あんなところにながくほうこうさせておくのもおしいこのようにおもうから、そちらで)

云うし、あんな所に長く奉公させて置くのも惜しい児のように思うから、其方で

(おさしつかえがないのなら、どうかわたしにみがらをあずけてはくださるまいか。)

お差支えがないのなら、どうか私に身柄を預けては下さるまいか。

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